“人から嫌われるマウンティング型の自慢話”と“人の興味を惹きつけるシェア型の自慢話”:1,“人から嫌われるマウンティング型の自慢話”と“人の興味を惹きつけるシェア型の自慢話”:2

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“人から嫌われるマウンティング型の自慢話”と“人の興味を惹きつけるシェア型の自慢話”:2


『好きな人と分かり合えない悩み』と相手に対する役割期待の肥大:1


『嫌いな人と関わらなければならない悩み』と悪い第一印象(欠点探し)の固定化:2


自己愛性格の“自己の特別視”と“過剰な競争心”が生む不遇感1:ありのままの自己の否定と優越欲求


自己愛性格の“自己の特別視”と“他者との比較・嫉妬”が生む不遇感2:アドラー心理学の共同体感覚


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“人から嫌われるマウンティング型の自慢話”と“人の興味を惹きつけるシェア型の自慢話”:1

“相手からの注目・関心・賞賛を得たい”という気持ちは『承認欲求』として誰もが持っているものだ。だが、承認欲求の満たし方が一方的で自己顕示的(競争的)になると、他者に不快感・嫌悪感を感じさせることで人間関係が上手くいかなくなることも多い。相手に本心から自分のことを認めてもらいたいと思えば、自分も相手のことを好意的に見たり、相手の存在・能力・成果などを肯定して認めて上げなければならない。しかし、『承認欲求の相互性+好意の返報性』を実感として理解できない人は、自分だけが相手から持ち上げてもらって気分良く付き合ってもらえるのが当たり前という“一人よがりの承認欲求充足”に満足しやすい。

自分に興味関心を持ってもらいたいと思っているのに、相手のことには興味関心を持っていないという一方的な承認欲求でもある。一般にあまり好かれない『自慢話』というのも、相手の状況・気持ちを無視したり悪意的に自分と比較したり、自分がどれだけ優れているか素晴らしいかを一方的に自己顕示する時に、最も他人から『この人との会話は面白くない・ずっと褒めていなくてはならず面倒だ・上から目線で偉そうにしている』と思われやすくなる。反発されて嫌われる『自慢話』というのは、『自分と相手との差異』に優劣をつけるような形で強調して、自分のほうが相手より優れている(幸せである)ということを無理やりにでも知らしめようとする『マウンティング型の自慢話』であることが多い。

マウンティング型の自慢話には、それとなく相手の能力・人生・人間関係などにダメだしや否定をする要素が混入されていて、自分自身のことをただ率直に表現するだけではなくて、『あなたよりも私のほうが人生を楽しんでいる・能力や地位、実績が優れている・今のあなたの人生は大して魅力的なものではなく楽しめていない』ということを認めさせることに力点がある。改めて本人に聞けば意識レベルでは『相手の現状・生き方を否定するつもりなどはなかった』と言うかもしれないが、自慢話を通して相手に不幸・屈辱感・面白みのなさを感じさせているのであれば、それは人が離れていきやすい『下手なマウンティング型の自慢話』である。

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自慢話が下手な人というか劣等感と綯い交ぜになった承認欲求が過剰な人は、自分を褒めてもらうため、自分の幸せや立派さを認めさせるために、『自分よりも格下の比較対象』を無意識的に作り上げて、その価値が劣るとする比較対象にそれとなく話している相手を含めてしまっていることが多い。更に、相手の置かれている状況や気持ちを考えずに、弱っている人や落ち込んでいる人、劣等感に悩んでいる人に対して、『その人があまり言及されたくないであろうポイント(現状で上手くいっていない事柄)』にまつわるマウンティング型の自慢話をすることによって、共感性・思いやりに欠ける自分本位な性格という印象を強めてしまう。

マウンティング型の自慢話は、人と会話を楽しむためのコミュニケーションではなく、人に自分の優位性を強引に認めさせるためのコミュニケーションになっているため、精神的・境遇的に余裕のある相手にしか聞いてもらえない。また何回かは聞いてもらえても、その会話のスタイルを変えないと、長く付き合い続けたいと思う相手が現れにくい。なぜある人はマウンティング型の自慢話に傾きやすいのかは、自己愛性パーソナリティー構造や演技性パーソナリティー構造とも関係するが、『ありのままの普通の自分』には価値がないという劣等コンプレックスがあるからであり、人間関係を基本的にどっちが上か下かの区別で捉えやすくなっているからである。

フラットで親密な人間関係では、どちらが上か下かの優劣をつけるようなやり取りは必要ないし、相手の状況や気持ちを考えた自慢話は相手に自然と受け容れられやすい。

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“人から嫌われるマウンティング型の自慢話”と“人の興味を惹きつけるシェア型の自慢話”:2

マウンティング型の自慢では意識的にせよ無意識的にせよ『相手に嫌な気分(屈辱・不遇・惨めさ等)』を与えるようなやり取りが含まれていることが多く、分かりやすい自慢話ではなくても『相手が聞かれたくないこと(劣等感・恥ずかしさに触れること)が分かっている項目・事柄』について敢えて質問したり確認したりするような意地の悪いところが見られたりする。自分の幸不幸の価値観や序列意識だけを絶対のものとして、例えば『休みの日に家の中で過ごすのは人生を楽しんでいない・一人だけでするインドアな趣味は暗い・豪華な食事や高級な買い物ができない人生はつまらない・外見の優れた恋人(配偶者)でなければどこか妥協してるはず・結婚や出産こそが女の幸せ』などの自分の価値判断(優劣判断)のものさしを一方的に押し付けてくるような人もいる。

これも『自分が人生で最も多くのリソースを費やしてきた活動・趣味・事柄』の価値を底上げしたいという欲求に基づいていて、『自分には自分の楽しみ方があるように、相手にも相手の楽しみ方があるという現実』を認めず、そこに自分のほうが幸せで充実しているという優越感を持ち込みたい気持ちを抑えられないのである。 相手は今のままで幸せとか満足とかいっているが、私のほうがもっと幸せで楽しんでいるんだからやせ我慢(負け惜しみ)しているはず、それを何としても認めさせたい(自分は自分・他人は他人というような自分の優位性に対する無関心がつまらないし許せない)という所にも、マウンティング型の自慢や競争のモチベーションがある。

相手に対する興味関心や思いやり・感謝の気持ちが欠けている時に、そういった自慢話や配慮のないやり取りが生まれやすくなり、『自分が楽しんでいること』は無理にでも認めさせたいのに、『相手が楽しんでいること』は頑なに認めないのである。自慢話のすべてが嫌われたり反発されたりするわけではなく、相手に劣等感や屈辱感を感じさせずに、自分の感じている楽しみや喜び、自信、メリットなどを気持ちよくさらりと分かち合うような『シェア型の自慢話』は、逆に相手の好意・興味・敬意を惹きつけることも多い。

例えば、美味しいものを食べに行ったという話でも、『相手の好きそうな料理のジャンルのお店・相手とも一緒に行けそうな雰囲気や価格帯のお店』の話をして、『とても美味しかったから、今度は是非一緒に行ってみようよ』と誘いを掛けたりする。高級車・高級時計・ブランドの衣服などを買ったという話でも、『そういった高級品に興味関心を持っている人』を選んで話しかけたり、『高級車や高級時計の歴史・機能・特徴などの分かりやすい説明』をして、元々は興味のない相手にも興味を持ってもらえそうな話の構成や展開を工夫したりする。

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マウンティング型の自慢話では『高級品を持っている(買える)自分の優位性』ばかりに話題の焦点が持っていかれるので、聞いている相手はあまり面白くないが、シェア型の自慢話では『高級品そのものの魅力・特徴・歴史・デザイン』などについて本人が本当に惚れ込んでいる気持ちを語るので、聞いている相手もそれなりに興味関心を惹きつけられることが多い。相手を嫌な気持ちにさせにくい『シェア型の自慢話』というのは、『自己中心性・自己顕示性・相手の価値の引き下げ』を感じさせないさらりとした自慢話であり、『本当に自分が楽しんできた活動・本当に満足している人間関係やライフスタイル・本当に自分が好きなモノ』について『相手の状況・気持ち』にも適切に配慮した上で語るような自慢話である。

他人の生き方や価値観を低く押し込めて、自分の幸福感や立場を相対的に高めるようなマウンティング型とは違い、『自分は自分・他人は他人の価値観(生き方)の違いがあること(いずれの生き方にもそれぞれの良さや味わいがあること)』を認めながらも、『体験の感動・人の魅力・モノの素晴らしさ』などを相手に分かりやすく伝えてその良さを共有したいというところにシェア型の自慢話の本質がある。ここでは“マウンティング型の自慢話”と対比させるために敢えて“シェア型の自慢話”という概念を用いているが、厳密には相手の状況・気持ちを考えた上で語られるシェア型は、『自分と相手との距離感・関係性を弁えた楽しい会話の一部』であることのほうが多い。

つまり、マウンティング型の自慢話をする人、あるいはそういった嫌味な自慢だとして自分の話を受け取られてしまう人というのは、相手との間に『本音と本音のコミュニケーションが成り立つような距離感・親密さ』が醸成されていない。相手を自分の自尊心を傷つけるかもしれない仮想敵のように認識することで、絶えず相手に負けまい(相手との比較で自分の位置を確認したい)とする競争心に駆り立てられた結果としてマウンティング型になってしまいやすいのだが……相手の興味や好意を惹きつけ得る力を持つ“シェア型の自慢話”ができるかどうかは、突き詰めれば『相手の幸福・成功を喜べるような距離感・親密さがあるかないか(そういった幸せや喜びを自然にシェアできる相手の有無)』に行き着くことになる。

『好きな人と分かり合えない悩み』と相手に対する役割期待の肥大:1

人間関係の悩みには『好きな人と分かり合えない悩み』『嫌いな人と関わらなければならない悩み』がありますが、好きな人と分かり合えない悩みには『初期の対人評価(好意的な印象)の変化+相互の役割期待の変化』が関係しています。恋愛の情緒的関係や結婚の共同生活では特に、その初期には『相手が笑顔で一緒にいてくれるだけでも良い』という甘めの対人評価が設定されて、好意的な印象が保たれやすくなっています。しかし、付き合いが長くなるにつれて『対人評価の基準』が厳し目になったり、もっと役割を果たして何かをして欲しい(今果たしているだけの役割では不十分)という『相手に対する役割期待』が大きくなったりしやすくなります。

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人間関係が円滑で上手くいっている時というのは、『ありのままに近い相手』の存在とその価値を受け止めて認められている時であり、お互いに『相手のための無理のない程度の努力・工夫』ができていて、相手のちょっとした頑張りや奉仕に対しても分かりやすい形で感謝の気持ちが表現できている時です。こういった状況では、よほどの事がない限り、相手に対する悪印象や低評価は固まりませんから、心地よくて円滑な人間関係がそのまま安定しやすくなります。しかし、親密な関係が長くなってきたり、結婚したり子供が生まれるなどして生活環境が大きく変わってくると、今までのあなたでは全くダメという形で『対人評価のハードル』が高くなって、もっと家族のために頑張って貢献してほしいという『相手に対する役割期待』も大きくなってきます。

そこでお互いの言動・努力とそれに対する評価・反応のバランスが崩れやすくなって、『相手の言い分に耳を傾ける態度・頻度』も減ってくるわけですが、夫婦や恋人などとの親密な人間関係の決定的な危機を回避するためには、まず『相手の不平不満』と『自分の不平不満』への感度を上げて、『自分が相手のどこを気に入らないと思っているのか』について率直な話し合いの機会を持つことです。何も言わずに自分の不平不満を溜め込んで『相手の自発的・積極的な変化や貢献』を待つばかりでは、『相手の側は自分がそこまで不満を持たれていることにさえ気づかないままのケース』が多いですから、結局、自分の望んでいるような変化は起きずにどんどん愛想が尽きて嫌いになっていくリスクが高まりやすくなります。

それほど無理な改善の要求や役割期待でもないのに、何度も問題点について話し合ってもダメというのであれば(あるいは話し合いそのものを受け付けず感情的・暴力的に激昂するなどであれば)仕方ないですが……『不平不満・改善要求・役割の期待や負担のバランス』などについて率直な話し合いの機会を作ってみて、お互いに相手の言い分や努力(譲歩)している部分に納得していくことができれば、破局に向かうような関係悪化は回避しやすくなってきます。学校・職場などで『嫌いな人と関わらなければならない悩み』も難しい問題ですが、『暴力・暴言・ハラスメントなどで直接的な危害を加えてくる相手』『不快な態度や言動でどうにも合わないとか気に入らないとか感じる相手』とをまず区別して考えてみると良いと思います。

物理的な暴力や度を越した暴言・罵倒、各種のハラスメントなどは、生命・健康に関わってくる危険や法律に違反する犯罪になる可能性もありますから、自分の認知(考え方)の調整や相手との関わり方の改善・工夫だけでは十分に対処できないことが多くなります。怪我をさせられそうとか身柄を拘束されそう、精神的に強く圧迫(威圧)されておかしくなりそうといった緊急性が高いケースであれば、警察・行政・弁護士・上司(教師)・ハラスメント対策室などへの法的対応・緊急避難も含めた相談が必要になってくるでしょう。そういった特別に危険なケースを除いて、『不快な態度・言動からどうにも合わないとか苦手だ(気に入らない)とか感じる相手』がいて、学校や仕事の関係でどうしても関わらなければならないのがストレスになるという悩みは多いと思います。

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誰とでも気が合うとか、誰とでも上手く合わせられるというタイプの人であれば、対人関係の悩み事やストレスは減ってきますが、大半の人は何だかんだいって『自分の側の人の好き嫌い』があります。その自分の側の人の好き嫌いが、『相手の側の人の好き嫌い』とバッティングして、余計にコミュニケーションが対立・断絶したり当てこすりや挑発的になったりしやすいのです。確かに、自分のほうから笑顔で明るく挨拶をしたのに冷たい無表情で無視されたとか、いつも嫌味や皮肉、傷つく言葉などを言われているとかいう『具体的な理由・嫌いになるきっかけ』があって苦手意識や抵抗感を持つということもありますが、人間関係では一般的に自分が嫌いになればなるほど、相手からも嫌われやすい傾向があります。

『嫌いな人と関わらなければならない悩み』と悪い第一印象(欠点探し)の固定化:2

自分が苦手・嫌いとか顔を合わせたくないと思っている相手は、かなりの確率で相手の側も自分に対してそう思っていたりします。具体的な根拠の乏しい曖昧な苦手意識・嫌悪感の多くは『第一印象(数回のやり取りの印象)の悪さ』を引きずっていたり、『短所・欠点の意識化(焦点化)』によって相手の良い部分がまったく見えなくなっていたりするので、そこから『相手の印象・評価』を良い方向に変えていける可能性もあるのです。単純に外見や話し方が気に入らないということもあり得ますが、嫌悪感や苦手意識を持っていると特別に悪口・批判を口にしていなくても、無意識的に『相手に対する拒絶的・軽視的(無視的)・驚異的(恐れのある)な反応』がでやすくなり、不自然によそよそしくなったり、それとなく冷淡・批判的な言い回しになってきます。すると、相手もそれに合わせた敵対的・拒絶的な言動を返しやすくなってくるので、余計にお互いに対する評価・印象も悪くなっていく悪循環にはまってしまうのです。

こういった悪循環に陥らないためには、初めの第一印象(何回かのやり取り)で植えつけられてしまった『相手の悪印象・悪いイメージ』をいったん脇において、敢えて『客観的に見た場合の相手の長所・得意・利点』などを考えてみることで、今までとは異なる相手の一面が見えてくることがあります。今まで見えなかった『相手の良い部分・長所』が見えるようになれば、自分の側の発言・態度にも知らず知らずのうちに変化が起こってきて(いつもより相手を肯定・賞賛する発言が出たり、相手の気持ちを和らげる良い笑顔が出たり)、『相手の自分に対する認識・印象』を良くするような思いがけないアプローチが出来てしまうこともあります。

人はいったん気に食わない嫌な相手や苦手な人だと思うと、無意識的に『相手の評価を下げる悪い材料』ばかりに意識・注意が向かってしまい、『相手が悪い人間であるという証拠・根拠』を次々と集めることで、自分の相手に対する悪印象・人格否定をがっちりと固めやすくなります。良くも悪くも、第一印象や初期の対人評価が変わる余地がなくなって、悪い関係が悪い関係のまま維持されるか完全に相手を切り捨てることになります。もう二度と顔を合わせなくて良い相手だとか、自分のほうが上位に立てるような相手だとか、仕事上・学業上の利害関係がない相手であれば、『気に食わない相手だから嫌って関わらないようにしよう』というのでも良いかもしれません。

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しかし、実際に社会に出て働いたり活動したりしていると、どうしても好きではないが持続的に関わらなければならない相手(直接的・間接的な利害も絡んでくる相手)というのが出てくるので、できるだけ『相手がこういうダメな人間だ・自分とは絶対に合わない嫌いな人間だ』と決めつけすぎないようにして、その日ごとにちょっと気持ち・目線を入れ替えて、改めて相手の言動を見直してみることも必要でしょう。『相手の良い部分(長所・魅力・実績など)』を意識的に探してみよう、『相手に受け容れられそうな話題・態度』でもう一度接してみようとする姿勢を持つことで、相手の印象を少しでもプラスに変えていくことができれば、相手との人間関係が良くなるだけではなくて、自分にとっての『実際的な利益・働きやすい環境・対人スキルの上昇(=自己評価の向上)』にもつながってきます。

自己愛性格の“自己の特別視”と“過剰な競争心”が生む不遇感1:ありのままの自己の否定と優越欲求

自己愛性パーソナリティー障害(過度の自己愛性格)の人は、『自己の特別視』『際限のない成功・幸福の欲求』によって、絶対に他者には負けられないとか常に自分が特別に認められていないと気が済まないとかいった『非現実的な競争心』に駆り立てられる。“非現実的な競争心”は“非適応的な競争心”と言い換えることもできるが、それは『勝っても負けても心からの満足感を感じられない競争』に終わりなく駆り立てられる心である。なぜ終わりなく自分を絶対化・特別化するような虚しい競争心(絶対に勝てない競争心)に追われるのだろうか。

一つはこの世の中の価値を、『勝者‐敗者の二元論(成功者‐失敗者の二元論)』だけで捉え過ぎていて、負けたり失敗したりすれば自分の生きている価値はない(自分以外の他者でも敗者・失敗者には価値がない)という過度に凝り固まった判断基準に固執しているからである。こういった自分と他人を常に勝っているか負けているかで比べてしまう性格や心情は、勝ち負けや成功・失敗の区別から離れた人間関係やコミュニケーションの喜びを知らない(認めない)ということにもつながっている。

優越感(見下し)を何よりも重視する勝ち負けの二元論に固執してしまうと、『勝っていなくても幸せ・成功していなくても楽しい(他人から賞賛・評価をされなくても自分には自分の生き方における喜びや感動がある)』という考え方を“負け惜しみ・負け犬の遠吠え”のように解釈してしまうようになる。虚しい競争心に追われるもう一つの理由は、『ありのままの平凡で普通な自分』を自分で愛せない(認められない)からであり、更にいえば『勝利・成功・美しさ・豊かさなど特別な長所のない自分』では他人から決して愛されず(認められず)に惨めで孤独な思いをさせられるという不安(=構えていない自分への自己否定)が根強いものとしてあるからである。

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実際には、人間に幸福感や安心感を与えてくれるのは『ありのままの構えない自分でいられる相手・場所』だから、過度の競争心や自己の特別視がある人は、頑張れば頑張るほど逆説的に幸せや安らぎを感じにくくなってしまう。自分を実際よりも良く見せたいという構え・競争・見栄は、『リラックスした自然な自分の姿』を誰にも見せられない、『他人に負けられないという構え』からいつも緊張していて不満が多くなってしまうという弊害を生んでしまうのである。ありのままの自分を受け容れられないという自己愛・競争心の過剰は、『子供時代の親からの無償の愛情・保護の欠如(機能不全家族・虐待のようなアダルトチルドレン的な成育歴)』『大人になるまでの対等な友人・恋人とのコミュニケーションの楽しさ・充実の経験の乏しさ(人間関係からの孤立感・疎外感など他者との馴染みにくさ・分かり合えなさが強いという感覚)』などに由来していることが多い。

『ありのままの構えない自分(ありのままで何でも言いたい放題で我がままに振る舞うといったような意味ではなく)』を他人から受け容れられて安らいだり楽しかったりした実感・記憶がないから、『自然な普通の自分ではダメだという認知』が強くなってしまうということである。勝ち続けて成功し続けて、『他人よりも凄い自分のイメージ(=実際以上の能力や実績を呈示するような強烈な自己イメージ)』を見せていなければ受け容れて(認めて)もらえないという完全主義や緊張感があるから、素の自分を出してコミュニケーションしたり付き合ったりできる『仲間と思えるような相手との人間関係』を作れなくなってしまう。

極論すれば、『自分以外の他人はすべて敵・競争相手という認知』に傾いていって、会話の内容が『自分の自慢・自己顕示』か『他人の批判・粗探し』かになってしまい、誰もがその人と話していても楽しくなくて不快だと感じやすくなるということを意味する。人から好かれたい認められたくて『今の自分以上のもの』を目指して必死になっているのに、余計に自分の周りから人が離れていってしまうという逆説的な孤立状況にはまりやすいのである。

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自己愛性格の“自己の特別視”と“他者との比較・嫉妬”が生む不遇感2:アドラー心理学の共同体感覚

アルフレッド・アドラーが創始した“アドラー心理学”では、人間が幸福になるために最も必要なものとして『共同体感覚』を上げている。この共同体感覚を平たく言い直せば、『仲間と思える他人がいること(仲間である他人の成功・幸福を素直に喜んで祝えること)』であり、『仲間である他人のために何か貢献したいと思うこと』である。アドラー心理学には確かに『自分と他人の課題の分離』や『他人から認められること(愛されること)にこだわらないこと』といった、自分は自分の人生を生きるべきとする個人主義的な考え方もあるのだが、そのことは『他人に無関心であること・他人と競い合うこと』とイコールではない。

むしろ、アルフレッド・アドラーの理論の中心は、自分も他人と同じありふれた人間の一人であること、自分もまた大勢の人が懸命に生きている社会・共同体の一員であることを自覚して獲得する『共同体感覚』にある。この共同体感覚とは『他人を敵と思って競い合う(他人を否定する)』のではなく、『他人を仲間と思って受け容れる(他人に共感する)』ことによって、結果として自分自身も安心感や受容感に支えられた自己肯定感を得られるという考え方なのである。

共同体感覚をスポイルする『他人を敵と思って競い合う(他人を否定する)』という考え方や生き方の問題は、『勝者‐敗者の二元論(成功者‐失敗者の二元論)』にもつながっている。他人との関係を認識する視点が、『自分のほうが相手よりも幸せか成功しているかどうか・自分よりも相手のほうが幸せそうにしていないか』という優劣に白黒つけたい二元論に偏ってしまうので、相手のほうも自分を敵対視してくる恐れが強くなってしまう。他人を受け容れたり評価したりすることができないのに、自分のことだけは賞賛したり評価して欲しいというのは『自己愛の過剰性・精神発達の未熟成』の現れとしての自己中心性である。この自己中心性は『自己の特別視による他人への嫉妬・怨恨』を含んでいるので、『自分の幸福・成功』を貪欲に終わりなく追求するだけではなく、『他人の不幸・失敗』によって自己慰撫するような“他人の不幸は蜜の味”といった人間の好ましくない一面を強化してしまう。

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自己愛パーソナリティー障害(自己愛性格)に基づく自己の特別視は、『自分だけが他人よりも優れていなければならない・自分だけが他人にないものを持っていなければならない』という現実には有り得ない状態を追い求めるから、必然的にどこかで挫折・徒労・劣等感に陥ることになる。現実は、常に『自分よりも優れている他者・成功している他者・幸せそうな他者・若くて美しい他者』に溢れていて、客観的にはいくら自分が最高に優れている特別な存在になろうと努力しても絶対になれない、もしくはあるジャンルで暫時的にトップの地位に経ったとしてもいずれは他の才能や後進の若い人たちに追いつかれて追い越されていくだろう。

永遠に若くて美しい人、絶対に能力が衰えない人、今の実績や栄誉が落ちない人なんているはずがないからだが、自己の特別視に取り付かれた人は『自分以外の他者の幸せ・成功・喜び・記録・才能』などに共感したりその素晴らしさを眺めたりして楽しむということができないので、どうしても自分が他人よりも幸せだとか優れているだとかいった事を何とかアピールしようと必死になり過ぎてしまう。自分が常に注目・関心の的になる主人公には誰もなれないのが現実なのだが、その現実を受け容れられずに『特別であるべき自分が不当な取り扱いをされている』と感じてしまうのが自己愛性格の問題であり、結果として思い通りにいかない『現実の世界・他者』に不平不満が多くなりすぎてしまう。

自分以外の他者にも『自分と同じような人格・感情・人生・夢・挫折・苦悩』などがあるということに気づけないから、幸せそうにしている時の他人の人生の一部分だけを見て、『自分だけが不幸で恵まれない(自分だけ悩んでいて他人は気楽にやっている)』と思ったり他人に嫉妬してその不幸を願ってしまう。『自分だけが特別な存在ではない(自分だけ特別扱いされるのが当たり前・自分だけ不幸や不運がないのが当たり前という考え方は非現実的である)』という現実を認識すれば、自分も他人も『同じように限界や弱点、悩みを抱えた人間』であるということに気づきやすくなる。

最終的に自分を幸せにできるかどうかにも関わってくる『共同体感覚(仲間と思える他人を作れる感覚・帰属感)』を身につけるための第一歩は、フラットな立場でコミュニケーションすることができるということ、つまり、『相手にも自分と同じように悩んだり傷ついたりする心があるということ』を認識した上でお互い様の共感感情や援助の気持ち・行動を持てるようになることである。共同体感覚を培うことが全くできない人は、恋愛・結婚生活などにおいても『恋人・配偶者に対する競争心や敵意』が過剰な『無条件の愛』の要求になってしまうことがある。

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そういったほとんどの人が満たせないレベルの『無条件の愛』を無理に要求することによって、『やっぱりあの人は私のことを本当に愛していたわけではなかった(本当に私のことを思ってくれる味方のような他人などいない)』という確信を得たがっているわけである。特に『恋人・配偶者が幸せそうにしている気楽そうにしているのが面白くない(自分のために自己犠牲を払って我慢してでも尽くしているという姿を見せないと納得できない・自分だけが相手のために我慢させられて損をしているという被害者意識になる)』という感情を持つ自己愛性格の人の場合には、恋愛・結婚生活において相手を意識的あるいは無意識的に傷つけたり追い込んだりしてしまうこともある。

恋人に出来そうもない無理難題や理不尽な不平不満をぶつけて、本来であれば不必要な苦労をさせたり罵倒・人格否定などで精神的に追い詰めることで、『潜在的な他者への嫉妬・憎悪』を満たそうとする危険性があるが、こういった自己愛性格のケースでは恋人・配偶者・子供であっても『自分よりも幸せそうにしていたり気楽そうにしているのが不愉快に感じられる』ことが少なくない。人間の心の健康や幸せの実感を妨げるものとして、『他人に賞賛・評価されたいという自己の特別視』と『幸せ・成功を求める際限のない上昇欲求』を取り上げたが、この自己愛の過剰に基づく問題は、自分もまた自分だけが幸せという特別な存在にはなりきれないという『現実の洞察』ができないことには解決が難しい。

そういった現実の洞察と自己肥大の抑制ができてくれば、(過去の自己否定・他者不信の原点となったトラウマの問題などを合わせて考えなければいけないケースもあるが)『ありのままの自然な自分を見せられる相手・場面』を少しずつ作ることによって解消していくことが期待できる問題でもある。

元記事の執筆日:2015/07

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