マインドフルネスと認知行動療法:“今・ここにいる自分の感覚・意識”に集中すること,マインドフルネス(mindfulness)とは何か?:注意散漫(過剰な思考)から離れた心と体の調和

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マインドフルネス(mindfulness)とは何か?:注意散漫(過剰な思考)から離れた心と体の調和


マインドフルネスと“思考・判断へのとらわれによるストレス”:頭脳労働の効率性追求の適応圧力


非宗教化された現代版瞑想としてのマインドフルネス:プネウマとプシュケーに象徴される息・生命の哲学


呼吸の瞑想を通したシンプルなマインドフルネス:思考・雑念に振り回されない集中できる知覚体験の重視


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マインドフルネスと認知行動療法:“今・ここにいる自分の感覚・意識”に集中すること

フリッツ・パールズとローラ・パールズのゲシュタルト療法では『今・ここの原則』が重視されるが、心理的問題を解決に近づける心理療法の本質の一つは、“過去への執着”“未来への不安”に過度に囚われないようにすることである。特に現代人は、将来を合理的・因果的に予測する理性(論理的思考)や社会制度に囲まれて生活しているため、『過去の自分の行動選択・人間関係に対する後悔や執着』が起こりやすく、過去にこうしてきたから未来はこうなるはずという『未来の自分の人生の状況・人間関係に対する合理的予測に基づく不安や悲観』が起こりやすい。

過去にこうすれば良かった、あのことが無ければ上手くいっていた、あの人さえいなければ不幸にならなかったなどの『過去の執着・後悔』は、心的外傷(トラウマ)にまでいかなくても、強ければ強いほど長ければ長いほど、心理的な健康を崩すことになる原因の一つである。未来に悪いことが起こるはず、今の延長線上だと楽しいことがなさそう、頑張っても良い結果が期待できないかもなどの『未来の不安・悲観』も、強ければ強いほど長ければ長いほど、今現在の自分の人生に集中して努力できなくなったり満喫できなくなったりする原因の一つである。

認知行動療法では、“認知の歪み”と呼ばれる自分で自分を苦しめることになる否定的・悲観的な物事の考え方のパターンを修正することによって、段階的に『過去の出来事の自己肯定的な捉え方・解釈』や『未来で予測される出来事の現実的な捉え方・解釈』を作り上げていくことで、落ち込んだ心理状態を改善していく。認知行動療法では、自分と他人のあり方を肯定して未来の妄想的な不安を否定するような物事の考え方(=適応的・現実的な認知)を習得しながら、自分にもできそうな『前向きな課題達成の行動』に取り組むことを目指す。

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そういった『認知・行動レベルの改善』を目指す認知行動療法に対して、『今・ここの時点にいる自分の身体感覚』に集中してその感覚を味わうことによって、『過去の執着・未来の不安』から遠ざかる瞑想的・身体訓練的な技法の“マインドフルネス(mindfulness)”がある。マインドフルネス(mindfulness)は、仏教の禅の瞑想・内観を起源として欧米で開発・研究が進められた、“今・ここ”に集中するセルフコントロールとストレス軽減のための心身療法である。マインドフルネスは実際に身体を使って体験してみることで効果が実家されるエクササイズ型の技法であり、認知行動療法との差異は“頭での納得”よりも“身体の感覚”を使うことにある。

自分自身の身体の感覚や気持ちの状態に気づくために“受動的注意集中(ぼんやりした心理状態で自分の感覚に緩やかに注意を向けていく)”を用いるという意味で、J.H.シュルツの“自律訓練法”やユージン・ジェンドリンの“フォーカシング”との実践上の共通点もある。人間の心は毎日何度もさまざまな思考・感情を思い浮かべているが(認知療法ではこの自然に湧き上がってくる思考を自動思考として概念化していたりする)、その内容のほとんどは、“今・ここの時点の出来事・感覚”ではなく“過去の出来事の思い出や記憶+未来の不安や今から先にしなければならないこと”である。

マインドフルネスではこのように過去や未来に囚われて、『今から心が離れている状態』の時に、『不安感・焦燥感・怒り・後悔・抑うつ感』といったネガティブな心理状態に襲われやすくなると考え、『今・ここに集中できる瞑想法』を心身のセルフコントロール技法として活用している。

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マインドフルネス(mindfulness)とは何か?:注意散漫(過剰な思考)から離れた心と体の調和

私たちが自分自身の心の状態を改めて振り返って内省してみると、『今、目の前で起こっている出来事』『今、そこにいる相手とのコミュニケーション』『今、自分がしていること』だけに十分な意識・注意・感覚を向けきれていないことが多いことに気づく。今、起こっている出来事や今、やっていることとは別の時間や事柄、記憶に、自分の意識・感覚が向けられてしまうと、『今・ここに集中できない注意散漫と効率低下・過去への怒りや後悔・時間に追われる焦燥感』などさまざまな不利益や心理状態の悪化が起こりやすくなってしまう。

こういった今・ここでやっている一つの出来事やコミュニケーション、あるいは心理状態に集中できなくなった理由として、膨大な知識・情報・人間関係のやり取りが飛び交ってすべてにスピード(情報・仕事の速さ)が求められるようになった『情報化社会・ウェブ社会の環境要因』を考えることができる。毎日、スマホやパソコンでインターネットにアクセスして、様々な分野のニュースをチェックしたり友人知人のSNSを見たりソーシャルゲームをしたりすることで、『絶え間無い知識・情報・対話の刺激』に晒されることになり、『今・ここにいる自分の感覚と行為』だけに意識を集中しづらくなる。

膨大な情報や人間関係の波に呑み込まれやすい忙しい現代人は、『今に集中できない注意散漫+やっていることを達成できない焦燥感』と『情報や知識に対する慌ただしい条件反射の繰り返し』によって、自分で自分の感覚・感情をコントロールできるという自己統制感(心身のバランスの取れた主体性)を失いやすい。マインドフルネスは日本語では仏教的意味を含んだ『念』という言葉で表記されることもあるが、外部の情報・刺激や過去の記憶・感情に振り回されることがなくなった『今・ここにいる自分を冷静に観察できて今に心地よく集中できている心理状態』のことを意味する概念である。

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認知療法の文脈で考えれば、自然に湧き上がってくる自動思考の内容に動じることのない心理状態、今・ここにいる自分だけに気持ちよく集中できて状況に対して臨機応変に対応できる心理状態がマインドフルネスである。マインドフルネスは、『心地よく意識が今に集中している心理状態』あるいは『身体と精神が対立せずに調和して一致している状態』として理解することができるだろう。1990年代からは、自分の心身の状態に対する気づきやセルフコントロールを重視する“マインドフルネス”の瞑想法・自己観察法と思考・感情の価値判断を停止してそれらを一歩離れて冷静に観察する認知療法を組み合わせた『マインドフルネス認知療法:Mindfulness-Based Cognitive Therapy,MBCT)』がZ・V・シーガル、J・M・G・ウィリアムズらによって開発されている。

マインドフルネス認知療法は『第三世代の認知療法』として欧米では評価されているが、基本的な技法は自然に自動的に湧き上がってくる思考・感情に一喜一憂して振り回されないようにすることであり、セルフモニタリング(自己観察)の瞑想法を通して自分の身体感覚を丁寧にゆっくりと観察して味わうこと(その身体感覚・感情の分類や評価をしないこと)である。“今の自分”に意識が集中できなくなる『注意散漫・刺激に対する条件反射』の対極にあるのが『マインドフルネス』である。瞑想法・呼吸法などを実践しながら、『何が見えているか・何が聞こえているか・どんな匂いがするか・どんな手触りがするか・どんな味がするかの五感』に緩やかに受動的な注意を向けて、今・ここにいる自分が感じている感覚だけを丁寧に観察して味わうことでマインドフルネスの瞑想状態に近づける。

仏教の禅宗の瞑想・座禅では『雑念の排除・無の境地』などが言われることもあるが、マインドフルネスは観念的な説明や理解よりも、自分自身が今に集中して心地よい感覚を味わう実践にこそ価値がある。基本的には、禅の瞑想と同じように『余計なことを考えない・感じないこと』によって自分の身体と精神の今の時点における調和を実現しようとする『思考停止の技法』として考えることができる。『思考停止は向上心や問題解決を放棄する悪いことである』という現代の一般的な価値観に対するちょっとしたアンチテーゼでもあるが、逆に言えば、現代人のストレスや疲労感、悩み・迷いは、『思考すること(その多くは考えてもどうしようもないことを考え続けること・迷ったり悩んだりするために無意味に考えているような状態)』によって生み出されている面がある。

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マインドフルネスでは、『敢えて考えない時間を作ること+今の自分自身の身体状態を繊細に感じてみること』の心の健康に対するプラスの効果が見直されているのである。『現状をより良く変えていくために思考すること・自分をもっと成長させるために思考(勉強)すること』を現代社会は評価しているが、マインドフルネスはそういった絶え間無い思考の必要性が生み出す『過剰な忙しさと疲労感・前進や成長へのプレッシャー・今の時間を味わえない楽しめないつらさ』を和らげるところに効果がある。マインドフルネスの心身の調和は『今に対する集中状態+心身のリラックス感(心地よさ)』の両方を感じ取れるものであるが、禅宗の言葉に衣食住の日常生活のすべての振る舞いが悟りにつながる修行になるという『行住坐臥(ぎょうじゅうざが)』という概念があるように、マインドフルネスの瞑想法でも普段見過ごしてしまっている『当たり前の日常生活の中の動作・行為・感覚』に改めて集中して注意・意識を向けてみて(雑念になる思考を離れてみて)、今・ここに生きている自分の心地よい感覚に気づくことが重視されている。

マインドフルネスと“思考・判断へのとらわれによるストレス”:頭脳労働の効率性追求の適応圧力

今・ここに意識を心地よく集中するというマインドフルネスの考え方の面白さは、近代的価値の根本にある『思考・判断の有効性』を和らげたことにある。知識・情報を蓄えて、周囲の状況や他者の思惑(反応)を予測しながら、自分の頭でさまざまな角度から思考して適切な判断を下して行動する。情報化された知識社会・職業活動を生きる現代人にとって当たり前のこの『思考力に基づく計画的かつ予測的な行動様式(目的遂行のための思考力のフル活用)』は、実際には非常に『心身への負荷(精神的ストレス)』が大きなものである。

マインドフルネスにある『思考がストレスの原因になる』という発想そのものは珍しいものではない。『自分・世界・他者をネガティブに解釈するという認知の歪み(認知の偏り)』を修正することによって、苦悩やうつ状態を緩和しようとするアーロン・ベック以降の認知療法もストレスが思考によって生まれるという発想に依拠している。頭の中に浮かんでくる『自動思考(ネガティブ思考・決めつけ思考・過去の後悔や未来の不安)』の悪影響から如何に逃れるかがメンタルヘルスと深く関係しているわけだが、認知療法では『思考の肯定的な修正と納得』を重視し、マインドフルネスでは『思考の停止と“今・ここ”の感覚や出来事への意識の集中』を重視している。

マインドフルネスは『過剰な思考の抑制・過去や未来へのこだわり(今現在からの遠ざかりの防止)』という特徴を持っているので、一見すると『非生産的な思考停止・逃避的な思考否定』のようにも受け取られがちである。しかし、禅宗の座禅・瞑想の脳波研究で、精神の安定(ストレス軽減)や発想力の上昇(アイデアの想起)と関係する“α波”の発生が確認されているように、マインドフルネスにも『意図しないストレスの軽減・発想力と効率性の向上』の効果が得られることもある。

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目的意識を持たず結果を意図しないということが大切だが、それは目的意識を持つと“今の集中”ではなく“未来の予測・不安”のほうに意識が逸れてしまうからである。頭脳労働も肉体労働と同じように、常にフルスロットルで思考や判断(計算・創作・PC作業・執筆・会議など)を続けていると、精神力の疲弊(神経衰弱)によって思考によって生み出すべき生産性・効率性が逆に低下してしまう。この継続的かつ慢性的な精神力の利用による『疲弊感・燃え尽き感・仕事(作業)の停滞感』を経験したことのある人も多いのではないだろうか。より良い結果を得ようとしたり将来の不安を減らそうとしたり、義務的に物事を考え続けたりして、思考すればするほどに悪い方向に泥沼にはまって停滞することがある。

ぐるぐる同じところで考えて迷うばかりで物事が前に進まない、精神力を使いすぎて疲れきってしまってまともに頭が働かないというのでは、『思考・判断を常に求められる強迫観念』に苦しめられているだけということになってしまう。『思考力・想像力・判断力』はいつもフル回転で無理して使い続けていれば、その生産性や効率性、切れ味の良さ、発想の鮮度が落ちてしまうものなのである。疲れきって神経衰弱のような状態になる前に、ストレス・疲労感を軽減させて思考力・発想力をリフレッシュさせる『マインドフルネス』が有効になってくるわけだが、マインドフルネスというのは『精神的な集中力・感受性・切れ味を取り戻すための瞑想』といった趣きもある。

非宗教化された現代版瞑想としてのマインドフルネス:プネウマとプシュケーに象徴される息・生命の哲学

マインドフルネスは非宗教化された現代版の瞑想であり、努力しないメンタルトレーニングである。その基本は、仏教(禅宗)の瞑想・座禅と同じく『呼吸(息)』にあるが、なぜ呼吸が重要なのだろうか。呼吸(息)は、哲学・思想の歴史に照らし合わせて考えれば、『生命の本体』として解釈されてきた経緯を持つが、呼吸は『意識してもできる(随意性)』し『意識しなくてもできる(非随意性)』という両面の特徴を持っている。三位一体を示唆する新約聖書にあるギリシャ語の『プネウマ(聖霊)』、ギリシア哲学の『プシュケー(魂・心)』、日本語の『いのち』、古代インドのヨーガの『プラーナ』、ラテン語の『アニマ(息)』は、すべてその語源が『呼吸・息』にある。

古代のギリシャ語やラテン語にある『呼吸・息の語源』が、人間の生命原理あるいは存在原理に接続してその概念が拡大していったのは偶然ではなく、人間は息をしなければ死ぬことになるし、生きているということは息(呼吸)をしていることでもあるから(息は生命の徴候であるから)である。超自然的な神が息を吹きかけることで生命が宿るといった神話のエピソードも多く、息は生命と物質の架け橋であり、身体の内と外を接続する媒体でもあるのだ。そういった歴史的に紡がれてきた『息(呼吸)の哲学』は、時代が下るにつれて『宗教の霊魂・魂の信仰』『プシュケー(Psyche)の心理学の発生』にもつながっていったし、カール・グスタフ・ユングの元型論(archetype theory)で男性の中の理想的な女性イメージとされる『アニマ』も呼吸(息)に語源があるのである。アニマ(anima)という息の語源は、動物を意味する英語のアニマル(animal)とも関係している。

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息・呼吸・空気を意味したギリシア語のプネウマ(pneuma)とラテン語のスピリトゥス(spiritus)は、英語のスピリット(spirit)、フランス語のエスプリ(esprit)、ドイツ語のガイスト(Geist)といった個人の身体性を超越した『精神・霊性(あるいは神・超越者の概念)』を意味する語源へと発展していった経緯もある。呼吸は無意識的に息を吸ったり吐いたりする“自律神経系”と意識して息を吸ったり吐いたりする“随意神経系”の二つの神経によって制御されているが、マインドフルネスの瞑想ではこの呼吸をセルフコントロールすることによって、『呼吸している自分の今の感覚』に意識をフォーカスして集中していくのである。

思考から生み出されるさまざまな雑念や観念から自由になるための方法の一つとして、マインドフルネスの呼吸にフォーカスする瞑想がある。基本的には、注意散漫になりやすく浅く早い呼吸になりやすい『口呼吸』ではなく、ゆったりと息を吸って吐くことができて、空気の通る感覚に意識を向けやすい『鼻呼吸+腹式呼吸』で行うことが望ましい。呼吸というのは『息を吐く・吸うという単純な二つの行為のリズム』から成り立っているが、『空気が鼻を通る感覚+空気が胸部・腹部を満たしていく感覚(逆に空気が出て行ってしぼんでいく感覚)』などに意識的に注意を向けてその感覚を味わうようにすると、“今・ここの自分の身体感覚”だけに必然的に集中できるという特長を持っている。

呼吸をセルフモニタリング(自己観察)するというのが、今の知覚(身体状態)に注意を向けるマインドフルネスの基本的なトレーニングにもなる。そして、『今・ここの身体感覚』だけに意識を向けることができれば、『過去の後悔・怒り+未来の不安・想像の苦しみ』が自然に緩和されて、呼吸をしている自分のリズムや身体感覚だけに意識がチューニングされている落ち着いた感覚を味わう(精神の疲弊・落ち込みをケアできる)ということにもなる。

呼吸の瞑想を通したシンプルなマインドフルネス:思考・雑念に振り回されない集中できる知覚体験の重視

呼吸(息)は人間をはじめとする動物(animal)の生命原理であり存在原理でもあるから、『自分の呼吸に気づくことのできる機会』は無限にあるはずなのだが、普段は自律神経系で無意識にコントロールされているので、敢えて意識して注意を向けて気づくようにしないと気づけないという自己矛盾を孕んだ行為でもある。

0.椅子に座って手を膝に置くなどしてリラックスした姿勢を作り、感覚に集中しやすくするために軽く目を閉じる。足の裏は両方ともしっかり地面につけるような姿勢、椅子の背もたれには寄りかからず背もたれから離れて背筋を伸ばして座る。

1.鼻から軽く息を吸ってから完全に息が出ていくまで吐き続ける。空気が鼻を通って完全に出て行く感覚に注意を向ける。

2.鼻からゆっくりと息を吸って胸部・腹部を少しずつ満タンになるまで満たしていく。空気が鼻から胸部へと溜まっていく感覚、腹部へと落ちて溜まっていっぱいになる感覚に注意を向ける。

3.十分に息を吸った後は、再び鼻からゆっくりと息を出していき、腹部から胸部にかけての空気を完全に出していく。空気が鼻を通って完全に出て行ってしまうまでの、胸・腹がしぼんでいくような感覚の変化に注意を向けてみる。

4.マインドフルネスの呼吸を用いた瞑想は、漫然と長時間にわたって行うよりも、『心の状態の乱れ・疲れ・落ち込みにふと気づいた時』に行ったり、『1分間、3分間などの自分なりに決めた時間の枠組みの中(タイマーをセットするなど)』で行ったほうが、より効果的な今の感覚への集中をしやすくなる。

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呼吸を用いたマインドフルネスの瞑想は、このように方法や説明そのものは極めてシンプルで簡単なものなのですが、実際にやってみると数十秒間から数分間のわずかな時間であっても、『呼吸以外のさまざまな雑念・想像・妄想・感覚・刺激・心配事』などに自分の意識が振り回されて注意散漫になりやすい、気持ちが乱れやすいことに気づくと思います。人間の精神の構造や働きそのものが、元々注意散漫になりやすかったり雑念・想像・心配に振り回されやすかったり、感情・気分が不安定になりやすかったりするからなのですが、マインドフルネスの状態を作り出す呼吸を意識した瞑想をすることによって、『気持ちが乱れた時・精神的に疲れた時・悩み事ばかり考えてしまう時・集中力がなくなった時』に自分の心の状態を呼吸のリズム・気づきに合わせて整えやすくなるのです。

自分自身の身体感覚や出来事に直接的に向き合って、余計な思考や観念に悪影響を受けることのない集中した落ち着いた心理状態(=今・ここにだけ留まっている集中とリラックスの両方が実現した意識状態)を作り出すのがマインドフルネスの瞑想ですが、『ヨーガ・座禅・歩行・食事・フォーカシング(身体感覚の探索)』などと組み合わせて自由に行えるという意味では、禅宗の『常住坐臥(日常生活そのものが座禅の修行となる)』の理念を実践しているところもあります。五感の感覚を通じて自分に起こっている出来事や変化に改めて注意・意識を向けてみて、『ありのままの現実の感覚・出来事』を思考・判断せずに感じて受け止めて味わうというのがマインドフルネスですが、『自分で自分を落ち着いて客観的に自己観察するというセルフモニタリング』の要素も併せ持っています。

マインドフルネスは理論よりも知覚体験を通した集中と癒し(リラックス)の方法に本質がありますから、まずは実際に『いつもは無意識でやっている行為(呼吸・歩行・食事)に伴って行っているひとつひとつの感覚』に改めて注意して感覚を味わう体験をやってみること、やってみてから言葉で解釈や感想を書いてみることが大切です。そういった実践的な知覚体験をすることによって、『今・ここに集中できている心地よい感覚(=緊張・不安・焦り・イライラが意識できなくなっている集中した状態)』が、心理メカニズムの理屈ではなく自分自身の実体験・実感覚として分かってくるかと思います。

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元記事の執筆日:2015/07

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