人間関係の悩みと『自分の責任(相手への影響)』を自覚し対処するメリット:共感・自己開示・尊重の軸
カウンセリング・マインドと徹底的な傾聴1:相手が話したい内容・感情に沿って聴く難しさ
カウンセリング・マインドと現実の人間関係のシビアさ2:オープンな自分語りの傾聴・受容
“カウンセリング的・非日常的な理想の人間関係”と“思い通りにならない現実の他者への適応”
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人間関係の悩みにおける3つの選択肢と相手を非難するデメリットの多さ
人間関係の悩みやトラブルの難しさは、『自分は変わりたくない・相手のほうが変わるべきだ(自分は悪くない・相手が悪い)』と思いやすいところにあります。人間関係がひどく悪化していたり相手と喧嘩(言い合い)を繰り返していたりする時には、人は『自己正当化・自己防衛の欲求』と『他者否定の欲求・相手の責任追及(謝罪要求)』にはまりこみやすくなっているからです。自分が気に入った相手と親しくなろうとする時には、人は自分のほうが気を遣って相手に合わせたり、相手を喜ばせたり楽しませたりするための言動やイベントを色々と考えたりします。しかし、自分が嫌いになった相手やむかつくと感じるようになった相手に対しては、多くの場合、なかなか自分のほうから変わってまで相手との対人関係を改善したいとは思わなくなってしまうのです。
『嫌い・許せない・自分勝手・不愉快・生意気』などと感じるようになった相手には自分から歩み寄れなくなる、これは人間関係の悩みが解決しにくい原因の一つでもあります。結論から言うと、トラブルや不平不満を抱えている人間関係が最終的に行き着くのは以下の3つの選択肢のいずれかになります。
1.現状維持……恋愛・友人・結婚などにおいて、相手との関係がかなり悪くなっていてコミュニケーションも上手くいかなくなっているけれど、『関係が完全になくなるよりはマシ(新たに良い人間関係ができるか分からないのでとりあえず保留・結婚の場合は生活や子育てが関わるので簡単には動けない)』と考えて、悪化した関係でもそのまま何となく現状維持を続ける。
2.人間関係の終了……相手に対する愛情・信頼・興味などが完全に失われてしまったと感じて、『相手との人間関係の維持・改善』をする必要性が感じられなくなり、別れて相手との人間関係を終わらせてしまう。相手が良い方向に変化するという期待を持てなくなり、自分の側から折れたり合わせたりしてまで関係を良くしたいとも思えなくなったので、『別離・離婚・絶交(絶縁)』などで関係そのものを終了させる(もう話し合うこともない)ということである。
3.人間関係の改善……相手に対する愛情・信頼・興味などがまだ残っていて、愛想を尽かしてはいない状態なので、相手との人間関係を何らかの方法で改善しようとする。
人間関係の改善方法は大きく分けると、『相手が変わるまで待つ』『相手を変えるために努力する』『(相手よりも)自分自身を変えようと努力する』の3つに分けることができます。昔から『自分と未来は変えることができるが、他人と過去は変えることができない』といわれるように、この中で最も効果的な改善法は『まずは自分を変えること』になるでしょう。より愛情と信頼感のある人間関係を作り直すためには、相手をどうにかして変えようとするよりも、自分の相手に対するアプローチの方法(思考・感情・態度・価値観の示し方)を変えてみるほうが早道ですが、自分よりも相手に落ち度があると考えていると、どうしても自分のほうから変わることが理不尽に思えて億劫・苦痛になりやすいのです。
気に入らないと思うようになった相手に対して、自分の側から合わせて良い方向に変わっていくことは、かなり癪に障って悔しいことではありますが、『自分自身の人間的魅力の向上・心理的成長の促進』のためも兼ねていると考えれば、相手との人間関係が改善されて、更に自分自身の人としての魅力や成熟も高まる一石二鳥の方法でもあるとも言えます。対人関係の問題が深刻になっている時には、お互いに『相手の発言・行動・態度・動作などに対する不満・批判・否定』ばかりになっていることが多く、ただ目の前を相手が歩いているだけでもその鬱陶しさや煩わしさに文句を言いたくなるし、ちょっとした生活音を立てたりくしゃみをしたりするだけでも実際以上にうるさく不快に感じて否定的な物言いをしやすくなったりします。
険悪になった人間関係を改善するための第一歩はまずどちらかが『常に相手を批判・否定・非難している行動パターンをやめてみること』です。そのためには『相手を否定・批判することのメリット』と『相手を否定・批判することのデメリット』を紙のノート(PCのエディターでも)に思いつくだけ書き出してみて、『デメリットのほうが大きい(否定・批判するよりまた仲の良い関係に戻りたい)』ということを再確認する必要があります。相手を否定したり批判したりすることのメリットは、何といっても『自分のほうが正しくて相手のほうが間違っているからこんな揉め事になるのだという確信』を深めてくれて自分の責任・問題については考えなくても良いということです。『あなたは何もまともにできない人にも好かれないダメな人間だ』という主旨の罵倒・非難をすることによって、刹那的な優越感や自尊心を感じることもできるし、気に食わない相手に悔しい思いをさせることで報復・復讐の攻撃的感情も満たすことができます。
反対に、相手を否定したり批判したりすることのデメリットは、『相手をめちゃくちゃに罵倒・侮辱しても相手は変わってはくれない』『慢性的な人との対立・不仲は最悪の気分を引き起こして人生を台無しにしてしまう』『相手との人間関係を改善できず愛情や親しみ、安心といったポジティブな感情を感じられないまま時間だけが過ぎていく』などがあります。客観的に上記の他者非難のメリットと比較すれば、大半の人はよほど相手を決定的に毛嫌いして愛想を尽かしていない限りは、デメリットのほうが多いので何とか自分から変わって関係を良くしたほうがいいと思うのではないでしょうか。
私たちの人間関係におけるトラブル・問題の責任が『自分』にあると思うのか『相手』にあると思うのかの違いでもありますが、相手だけが間違っていて悪いという『他者非難』のスタンスで固定してしまうと、相手も意地になって自分を否定・非難してきやすいのでいつまで経っても関係が悪化したままか、あるいは関係が終わりに向かってしまうということになります。一つ注意すべきなのは、人間関係における『自分の責任(相手に対する影響)』を認めてそれを分析しながら改善していくという取り組みは、『自分だけが間違っていて悪い(自分は相手を不快にさせるダメなつまらない人間だ)という自己非難』とは異なるということです。
人間関係の悩みと『自分の責任(相手への影響)』を自覚し対処するメリット:共感・自己開示・尊重の軸
人間関係を悪化させて対立を深めたり、気分をネガティブに落ち込ませたりする原因の一つとして、『他者非難(他者についての認知の歪み)』と『自己非難(自己についての認知の歪み)』というものがあります。他者非難には『あいつはダメな人間だ・あの人は何一つ良いところがない・すべてあいつが悪いからこんな事になってしまう・あの人の性格的な欠点がどうしても許せない』などの認知の歪みが見られ、『怒り・憤り・欲求不満・イライラ・傷つき』といったネガティブなつらい感情が生み出されてしまいます。
自己非難には『自分はダメな人間だ・自分は何一つまともにできず迷惑をかけてばかりである・すべて自分が悪いからこんな事になってしまう・自分の性格や価値観のすべてに問題があって物事が上手くいかない』などの認知の歪みが見られ、『不安感・劣等感・恥と疑惑・罪悪感・絶望感』といったネガティブなつらい感情に圧倒されてひどく落ち込んでしまいます。『自分の責任(相手に与える影響)』を自覚して分析するという行為は、上記した非適応的で認知の歪みに基づいている『他者非難』や『自己非難』とは異なるものであり、“批判的・否定的なスタンス”ではなく“客観的・分析的なスタンス”で自分の言動・態度・生き方を落ち着いて見直してみることなのです。
自分の言動や生き方を見直してみて、『自分の発言・行動・価値観が状況や相手にもたらしている影響は何か』を考えてみること、『人間関係の改善や状況の好ましい変化を引き起こせる言動を工夫してみること』が、自分の責任(相手に与える影響)を自覚して分析するということなのです。他者非難や自己非難では、怒り・不満・落ち込み・罪悪感といったネガティブな感情が生じやすいですが、自己の責任を自覚する場合には『自尊心・知的好奇心・配慮と希望・良心と悲しみ』といった健全で前向きな感情が起こりやすくなるという違いもあります。
他者非難では『相手との喧嘩・言い争い・相手の短所探し』が増えて、自己非難では『相手に対する萎縮・弱気や妥協』が増えてしまいますが、自己の責任を自覚して状況を変えていこうとする時には『相手に対する尊敬と興味+相手の批判を傾聴して真偽を聞き分ける態度(できるだけ共感・納得できるポイントを探す)』がでてくるのでトラブルを解決しやすくなるのです。自己非難が強い時には、自己肯定感も落ちているので相手との出会いを回避しやすくなっていきます。他者非難が強い時には、相手を痛い目に遭わせたいという報復感情・敵対感情が強くなっているので、どうしても相手を挑発して怒らせてぶつかり合いやすく(相手を非難して落ち込ませてやろうとする姿勢に)なっていきます。
自分の責任・問題を自覚して、相手を変えるのではなくまず自分が変わろうとする時に起こってくる態度の変化は、『率直な話し合いをする態度・共感的で受容的な話し方・相手に対する尊敬と興味を持つ・相手の傷つきや不満に想像力を働かせて配慮する』といったことであり、その自分の変化によって『親密さ・信頼感・満足感・安心感』といった好ましい幸せな感情を感じられる可能性も格段に高くなってくるのです。対人関係の問題や悩みを抱えている時には、どちらが悪いのかを巡って言い争いをするのではなく、客観的な人間関係・コミュニケーションの状況を把握して分析するために、まず認知行動療法(CBT)で使えるような『コミュニケーション記録表(人間関係記録表)』を作ってみるというのも良いかもしれません。
先ほど、相手を否定・非難する時のメリットとデメリットについて、思いつくことをすべて紙のノートに書いてみると良いと書きましたが、それと同じ要領で人間関係が上手くいっていない相手との具体的なコミュニケーションについて『相手が言ったこと』と『自分が言ったこと』をできるだけ正確に(余計な説明を加えずに言ったままの台詞や態度を)書き留めてみてください。次に『相手が言ったこと』と『自分が言ったこと』で構成されたそのコミュニケーションが、『良いコミュニケーション』だったのか『悪いコミュニケーション』だったのかを判断していきます。良いコミュニケーションには、『共感的な傾聴(Empathy)+自己開示のアサーション(Assertiveness)+相手の尊重(Respect)』がありますが、悪いコミュニケーションにはそれらが見られないという特徴があります。
共感的な傾聴(Empathy)……相手の思考・感情・態度に寄り添って相手の考え・気持ちを想像しながら、率直かつ丁寧に相手の話を聴いているかどうかということ。相手の言うことが間違っていると決めつけずに、『相手の話の中にも真実・一理があるはずという態度』を持って、相手の話に何とか共感しようとして耳を傾けているかどうかということ。自己開示のアサーション(Assertiveness)……自分が感じていることや考えていることについて、相手に誤解されないように『私は~と感じている』という言い方で率直(ストレート)かつ丁寧に伝えられるようにしているかどうかということ。オープンマインドで自分の心を開きながら相手に自分の考え方・感情を伝え、自分と相手の考え方と感情の双方を尊重して分かち合うということである。『相手に対する悪意・敵意・暴力性』を直接的に表現するようなものではないので、基本的に共感的・受容的な自己開示(他者受容)を心がけるようにする。
相手の尊重(Respect)……相手との人間関係を改善して親しくなろうとするのであれば、『相手をけなす・否定する・バカにする』のではなく『相手を認める・もてなす・褒める』といった相手の人間性・生き方を尊重する態度を取らなければならないということである。相手を打ち負かすべき敵(競争相手)、恥をかかせるべき嫌いな相手(冷淡・無能・横柄な人)として扱うのではなく、『これから親しくなろうとする仲間・これから楽しみや喜びを共有し合いたい相手』として丁寧な対応で扱ってその人柄を尊重しなければならないという前提である。
次に、『相手が言ったこと』と『自分が言ったこと』で構成されたコミュニケーションの『結果』がどうなったのかを書き出してみてください。その結果が『好ましくない結果(対立・喧嘩・否定・トラブルを悪化させる結果)』なのであれば、『自分が言ったこと(自分が取った態度)』をもう一度見直してみて、相手の反応を良くする『もっと効果的で望ましい対応』が何かできないかを、『共感的な傾聴・率直な自己開示・相手の尊重』をベースにして考えていきます。
共感的な傾聴や率直な自己開示(アサーション)を行おうとする場合に注意すると良いのは、『あなたが~だから・あなたが~すべき』という相手の落ち度や責任を追及しがちになる言い回しをできるだけ使わないようにして、自分がどんなことを考えていてどういう風に感じているかということを『私は~と感じている・私は~と考えている』という言い回しで率直かつ丁寧に伝えて、相手と冷静に話し合える場を問題が起きる度に自分のほうから設定する(=相手を自分の感情で責めたり否定するのではなく自分の考えや感情を丁寧に打ち明けて聴いてもらう)ということなのです。
カウンセリング・マインドと徹底的な傾聴1:相手が話したい内容・感情に沿って聴く難しさ
カウンセリング・マインド(counseling-mind)とは、カール・ロジャーズのクライエント中心療法の基本的態度に依拠した心・態度であり、対話する他者の潜在的な自己回復力や精神的な成長力を促進する効果があるとされます。カール・ロジャーズは『徹底的な傾聴』をカウンセリングの中心的な技法として提唱しましたが、カウンセリング(特にエンカウンターやヒューマニスティック心理学をベースにしたカウンセリング)は実際のやり取りでは悩んでいることについての多少の背景の説明や助言があるとしても、一般的には『どのようになっているか何が原因になっているのかの詳しい説明・どうすれば解決するか何をすればいいのかのアドバイス(助言)』はしないという前提が置かれています。
厳密には、アドバイスをしないというよりも、心理的な悩み・迷いが中心になっている問題では、人からこうすれば良いとかこうしなさいとかアドバイスされても、それを心から納得して素直に実行できるという人は殆どいないということであり、また人から言われたことをただやってみて上手くいかなければ余計に自信・意欲を失うということもあります。『本当に自分がどのようにすれば納得がいくのか・気持ちがすっきりして意欲が出てくるのか・何を選んで何を諦めるのか』ということについて、他者よりも自分のほうが分かっていること(本当は何をしたいか何をしたほうが良いかは分かっているがそれを意識化・行動化できないこと)が多いわけです。
『指示的・説明的な介入の要素』を持たないC.ロジャーズのカウンセリングは、無条件の肯定的受容や積極的尊重、気づきを深めやすい質問を元にして『傾聴』することで、本人が潜在的に持っている気づき・欲求・成長力などを促進していくことを目的にしています。そのため、人によっては『共感・受容・配慮・効果的な質問』などがあるにしても、特別な専門知識を用いた説明や悩んでいる心理状態・人間関係を直接変えていく介入技法があるわけでもない『ただ話を聴いてもらうだけの人間関係のプロセスや他者に共感して受け容れるカウンセリング・マインド』にあまり意味が見いだせないと感じることもあると思います。
実際、日常的に共感的な理解や無条件の受容がある『良好な人間関係・受け容れられるコミュニケーション機会』に恵まれている人にとっては、特異的に設定されたカウンセリングの人間関係やコミュニケーションを敢えて経験する意義は乏しいところがあるかもしれません。しかし、相手の言いたいことや感じていることをただ聴く『徹底的な傾聴』というのは、一見簡単なことのように見えて、日常的な人間関係ではなかなか実践が難しい行為でもあります。人の話を聴くくらいは誰にだってできると思いがちですが、実際のコミュニケーションの会話では、相手の悩んでいることや不満に思っていることを聴いた後に半ば反射的(無意識的)に『反論や批判・無関心な反応・説得や説教・交渉や交換条件・自分の話への置き換え』をしがちであり、相手が話したい話題や聴いて欲しい思いをそのまま受け止めながら聴き続けることは意外なほど大変なもの、ストレスのかかる行為なのです。
相手の話していることに社会的・道徳的・知識的に間違っていることがあると思えば、人は思わず『そうではなくて~、私はそうは思わない~』と反論したくなり、『あなたの考えていることは間違っている~、自分だけが悩んでいるわけではなくみんな多かれ少なかれ苦労しながら生きている~』という批判をしたくもなりますし、実際何かを相談したり愚痴を言ってみて、あなたの行動・考えをまず改めるべきだとの『反論・批判』を返された経験がある人も少なくないでしょう。相手が思う望ましい人間性や人生の生き方をすべきだという方向に熱心に色々な事例・理由を挙げられて『説得』されてしまうこともあるでしょうし、そういった全てを否定するネガティブな考え方や前向きさのない投げやりな人生設計の持ち方が間違っているのだから、根本の考え方・性格を改めない限りはまっとうな人生を歩めない(それができないなら私はもう知らない)といった『説教』を受けてしまうこともあるでしょう。
あるいは、何か自分が興味のあることや気になっている話題を振った時に、親しい家族や友人、恋人であっても自分があまり興味ないことであれば『無関心な反応・上の空な表情』で何となく聴いているだけだったり、詳しく話そうとすると『あまりそれには興味がないので~、そんなことばかり考えていても暗くなるし何にもならない~、実は昨日こういうことがあって~』とはっきり無関心であることを伝えられたり、別の相手が話したい話題に切り替えられることも多い。
カウンセリング・マインドと現実の人間関係のシビアさ2:オープンな自分語りの傾聴・受容
日常的な人間関係やコミュニケーションでは、『話し手』と『聴き手』の役割関係が分担されているわけではないので、親しい相手であればある程度までは相手の心情・話題に合わせて応答してくれるが、『共感的な理解・肯定的な受容(積極的な尊重)』は無条件の前提とまでは言えません。お互いへの共感・肯定は部分的なものであり相互的なものですから、自分も相手への共感・肯定を示した傾聴をしなければ、相手からも傾聴して貰えないのが当たり前なのです。あるいは、人によってはお互いに相手の話題にそれほど興味を示さず親身な傾聴をしないこと(聴いている感じはあるがいつの間にか自分の側の話に置き換えてしまうこと)も珍しくないでしょう。
ウェブ上のコメント欄のやり取りでも、記事部分にある書き手の主張・経験・感情についての意見は殆どなく、いきなり『自分はこのような経験をしたことがあり、こういった価値観を持っている』という自分側の話題のみの長文の書き込みに終始する人もいます。実際の会話でもそこまで極端な自分語りでなくても、相手の話したいことはそこそこに聴いて、『自分の経験・意見・感じ方』のほうがメインになってしまうことは誰にでもよくあることなのです。
カウンセリング・マインドを発揮して話を聴くにしても、日常の人間関係では別に自分だけがカウンセラーのような役割を買って出る必要はないわけですから、何らかの目的や方向性を持って共感的・受容的なコミュニケーションを心がけているのでなければ、『相手の自分語り(相手の話したい内容の展開)に付き合う傾聴』といった図式は生まれやすくなります。しかし、『オープンな自分語り(オープンな本音の気持ち)を傾聴して貰える経験』というのは概ね誰にとっても心地よくて自己肯定感や主観的満足度が高まる経験です。そして、一般的な人間関係においても、オープンな自分語りを安心して出来る相手や傾聴して貰える他者というのは『自分にとってかけがえのない大切な相手(何でも遠慮なく話せる気の合う相手)』になってくるわけです。
そういったオープンに自分を語れる相手との人間関係に、カール・ロジャーズの語るカウンセラーの基本的態度としての『傾聴・共感・受容・尊重・純粋性』のようなカウンセリング効果も重なっているのです。ある程度の年齢になって精神的・社会的な自立が求められる大人になると、(よほど社交的で対人魅力があり人付き合いが得意で楽しめる人でもない限りは)オープンに安心して自己開示できて、しかもそれを受け容れてもらえる相手というのは、相当に限定的なものになりがちです。
そういった共感的で受容的な人間関係が限定的・非日常的で稀有(レア)であればこそ、カウンセリングの心理効果が期待できるという側面があるということになります。カウンセリングやエンカウンター(オープンマインドな集団カウンセリング)というのは『人為的・計画的に作られた心地よい人間関係』であり、本音と建前を分離せずにありのままの自分の悩み・感情・考えを出しても批判や拒絶をされる恐れのない『守られた予定調和的な関係・非特異的な空間』でもあります。そのカウンセリングやエンカウンターでは、参加者それぞれが初めから『相手に共感して受容や尊重をしようとする前提的・目的的な態度』で臨むわけですから、傷ついたり嫌な思いをするリスクは一般的な人間関係やコミュニケーションと比較すればかなり低く抑えられていて、そこで体験する『非日常的な人間関係・コミュニケーション』が自己洞察(気づき)や心理的成長(守られている感覚からの行動意欲)を導きやすくなるのです。
現実の社会生活や人間関係では、『共感的な理解・肯定的な受容(積極的な尊重)・純粋性(自己一致)・オープンさ』が無条件の前提・目的として当たり前のように与えられることはまずなく、それらを求めて日々の仕事や生活、人間関係、恋愛・家族との付き合いを頑張っているというのが、古代から繰り返されてきた人間の営みの本質でもあるわけです。
“カウンセリング的・非日常的な理想の人間関係”と“思い通りにならない現実の他者への適応”
カウンセリングは『理想的な共感・受容のある非特異的な人間関係や面談空間』をいったん人為的に作り上げた上で、そこでの自分の生き方や感情・記憶・欲求にまつわる気づき(自己成長の要因・認知行動パターンの変化のきっかけ)を得て、『現実的なお互いの意図・感情・欲求が作用し合う特異的な人間関係や社会生活』にも応用していけるようにするというのが一つの目的になっています。 カウンセリングの人間関係にある“非日常性・ハレの要素”と現実の人間関係にある“日常性・ケの要素”との相互作用的な発展性がそこには想定されているのですが、現実の人間関係や社会生活の難しさというのは、『非特異的(一般的)に良いとされている性格・態度・価値観(C.ロジャーズのカウンセラーの基本的態度の要素)』が必ずしも当てはまる関係性や相手ばかりではないということでしょう。
カウンセリングやエンカウンターの人間関係には、人間の好き嫌い(対人魅力の評価)が持ち込まれず、ある人と別の人との親しさ・距離感の重みづけも為されず、基本的に誰とでも平等に親しくオープンに付き合うことになりますが、現実の人間関係の悩み・問題の多くは『自分がオープンになって共感的・受容的に接しても必ずしも相手が同じくらいの好意・肯定で返してくれる保障はない』ということであり、対人関係の悩みではパワハラやモラハラ、いじめをはじめとして一方的に悪意や攻撃を受けてしまう理不尽なこともあるわけです。極論すれば、相当に心が弱っていたり劣等コンプレックスで苦しんでいる人でも、現実社会の中で『出会う人みんなから共感的・受容的に接してもらえて自分の人間的な価値を尊重して貰えるという理想的な状況』があれば、かなりの割合の人が潜在的な自己回復力や自己成長力を発揮できるようになって、自然に回復して適応行動のための意欲を取り戻していくでしょう。
実際にはそういった『非日常的な理想の人間関係』が『日常・現実の好き嫌いや意図のある人間関係』にまで一般化していくことは有り得ないわけで、だからこそ人は社会生活や人間関係(恋愛・結婚・親子・友達)に悩むわけです。仕事などの社会的役割として満面の笑顔と丁寧な気配りで店舗で接客してくれる素敵な人はいるかもしれませんが、社会的役割を離れた日常性・プライベート性においてもなお、いつも私心を殺してさわやかな笑顔で相手のことを第一にして動ける人というのは通常はまずいないでしょう(よほど恵まれた人間関係があればそういった傾向のある相手がいる可能性はあるかもしれませんが、一般的に社会的役割を離れればあなたがそうであるようにどんな人でもある程度の私心やわがままは出て来るものだからです)。
仮に、自分にとって最高の魅力・能力・性格(優しさ)・見た目を持つ他者が実在して、自分のために最高のホスピタリティー(もてなし・気遣い・物心の援助)を常にしてくれる、いつでも親身になって笑顔で話を聞いてくれて何かあれば飛んできてくれる、余裕のある生活の中で話し相手・遊び相手になってくれるというのであれば、大半の人のメンタルヘルスの悪化や日常の憂鬱さは大幅に改善するでしょう。しかし、そんな『夢物語(S.フロイトの禁欲原則・転移感情とも関係する幼児退行を持続的に承認するような関係)』は恋愛の一時の幻想・陶酔を除いては現実の人間関係にはあるはずがありません。
カール・ロジャーズのクライエント中心療法を範型とするカウンセリングでは『自分に対する関心・好意・共感・受容のある作られた理想的な人間関係(心が安らぐエロス原理の抽出)』をいったん体験することによって、『現実的・社会的な役割関係や好き嫌い(人ごとに変わってくる好き嫌い・対人評価の変化)』にも耐え得るパーソナリティーや認知傾向を作り上げてゆくというのが大きな目標になるだろうと思います。S.フロイトの精神分析でいえば、『快楽原則から現実原則への精神的発達』を、非特異的な望ましい人間関係やコミュニケーションを通して癒されながらもう一度やり直すということであり、それでもなお『思い通りにはならない現実の他者・状況』に対し、自分がどのように認識して対応していけば良いのかの自己洞察・気づきを深めていくきっかけにすることでもあります。
元記事の執筆日:2016/03