AI・ロボットのテクノロジー進化は人類に何をもたらすか?1:遺伝子・技術によるヒトの進化の歴史,人工知能(AI)とアンドロイドの進化はユートピアをもたらすか?1:労働者の解放か失業者の増加か

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AI・ロボットのテクノロジー進化は人類の脅威になるのか?2:技術はどこまで人間を代替していくのか


人工知能(AI)とアンドロイドの進化はユートピアをもたらすか?1:労働者の解放か失業者の増加か


人工知能(AI)とアンドロイドの進化はユートピアをもたらすか?2:ロボットの心の有無


アンドロイド・ライツ(ロボットの権利)とサイボーグ化の自我肥大(蘇る不老不死の幻想)


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AI・ロボットのテクノロジー進化は人類に何をもたらすか?1:遺伝子・技術によるヒトの進化の歴史

“ホモ・サピエンス(知恵あるヒト)”“ホモ・ハビリス(道具を使うヒト)”としての特徴を持ち、人間はある段階から他の生物のように『DNA(遺伝子)』を変化させて適応するよりも、『科学技術・環境調整』によって適応度を高めてきた。数百万年~数十万年前の猿人・原人の段階と比較すれば現生人類(新人)の骨格・顔貌・運動能力はDNAレベルでかなり進化して変わってきてはいるが、新人になってからは生殖不可能になるほど(種が変わるほど)のDNAレベルの変化は起こっていない。

DNAの遺伝子情報が発現させる身体特徴だけで見れば、体毛・筋力・走力がなく爪・牙・毒も持たない人類の個体は『裸のサル』と呼ばれるような脆弱な存在に過ぎず、ライオンや象、ゴリラ、サイなどの他の大型動物(肉食獣)と素手で戦えば負ける可能性が高い。武器の作成と仲間との集団行動(戦術的な攻撃や計略的な罠・役割分担による獣の追い込み)を可能にする知的能力がなければ、人類は早い段階で他の動物との生存競争に敗れて絶滅していたかもしれない。だが、新人は便利な道具や強力な武器、快適な住居、暖かい衣服を制作する知恵(技術)を持つようになった。知恵・技術によって武器・道具を作成して生存環境をより快適に変化させていく人類は、他の動物に殺されて捕食されることがほとんどないという意味では『地上最強の動物(天敵のいない動物)』になった。

防寒着や建築技術、土木治水、気象学などによって『自然環境の猛威』からもある程度自分たちを守れるようになった人類は、DNA(遺伝情報)による自己身体の機能的変化を起こさなくても良くなり、『人類に合わせて調整された人工的環境』をテクノロジーで作ることによって生存適応度を高めてきたのである。寒さから身を守るための動物のような毛皮をDNAが発現させることはなくなり、他の動物を攻撃するのに役立つ爪・牙も備えなくなっていったが、こういった遺伝子レベルの身体特徴の変化(動物的な闘争においては無力化の変化)は生き残るための『自然選択』というより、むしろどんな個体が異性に好まれやすいかという外見的特徴の好き嫌いの『性選択』によって少しずつ進んでいったのかもしれない。

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人類は『DNAの遺伝子情報』よりも『技術・道具・知識による人為的な環境調整』によって進化してきたという意味では極めて特殊なというか他に類例のない動物である。世代を重ねるにつれてDNAの遺伝子情報や見かけの特徴も少しずつ変化してきてはいるはずだが、ヒトはDNAレベルで身体構造を作り替えて環境適応するよりも、知識・技術・道具(機械)によって人工的に環境を調整するほうが早いので、特徴・機能が相当に異なる『新種』を生み出すほどの現生人類の進化は極めて起こりにくくなっていると言えるのだろう。知識・技術・道具(機械)によって人類は進化してきたが、未来学者レイ・カーツワイルの“シンギュラリティー(技術的特異点)”を介して最近話題になることが多い『AI(人工知能)・ロボット』は、テクノロジーによる進化(進歩)の究極の到達点を目指そうとするもののように思える。

人間のテクノロジーは、車・飛行機・テレビ・電話・携帯電話・拳銃・レーダーなどをはじめ、想像力と技術力(科学知)を融合させた『人間の能力の参照・拡張』によって進歩発展してきた歴史がある。古代の農業革命や中世の戦術・兵器の革命にせよ、近代の産業革命、現代の情報革命にせよ、そこには何らかの技術的な転換点である『イノベーション(技術革新)』が関係していた。車や電車(新幹線)、飛行機は人間の移動能力(走る能力)の決定的な拡張であり、それまで何日もかかって移動していた距離をわずか数時間で移動できるようにしてしまった。電話や携帯電話は人が音声・文字でコミュニケーションする能力を圧倒的に拡張して、いつでもどこでも情報・感情を他者とやり取りできるようにした。ボウガンや拳銃なども人が敵を攻撃する機能(特に投石・弓矢などの遠隔攻撃)を強力に拡張して、その攻撃能力の効率的な拡張の先に機関銃やミサイル、核兵器のような破滅的な戦争を起こしかねない『大量破壊兵器』の開発があった。

人間(ホモ・サピエンス)と動物の本質的な違いとして『知識・技術・道具(機械)』『自我・自意識(内省と他者とのコミュニケーションに裏付けられた自己参照性)』を考えることができる。科学技術のテクノロジーは人間の機能を拡張的・超越的に拡張すると同時に、テクノロジーの実現を通して『工学的・認知科学的な人間理解』を進め、人間の機能・仕事をテクノロジー(機械・コンピューター)に置き換えてきたという歴史がある。怪我・病気・障害による身体部位の欠損や損傷をカバーして、オリジナルの身体部位にできるだけ近い機能・外観を与えようとする『義手・義足・義眼・車椅子』などはテクノロジーによる人間の機能の置き換えの典型的なものだろう。

こういったテクノロジーの進歩と普及、あるいは環境調整のバリアフリーやノーマライゼーションによって、部分的な身体障害を技術・機械で補完してかつてであれば社会参加できなかった人たちもかなり社会参加することが可能になってきた。最近、私的なスキャンダルで話題になってしまった乙武洋匡(おとたけひろただ)氏もテクノロジーと本人の努力・知性・コミュニケーション力などによって、五体不満足として自覚するハンディキャップのある身体の状態があっても、『社会参加・社会的機能・職業能力・経済力』においては健常者と変わらないかそれ以上の働きをされている方である。

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AI・ロボットのテクノロジー進化は人類の脅威になるのか?2:技術はどこまで人間を代替していくのか

“Artificial Intelligence”のAI(人工知能)にも、人間の知的能力を部分的に置き換える『部分AI』と人間の知的能力を全体的に置き換えてほぼ人間同等の存在を生み出そうとする『全体AI』とがあるが、現在開発されているAIのほとんどは会話やゲームなどに特化した部分AIではある。ロボットの大半も現時点では、生産ラインの一部の仕事を迅速かつ精確にこなす工業用の製作機械などの『部分ロボット』が中心であり、人間とほぼ同等の働きをすることができる(人間とほとんど見分けがつかない)ヒト型の全体AIを搭載したヒューマノイド(アンドロイド)の開発はあまり進んでいない。

AIを搭載したロボットといって一般的にイメージされるのは、人間の外見・知能・機能をほぼ全面的に代替したヒト型のヒューマノイドやヒューマノイドとの共存世界(あるいは仕事・存在意義を競い合うような競争世界)であるが、これは現状ではまだSF世界のテクノロジー進化である。テクノロジーによる人間創造といっても良いヒューマノイドやアンドロイドは、それを夢想する人によって未来の世界が“ユートピア(理想郷)”にも“ディストピア(絶望郷)”にも見えるという両極性を持っている。AI・ロボットの研究は『技術によって人間の機能を置き換える』という本性を持っているが、哲学や認知科学の領域からそれらのテクノロジーの進歩の本質的意味を考えると、『AI・ロボットでは置き換えることのできない人間の本質とは何か?』という人間定義の問題意識にもつながっているのである。

人間と外見的にも機能的にも見分けがつかないロボット(ヒューマノイド)が、かなりの割合の人から危険視されたり不気味に思われたりする理由の一つは、技術によって人間の機能を置き換えるレベルを超えて、『思い通りに命令できる擬似的人間を創造するような技術』が開発されてしまえば、私たち人間そのものがこの世界に存在して子供を生み出す意義や働く価値の特殊性が相対的に揺らぐのではないかということである。シンギュラリティー論を前提とするシミュレーションでは、約20年後にはAIやロボットによって既存の職業の約49%が奪われるというような推測の話もあるが、『AI・ロボットにできない仕事が減るという方向性』は人間の全ての仕事がロボットに代替でもされない限り、みんなが仕事をロボットにやらせて楽に過ごせるユートピアにはならないだろう。

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ロボットやシステムに仕事を奪われて『失業者・貧困層・困窮者(自己アイデンティティーの拡散に苦しむ人)の増大』を招くことになれば近未来のラッダイト運動(ロボット破壊運動)に発展しかねないが、当面はAIやロボットは社会全体で共有されるものではなくそれを購入できる組織・人の私有財産に過ぎないから、大企業や富裕層が人件費を大規模に減らしてより効率的に稼ぐ手段になるだけかもしれない。ムーアの法則に従ってコンピューターの性能がいくら飛躍的に向上し続けても、情報の処理速度や処理できる分量・精度が高まるだけで、コンピューターそのものが自己参照して自意識や目的達成(問題解決)の意志を持つことは原理的には考えにくい。

その意味で、AIを搭載したヒューマノイドが『心(感情)・主体性(意識・欲求)』を持って、人間の存在や機能を完全に代替してしまうというSFのような未来は現状では夢物語に近いと思う。仮に、画像診断検査や破壊をして内部が機械かどうか確認する(長い期間観察して加齢現象の有無を確認する)以外にはどんな手段を用いても人間かロボットか簡単には見分けがつかないレベルのAI・ロボットが開発できたとすると、『職業活動・人間関係・恋愛や性・共同生活』などの領域における非社会的方向性のパラダイムシフトが起こると予測される。

人間関係で傷つくことを恐れたり他者の自我との衝突・競争を嫌ったり、不快な他者との関わりを避けたりする自意識・自己愛(プライド)の肥大している現代人は、人を快適にもてなすように巧みにプログラムされた(あるいは関係性を通してどんどん学習を進めていく)ロボットとの関係性や会話にのめり込んで、生身の人間・社会から遠ざかってしまう可能性が強まる。AI・ロボットが生身の人間に近づいていく進歩に対する潜在的不安の一つとしてあるのは、『人間が人間よりもロボット(人工物)を好むようになるのではないか・人間がより自己愛を肥大させて心理的に閉じこもり思い通りにならない他者を避けるようになるのではないか』ということである。

こういった人間心理の問題系に関する類似の現象として『人間以上にペットを好んで可愛がる人たちの増加(ペットの動物を人間以上の存在として大切にして保険に入ったり葬式をしたり墓を建てたりまでする人の増加)』を考えることもできる。外見と会話、内面が人間とほとんど見分けがつかないようなロボット(しかも思い通りの好みの外見・性格・関わり方を設定したり再学習したりもできるロボット)がでてきたら、それにのめり込んで陶酔・溺愛する人の依存性(生身の人間の関わりからの遠ざかり)はペットを異常に溺愛する人のそれを遥かに超えると考えたほうが良いだろう。

SFの想像力を広げると、AIやロボットが究極の進化を遂げて、人間を代替するようなヒューマノイド(アンドロイド)が当たり前のように経済社会・人間関係(異性関係)・家庭生活に溶け込んでいく未来社会にある脅威というものに行き着くし、今までのSF小説でも定番ネタの一つになっている。しかし現実にそんな未来がどこかの時点でやってくるとしても、『自意識を獲得したAIが人間に従わなくなり反乱を起こして人類が絶滅させられる』という映画ターミネーターのスカイネットのような方向性ではなく、『人間自身が思い通りにならない人間との関わりやストレス状況を避けがちになり(更にはロボットに仕事をさせて労働を介した社会参加機会も狭まり)、自分を常に尊重してもてなしてくれる理想の外見・性格をしたロボットを選んでしまう人が増えて緩やかに人類が絶滅(減少)する』というリスクのほうが高いだろう。

人が人を必死に求めて協働・生殖につなげようとする社会再生産を支えている欲望が、幼少期から何でも面倒を見てくれてニーズを満たしてくれる人型ロボットの甘やかし・過保護によって低下させられるリスクのほうが大きくなりそうである。現状では最近言われている『シンギュラリティーの技術的特異点』が起こる以上の技術革新が繰り返し成し遂げられたと仮定する『想像上の未来社会』の話に過ぎないものではあるが。

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人工知能(AI)とアンドロイドの進化はユートピアをもたらすか?1:労働者の解放か失業者の増加か

人間の形態と機能を模倣しようとするアンドロイド(ヒューマノイド)は、人工知能・ロボット開発の究極の成果の一つと見られることが多い。近未来SFに出てくるような人間と区別がつかないアンドロイド(ヒューマノイド)は、人間社会に“ユートピア(理想郷)”をもたらすとも“ディストピア(絶望郷)”をもたらすとも予測されている。アンドロイドの普及がもたらすユートピアの典型的なイメージは、『公共財のロボット(私的所有されないロボット)が人間のほぼ全ての労働を代替してくれる世界』『私有財のロボットが人間の理想的なパートナーやサーバント(召使い)になってくれる世界』である。非自発的な労働からの解放、人間関係の悩みからの解放は、人類の夢想するユートピアであるが、それらは一歩間違えれば人類衰退のディストピアをもたらす側面も併せ持つ。

アンドロイドの登場がもたらすディストピアの典型的なイメージは、『企業が保有する私有財のロボットが人間から仕事を奪い取って膨大な数の失業者(生活困窮者)を生み出す世界』『理想的な人間を模倣した魅力的で有能なロボットに対して生身の人間が無能感・劣等感を抱く世界』である。ロボットによる中途半端な労働の代替は、人間(自分)を必要としてくれる仕事の需要や社会参加の機会を奪ってしまう恐れがある。長崎県佐世保市のハウステンボスにある『変なホテル』のようにできるだけロボットの従業員で運営しようとするホテルや店舗も増えるだろう。

実際、顧客満足度調査ではソフトバンクのペッパー君のようなロボットによる接客・案内(現時点ではお客さんが自分で用途に合わせてタッチパネルを押したりする必要はあるが)のほうが、生身の人間の接客・案内よりも気楽で良い(ペッパー君が対応してくれる動きが可愛らしくて印象が良い)という人も少なからず出てきている。現時点では、優れた接遇・案内のスキルと知識を持つ人材、やる気(愛想・笑顔)があって機転の効く明るい表情の人間の従業員に、ロボットなどはとても及ばないという人が大多数ではある。しかし、『接客接遇や案内のスキル・知識・モチベーションが低い人材(接していて不快なところのあるやる気のあまりない接客業に不向きな人間)』であれば、まだ感情・意欲のムラがなくて表情が可愛くて、やりたい用事をタッチパネル経由で手伝ってくれるペッパー君のようなロボットのほうがマシという人がいてもおかしくはない。

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接客接遇・問題解決のサポートにおいて、人間よりもロボット(機械)のほうを選好するというのは倒錯的・非共感的に思われる。だが今でもあまり知らない人間と接するのが得意(好き)ではない人、店舗でのマニュアルに沿った形式的なやり取りを煩わしく感じる人もいる。企業の人件費のコスト削減の目的もある『自動券売機方式・セルフ方式(自分で会計処理をするセルフレジ・自分で給油するセルフのGS)』などは、必ずしもチェーン店を利用するような顧客にとって不人気な方式ではないように思える。人によっては、ロボットや無人化システムによる人間の仕事の置き換えに、違和感を感じにくい環境変化が少しずつ起こっているのかもしれない。

現在のアンドロイドはまだまだ不完全なものだが、外見はちょっと見ただけでは人間と見分けづらい相当に精巧なものも出てきている。また、会社の受付だけをするとか、決められた商品の説明や案内だけをするとか、特定の作業工程だけを請け負うとかいうような『状況・用途・目的の絞込み』をすれば、かなり人間に近い仕事のできるロボットが少しずつ出てきている。逆に言えば、『どんな状況・用途・目的・会話・相手にもその場で柔軟に上手く対応できる』というのが、人間らしさの根幹的な特徴の一つでもあるので、特定の状況や目的にしか上手く適応できないロボットしか作られていないというのは、それだけで人間からはまだまだ遠い人工物の地位にあるとは言える。

この汎用性の壁(特定の仕事だけでなく色々なことができる人間らしさの壁)を、技術的に突破するためのイノベーションのハードルは極めて高い。経済的にもなかなかペイしないので、『特定の状況・目的に適応する以上の人間にほぼ等しい人工知能やロボット』というのは予算をかけた開発のモチベーションも落ちやすい。そこまで無理にお金をかけて人工物で人間に近づけても意味(利益)がなく、人間が人間(子孫)を今まで通りに産んでから教育したほうが良いという結論になりやすいだろう。大企業や金持ちの人間だけが、理想的(目的的)なアンドロイドを購入して働かせたりパートナー(遊び相手)にしたりすることで、更に経済的・満足度的な格差が拡大したり、一般的な労働者の需要が大きく落ち込んでしまうといった悪影響も想定される。

アンドロイドや人工知能の研究における長年の問題として、『生命体ではない人工物が心(自我・主体性)を持つことができるのか?』というものがあるが、人間とモノの最大の違いとして『心の有無』は大きいというか、大勢の人が『決定的な違い(ロボットは絶対に心を持つことができない)』と考えていることである。

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人工知能(AI)とアンドロイドの進化はユートピアをもたらすか?2:ロボットの心の有無

アンドロイド(ロボット)と人間(生命体)の最大の違いは、『自己保存(生存)+自己複製(生殖)の本能』『自分・仲間のために解決したいと思う問題』を持っているか否かである。『ターミネーター』や『アイロボット』のようなハリウッドのSF映画では、アンドロイド(ロボット)が反乱を起こして人間に従わなくなるわけだが、こういった反乱を起こすためにはアンドロイド(ロボット)の側に『心(自我・主体性)』が生まれなければならない。心がないアンドロイド(ロボット)であれば、『自分にとっての存在の必要性・他者に対する支配欲求・死(破壊)の恐怖』がそもそもないので、人間に反乱を起こそうとする意思・意図が初めから生まれる可能性がないだろう。心がないアンドロイドは、見かけは精巧に人間に似せて作られていても、生きたいとも死にたくないとも思っていないことになる。

そうなるとロボットは自分にとっての存在の目的(自尊心・優越感)や何かをしたい欲求があるわけではないから、別に人間に従っていて屈辱的だ(いつか人間に取って代わりたい)とかいう自意識はなく、人間に対して支配的に振る舞いたいという欲求そのものを持ち得ないことになる。哲学的に厳密に『心(自我)の有無』を考えれば、人間にとってさえ『他者の心(自我)の存在』を直接的に観察することはできない。自分以外の他人に『自分と同じような心(自我)』があると迷いなく思う最大の理由は、『コミュニケーションの成立・人間関係の持続・他人の自我(欲求)との対立など経験的に自明であるから』である。

もっと基本的な根拠として、ヒトという同じ種に属していて、同じような脳・身体構造を持っているので、『自分に心があるなら他人にも同じような心がある(だからコミュニケーションや人間関係が成り立ち他人の意思・欲求とぶつかったりもする)』と考えることは合理的だからということもある。人工知能・アンドロイド(ロボット)に“意図・欲求・感情”といった『心』を与えることは、常識的に考えれば『遺伝子の設計図に基づく有機的な脳・身体(生命体)』がなければ不可能なように思える。これはプログラムされて経験的な学習を重ねた結果として生成される人工知能やアンドロイドの『心』というのは、それがいかに本物の心のような見せかけの反応を示したとしても、『本物の知的生命体(人間)が持つ心ではない』という前提ありきだからでもある。

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人工的に作り出したものには心は宿らないという信念的な前提、あるいは、人工知能・ロボットの心は『心』のように感じられても『本物の心』ではないという同義反復的な定義を置くのであれば、確かに人工知能・ロボットに心を与えることは不可能であるし、人間の他者と同じように『心そのもの』を取り出して観察することは当然できない。一方で、『本物の心』があるように感じられたとしてもそれは『偽物の心』なのだと言わなければならない段階にまで人工知能・アンドロイドが進歩したとしたら、それは実際の人間(他者)と変わらないコミュニケーションや人間関係を形成できるようになったことを意味するだろう。

相手の内面に自分と同じような思考・感情・気分・内省・感覚などを担っている『本物の心』があるかどうかにこだわらなければ、『行動・発言・反応を見て心があるようにしか見えない人工物(人工知能・ロボット)』を作り出すことは理論的にも現実的にも可能性があるだろう。顔や身体、動作、ジェスチャーが関係するロボットでは、人間と見分けがつかないほどに精巧な動くロボットは作られていないが、顔・身体・動きを気にしなくてよいインターネット上で情報発信やコミュニケーションをする『人工知能』であれば、既に『心(意思)があるように見えるボットと呼ばれる人工知能』が作られている。

ユーザーとの対話を通した学習によってヘイトスピーチをするようになってしまって話題となったマイクロソフトのAI“Tay”も、Tay(AI)であることを知らずにツイッターのつぶやきだけを見ていれば、生きている人間がそれを書いていると思う人がいてもおかしくない程度の水準には達してきている。顔と身体性が問われないインターネット上では、人間と人工知能の発言内容の区別はつきにくく、何度か繰り返して細かい内容の対話を重ねていかなければ、現時点の水準の人工知能でさえ人間ではないと見破ることは簡単なことではなくなった。

アンドロイド・ライツ(ロボットの権利)とサイボーグ化の自我肥大(蘇る不老不死の幻想)

人間とロボット(人工知能)の『心』についてあれこれと考えてみたが、心を持つことが自明とされている人間が、『心を持つように見えるロボット・人工知能』に、その心(感情・気分・思考)を揺り動かされたり好意や愛着を覚えたりすることは確実なことだろう。人間が『ペットの動物(ロボット犬のAIBOにさえ)』に対して時に人間に感じる以上の愛着・好感を感じるように、『人間に近い外見・知能を持つようになったロボット』に対しても、人間に感じる以上の愛着や好意を感じるようになってもおかしくはない。既に映画やアニメの世界では、描かれたイラストのキャラクターやVFXで作られた人間・動物に対して、過剰なまでの感情移入を行うことのある人間の心の働きが確認されてきた歴史があるが、物理的な顔・身体を持つロボットが進歩すればするほど(人間に近づけば近づくほど)、過去の人工物に対する愛着やこだわりとは比較にならないほどの感情移入をする人たちが出てくるはずである。

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20世紀半ばまでは、動物の自由や権利などを真面目に主張する人はほとんどいなかったが、現代では動物の権利をもっと尊重して動物の自由を拡大しようとする『アニマル・ライツ(動物の権利)』に肯定的な人は増えている。動物に人間同等の権利まで認めようという人はほとんどいないにしても、『できるだけ動物を殺さないようにしよう(動物の肉・毛皮などをできるだけ利用しないような暮らしをしよう)・できるだけ動物に苦痛や悲しみを与えないようにしよう・クジラやイルカ、類人猿など知能の高い動物や可愛い動物は守ろう』と考える環境保護運動家や動物愛護家、ベジタリアンは増えており、非人間への感情移入の度合いは大きくなっている。アンドロイド(ロボット)が進化して人間に近づけば近づくほど、『アニマル・ライツ(動物の権利)』のロジックと同じようなプロセスを踏んで、『アンドロイド・ライツ(ロボットの権利)』の代理的な主張をする人間が増えてくる可能性は高いというかほぼ確実だろう。

ロボットは人間ではない機械であり心を持たないモノに過ぎないから、どんなに酷い扱いをしても構わない奴隷的な境遇においても構わない、壊したければ壊してもいいというのは、現時点の人間の感性やロボットのレベルであればそれほど反対される主張ではないかもしれない。しかし、倫理・法律を形成する動力になる『心』というのは自分以外の他者・ロボットが本当にそれを持っているのかどうかが重要なのではなく、他者・ロボットを観察している人たちが平均的にどのように感じるかが重要になってくるのである。『壊されたりバカにされたり性的に嫌がらせをされたりするロボット』に共感して可哀想と感じたり、人間の精神性や子供の教育にとってロボット虐待が有害だと感じたりする人が大勢になってくれば、『アンドロイド・ライツ(ロボットの権利)』が真剣に政治的に議論される流れも生まれるだろう。

だから、外見・動きが人間と見分けがつかないくらいにまでロボットの完成度が上がってくれば、少なくとも密室ではない公共の場では『ロボットを壊したり傷つけてはいけない・ロボットを過度に侮辱してはいけない・ロボットを裸にしてはいけない(性的に辱めてはいけない)などの法律・条例』ができてくるだろうし、そうなると公共圏におけるロボットの扱いや待遇はかなり人間に近づいてくることになる。ロボット技術・人工知能(AI)は『義手・義足・人工臓器・義眼』などの延長線上にある人間の機能を模倣したり置き換えたりするテクノロジーとしても解釈することができるが、その場合には人間の『脳・記憶』を置換(転送)できるほどの高度な人工知能の開発(ブレインアップロードの可能性)は可能なのかというロボットとは別の『人間のサイボーグ化の視点』も浮かび上がってくるだろう。

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人間の身体を機械に置き換えていくサイボーグ化というのは古くて新しい人間の想像力を刺激するアイデアであるが、『人間の脳機能(自我)の永続化』というのは、古代のファラオや始皇帝の時代からある『不老不死の夢・存在の継続の夢』の変型として考えることができる。そして、人間を含む生命体は通常『生殖行為による世代交代(個体の死と子孫の存続)』でその存在(遺伝子)を維持してきた膨大な年月の歴史を持つ。だが、こういった人工臓器・再生医療の発想をさらに拡大したような『人間のサイボーグ化・ブレインアップロード(脳の中身・自意識をコンピューターか何かに転送して保存し続ける技術)』は、『個体の死の拒絶(遺伝子・子孫よりも自我意識を優先させる永続化)』という自我・自己愛の異常な肥大を助長させる影響もあるだろう。

こういった自分自身の意識・内容をいつまでも保存したいとする自我肥大は、見方を変えれば少子化傾向・アンチエイジングブームとも符合する神の領域の侵犯(自然界における生命の仕組みへの反抗)にも感じるが、極端な技術革新の連続がもたらす世界がユートピアになるのかディストピアになるのか。恐らく今の時点で生きている人間はその世界を直接見ることはないまま終わるだろうが、『人工知能・ロボット・サイボーグ化』を巡るテーマは人間の欲望・想像力を刺激する要素に満ちているからこそ、多くの人がロボット技術・AIの進歩に賛成にせよ反対にせよ何か意見(近未来のビジョンとそれに対する主観的評価)を言いたくなるのだろう。

元記事の執筆日:2016/04

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