20歳の女性アイドル刺傷事件とストーカー心理1:アイドルとファンの距離感の縮まりと妄想,相模原市の障害者殺害事件1:容疑者の異常な障害者差別と身勝手な論理で歪んだ正義感

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20歳の女性アイドル刺傷事件とストーカー心理2:ストーカーの凶悪事件化は防げるか?


相模原市の障害者殺害事件1:容疑者の異常な障害者差別と身勝手な論理で歪んだ正義感


相模原市の障害者殺害事件2:社会福祉・弱者支援のヒューマニズムの維持と歴史からの学び


弁護士の局部切断事件と男女の嫉妬心・独占欲の現れ方1:肉体と精神の裏切りのどちらにより傷つくか


弁護士の局部切断事件と妻の心理状態に関する記事2:男女の性愛・愛着における怒りと傷つきやすさ


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20歳の女性アイドル刺傷事件とストーカー心理1:アイドルとファンの距離感の縮まりと妄想

東京都小金井市でアイドル活動(音楽活動)をしていた大学生の20歳女性が、27歳の容疑者の男から刃物で30ヶ所以上も刺されて意識不明の重体となる凄惨な事件が起こった。容疑者の男は被害者の女子大生のアイドル活動のファンだったようだが、数ヶ月以上の長期間にわたってコンサート会場やSNS(Twitter)で執拗なつきまとい行為を行い、一方的に毎日のように多くのメッセージを被害者に送りつけていた。この被害者の女子大生は厳密にはAKB48のような職業的なアイドルではなく、男性ファンから容姿の良さ(若さ・可愛さ)の魅力が認識されることもあるシンガーのような音楽活動をしていた女性のようである。2011年に少女漫画やドラマを元に結成された期間限定アイドルグループ『シークレットガールズ』の一員としてデビューしたことが芸能活動の始まりになったと報じられている。

現時点ではアイドルのみの活動ではないが、過去にはアイドルグループやドラマでのテレビ番組の出演経験などもあるという。写真を見るとやはり垢抜けた容姿の若い女性であり、小規模な会場で音楽イベントを開催すると、この女性を異性としても好きな男性ファンが集まってくるような存在だったのだろう。何も直接的な危害を加えたわけでもない女子大生が、イベント会場の雑居ビルの前で、いきなり不意打ちで30ヶ所以上も刺されるというのは尋常な事件ではないが、今のところ意識不明の重体とされており、何とか亡くならずに生命だけはとりとめてくれること(刺された怪我の後遺症・傷跡ができるだけ残らないこと)を祈るしかない。

加害者の27歳の男は、一方的に好意・親近感を募らせた挙句、自分の思い通りの反応(返事)をしてくれないアイドルに憎悪を抱くようになって暴力的に逆上(逆ギレ)したストーカーとして考えることができる。無抵抗の女性を顔を中心に執拗に刺し続けたとも伝えられており、極めて残酷・異常かつ卑劣な凶悪犯罪である。殺人・傷害などの凶悪犯罪を引き起こすストーカーには、『別れた元交際相手(元配偶者)などの顔見知りの加害者』『個人的なつながりの履歴のない知らない加害者』がいる。この事件はコンサートなどで何回かは見かけたことはあったかもしれないが、個人的な付き合いはなかったという意味では概ね後者のタイプの加害者(見かけた相手や芸能人・店員等を好きになるような加害者)だろう。

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しかし、加害者本人は、客観的にはまったく個人的な付き合いのない異性といって良い被害者のアイドル(女子大生)に対して、何回かコンサートに通ったり一方的にプレゼントやメッセージを送ったりして、あたかも『個人的なつきあいの履歴』があるかのような妄想的な思い込みを強くしていた可能性が高い。加害者がここまで一方的に憎悪・怒りを蓄積させていった背景には、被害者の女子大生にとっては『プライベートではまったく知らない赤の他人(よく言ってコンサートに来てくれるファンの一人)』に等しい男なのに、加害者の男にとっては『既にちょっとした個人的な付き合いのできた男女(それなのに無視するのは無礼で常識知らずだ)』というような妄想的な関係性の認識があったのだろう。

顔見知りではない執拗なストーカーの多くは、何度も繰り返し想像上のコミュニケーションや関係性の進展をイメージすることによって、『現実の人間関係の親密度』と『空想の人間関係の親密度』との区別が曖昧化してしまうようなケースも多い。その結果、なぜ友人・知人(既に一定の関係性ができていたはず)なのに、そんなに冷たく自分を傷つける態度が取れるのか(お前には人としての心や情けがないのか)という方向で、相手の人間性や社会常識を厳しく責めるような立場に立ちやすい。女子大生がストーカー化する加害者につきまとわれるようになったきっかけは、やはり不特定多数の男に見られて好意的・支援的な感情を寄せられる『アイドル活動(音楽活動)』をしていたことだろう。AKB48に代表される『会えるアイドル』のようなコンセプトがあったのかなどは分からないが、『握手会・懇親会・会話の機会』などのファンサービスがあると、惚れやすく思い込みの激しい(特定対象に執着して諦めの悪い)ストーカー気質の相手を勘違いさせるリスクは高まりやすい。

若さや容姿もファンを惹きつけるセールスポイントになるアイドル(アーティスト含む)という職業にはどうしても、異性としても適度な好意を持ってもらったほうが人気・売上が上がるという『擬似恋愛的な要素』が絡みやすい。擬似恋愛の要素が直接的に絡む職業としては、キャバクラやホストクラブ、ガールズバーなどがあるが、こういった夜のお店の親しく会話を交わす接客業であっても、『お仕事とプライベートの境界線は守る(仕事の時間内だけでのやり取り・例外的に営業目的のメールや電話などはOK)』というのが最低限のルールになっている。AKB48の『会えるアイドル・握手会(短時間のやり取り)・推しメン・写真撮影会』などは、アイドルと一般人の間にあった敷居を下げてその距離感を縮めた。昭和期のアイドルはテレビの中の世界の住人であり、離れた高いステージの上(厳戒警備体制の中)にいたこともあり、『直接には会えない・話せない・触れない存在』として認識されていた。

そのため、親衛隊が結成されるような擬似恋愛の要素はあったものの、実際に自分との個人的な付き合いを求めてアンビバレンツな好意・憎悪を募らせるようなタイプのストーカーは生まれにくかった(一定数はいたが勝手にアイドルとの距離感を縮めようとする行為はマナー違反の意識が強かった)のではないかと思う。『会えるアイドル・話せるアイドル・握手できるアイドル』といったアイドルとの距離を縮める時代の変化は、アイドルブームを再燃させてアイドルを身近に感じられるファンを喜ばせることにもなったが、『擬似恋愛的な要素のあるアイドルとの接し方』におけるルールやマナーを無視する危険人物をも生み出すことになった。凶悪犯罪までエスカレートするのは極めて稀だが、ちょっと笑顔を向けられたとか握手して会話をしたとかで一方的な恋愛妄想に陥ったり、自分の気持ちが受け容れらないからとストーカーになったり逆恨みするような人も一定の確率でどうしても出てきてしまう。

ストーカーと異性間暴力の心理1:精神的な退行と依存性・内的な女性像(異性像)の投影

ストーカーと異性間暴力の心理2:対象恒常性の確立の失敗と孤独耐性の低下・自己愛の過剰

アイドルの熱狂的ファンは、内面にポジティブなものであれネガティブなものであれ、特定アイドルに対する非常に強い心的エネルギーを溜め込むことになるが、普通は『現実と空想(イベント限定)の区別』をつけて笑顔やおしゃべりをすることができたとしても『楽しい時間をありがとう(芸能活動の範囲内で応援する)』で終わることになる。だがストーカー気質やパラノイア傾向の人は『もしかしたら私生活でも近づけるのではないか(あの笑顔や言葉は自分だけに向けられた特別なメッセージなのではないか)』という非現実的な欲望・期待に呑み込まれて、『ファンとしての立場・限界』を超えた非常識な誘いかけや対話・行動の要求などにエスカレートしたり、それが受け容れられないといつまでも諦めずにつきまとったり相手を常に監視しているようなメッセージを送りつけたりする。

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20歳の女性アイドル刺傷事件とストーカー心理2:ストーカーの凶悪事件化は防げるか?

アイドル(芸能人)の若い女性というのは、最後は芸能活動(グループ活動)をやめるかアイドルとは別ジャンルの芸能活動(俳優など)に転身するか、私生活で誰かと結婚するかで、『絶対に実らない擬似恋愛』であることを踏まえた上で、ファンは期間限定の擬似恋愛的な感情の高揚や満足を楽しむというのが暗黙のルールだろう。だが、アイドルとの距離感が縮まったりファンサービスが過剰になったりした影響で、そのルールや境界線を強引に踏み越えてしまう人、本当に自分の恋人・友人になってくれるのではないかと思ってしまう妄想的な人(一種のパラノイア・妄想性パーソナリティー)が生まれてしまうリスクは常にある。

この事件に至るまでの加害者の男の『Twitterのメッセージやリツイート』が以下の記事にまとめられていたが、これは正に『アイドルの女性をプライベートの知り合いであるかのように思い込んだ男性(あるいは実際にアイドルと恋愛的な関係になれると思っていたが裏切られたと感じていじけた男性)』が書く文面や感情になっている。

恐怖のファンレター

加害者の男が月日の経過と共に、次第にアイドルの一ファンとしてのスタンスから、厄介なストーカーや現実認識が混乱したパラノイア(偏執狂)に変質していく様子が『好意・関心・挑発・憎悪・怒り・拗ね・妄想の入り混じったメッセージ』から伝わってくる。そこに一貫しているメッセージは、『もっと俺のことを見て欲しい・存在を認めて反応して欲しい(冷たくするな・無視するな)・俺の送ったプレゼントに込められた気持ちを受け容れてほしい』ということである。だがいくら芸能活動をしていてファンサービスとして多少の返信はするにせよ、20歳の若い女性が個人的には何の興味もない男(歌手とファンという関係以上にはなるつもりもその可能性もない相手)から、一方的な思い・期待を妄想と共に押し付けられてもただ不安感・恐怖感が募っただけだろう。

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加害者の男と被害者の女性はライブなどで数回の面識があり、はじめはTwitterでも無難な返信を女性は返していたようだ。しかし、返信があることに味をしめた容疑者の言動が妄想的な好意・恋愛感情を押し付けるようなものになり、それが叶わないと暴言・中傷・人格否定をしたりするようになったことから、途中で無視するようになり最後はメッセージを見なくて済むようにブロックしていた。加害者は地下アイドル専門の追っかけだったとされ、被害者女性の前にもアキバ系のアイドルグループのメンバーにつきまとって出入り禁止処分を受けていたとも報じられているが、被害者のグループの他のメンバーにも興味を示していたという話もある。そういった他の女性にもつきまとっていた話を伝え聞くと、この容疑者は犯行前の時にはちょうどピンポイントで被害者の女子大生を付け狙って悪意・殺意を爆発させたが、誰が被害者に選ばれてもおかしくない状況だったのだろう。この容疑者の女性は、本当に不運だったとしか言いようがない。

加害者の男は『本・時計などのプレゼント』を自分の恋愛感情を込めた贈与のように解釈していたと見受けられる。プレゼントをどういう渡し方をしたのか分からないが、その『物+心の贈与』をとりあえず形式的に受け取ってくれたアイドルの女性に対して(別にそんな物を女性が欲しかったわけでも要求していたわけでもないのに押し付けがましい態度であれこれ言ってくる)、『プレゼントを受け取ったのだから自分の気持ちも受け取ってくれたということになる(プレゼントを受け取ったのだから個人的なプライベートの会話にも応じる義務がある)』とでもいうような非常に一方的で妄想的な期待を抱いていたように感じられる。

身勝手な思い込みや一方的な要求・恋愛妄想に基づくものであるが、容疑者の男を激しく怒らせる原因になったこととしては、『冷たい対応・無視・ブロック』『プレゼントの郵送での匿名(差出人なし)の返却』を考えることができるのだろう。しかし、被害者の女性としては、はじめのうちはそれなりにできる範囲の返信はしていたとも伝えられており、容疑者がストーカーのようになって一方的な好意・要求を押し付けてくるようになったから(まともな対話が通じないような妄想的な発言や恨み節・人格攻撃・脅迫めいた自殺予告などを連続で書き込むようになったから)、無視してブロックすることになっただけである。

加害者の男の連続的な発言に共通する心理は、『これだけのことをしてあげているのにという恩着せがましさ』であり、『モノのプレゼントと心の交流・受容を混同する認知の歪み』である。世の中は鏡だから、『私が見てるあなた』と『あなたが見てる私』は同じというようなメッセージも、自分が好きなら相手も好きでなければならないといった恋愛妄想を意識させられるものである。恋愛関係でもそれが終わったり振られたりした時に、『今まであなたに費やしたお金と時間を返して欲しい』という台詞を口に出していう人、あるいは、本当に『今まで上げたプレゼントを全部返して下さい・今までデートなどに使ったお金を返して下さい』と要求までする人というのはいる。この事件の加害者も異常な妄想性や衝動性を抜きにすれば、そういった『人間関係における吝嗇(ケチ)・損得・見返りにこだわる人』の心理と共通するものがある。

本当の意味で、他人にプレゼント(無償の贈与)をすることができない、見返りがなければ逆恨みする人とも言えるが、この加害者の場合には相互的な恋愛関係(プライベートなつながり)や事前の約束などは何もなかったにも関わらず、恩着せがましく色々な批判・要求・説教(人格批判)などをしているのだから、相手の女性がもう話したくないし、何をされるか分からなくて怖いと思うのは致し方ないことである。『全部返せ』『まだ返してもらっていないものがある』『死ねないから仕方なく生きている』などのメッセージも、自分が勝手に好きで入れ込んだアイドルに使った『時間・お金・気持ち』のすべてを返せという無理難題を吹っかけているような感じである。相手が別に誘惑してもてあそんだとかいうわけでもないのに、相手が返しきれないくらいのモノを自分が分け与えてきたかのような罪悪感の押し付けをするような形になっており、自分の気持ちを受け容れろ(あなたが返しきれないほどの気持ちもお金も時間も注いだのにどうしてくれるのか)という脅迫めいた要請にも受け取れて息苦しい恐怖感を煽られてしまう。

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アイドル文化とストーカー問題の相関においてアイドル側(事務所側)が注意できる点としては、『アイドルとファンとの心理的・物理的な距離をあまり縮めすぎないこと』『握手・スキンシップ・おしゃべりなどのファンサービスは過度になりすぎない程度にすること』『SNS(Twitter,facebook等)のファンとの交流には感情・立場に分かりやすく一線を引くようにすること』『ストーカーや脅迫者が現れた時にはきちんと解決するまで芸能活動は控えること』などを考えることはできるが、実際にはつきまといやメッセージがどれくらいのレベルになれば、相手が本当に事件を起こすところまで精神的に追い込まれていると言えるのかの判断は極めて難しい。

今回のストーカー刺傷事件もそうだが、過去に起こったストーカー関連の殺傷襲撃事件でも、警察に事前に相談していたにも関わらず事件を防げなかったことが問題にされやすい。しかし、ストーカーの相談件数は非常に多いことから、すべての相談に対して捜査員・相談員を現地(ストーカーの居住地)に派遣し、危険性が低下するか本人がもう関わらないと確約する(見捨てられ不安・怒り恨みのような精神状態が落ち着いて納得する)まで丁寧な対応をしてもらうことは難しいだろう。ストーカーの暴力行為(犯罪行為)への行動化を事前に防ぐためには、十分に疑わしい人間の身柄を拘束するような『予防拘禁(現行法では不可能な強制対応)』を除けば、『ストーカーの矯正プログラム(思い込みの認知の歪みを修正したり孤独感を和らげたりする心理教育)のような対応を粘り強くすること』『ストーカーの緊急性・危険性のレベルを正確に測定した上での個別的な対応をすること』が必要になってくる。

ストーカーの凶悪事件化を防ぐという意味では、今回の事件においても『相手のメッセージに対する無視・ブロック』が加害者の見捨てられ不安や逆恨みを強めて破滅的な犯罪にかきたてた可能性があることから、警察がストーカー相談を受けた後に、ウェブ上などで執拗な書き込みや付きまといが続いていて事件化しそうな兆候(精神状態の不安定さ・脅迫や要求・自殺や殺害の予告)も見られる時には、ストーカー事件・心理に精通した第三者機関の専門家を交えるなどして、被害者本人を代理する形で事件化を抑制するようなアプローチができれば良いのだろうが『コスト・人員数・人材教育』の面でのハードルが現状では高い。

現実にせよウェブ経由(SNS)にせよ、ストーカーにつきまとわれた時には、女性は不快感・嫌悪感・恐怖感などから一方的にシャットアウト(着信拒否・ブロック)をして無視し、そのうちに相手が諦めてくれるか別の対象に興味を移すのを待つことが多い。だが、『無視をしていても執着心・憎悪・怒りの持続や更なる悪化が見られるストーカー(あるいはブロックされているのに何とかして連絡をつけてこようとする執念や可能性の模索が見られるストーカー)』で脅迫・要求・自殺予告(殺害のほのめかし)などをしてくるようなケースでは、無視し続ければ諦めてくれるとの楽観はできず、現在地を相手に分からなくしたりしばらくシェルター的な避難できる場所で匿ってもらうなどの対応も必要になってくるだろう。

『無視・ブロック』は確かに楽な対処法の一つではあるのだが、ストーカーになっている人の心理状態やパーソナリティーによっては、『返事がないこと・無視されていること』を自分の存在価値の全否定や自分を精神的に追い込む挑戦として受け取って、『今まで以上の悪意・敵意・憎悪』を向け始めるリスク(無視された苦痛を相手に与えようとする報復)になってしまうこともあるので、無視が有効な相手かどうか(病的な攻撃性・逆恨みの憎悪・プライドを持っている相手でないか)を見極めていくのも大切である。相手の精神病理やパーソナリティー障害などの問題があれば話し合いは不可能に近いケースもでてくるが、しつこさがやや見えてきた程度のストーカーに対する初期対応として望ましいのは、『対話可能な精神状態のうちに丁寧に断って(できることとできないことの区別をはっきりさせて)納得してもらうこと・難しければ第三者や相手の親族なども交えて相手の言動の問題点を自覚して改めてもらい約束してもらうこと』である。ストーカーになる潜在的な気質・環境・心理を抱えた人との接点をできるだけ作らないよう(関係性のきっかけを作らないよう)にするとか、相手からのちょっとした感情交流の求めがあった時に『これ以上の付き合いはできない・プライベートな関係になることはないという一線』をしっかり呈示しておくとかいうことも有効である。

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『脅迫や要求・自殺や加害の予告・暴力』などまではない時に、いきなり警察を連れてきて警告に近いような対応をしてもらうよりは、初期の段階であれば相手にも配慮して第三者を交えて安全性を確保した上で、『個人的な付き合いなどはできないという自分の正直な気持ち・相手の人間性を否定しているわけではないこと(あなたを否定するわけではなく私の恋愛や人間関係の領域のことについては私に選んで決める権利があるということ)・自分にできることや関われることの限界・自分が恐怖や不安を感じて困っているのでやめてほしいという要請・あなたが犯罪者にならないためにもこれ以上のエスカレートや私へのつきまといはやめてほしいという願い・別に悪意や否定の意図はないが個人的な付き合いはできないので気持ちよく遺恨を残さず距離を置きたいという提案』などを、丁寧かつ真摯に話してみて、それからの相手の出方を確かめてみることも一つの方法である。

無視することのリスクとして『無視して放置している期間の相手の心理状態がどうなっているか分からなくなること』はあり、音信不通で静かにしているから諦めようとしてくれているのか、逆に憎悪や怒りを溜め込んで爆発しようとしているのかの認識を間違えれば、危険な暴力事件に巻き込まれかねない。思い込みが激しく、自分勝手な妄想からの逆恨みをしやすいストーカーに目をつけられてしまうと、なかなか平穏な日常生活を取り戻すまでの道のりは険しいが(相手・場合によっては対話すら不可能でひたすら身を隠して逃げたほうが良いケースも多いが)……『相手の精神状態の異常性・言動の危険性』が目立っていない段階であれば(いじけたり拗ねたり落ち込んだりが目立ってきたくらいの段階であれば)、協力者の参加を得るなどで安全性を確保しながら、どうにかしてそれ以上相手の自分に対する勘違いを煽らないように見捨てられ不安を刺激しないように、執着心・愛憎を強めないような働きかけが出来れば、刃傷沙汰のような最悪の事態を回避できる可能性は高まるのではないかと思う。

相模原市の障害者殺害事件1:容疑者の異常な障害者差別と身勝手な論理で歪んだ正義感

神奈川県相模原市の障害者施設『津久井やまゆり園』で19人を殺害、25人に重軽傷を負わせたとして、この施設の元職員だった植松聖容疑者(26)が自首して逮捕された。障害者が寝入っていて抵抗できない時間を見計らって、深夜1~2時にかけて実行された極めて卑劣かつ悪質な凶悪犯罪である。異常な大量殺人の動機について『障害者なんかいなくなればいいと思った』と語り、事件を起こす前にも繰り返し施設の職員や友人に『重度の重複障害者は殺すべきだ・いなくなったほうが社会のためになる・(大事件を起こして)歴史に名前を残す・(友人に)一緒にやらないか』といったヘイトクライム(テロ的な障害者の殺人)を今にも実行するかのような発言を興奮して捲し立て、その目つきも異常だったという。

容疑者についてさまざまな情報が上がってきているが、本人が『仕事をやめさせられた・障害者に怨みがあった』と語っていたものの、実際には福祉施設の職員としての適性から大幅に逸脱した利用者に対する差別的発言(仕事そのものの意味を否定するような発言)を繰り返し、常識はずれの殺害予告とも受け取れる暴言を吐き続けたことで、自主退職せざるを得なくなったようである。容疑者はこの事件を起こす前に、自民党の大島理森衆院議長に向けて『障害者の大量虐殺の予告・障害者の安楽死制度の実現の希望』などを日本国や世界(全人類)の平和のために必要だとする趣旨の手紙を無理やりに送りつけていたが(土下座して座り込んだため職員が仕方なく受け取ったと報じられていた)、この手紙に書かれている内容は、歪んだ障害者否定の思想であると同時に、勝手に“みんな・世界のためになる”と決めつけて殺人を正当化する『妄想的な正義感』である。

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この殺人予告にも等しい大島衆院議長宛ての手紙が契機となって、地元の警察機関に警戒すべきとの連絡がいき、警察が容疑者と面会した際の言動に正常とは思いにくい点(障害者の殺人を堂々と肯定して実行する意思を滲ませる等)があったので、今年2月にいったんは精神科に『措置入院』させる緊急的措置が取られたとされている。この際に、『大麻の陽性反応』が出ているが、容疑者は『大麻解禁論者』であったとも言われており、日常的に意識状態が変性して被害妄想や感覚の異常などが生じやすくなる大麻を吸引していた可能性もある。措置入院されたものの、植松容疑者の『障害者嫌悪・排除のヘイトスピーチにも似た暴論や暴言』というのは、本人の歪んだ優生主義的な思想(福祉政策が必要な人間をコストと見なす思想)や人権を否定する世界観の発露であり、精神病を発症したことによる精神症状とは断定できないものだったのだろう。

特定の属性・特徴を持つ人々や集団をひどく嫌って憎悪していて、それを言動として表現していたとしてもそれだけで精神病であると診断することはできないが、施設の障害者に対して『殺す・殴る・傷つける』などの表現があったのであれば脅迫罪に該当してくるのではないだろうか。入院中は障害者差別の過激な言動を敢えて抑制して模範的な患者を演じていた可能性もあるし(容疑者の近隣住民の印象は明るく挨拶してくれて礼儀正しい青年など良いものの方が多い)、それ以外の受け答えが正常であり一般的なコミュニケーションも成り立つのであれば、担当の精神科医も長期間にわたって身柄を病棟内に置き続けることはできなかったのではないかと思われる。

仮に障害者に危害を加えるような言動が続いていたのであれば、それ以外の人格構造・会話内容が普通であっても、もう暫く経過観察しながら『障害者に対する差別的な観念・障害者排除を正義とするような偏った思い込み』をどうにか緩和できなかったのだろうかと残念に思うところはあるが。植松容疑者の成育歴についても触れられていたが、大学時代には小学校教員を志望していて、元々は障害者福祉・介護の世界にはほとんど関心・意欲はなかったようで、知的・身体障害のある特別支援学級の子供たちを受け持つ教育実習を経験した時から既に、『とにかく頭が悪い』といった差別的な発言をSNSで書いていたようである。

教員採用試験の準備不足や学力・能力の不足などもあって、容疑者は教職に就く夢を断念しており、これが人生の挫折体験としての影響を及ぼしているようだが、『不本意な思いで就職した障害者施設の介助の仕事』で『自分が介助・介護・支援の意味を見つけ出すことのできない過酷な重複障害の現場』を体験したことで、非常に歪んだ障害者観や優生主義的な価値観(生命の恣意的な選別思想)を形成してしまったのだろうか。容疑者は、大学進学後に背中に大きな和彫りの刺青を入れたとされているが、常識的に考えて学校の先生になりたいとか、社会的弱者の支援をしたいという人が、就職上の不利になり世間の強い偏見に晒されることが明らかな刺青を入れるというのも理解しがたいことではある。

仕事・目的意識と刺青を入れた時の時系列がどうなっているか定かでない部分もあるので、単純に刺青に何らかの力強さや憧れを感じていただけの可能性もあるが、人生・仕事を甘く見ていたのでなければ、消えない刺青を入れて『自己アイデンティティー』を補強しなければならないほど(目に見える刺青で自己像を強めたり心理的に依存したりしなければならないほど)に不安定で衝動的な精神状態だったことも推測される。

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相模原市の障害者殺害事件2:社会福祉・弱者支援のヒューマニズムの維持と歴史からの学び

容疑者は、この施設に就職する前から殺意(抹殺)の肯定にまで発展するような異常な『障害者排除の価値観・優生思想』を持っていたわけではないと思うが、初めから『社会福祉領域の対人援助職(子供の成長を促進する教職員も)』に対する適性・職業倫理が著しく欠けていたのではないだろうか。自分だけを特別な高い位置づけにおいて、人間一般の生きる価値や人権の必要性を、『自分の好き嫌い・能力や魅力の差』で一方的に決めつけるような短絡的(反知性的)な気質・性格があったのではないかとも思う。そもそも高尚な社会改良や傲慢な優生思想が先にあって、卑劣な深夜襲撃の障害者の大量殺人を計画したのではないだろう。

初めに『個人的な仕事・人生の挫折感』があって不本意な気持ちで福祉の仕事に就いたものの、その職業理念・職業倫理や知的障害者の人権擁護の意義をどうしても理解できず(仕事内容自体が自分に合わず障害の改善的な変化が乏しい介助結果に絶望したりもあり)、『逆に障害者(抵抗できない弱者)の侮辱・虐待・殺害』で上手くいかない自分の現状の憂さ晴らしをするかのような差別的思想に行き着いてしまったように思える。

この事件は、政治家に送りつけようとした手紙の内容などを見ると、国家財政の負担になる障害者を殺害することで国家・世界の利益が増大するという『非人道的な障害者差別(人権否定)の確信犯・思想犯』であるようにも見えるのだが、この手紙には『作戦を実行する対価として5億円を準備せよ・逃亡のために新しい戸籍を作って顔を整形させろ』など、確信犯・思想犯にしてはどうにも潔くないというか目的と要求がずれており(勝手に国家の側が自分にそれだけの報酬を支払ってでも殺人を依頼したいという妄想もあり)、ただ自分の個人的な利益のために悪質な差別思想を流用しているだけなのではないかとの印象を受けた。

ウェブでは事件と加害者に対する強い批判が主流である一方で、『容疑者の呈示した障害者差別思想に対する議論』も行われていて、人の知的欲求の自然な発露として議論したくなるのは仕方ないことだが、『容疑者の障害者を邪魔者扱いする差別的言辞が意図したこと』が部分的に実現してしまった(障害者差別の本音を炙りだして事件に共感できる時代的な要素を見つけ出そうとする人が出た)のは残念なことだろう。その一方で、私たちの大多数が重度の知的障害者との直接的な接触や世話の要請がない『非当事者の立場からの道徳的な意見』にならざるを得ないということ、障害を負いたくないとか深く関わりを持つのが怖い(敢えて友人知人にはならない)とかいった『潜在的な障害者の差別・区別の感情から無縁な人』はそうそういないということの指摘は、自分が面倒を見なくて良い他人事だから理想論を述べやすいという意味では軽々しく扱えないとは思う。

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重度の知的障害者(身体障害を併発する重度の重複障害者)の介助・世話をした経験のある人が、その現実の悲惨さや救いのなさを嘆くような意見もあり、そういった意見が異常に先鋭化してヒューマニズムを喪失した先に『障害者差別・排除の思想』が胚胎しやすいのかもしれない。だが、実際に重度障害者と接する人たちが仮に限界まで疲弊しているのだとしても、だからといって障害者は要らない(社会全体や福祉財源で面倒を見なくてもいい)というような暴論が正当化されるわけではなく、そういった事態に対しては『障害者福祉・施設運営の体制の見直し』や『介助担当者の物理的・心理的な負担(ストレス)の軽減』を積極的に行っていくべきである。

どうしても障害者の介護・介助・支援の仕事に馴染むことができない職員がいて、障害者の姿を見ることが精神的につらくて受け容れられなくなっただとか、仕事内容の意義や価値が見いだせずに障害者を逆恨みで怨んでしまう(悪意を持ってしまう)というのであれば、『職員の職業適性・職業倫理』に職務に堪えられない大きな問題が生じたということであり、本人との話し合いを通してどういった仕事上の処遇(退職転職も含めて)をするか検討していかなければならないのだろう。治癒の見込みがない障害者に介助の労力や福祉のコストがかかるというのは客観的な事実ではあるが、そういった『能力・魅力・実績などを問わず、すべての人間の生命・尊厳をできるだけ尊重する社会(誰かのために誰かを殺さなくても良い社会)』というのは、常識的に考えれば容疑者のいうような無駄が多いみんなが不幸になる社会などではなく、人間らしい良心や感受性を社会全体で負担を分担しながら守っている『先進的・倫理的な文明社会(大義名分があっても人を利害で殺すことを是認しない倫理の最低ラインを固守する社会)』なのだと思う。

アドルフ・ヒトラーのナチスドイツは、『T4作戦』という優生思想に基づく障害者安楽死政策を推進したが、こういった人間の生命の価値に序列をつける思想は『経済社会の斜陽・人の倫理的感受性の貧しさ(他者を一切思いやれないレベルまで大多数の人が追い詰められている状況)の投影』でもある。現代の日本やアメリカなどにおいて『社会全体の負担になる層・生産性のない人々』をコストとして邪魔者扱いするようなヘイトスピーチが氾濫しやすい背景には、『中流階層の没落(大勢の人が生活が苦しく自尊心を保ちづらい)・国家財政の悪化・超高齢化社会の閉塞感』などもあるが、障害者の方々も含めた普遍的な人権の保証は、人類が歴史にきちんと学び人間としてのヒューマニスティックな心を捨てていないことの現れでもある。

こういった歴史からの学びを捨てて、人間を政策的・計画的に殺すようなことがあるとすれば、社会全体が相当に窮乏して人心が荒廃したということの現れであり、先進国であってもはや先進国ではない悲惨な状態になってしまったということでもある。できるだけ多くの人が安心して暮らせる社会(人が人を極端に嫌ったり恨んだり排除しなくても良い社会)を維持するということは、先進国としての最低限度の経済と倫理を守っていくこと、より人間が人間を受け容れて共生できる可能性を高めることにもつながっているはずである。障害者をはじめとする社会的弱者を差別したり虐げたりするような思想(人間の生命価値に序列をつけて排除するような価値観)を持つこと広めようとすることは、自分にとっても他者・社会にとっても望ましくないこと(最終的には大丈夫だと思い込んでいる自分さえもどんな基準で社会に不要な存在として排除されるかもしれない)であるし、『合理的・効率的』であっても人間としての良心や倫理観を酷く傷つけ貶めるような行為や思想、政策をほとんどの現代人は受け付けないし選ばないだろう。

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弁護士の局部切断事件と男女の嫉妬心・独占欲の現れ方1:肉体と精神の裏切りのどちらにより傷つくか

去年8月に起こった猟奇性の強い『局部切断事件』は、元プロボクサーで慶応大のロースクールの大学院生だった被告男性(25)が、妻に肉体関係を強要したと激高して、妻の上司である国際弁護士(42)を複数回殴りつけて気絶させ、枝切りばさみで局部を切断してトイレに流したというものである。男性器を切断されて再生困難な形で失った被害の大きさを考えると、傷害罪・銃刀法違反の容疑による量刑判断は軽いようにも感じるが、暴行の挙句に局部を切断されるという事態は刑法もあまり想定していないように思える。男性の局部切断事件の前例は、1936年(昭和11年)に起こった有名な『阿部定事件』がある。

しかし戦前のかなり古い事件であり、加害者が寄る辺のない女性であるという点、痴情のもつれの絡んだ殺人事件(被害者男性に強い好意を持っていて切断した局部を所持していた)である点が異なる。阿部定という芸妓・娼婦だった女性が、愛人の石田吉蔵の『窒息プレイ・自殺願望』にひきずられる形で、愛憎(独占欲・浮気の不安)を募らせて腰紐で絞殺した後、局部を切断して所持していた事件である。弁護士の局部切断事件の加害者は25歳の大学院生(元プロボクサー)の男であり、被害者である国際弁護士に対して妻を寝取られたという『憎悪・嫉妬』はあっても、阿部定のような被害者への『好意に基づく執着』はない。だから、阿部定事件のように切断した後の局部を所持することなどはせず、むしろ自分を嫉妬や憎悪で苦しめる原因を作った『忌まわしいモノ(自分の苦悩と間男の快楽を生んだファルスの象徴物)』としてトイレに流されてしまった。

男性は女性と比べると一般的に『肉体的な浮気(配偶者・恋人の性的な裏切り)』に強いジェラシー(嫉妬)を感じやすく、そのジェラシーは時に激しい怒りや攻撃衝動、DV(ドメスティックバイオレンス)、モラハラの原因にもなる。一方、女性は男性よりも『精神的な浮気(配偶者・恋人の気持ちや愛着の裏切り)』に強いジェラシー(嫉妬)を感じやすいが、そのジェラシーは男性のように怒ったり暴れたりするよりも、相手との信頼関係を解消した離別(離婚)に向かいやすくなる。この肉体と精神の裏切りに対する反応の男女の性差は、進化論的な説明ではオスは自分の子であるという確証を持ちにくいから、他のオスとの性的接触を極度に嫌ってメスの性を独占しようとするとされる。メスは自分の子宮を使って子を産むので、自分の子であることは常に確実であり、性的な一時の裏切りよりもむしろ精神的な裏切り(本気で別のメスを好きになって愛着を形成する)によって『家族を守って子育てに協力してくれる献身的なオス』がいなくなってしまうことを恐れるのだとされる。

性的な不貞行為があった場合、男性は一般に浮気相手の男よりも自分のパートナー(配偶者・恋人)の方を『体を許した裏切り者』として責める傾向があり、浮気相手の男の所に直接殴り込みをかけにいくような嫉妬・怒りの表現の仕方は珍しい。逆に、女性は自分のパートナーを責めるより、(事実がどうであれ)パートナーを誘惑してきた『泥棒猫のようなずるい女』と決め付ける形で、浮気相手の女に激しい怒りや非難をぶつけることが多い傾向がある。こういった浮気・不倫に対する男女の怒り方の違いは、男性は他の男との間で『性的な魅力』を直接的に競い合うことをできるだけ避けたいという自我防衛機制が働きやすく、『自分以外の男と関係を持ったという現実』に十分に打ちのめされているので、そこから別の男と向き合って激しくやり合えない人が多いというのもある。

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自分に男としての性的魅力がないからパートナーが別の男に体を許したというストーリーが再確認されるような事態は、立ち直れないほどの最大のショックになりかねないため、浮気相手の男は交えずに、『結婚(恋愛)の約束や義務を破った裏切り者・不貞行為をした慎みのない女性』としてパートナーを精神的・身体的に痛めつけるような報復行為に出やすい。もし三者で踏み込んだコミュニケーションをして、パートナーと相手の浮気男が結託して自分の甲斐性・魅力のなさを責めるようなやり取りにでもなれば、法律的・道義的な正しさがいくら自分にあっても精神的な荒廃・苦悩は遥かに強まってしまう。女性の場合は『肉体的な浮気』よりも『精神的な浮気』を重視しやすいので、何度か肉体関係があったとしても、その事実だけによって男性ほど精神的に打ちのめされることは少ない(風俗を容認するような配偶者も中にはいる)。パートナーが最終的に自分を選ぶ(浮気相手のほうを切り捨てる)という確信があれば、相手の浮気女を目の前に引きずり出してパートナーに『あなたとの交際は本気ではなかった』と別れを切り出させ、『本妻・本命である自分との立場の差異(あなたはその時だけの遊び相手に過ぎないから勘違いしないように)』を思い知らせることで溜飲を下げたいという人が少なからずいる。

弁護士の局部切断事件と妻の心理状態に関する記事2:男女の性愛・愛着における怒りと傷つきやすさ

弁護士の局部切断では、妻が合意の上で浮気をしたことがバレたというのではなく、勤務先の上司である国際弁護士から言い寄られて肉体関係を強要されていると夫である被告に伝えたので、被告の男は妻(パートナー)を責めるのではなく弁護士(妻にセクハラや性行為を強要していると決めつけた浮気男)に怒り・攻撃を向けたのだと解釈することはできる。被告とその妻との夫婦関係の詳細については分からないが、今回の記事を書くきっかけになったのは偶然目に入った以下の『妻のインタビューの内容+妻の心理状態についての推測記事』であった。

局部切断事件 いかに被告の妻は冷めていたか…その発言

この事件発生後のニュース報道では、妻も夫である被告が弁護士の局部を切断した現場に居合わせたとされていたが、その時にも妻が二人の男の間に入って制止しようとしたとか興奮してパニックになったとかいうような記載はなかった。妻と被害者の弁護士との間に、実際に肉体関係があったのか否かの事実関係もはっきりしていないように思うが、妻はどういった意図や目的で『上司の弁護士から肉体関係を強要されている(あるいは強要された)』と夫に伝えたのだろうか。夫にそういったセクハラや性行為の強要をどうにかやめさせて欲しい(話し合いで解決を図って欲しい)という思いから伝えたのか、激高するであろうボクシング経験もある夫に弁護士を少し小突く程度に懲らしめてほしい(暴力的に痛めつけても構わない)という思いもあったのか。

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記事では、事件後の妻の感情鈍麻や言語表現の乏しさが取り上げられ、精神科医の片田珠美さんが、この緊迫した状況に見合うだけの感情・言語の表出に乏しい妻は『アレキシサイミア(失感情言語症)』だったのではないかと推論を展開している。アレキシサイミアは心身症のリスクファクターとして語られることの多い精神症状・性格傾向であり、自分の喜怒哀楽の感情や精神的ストレスを感じにくくそれを表現しにくい状態(感情にまつわる想像力・感受性も欠如した状態)である。感情や気分を言語を用いて他者に適切に伝えることがほとんどできない状態であり、無自覚に受けている精神的ストレスによって様々な心身症や精神疾患のリスクを高めてしまうのである。アレキシサイミアを形成する要因となる基本的価値観には以下のようなものがある。アレキシサイミアというのは簡単にいえば、『精神内界への興味関心が低下して、現実世界への過剰適応(自我の過剰防衛)に陥っている状態』なのである。

1.心理的脆弱性の否定……幼少期から『つらいことに負けない強い人間になれ・ネガティブな感情を出してはいけない』という親のしつけ・教育を受けて育ち、自分は精神的ストレスやマイナスの感情などを感じる弱い人間ではないという強固な信念を持つようになった。『心の弱い人間は社会・競争から脱落して、人からも見捨てられる』というような強迫観念に似た脆弱性の嫌悪が見られたり、苦しい時に感情・言葉で表現しても誰も助けてはくれないという思いが染み付いていたりする。

2.過剰適応と他者配慮……現実社会や人間関係に無理に過剰適応していて、外部から見ると順調な楽しい人生を送っている人にも見える。本人も気付かないうちに、他人に過度の気配り・遠慮をしたり、会社・学校などの外部環境に自己犠牲的に適応し過ぎてしまう。結果として、自分の気持ちや欲求を抑圧する生活習慣がつき、自己犠牲によって社会や他人に何とか適応しようとしている。

3.過度の外向性と社会的な成功欲求……自分の感情・気分といった個人領域(内向的な目標)よりも、仕事の成功や社会的地位の獲得といった公的領域(外向的な目標)のほうが重要であるという確固とした信念があり、自分の感情・気分に振り回されて仕事の効率が落ちることを異常に恐れる。社会的成功のために、自分の感情や気持ちなどは犠牲にしても良いと無意識で考えている。

4.精神病理としての感情鈍麻……統合失調症の陰性症状や統合失調質パーソナリティー障害、解離性障害に見られる症状として感情鈍麻、感情の平板化、無為がある。他者への関心や外部世界での欲求が著しく乏しくなり、人間関係を避け自閉的な生活を送るようになり、感情表現も乏しくなる。アレキシサイミアの本体として精神医学的な鑑別が行われることもある。

夫の弁護士(上司)に対する暴行の一部始終を目撃していたとされる妻だが、供述では『テレビでも見ているような感じで、現実感がなかった』と語っているそうなので、アレキシサイミアの心理状態と類似のリアリティー感覚(自分が自分であるという自己感覚・外部の実在感)を喪失する解離性障害(離人症性障害)を起こしていた可能性もあるだろう。妻の被告との夫婦関係の捉え方も独特なもので、夫のことが好きだったからプロポーズを受けたという一般的なものではなく、「当時、猫の里親になりたかったが『結婚しないと里親になれないので猫をもらえない』と、言われた。考えが甘かったとは思うが、どうせ結婚なんて紙ペラ1枚のことだし、もういいやと思った」と半ば投げやりな気持ちで結婚することを決めたようである。

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自分がどのような家庭を作っていきたいかという主体性や自分はどんな夫婦になりたいのかという自意識を半ば放棄したかのような結婚であり、そこにもアダルトチルドレンの成育歴(家族との折り合いが悪くて家族への反発として結婚したなどの話もある)などを背景にした離人症的なリアリティー感覚の喪失が伺われる。妻は『一年暮らしてみて気持ちの整理がついて、猫と同じように夫もペットと思えば腹が立たないようになってきた』とも語っている。夫である被告が浮気相手(肉体関係を妻に強要したとされる相手)の局部を切断するという猟奇的な凶行に駆り立てられた背景の一つとして『ロースクールの学生である自分の、国際弁護士である相手に対する劣等コンプレックス』や『妻との夫婦関係の特殊性・寂しさ(情緒的交流の乏しさ・一人の男や人間として愛情を寄せてもらえない空虚感)』も影響しているのではないかと考えさせられた。

妻は被告と結婚する以前から、実家の親子関係や家庭環境の悪影響の積み重ねによって、アレキシサイミアの症状や解離性障害(離人症性障害)のリアリティー感覚の低下を呈していた可能性もあると思う。妻の結婚の動機づけが夫が異性・人間として好きかどうかという本質的なことと関係していないこと(猫の里親になりたい・実家を早く出たい・両親に同意を得ない結婚で当てつけをしたい等)で、心のつながりや信頼できる安心感を感じづらい夫の『嫉妬心・性的な独占欲』が悪循環的に高まっていた恐れも考えられる。ペンシルベニア州立大学心理学科のケネス・レヴィ(Kenneth Levy)クリステン・ケリー(Kristen Kelly)が、二人が過度に自立していて(相手を特別に必要としていなくて依存がなくて)『夫婦関係における愛着・信頼』が不足しているほど『肉体的な浮気に対する動揺・怒り』が強くなるという仮説を検証している。この事件における夫婦関係も夫側が特に、『肉体的な浮気に対する過敏性(配偶者に対する性的な独占欲・執着の過剰)』を生じやすい愛着・信頼に欠けている状態にあったと言えるだろう。

心が手に入らないあるいは心に関心がない人ほど、『相手の肉体・性愛に対する執着心とジェラシー』が強まることになる。

男性は体の浮気に、女性は心の浮気によりジェラシーを感じる理由

ケネス・レヴィとクリステン・ケリーは、パートナーに強い愛着・信頼を持つことによって依存的な安心感を得るタイプの人ほど『精神的な浮気に対する動揺・怒り』を抱きやすく、愛着・信頼でつながった関係に否定的で過度にお互いの自立・距離にこだわる人ほど『肉体的な浮気に対する動揺・怒り』を感じやすいという分かりやすい類型化を行っている。異性関係におけるジェラシー(嫉妬心)・独占欲には男女の性差があるとも言われるが、女性は異性関係で『愛着・信頼・情緒』を重視する人が多いので『精神的な浮気』に傷つきやすく、男性は異性関係で『自立・役割分担・性愛』を重視する人が多いので女性よりも『肉体的な浮気』に傷つきやすい傾向があるのだとしている。

元記事の執筆日:2016/07

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