岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』の書評1:異質な他者への拒絶・嫌悪,他者に対する嫌悪・拒絶を生む人間アレルギーと他者の悪意を推測してしまう認知の歪み:1

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岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』の書評2:過剰な異物認識


他者に対する嫌悪・拒絶を生む人間アレルギーと他者の悪意を推測してしまう認知の歪み:1


他者に対する嫌悪・拒絶を生む人間アレルギーと愛情・嫌悪の両価的な愛着障害:2


“相手の変化に気づくこと(相手への興味関心)”によって得られる親密さ・安心感・ふれあい


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岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』の書評1:異質な他者への拒絶・嫌悪

人間には“自己”と“異物”を区別して異物を攻撃・排除する『免疫応答反応』が備わっていて、この免疫によって細菌・ウイルスの感染症から自分の身を守っているが、免疫反応が不適切にアレルゲン(原因物質)に過剰反応してしまうと『アレルギー』が起こってしまう。本書『人間アレルギー』ではこの身体的なアレルギー反応が、『心理的な拒絶反応・対人関係の好き嫌い』でも起こることを説明しており、人がなぜいったん嫌悪感や拒絶感を感じた相手をなかなか受け容れられなくなるのかについて説得力のある論考を展開している。

人間関係あるいは異性関係において『生理的に受け容れられない・どうしても受け付けない・まったく合わない・側にいるだけで不快』と感じる人は誰にでも多かれ少なかれいるものだろう。万人受けする笑顔がさわやかで柔らかい物腰の人でも、人間関係の距離が近づけば近づくほど『合わない(これ以上は受け容れられない)と感じる相手への拒絶反応』は強まるはずで、誰とでも仲良くできるといっても『距離感・親近感における相性』がまったくないという人はいないはずだ。こういった人間関係における感覚的な好き嫌いは、一般的に理屈だけでは説明できない『本能・生理の部分』での拒絶感として語られることが多いのだが、実際には少し前まで『親密さ・愛情・好ましさ』を感じていた元配偶者(元恋人)や元親友に対してさえも、『人間アレルギー』とでもいうべき反射的な拒絶感に襲われて関係を修復できずにそのまま絶縁状態に陥ってしまうケースもある。

いったんは受け容れて深い交際交流や共同生活、性関係を持った相手であっても人間アレルギーは生じることから、『生理的・本能的に無理な相手』にだけ反射的に拒絶感が生じているわけでもないのである。アドラー心理学では『人生の悩みは人間関係(承認欲求)の悩みである』と喝破しているが、現代社会における人間の生きづらさのかなりの割合が『人間アレルギー(他者を受け入れられなくなり拒絶感・嫌悪感・怒り・攻撃・不信・軽蔑)』に基づいているとも言え、本書を読むことによって人間アレルギー克服のヒントを得ることは生きづらさの軽減にもつながるはずである。親しく付き合っていた仲の良いはずの恋人・友人であっても、いったん違和感・不快感を感じ始めると、それがアレルギー反応のようにネガティブな感情を肥大させる過剰反応を引き起こし、『拒絶感・嫌悪感・攻撃性』によって人間関係を破滅的に傷つけてしまう。

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人間アレルギーでは『拒絶する必要のない人までも拒絶してしまうこと』『他者の言動に対する認知(受け止め方)の偏り・歪みが強いこと』が問題をこじらせて生きづらさを増す要因になっている。人間アレルギーを起こしやすい人は、他者とコミュニケーションをする時に『自分と合う部分・共通性や親近感』よりも『自分と合わない部分・差異性や違和感』を感じやすい特徴があり、人間関係を『白黒思考(全か無かの二分法思考)』で切り捨ててしまいやすい。

他者と相互的にコミュニケーションをして自分の側で一方的(被害妄想的)に相手の感情や考え方を決めつけてしまわないことも大切なのだが、傷つきやすい人は『自己防衛的・自己執着的』になりやすいので、少しでも『自分と合わない部分・差異性や執着』を感じ取ってしまうと、その人との間に壁を作ってしまって完全拒絶(対話拒絶)のポジションを取りやすいのである。人間関係や他者の反応に過敏で傷つきやすい人が人間アレルギーを起こしやすいが、傷つきやすさを持つ一方で他者に弱みを見せないプライド(自己防衛)の強さが同居していることもある。人間関係における自分のネガティブな認知と感情が『自罰的・回避的(ひきこもり的)な反応』になるか『他罰的・攻撃的(トラブルメイカー的)な反応』になるかによっても対応の仕方は変わってくるだろう。

本書では、他者に対する緊張・不安が異常に強まる社会不安障害(対人恐怖症)だけでなく、うつ病や気分変調性障害、適応障害、強迫性障害、身体醜形恐怖障害(醜形恐怖のコンプレックス)、パーソナリティー障害(統合失調質・回避性・妄想性・境界性・自己愛性のパーソナリティー障害)などの背後にも『人間アレルギー』が基本的原因として関与しているケースが多いとして、岡田尊司氏の『愛着障害の問題意識』とも絡めて説明されている。

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岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』の書評2:過剰な異物認識

人間アレルギーの根本原因として、『愛されず虐げられてきた過去のトラウマ(不信・怒り・憎悪の鬱積と再現)』『愛着障害による他者との距離感の混乱』を上げている。幼少期から現在に至るまで他者からの愛情・優しさ・保護を受けた感情記憶が殆どない場合(あるいは親も含めた他者から攻撃・拒絶・否定・侮辱を受けた記憶が多い場合)には、他者全般を基本的に『近づくべきではない危険な存在』とする認知の偏りや歪みが生じやすくなるというのは説得力のある論理展開だ。人間アレルギーは『他者不信(猜疑心)』『自己不確実感(自己肯定感の欠如)』によって悪化しやすいが、幼少期の親子関係における『愛着形成の問題・障害』を抱えている場合には、その場限りの対症療法だけでは十分な効果を期待しづらい。精神分析のネガティブな感情についての転移分析、あるいは子供時代の記憶・感情をイメージで再現して段階的に受容し直していく(子供時代の傷つきを改めて癒して自己肯定を取り戻す)ようなトラウマセラピーのような対応が求められるだろう。

本書では愛着障害が人間アレルギーの原因として重点的に説明されているが、発達早期の親子関係における愛着形成に問題が生じると、親密な人間関係を求めず孤独なライフスタイルを求めやすい『回避型』、親密な人間関係を過剰に求めすぎて期待しすぎて接近と別離を繰り返す『不安型』、他者に対する依存心(接近欲求)と拒絶感(嫌悪感)が内面に同時に存在する『アンビバレンツ型(両価型)』などの各種のタイプに応じた人間関係の不適応性が現れやすくなってしまう。ジークムント・フロイトの生の本能(エロス)と死の本能(タナトス)のせめぎ合い、エディプスコンプレックスによる父親との関係性のねじれ(恐怖・不安・緊張の強まり)なども取り上げられている。イギリスの精神科医アイアン・D・サティ『(早期母子関係の問題を前提とする)挫折した愛としての憎しみ』というコンセプトは直感的かつ合理的な憎悪感情の起源として腑に落ちるものである。

対象関係論の女性精神分析家メラニー・クラインの『妄想-分裂ポジション』と『抑うつポジション』の早期発達理論は有名だが、生後間もない乳児にとっての部分対象である『悪い乳房(母乳・安心をすぐに与えてくれない時の母親)』に対する怒り・破壊衝動が、その後の対人関係におけるネガティブな感情の起源になっている可能性についても触れている。思い通りにならない部分対象である悪い乳房は、攻撃・排除の対象になる『異物』の表象であり、人間アレルギーのメカニズムとも重なっているものである。人間アレルギーが強い人は発達早期の母子関係の絡む発達課題で躓いているケースが多く、『自他の境界線が曖昧・自己中心的・思い通りにならない相手を憎み攻撃する・思い通りにならない相手を拒絶してひきこもる』などの問題を成長後の長期間にわたって引きずりやすいのである。精神発達プロセスにおいて『共感性・内省力・自他の境界・対話力(コミュニケーションの双方向性)』といった人格特性や精神機能を上手く獲得できるかどうかが人間アレルギーの症状の強弱にも影響を与えているのだろう。

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なぜ人間アレルギーが現代社会で増加しているのかについて、著者は『雑菌のいない清潔すぎる環境』がアレルギー疾患を増加させるように、『人と人のふれあい(対人ストレス)の乏しい快適に制御されすぎた文明社会の環境』が人間アレルギーを増加させるのではないかという仮説を提示している。確かに快適かつ清潔で豊かな現代社会において、大きなストレスとなり精神疾患を誘発しやすい最大の原因(現実原則で思い通りにはならないもの)は『お金・仕事』『人間関係・愛情や承認』なのだろう。

仕事が楽しくてやり甲斐を感じるほどに適度なストレスがあり、お金も十分にあってやりたいことができて、人間関係に恵まれていて(幼少期の親子関係が良好で任意の好きな人から好かれて認められ・困っていればすぐに駆けつけてサポートしてくれ)愛情・承認・共感・共同性が思い通りに得られている状況であれば、現実には有り得ない仮定に過ぎないが、大多数の人は(遺伝要因の強いものを除いて)深刻な精神疾患にはほとんどならないだろうし、精神疾患を発症していても回復する見込みがかなり高くなるだろう。利便性の高まった現代社会では、つらいことや嫌なことを我慢して何かを手に入れたり、思い通りにならない他人と要求を調整しながら折り合いをつけていくことが苦手な人が増えており、『少しでも合わないと感じた相手』を白黒思考(二分法思考)で嫌悪・拒絶してしまって、もう二度と関わらないように(ウェブなら着信拒否・ブロック)してしまいやすい。

その結果、若者世代を中心にして外見・文化・趣味などの無意識的なカテゴライズが激しくなり、『自分と類似したタイプや価値観の相手』としか友達になりたくないし恋人にもなれない(似た者同士のコミュニティが一番良い・異質さが少しでもある人は仲間には入れない)という人が増えているようにも感じる。『異物(生理的に合わない・少し嫌な思いをしたから合わない)』とみなす他者がどんどん増えていって、最終的に人間全般に対するアレルギー反応が過剰になり、『孤独感・孤立感』に苛まれてしまうことにもなりやすい。だが総じて、自己愛・選り好み(要求水準)の強い現代人は『何かを我慢してまでその相手と付き合い続けること(違和感や不快感、合わない感じのある相手とストレスに耐えてまで付き合うこと)』に、仕事上・利害関係のつながりがなければ意味を見出しにくくなっているので(関係調整の努力などはせずに)すぐに拒絶して離れてしまいやすいのである。

人間関係の距離が縮まるにつれて人間アレルギーの反応は激しくなり、いじめ・ハラスメント・虐待・DV・ストーカー・喧嘩(暴力沙汰)などの対人トラブルや犯罪的行為も起こりやすくなるので、単純に『どうしても合わないと感じるイライラする相手と無理に近しい距離に居続けること』が良いわけでもないのだろう(そういった好き嫌いの激しい対人認知を改められるなら改めていくべきだが)。人間アレルギーが増加して『自分と合う人とだけ付き合えば良い・一人で行動するのが気楽で良い』が当たり前のようになってしまうと、現在の社会問題として認識されやすい未婚化・少子化・若者の恋愛低迷・離婚増加はますます進行してしまう結果にもなるだろう。

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本書では、人間アレルギーの抑制法として『過剰な異物認識を変えること(異物の分解と受容・無害化)』を細かなプロセスに分けて説明してくれているのだが、そのためには『自分の思考・感情・気分の内容や過去に傷ついたり悔しかったりした思い出について語る行為』を共感的に受け止めてくれる他者の存在が必要になってくる。一方で、人間関係が上手くいかずに生きづらさを抱える人間アレルギーを治療するために、『受容的・支持的な好ましい人間関係』が先に必要になってしまうという難しさもある。『思い通りにならない他者(自分に不快・苦痛な刺激を与えてくる他者)のストレス+対人ストレスやトラウマを起点とする嫌悪感・拒絶感を感じる他者の範囲拡大』を人間アレルギーの本質と考えると、『広義の人間アレルギー』は大勢の現代人に共通する深刻で悩ましい問題(QOL・人生の意味づけを大きく低下させる問題)なのだと改めて考えさせられる。

最近、シンギュラリティーの概念で話題になる『AI(人工知能)・ロボット』の技術革新にしても、人間の思い通りに反応してくれてあたかも人間のような会話ができるAI・ロボットは、広義の人間アレルギー・対人ストレスの苦痛を緩和してくれると同時に、ますます生身の人と人とのふれあいの機会を減らすことで、『思い通りにならないAIではない人に対する苦手意識(嫌悪・拒絶・排除)』を助長する危険性も孕んでいるのだろう。

他者に対する嫌悪・拒絶を生む人間アレルギーと他者の悪意を推測してしまう認知の歪み:1

人間アレルギーでは些細なやり取りがきっかけとなって、『異質性・違和感を感じた他者』に対する嫌悪感・拒絶感が強まり、その相手との人間関係(コミュニケーション)を維持できなくなってしまう。人間アレルギーを持つ人は、他者の言葉・表情・態度から『自分に対する悪意・敵意・軽視・冷たさ』を過敏に読み取り過ぎる傾向があって、時にそれは『実際の相手の意図(悪意のなさ)』を無視するような被害妄想の色合いを帯びてしまう。アメリカの心理学者アルバート・メラビアンは、その比率には疑義もあるがメラビアンの法則で『非言語的コミュニケーション(外見・表情・ジェスチャー・態度・声の大きさ・話す速さや抑揚)』の影響力の大きさを指摘した。

人間アレルギーの人は、相手が視線を逸らしたとか、面白くなさそうな無表情であるとか、声がちょっと小さいとか、態度が冷たくて近寄りがたいとかいった『非言語的コミュニケーションに対するネガティブな拡大解釈・神経過敏性』が見られることが多い。相手が本心で自分のことをどう思っているかを十分に確認できないまま、相手の表情・外見・声の調子・雰囲気などから『自分が軽視されて拒絶されているように感じた』という推測や印象に引きずられて、その相手とは二度と関わらないようにしよう(あまり話をしないようにしよう)と決め込んでしまいやすいのである。

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人間アレルギーの背景にある認知の歪みとして、『客観的事実(相手の本心・本音)』『主観的推測・印象(自分がその時にどう感じたのか)』の混同を上げることができるが、人間関係で傷つくことを恐れやすい現代人は一般的に『第一印象によるネガティブな決めつけ・一度不快な思いをさせられた事による苦手意識』に行動や感情反応を引きずられやすいのである。人間アレルギーをはじめとする人間の不適応な行動や心理的な苦しみの多くには、過去のトラウマや他者不信の愛情剥奪からも影響を受けている『認知の歪み(客観的事実をそのまま認識することができない物事の見方の歪み)』が関係している。

簡単に言えば、本当はその人が自分に対する『悪意・嫌悪・攻撃性』を持っていなくても、わずかな表情・態度・声の調子の変化から『自分に対する嫌悪・拒絶の意図』を妄想的に読み取ってしまい、自分側の防衛機制が逆に強まって相手を嫌って拒絶してしまうということなのである。初めは自分のことをそれほど嫌ってはいなかった相手でも、自分側が冷たく接したり避けたりするようになれば、相手にも嫌悪感・拒絶感が芽生えて自分に近寄らなくなってしまう。ネガティブな嫌悪・拒絶の原因となる認知の歪みとして『主観的推測・印象』『恣意的な関連づけ・決めつけ』があるわけだが、特定の相手に対して人間アレルギーのような感情反応や苦手意識が出てきたばかりであれば、まずは『客観的事実の部分』『主観的推測の部分』を区別して書き出してみることで、自分だけの思い込みに気づくきっかけになることがある。

人間関係で起こった出来事については、できるだけ具体的に実際の出来事や相手とのやり取りに沿って書き出してみて、その後で『主観的推測(自分がどう感じたか)』と『客観的事実(話し合ってみて実際の相手の気持ちはどうだったか)』を比べることで納得しやすくなり、ネガティブな感情も解消しやすくなるのである。

出来事……自分が仕事から疲れて帰ってきた時に、妻がおかえりなさいの挨拶もなくご飯も準備していなかった。 子供が自分の部屋にひきこもってスマホを触っていることが増え、自分とあまり会話してくれなくなった。 夜に電話をかけた時に彼女が出てくれないことが多い。

主観的推測……妻は自分に関心や愛情がなくなっているのではないか。 子供は学校生活が上手くいかず心を閉ざしてひきこもりがちになっているのではないか。 彼女に他に好きな相手ができてしまって気持ちが離れているのではないか。

客観的事実……妻に対する労わりの態度や家事・育児の分担の姿勢が足りずに不機嫌になっていた、その日は子供の行事で疲れていて料理ができなかった。 子供も受験勉強で疲れていて気晴らしでスマホのゲームをしたり友達と試験について情報交換をしたりしていた。 彼女も仕事が忙しい時期にかかっていて余裕がなく、帰ってから夜遅くまで起きていられない。

『主観的推測・印象』によっていったんは相手に対するネガティブな感情が生まれたとしても、その感情が嫌悪感・拒絶感にまで悪化する前に、『客観的事実』を知りそれを前提にして『相手に対する思い込みの認知』を修正できれば良いのである。嫌悪感・拒絶感を反射的に感じてしまうようになった相手であっても、『その相手がどうしてそんな不快で拒絶的な言動をするのだろうか?』という相手の本音に対する共感的な想像力(そうならざるを得なかった事情・背景を理解しようとする想像力)を働かせられる人ほど、人間アレルギーの拒絶感・嫌悪感は強まりにくい傾向がある。

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他者に対する嫌悪・拒絶を生む人間アレルギーと愛情・嫌悪の両価的な愛着障害:2

人間アレルギーに対する即効性の対処法は『拒絶反応を感じる相手から距離を取ること・物理的にも心理的にも離れること』であるが、苦手意識や拒絶感を感じた相手のすべてを遠ざけているばかりでは、仕事関係や社会生活が上手くいかないことも多い。だから岡田尊司氏は著書『人間アレルギー』の中で、人間アレルギーを悪化させないための対応策というか心理的能力として『共感性』『自己省察力』を上げている。同じ人間アレルギーであっても、『ネガティブな過剰反応(自意識過剰)・傷つきやすさを強める神経過敏』に基づくものもあれば、『人生やライフスタイルの本質的な価値観・信念』に反する相手への拒絶感もある。

しかし、よほど自分の人生観やアイデンティティーに徹底的に反する受け容れられない相手でない限りは、相手を切り捨てて完全に遠ざけて終わりにするのではなく、『共感性・自己省察力の向上』によって改善すべき人間関係(改善したほうが仕事や人生が豊かになっていくケース)のほうが多いだろう。共感性とは相手の立場に立ってその感情・言動を汲み取って上げる能力であり、自己省察力とは相手から指摘・批判などをされて不快に思った場合でも自分自身の言動・態度を省みて、改めるべき点があれば素直に改めようとすることができる能力である。

共感性が高ければ『相手の立場・感情・行動』について適切な想像力を働かせることで、相手がそのような不快で攻撃的な行動をしなければならなかった理由に対して自分なりに納得できるので、『相手に対する怒り・拒絶のレベル』が人間アレルギーのレベルにまでは高まりにくい。自己省察力が高ければ『自分の言動や人間関係の問題点や短所』について自覚して修正しやすくなるので、他人から嫌なことを言われたり自分を否定するような批判をされたりしても、ただ傷ついたり相手を嫌ったりするだけではなくて、『自分にもどこか悪い点があったのではないだろうか?欠点や短所を改めたらもっと良い人間関係が築けるのではないだろうか?』という方向で建設的な思考を働かせやすくなるのである。

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人間アレルギーが改善していく心理メカニズムの根本には、『自分自身で客観的事実と相手の感情・立場を共感的に理解していくことで納得する方法』『相手からの指摘・批判・否定についていったん素直に受け止めてみて自己省察して問題点を改めていく方法』とがあるわけだが、支持的な他者からの働きかけや安心できる環境調整によっても改善することは多い。人間アレルギーを起こしやすい人の認知の歪みや性格傾向について書いてきたが、こういった人も『人間が本心から嫌い・苦手で憎いから拒絶している』のではなくて、逆説的だが『人間から無条件の愛情・承認・優しさを注がれたい(良好な母子関係を原型とする心理的な安全基地を取り戻したい)』から、それが不可能だと予測したり傷つけられることを恐れて、人間関係を拒絶してしまう所がある。

愛着障害(アダルトチルドレンの影響)とも関係している心理だが、好意と嫌悪、依存と拒絶が両立しながら内面にあるような『アンビバレンツ(両価的)な拒絶感・嫌悪感』を感じやすくなっているのである。発達早期の幼少期に、一定の愛着(アタッチメント)が形成されて精神的に依存するようになった親から『愛情剥奪・無関心・ネグレクト』などを受けて、愛着対象から裏切られたとか見捨てられたとかいう感情を感じてしまうと、愛情と憎悪の両方を感じる『両価型(アンビバレンツ型)の不安定な愛着』を形成しやすくなってしまう。

両価型の愛着を形成してしまったケースでは、相手からの愛情・関心を強く求めて依存していればこそ、相手からの愛情や関心を失うことを過剰に恐れてしまう。そして、愛情や安心を相手のほうから奪われるくらいであれば、自分から怒り・嫌悪・拒絶を表現して離れたほうがまだ傷つかなくて良いと考えやすくなるのだが、こういった『アンビバレンツな愛着』『反動形成の自我防衛機制(自分の本心とは正反対の行動を取る防衛)』によって人間アレルギーは悪化しやすいのである。両価型の不安定な愛着を根底に持つ人間アレルギーでは、『愛情不足の不満・愛情や安心を失うことの不安』が過剰になっているのだが、裏返せば本人の本心は『相手からもっと大切にされたい・もっと安心できるような優しさや愛情が欲しい』ということなので、その人にとって重要な他者である家族なり恋人なり親友なりが協力的・共感的な態度を取ってくれることに合意してくれるのであれば、その人間アレルギーは改善する可能性がかなり出てくる。

しかし、現代社会で人間アレルギーが増えている背景には『人間関係の希薄化+他者に対する好き嫌いの明確化+愛着障害などの親子関係の問題の増加』があるので、『他者からの無条件の愛情・優しさ・労わり』を安定的に得られる関係や状況を作り上げていくこと自体が、設定された治療環境以外では難しいという問題があるだろう。現代人の『自己愛の肥大・自分にメリットがない他者への無関心化・プライベート意識の強化(プライベシー意識の拡張)』なども、他者との相互的な人間関係に不適応を生じやすい原因になっている。

人間アレルギーを悪化させてしまうと『人間関係全般の不信感・自己嫌悪と自信喪失・人生全体の絶望感(厭世観・他者否定)』にまで至ってしまう恐れもあるので、常にあるわけではない『他者の愛情・優しさ』だけに期待して依存するだけでは覚束無いものがあり、できるだけ早い段階で自分自身でもできる他者の共感的な理解や自己洞察(自分の問題点の意識化・改善)の努力をすることも大切になってくるだろう。

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“相手の変化に気づくこと(相手への興味関心)”によって得られる親密さ・安心感・ふれあい

それなりの関係性がある相手の『髪型・服装・装飾品やメイク・表情・顔色・雰囲気』などの変化に気づいて言葉にしたり肯定的に評価して上げることで、『相手の自分に対する好意・関心・信頼』は高まりやすい。特に恋人・夫婦の関係では、付き合いが長くなるにつれて『相手の変化や外観』に対して鈍感・無関心になりやすいが、敢えて『相手が意識的に変えているところ』に注意を向けたり、『相手の健康や気分の状態の変化』を察して上げることで改めてお互いの愛情・興味を確認し合うことにもつながる。

いつもと違う感じのメイクや髪型、ファッションにしても誰も気づいてくれないのではやはり面白くないし、新しい洋服やスマホ、時計を買ったのに誰もそれについて言及してくれないのも淋しいものである。結果、人は『自分が意識して行っている変化』に対して誰も興味関心を持ってくれていないと思うと、『努力・進歩のない現状維持』に留まりやすくなり、『他者から見られる自分』というものへの意識も弱くなりやすい。長年連れ添っている配偶者や恋人がいると、『自分をかっこよく(綺麗に)見せる必要性』はもうない(相手の好意がある程度まで固定されていて何があってもそう簡単に今の関係はなくならないだろう)と感じて、体型も表情も弛緩してファッションセンスや外観・姿勢などに対する意識も無くなってしまう人は少なくない。

だが、『見られている自分を意識しなくなること』『相手の内面・外観の両面の変化を見ようとする意識がなくなること』にまで進展してしまうと、何も努力しなくても良いリラックスした気楽さを通して、『お互いに対する無関心・無干渉』にまでいってしまう。そうなると、『相手の表情・顔色・態度の変化』といった自分との関係性を示すバロメーターまで目に入らなくなり、少しずつ段階的に相手の気持ちや関心が自分から離れていっていることに気づかずに、ある日突然、相手から距離を置く事や別居・別れを提案されるということにもなりかねないのである。

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『相手の内面・外見・雰囲気・生活・状況』などに対して興味関心を持っていて、相手のそれらの側面の変化に対して気づいて上げて、相手が居心地の良さ(自分が認められている感じ)を感じられる何らかの声掛けをして上げるというのが、『相互的な信頼感・親密感のある人間関係(心と心のふれあい)』の基本なのである。“家族(親子)・夫婦・恋人・親友”などとの親しい間柄の関係であれば、いつもと顔色が違っていたらどこか体調が悪いのではないか、何かトラブルや悩みを抱えているのではないかと心配する、普段と表情・態度が異なっていたら何か機嫌が良くなる(悪くなる)出来事があったのだろうか、お互いの関係に何か変化が起こっているのだろうかと察したりするというのが、相互的な興味関心に根ざした人間関係の特徴になっている。

他愛ない話が何でもできる、どんな話題でも気軽に話しかけられる、つまりは『こんな話をしても大丈夫かな変に思われないかな・自分の話した内容が相手に受け入れてもらえるかな』といった言いづらさがないということも、『親密さ・安心感のある関係』にとって重要なポイントである。気軽に話しかけられない、話す話題を選んでしまう、日常の出来事や共通の知人、ニュースの話題などで雑談を楽しめない、何となくよそよそしかったり話しかけにくい距離感(冷たさ・拒否の感覚)があるというのは、親密さや安心感、楽しさから大きくかけ離れた人間関係である。

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かつては親しい間柄の関係にあったとしても、そうなってしまうと関係の破綻や離別が近づいている兆候になるし、これから親しくなりたいと思っている相手の場合でも、何となく話しかけにくい雰囲気や打ち解けにくいような距離感(相手の対応が乗り気ではなく返事に感情・興味が籠っていないなど)があれば、多くの場合においてそれ以上に親密な付き合いや楽しいコミュニケーションには発展しにくいものである。自分を実際以上の存在であるように見せかける必要がない、相手から利益(メリット)を得られなくてもその相手と一緒にいたいとか話していたいとか思う、何気ない出来事や話題を共有してお互いに興味を持つことができるというのが、人間の心理的エネルギーを補給してくれる『親密さ・安心感・関心のある相互的な人間関係』であり、自分と相手の存在価値が自然に満たされる『心と心のふれあい』にもつながっていく。

そういった心と心のふれあいでは、相手に自分を実際以上に良くみせようという去勢・構えがないので、『ありのままの自己』をお互いに曝け出しやすく、本音で何を言ってもよほどのことでない限りは相手から決定的に軽蔑・拒絶をされないという安心感もある。他者との心と心のふれあいを欠いてしまうと、人は『ありのままの自己』を抑圧して『他者からの賞賛・尊敬・憧れを得られるような自己像』を無理をして提示しようとしたり、そういった承認欲求のための金銭・名誉・権力・地位などを必要以上に求めすぎて疲弊したり、『優越欲求・不遇感(不公平感)の過剰』によって他者との人間関係の構築(他者の良いところを認めていくフラットな付き合い方)ができなくなってしまう弊害も起こってくる。

元記事の執筆日:2016/06

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