前野隆司『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』の書評:人間はどうすれば幸福を感じられるのか?、幸福を感じるための自己実現欲求についての考え方1:自己実現のプロセスと自分にとっての成長感

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幸福を感じるための自己実現欲求についての考え方1:自己実現のプロセスと自分にとっての成長感


幸福を感じるための人間関係・つながりの欲求についての考え方2:存在の相互承認の機会


自己価値や幸せを実感するため『欲求・野心・競争心』とどう向き合うか?:自分に適切な欲求のレベル


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前野隆司『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』の書評:人間はどうすれば幸福を感じられるのか?

現代を生きる人間の目的の中心にあるのが『幸福追求』であり、多くの人が幸福になりたいと願い、不幸になりたくないと不安になっている。主観的な幸福感を実感することだけが、人間の生きる意味や価値なのかというと一義的に定まるものではないと思うが、それでも誰もが『幸福追求のプロセスとその帰結(現状の実感)における迷い・悩み・苦しみ』を背負っているのが現代である。本書『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』は、幸福心理学や質問紙法の心理テストの因子分析を前提にして、人間の主観的幸福感を規定する要因と、できるだけ不幸にならずに幸せになるにはどうすれば良いのかを実践的な方法論を通して書いている本である。

人間の主観的幸福感に影響を与えるものには『外的要因』『内的要因(心的要因)』があるが、“職業・金銭・地位・健康・生活環境”などの外的要因に基づく幸福感は長く持続しないことが多く、また自分自身の行動や努力では思い通りにコントロールできないことが多い。認知理論に基づく認知行動療法では、『自分・物事・他者・状況をどのように認識して解釈するのか=出来事や自他の状態をどういった意味を持つものとして受け止めるのか』という『認知(物事の受け止め方)』をポジティブに変容させることで、気分・感情を改善しようとする。

本書の実践的な幸福学の基本セオリーも、『外的要因』であるお金・権力・モノを豪華にしたり強力にしたりするのではなく、『自分自身にとってその行動・相手・結果がどのような肯定的な意味・価値を持つのか』といった自分の内的要因の向上・充実・価値づけに重点が置かれているのが特徴である。人間の人生のマクロな幸福実感に対して大きな影響力を持っているものとして、『結婚(家族)・健康・信仰』の3つがあると書かれていますが、これらは『上手くいっている結婚(家族)=孤独や空虚の緩和』『病気のない健康=苦痛・不快やできないことの少ない爽快な状態』『生きる目的や価値基準を与えてくれる信仰=人生や人間関係における苦しい葛藤・迷いの解消』と考えれば(無論その三点だけが幸福感を構成する要素ではないですが)納得のできるものだと思われます。

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著者の前野氏は第一章で、自分が幸福になるためには収入や財産、地位がなければならないと間違って思い込んでしまう『フォーカシング・イリュージョン(幻想の幸福に向かおうとする認知的な焦点づけ)』について指摘しています。人間が主観的に不幸になってしまう一つの要因が、本当はそれほど絶対に必要ではない幸福の条件・縛りに自分だけが執拗にこだわってしまうフォーカシング・イリュージョンなのでしょう。主観的幸福感が長続きするか短期間で消えてしまうかの違いとして、経済学者ロバート・フランク『地位財(positional goods)』『非地位財(non-positional goods)』の違いを上げています。

地位財は主観的幸福感の持続時間が短く、非地位財は長いというわけですが、地位財は『周囲との比較により満足を得るもの=所得・地位・財産・モノなど』、非地位財は『他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるもの=健康・自由・自主性・愛情・社会への帰属意識・良質な環境など』とされています。地位財というのは、実際的な経済的利益や社会的地位とつながっているので、『個人の生存適応度・繁殖適応度』を上げてはくれるのですが、『自分自身の主観的な幸福感』を長続きさせるだけの効果は乏しい(初期の幸福感を長続きはさせないが不幸を感じるとも言えないのですが)というわけです。

非地位財というのは、『他人には価値や意味がなくても、自分自身にとっては価値や意味があるもの』と言い換えることもできるでしょうが、自由・健康・愛情などはその典型的なもので、他人にとって自分が自由で健康であるか(誰かに深く愛されてつながっているか)どうかはどうでもいいことかもしれませんが、自分にとっては非常に高い価値や喜びを生み出すものとなっています。自分と他人を殊更に比較しない生き方や楽しみ方が、自分自身を幸せにする一番の近道であるというのは、私たちの日常生活の経験則とも合致する部分があるなと思わせられます。

本書は人間の主観的幸福感を生み出す中核的な因子を、心理テストに基づく統計的解析によって『幸せの四つ葉のクローバー』として4つ上げています。

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第一因子・『やってみよう!』因子=自己実現と成長の因子

コンピテンス

社会の要請

個人的成長

自己実現

第二因子・『ありがとう』因子=つながりと感謝の因子

人を喜ばせる

愛情

感謝

親切

第三因子・『なんとかなる!』因子=前向きと楽観の因子

楽観性

気持ちの切り替え

積極的な他者関係

自己受容

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第四因子・『あなたらしく!』因子=独立とマイペースの因子

社会的比較志向のなさ

制約の知覚のなさ

自己概念の明確傾向

最大効果の追求

主観的幸福感を感じるための各因子の具体的内容とその実践的な応用の仕方は、ぜひ本書を手に取って読んでみてください。この4つの因子はフォーカシング・イリュージョン(幸福追求のプロセスにおける間違った幻想的な焦点づけ)を起こしやすい『一見複雑に見える人間の幸福追求の方法論』を、分かりやすい普遍的な因子として抽出してくれていますが、『どうすれば自分が幸福を感じやすいのかのダイレクトな道しるべ』になってくれるのではないかとも思います。

幸福を感じるための自己実現欲求についての考え方1:自己実現のプロセスと自分にとっての成長感

エイブラハム・マズローの欲求階層説で最上位に置かれている『自己実現の欲求』は、現代の日常的な言葉に直せば自分の潜在的な能力・可能性を発揮して、『なりたい自分になる』ということである。具体的には、『自分の才覚や能力を成長させ、やりたいことを仕事にして、社会や他者にも貢献する』ということになる。自分と他者を区別する近代的自我を持つ個人にとって、自分の望んだような自己像および仕事状況を形成して社会(他者)の役にも立つという『自己実現欲求の達成』は、確かに主観的幸福や理想的な人生とのつながりが強いものである。

なりたい自分になるとか、好きなことを仕事にするとか、自分の可能性を開花させて実現させるとかいった『自己実現の結果』のみに着目すれば、現代人の多くは自分の自己像や現実を悲観的に捉えやすくなる。だが、『自己実現に向かおうとするプロセスと人間関係』に意識を向けることで、主観的幸福ややりがいを高めることもできる。ストレートな自己実現欲求の基盤にあるのは『コンピテンス(有能感)』であり、自分には目的としていることを成し遂げるだけの能力と素質があると信じられる人ほど、自己実現を達成できる可能性は高まりやすい。

ある程度の才能や素質、意欲がある人なら、特に人生経験の浅い若い時期には『自分にはできる・自分は人並み以上に優れたものを持っている・将来は大きな仕事を成し遂げる』というコンピテンスを抱きやすいものだが、その後に失敗・挫折・敗北・苦悩などを経験していく中で『コンピテンスの摩耗・現実的な自己イメージへの調整』がどうしても起こりやすくはなる。

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しかし失敗や挫折によってコンピテンスや自己評価が低下したり現実的に調整されたからといって、『自己実現欲求の達成』を完全に諦めなければならないのかといったらそうではない。『自己実現のプロセス』に目を向ければ、『自分にとって今よりも前進するための学習(努力)・変化・目標』ができれば良いのであり、現実的に調整された身の丈に合った自己イメージであっても『主観的な幸福感・成長感』は十分に何歳からでも感じることができるのである。

『自己実現の人間関係』は、自分にとっての学習・成長の努力を続けていく中で、幾らか他者や社会のために貢献できれば良いという考え方につながっており、『自分にとっての理想的な自己像・生き方』をより社会的・客観的なものへと押し広げてくれるものでもある。過去の時点における『なりたかった自分・やりたかった仕事・優越的な自己イメージ』に執着すれば、自己実現欲求の充足に対して大多数の人は悲観的にならざるを得ないが、今の時点における『自分の強みや興味関心・自分にできることの上達や成長・自分の強みを他者や社会に向けること』に焦点を合わせ直せば、非現実的な絵空事の妄想で終わらない『今の自分にとって可能な(やってみれば楽しい)自己実現のあり方』が見えやすくなってくるように思う。

『理想の大きな目標(現時点からでは具体的に何をやって良いかも分からない高い目標)』ばかりを見ればそこにたどり着けない恐れも高くなるが、『現実に今からでもできそうな目標・活動』に目を向けてみれば、それに向かって自分なりに学習や努力をしながら成長・上達のプロセスを楽しめる道筋が浮かび上がってくるということである。

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幸福を感じるための人間関係・つながりの欲求についての考え方2:存在の相互承認の機会

近代的自我と競争原理は一般的に、自分と他者の幸せ(目標)を切り離して、自分だけ(自分と深い関わりのある家族や人たちだけ)が幸せになろうとするので、余計に主観的幸福感・人生の意味の実感が低下しやすくなってしまう。他者に干渉されない『個人主義』や人を傷つけない限りは自分のやりたいようにできる『自由主義』は、確かに自分のコンピテンス(有能感)と競争的優位と望ましい人間関係(家族・恋人・友人)が維持されている限りにおいて、自分にとって重要ではない他者に振り回されない(好ましくない悪影響を受けない)という主観的幸福に貢献する面はある。

幸福を感じるための自己実現欲求についての考え方1:自己実現のプロセスと自分にとっての成長感

しかし、みんなが自分の個人的な人生設計と私的な人間関係だけを失敗(挫折)なしで順調に充足させられるわけではなく、主観的幸福度には『広範な他者との情緒的なつながり』も関係してくる。接客業・営業の仕事で顧客の笑顔や喜ぶ顔、感謝の声によってモチベーションが上がることは珍しくないが、『他者に喜ばれることをする・自分と他者との間で共感的な体験をする』というのも人間の幸せや楽しみと深い相関があるのである。それほど深い関係のないその場で顔を合わせただけの人とでも、散歩やランニングの途中で笑顔で挨拶をしたり、旅や登山、食事の合間にちょっと雑談をしたりするだけで、気分が前向きになり心理的に癒されるような感覚を覚えることは少なくない。

家族や恋人、親友のような近しい関係にある他者と『愛情・承認・尊敬』をやり取りすることは大きな幸福感や安心感、充実感とつながっているが、それほど近しい関係にはない他者であっても『お互いの存在をその場において肯定的に認識して表現すること』には安らぎや楽しみの心理的報酬があるのである。

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自分が幸せでなければ他人を幸せにはできないというのはよく言われるが、『人を喜ばせる・人のために動く』ことによって、結果的に相手の笑顔や感謝、対話(コミュニケーション)によって、自分もいつの間にか幸せな気分や安らいだ気持ちになることは多いものである。他人のちょっとした挨拶や笑顔、気遣いに対して『感謝できる心理状態にあること』そのものが、自分自身が幸せであることの間接的な現れであるとも解釈できるし、『他者との良好な気持ちいい関係』を作れるということも自然な安らぎや満足につながる簡単ではない人生の課題の一つになっている。

自分自身の理想や選好、目標を突き詰めていこうとする『自己実現欲求』は、『自分と向き合う上昇志向(成長志向)の幸福感』と関係しているが、それに対して他者との間で『愛情・承認・尊敬・感謝・親切』などをやり取りして良い関係を作ろうとする『人間関係(他者とのつながり)の欲求』は、『他者と向き合う関係維持志向(相互承認)の幸福感』と関係していると言えるだろう。自分と向き合う自己実現欲求は『新規性・変化性(今よりも上の成長性)』を追求していくが、他者と向き合う人間関係の欲求は『維持性・安定性(安心できる相互理解の深まり)』を追求していくという違いがある。

それらの対照的な幸福実現の欲求の根底にあるのが、つらいことや大変なことも多くあるが何とか良い方向に変えていけるはず(自分には自分なりの楽しみ方や生きがいもある)という『楽観主義・自己受容』である。楽観主義や自己受容は、『自分は自分・他人は他人』というアドラー心理学のような他者と比較しない自他の課題の分離とも関係しており、『自分自身が何者であり何をしたいのか』という自己アイデンティティや価値観の確立のための行動に上手くフォーカスできているのである。人生には誰にでも多くの上手くいかない失敗や挫折、苦悩が当たり前のようにあるが、それらに不運にも直面した時にそこで精神が折れてしまって長期の不適応・病的状態に陥るか、今は辛くて耐え難いけれどまた自分にとって良い局面が訪れて何とかなるはず(そのために今できることを何とかやっていこう)という楽観主義(ポジティブ思考)を持てるかで、中長期の人生や自意識、心理状態は大きく変わりやすい。

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自己価値や幸せを実感するため『欲求・野心・競争心』とどう向き合うか?:自分に適切な欲求のレベル

人間にとっての『欲求・野心』は人を幸せにもするし不幸にもする。一般論としては人間の『幸福追求』『欲求充足(目標達成)』と結びつけて語られることが多く、欲求が満たされれば“快”を感じて、欲求が満たされずに欲求不満に陥れば“不快”を感じてしまう。ヒューマニスティック心理学のアブラハム・マズローは人間の欲求には低次から高次へと向かう段階があるとする『欲求階層説』を唱えた。

自分の潜在的可能性を発揮して他者に貢献するという『自己実現欲求』に至るまでの人間の欲求は『生存本能・安心・所属・評価』に関係しており、その多くは『他者・社会(集団)から自分の存在価値を認められて、心地良い居場所を作りたいという欲求』に根ざしている。『欲求・野心』を持たないよりも持ったほうが幸せになれるという考え方もあるが、それは『欲求を全く持たない』よりも『欲求を適度に持った』ほうが目的意識や競争心、生きがいが出て、結果として幸せを感じやすいといった意味合いである。

欲求・野心が強ければ強いほどに良いということではなく、『自分の能力・努力・適性のレベル』を無視した強烈な欲求・野心は、往々にして『実現不可能な妄想・夢想』になりやすく、ただ理想的な状態を言葉にするだけになりやすい。理想的な状態を言葉にするだけだと、初めから越えなければならないハードルが高くなりすぎて、頑張っても無駄の意識になり『結果として何もしないままに終わること』になりやすいのである。自分自身が達成可能な適度な目標を立てて努力や工夫をしていこうとすることを『欲求・野心』と呼ぶならば、自分自身の能力・適性を度外視して、社会の中で非常に大きな成功をしたいとか歴史的な役割を果たしたいとかいうような多くの他者から強く承認・賞賛・尊敬されたい欲を『欲望・野望』と呼ぶことができるかもしれない。

この意味における『欲望・野望』を持つこと自体が悪いわけではないが、現時点の自分がどう足掻いてもどんなに必死に努力しても実現できない大きすぎる目標を立てることは、逆に『何も努力しないこと(どうせ無理だから何もしない)の言い訳』にもなりやすく、その目標をどのようにすれば実現できるかの方法やプロセスさえ分からないようであれば『自己肯定感・自信を高める欲求の対象』としては不適切ということになる。今の自分にとってふさわしい『欲求・野心』であるかどうかは、その欲求・野心を実現しようとする時にまず何から手をつければ良いかが分かっていて、『目標の達成・問題の解決へ向かおうとするエネルギー(前向きな意欲・モチベーション)』が沸き上がってくるかどうかで分かる部分がある。

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今の自分がどうやっても実現できない『欲望・野望』になってしまっていると、その欲望・野望を実現していくための方法ややり方が全く分からなかったり、前向きなエネルギッシュな態度(持続的なモチベーションの高さ)が見られないということになる。自分の能力・意欲を空回りさせずに上手く活用していくためには、『自分にとって適度な欲求・野心のレベル(荒唐無稽・非現実的な大きすぎる野望に傾きすぎない)』をまず見定めていくこと、その上で『欲求・野心を実現するための方法・やり方のプロセス』を具体的にイメージできるかどうかが重要になってくる。

『他者との競争心(優越欲求)』というのも欲求充足ややり甲斐に役立つことは少なくないが、相手を殊更に貶めたり傷つけたり嫉妬・憎悪したりするような競争心は劣等コンプレックスに根ざした不健全な競争心である。自分と同等以上の能力や実績、状態がある他人と切磋琢磨する形で競争して自分を高めていくことはやり甲斐・上達につながるが、『他人を否定・非難・侮辱することによって得る競争的な優越感』は自分自身の本当の価値の実感や技能の上達にはつながらない。

相手を否定することで自分を持ち上げようとするマウンティング的な競争心は、自分の実力・実績を努力して高めることよりも、『自分を実際以上に見せかけようとする虚勢・自信のなさ』『相手を落とすことで満たされる嫉妬・ねたみの感情の変形』になってしまう恐れのほうが強いからである。

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元記事の執筆日:2017/01/19

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