ブラック企業問題の増加と会社の共同体性・仲間意識の衰退2:ワーク・ライフバランスの意識
ブラック企業と日本の雇用形態・格差社会による従業員心理の変化:1
ブラック企業と仕事・職場のストレスによるメンタルヘルスの悪化問題:2
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ブラック企業問題の増加と日本型経営・家族主義の衰退1:長時間労働の主観的苦痛の増大
今年は『ブラック企業問題』がニュースの話題で取り上げられることが多かった。大手広告代理店の電通で東大卒の女性新入社員が過労・パワハラで自殺をして家宅捜索が行われたり、大手運輸の佐川急便でもパワハラ・いじめで退職を許さず自殺者がでたり交通違反の身代わり出頭を行わせていたりした。チェーン展開するしゃぶしゃぶ温野菜のフランチャイズ店舗で、大学生のバイトに脅迫や暴力・長時間労働の強制・給与未払いを行う深刻な『ブラックバイト問題』が発生したりもした。
ブラック企業大賞では、宿坊の料理長だった男性を349日間も休みなしで連続出勤させた宗教法人の仁和寺(にんなじ)までノミネートされている状況である。ブラック企業とは何なのかの定義は一義的なものではないが、その典型的な特徴は大きく『労働基準法・刑法をはじめとする法律を遵守しない』と『従業員の心身の健康を害したり人権・人格を否定するような働かせ方や命令・束縛をする』としてまとめることができるだろう。ブラック企業に多い問題として挙げられるのは『長時間労働(残業時間を申請可能な上限を決めるなど残業代の支払いが不十分)・パワハラ・セクハラ』であるが、昭和の時代には今以上にブラック企業の働かせ方や対応の仕方の特徴を抱えた企業があっても社会的に問題視されることがほとんどなかった。
日本では労働基準法に違反した長時間労働や短めの残業時間の申告(不十分な残業代の支払い)、若手女性社員への異性としてのちょっとした関心を示す声かけ(若さ・外見・魅力への言及)が当たり前のように行われてきて、『会社(勤務先)第一の生活・価値観』を持って生きることに疑問も抱かない時代も長かった。そのため、『雇っている会社員・公務員(従業員)の人権と人格の尊重』が優先すべき会社・社会の課題として意識されるまでにかなり長い時間がかかったとも言える。
昭和の時代に許されていた暗黙の了解や法律違反を甘く見るような慣習が、近年になって否定されるというのは、飲酒運転の厳罰化や男性の立ち小便の激減、教師の体罰や親の虐待的なしつけ方の否定、未成年の飲酒・喫煙への批判の強まりなど結構多いが、『ブラック企業の社会問題化』というのも2000年代に入ってからの変化だろう。昭和期にも長時間労働や危険労働、上司からの罵倒・体罰(激しいパワハラ)、女性社員を異性として見ているような発言(冗談)をするセクハラ、過労・パワハラ・いじめによる自殺などは今以上に多く溢れていた。だが、かつては勤めている会社・役所は『定年まで住む家(終身雇用による定年までの経済保障)』のように認識されていたため、自分の会社・役所の社風や体質を強く否定したり不満をぶつける人は少なかったのである。
逆にハードワークの正社員・公務員であれば、勤め先を『擬似的な家』、上司・同僚を『擬似的な家族に近い存在』と思い込むくらいでないと、長年勤め上げることが難しい時代でもあり(今でもそういった会社は少なからずあるかもしれないが)、『家族主義経営』が日本型経営の特徴ともされていた。『定時で終わって早く帰りたい(会社に夜遅くまで長居したくない)』というのは、つい最近まで日本の会社では口に出せないタブーに近いものであり、上司が帰らない限りは会社に残っていない(自分だけ早く帰りすぎる)と印象や査定が悪くなるといった思いも強いものがあった。
こういった意味合いで家族主義経営というと、特に今の若い人たちはげんなりするかもしれないが、逆説的に本当に従業員を家族同等の存在として大切に取り扱う運命共同体的な会社であれば、みんながみんなとはいかないにしても、従業員のかなりの割合が『会社のために多少の自己犠牲を払ってでも頑張ろう・長く会社にいることがそれほど苦痛ではない』と思えるようになることはある。最近では『やりがい搾取』と言われてしまうかもしれないが、かつての『終身雇用・年功賃金(社員を簡単には見捨てずにできるだけ最後まで雇用と待遇を守っていく仕組み)』がセットであれば、家族主義経営の中で『会社への強い帰属感・忠誠心』が芽生えることはそれほど珍しいことでもなかったはずである。
『会社のために多少の自己犠牲を払ってでも頑張ろう・長く会社にいることがそれほど苦痛ではない』というと、そんな気持ちにはとてもなれないという人も多いかもしれないが、『学生時代のまともなバイト(一緒に働いているバイト同士の仲が良くて助け合いの空気がある職場)』であればかなりの割合の人が、ずっとバイト先の会社にいても苦痛ではなく、むしろ早めに終わっても休憩室に残ってバイト仲間とおしゃべりしたり(人が終わるまで待ってあげていたり)、夜遅くなっても帰りがけに一緒にお店・誰かの部屋に寄ってから帰った(何時間もおしゃべりした)という経験がある人は多いのではないかと思う。
上手くいっている家族主義経営というのはそういった『その場所にいることが自然で苦痛や違和感がない心理(積極的かつ自発的なその場へのコミット)』に近いが、学生のバイトの場合は『責任の軽さ(多くは定形の仕事をこなせば良くノルマなどもない)・時給制(働いた分だけ給料がきちんと貰える)・勤務年数の限定性(数年だけで終わりがある)・上下関係の緩さ(同世代のバイト同士では気軽にやりとりできるし遊び友達にもなれる)』があるので、仕事内容も難しくなり上下関係は厳しくなり責任も重くなるハードワークの正社員ではそう簡単にはいかないが。
ブラック企業問題の増加と会社の共同体性・仲間意識の衰退2:ワーク・ライフバランスの意識
ブラック企業問題が社会問題化した背景にあるのは、『日本型経営(終身雇用・年功賃金・家族主義)の崩壊・非正規雇用の増加』と『社員(公務員)の意識の個人主義の方向への変化・プライベート重視とストレス耐性の低下』である。その結果として、『会社(勤め先)と仕事が第一という自己犠牲ありきの仕事至上主義,会社(勤め先)の不正や理不尽に対して厳しく批判しない甘い対応』が揺らぎやすくなったと言える。
日本型経営(終身雇用・年功賃金・家族主義)の崩壊は、どんなにプライベートや自分の自由・権利を犠牲にして会社のために滅私奉公しても、会社が必ずしも最後まで自分や家族の経済生活を保障してくれるわけではなくなったことを意味しており、『心身の健康を壊さない程度・私生活も楽しめる程度』に働きたいという人の割合が増加している。非自発的な非正規雇用の増加も、自分自身が会社からいつ切り捨てられるか分からない将来の保障も高額の給与もほとんどない雇用形態なので、『会社に対する帰属感・同僚に対する仲間意識・職場の居心地の良さ・雇用待遇に対する満足度』はかなり限定的になり、そこまで理不尽な待遇に耐えようとは思いにくくなる。
長時間労働やパワハラは是正されるべき問題ではあるが、それと同時にハードな労働条件・精神的圧迫に納得して働けるだけの『雇用形態・給与待遇・福利厚生・良好な人間関係』が減っていて、会社や上司・同僚が自分の健康・人生・やりがいに本気で配慮してくれているようには感じないから『運命共同体的な帰属感・奉仕意欲(貢献意欲)』も必然的に抱きにくくなる。
そういった不本意ながら我慢して働いている、嫌々ながら職場にいて長時間労働に従事しているという状況になると、『ストレス耐性の低下』が起こりやすくなり、そこにパワハラや過剰な仕事の要求水準・ノルマが重なると人間は簡単にメンタルヘルスを崩して、『うつ病・適応障害・全般性不安障害・パニック障害・社会不安障害』などの精神疾患を発症してしまうことさえあるのである。
会社や仕事が人生で第一の価値を持つという考え方も衰えてきて、『社員(公務員)の意識の個人主義の方向への変化』も、ブラック企業問題の深刻化に関係している。会社員であってもワーク・ライフバランスやプライベートを重視する人の割合が増えていて、かつてのように会社(職場)を擬似的な家のように思い込める人は減って、『仕事・給料のために決まった時間だけ滞在する場所(仕事でないのであれば社員旅行・飲み会などもあまり行きたくないとか同僚=仲間というわけではない)』という認識も増えている。
電通の自殺してしまった東大卒の女性社員のように、知性・能力・所得が高くて仕事に対する前向きな意欲もあり、人並み以上に努力できる人材であっても、メンタルヘルスを大きく悪化させて抑うつ状態や自己否定の心理に落ち込んでしまうリスクもある。そういった人は『苦労して就職した会社・全力で頑張っている仕事』が自己アイデンティティーや自己価値の中心を占める状態になっていて、『会社・仕事から絶対に逃げられない(逃げたら自分の人生や将来の可能性が閉ざされる)という背水の陣』を無意識的に敷くことによって、生きるか死ぬかの所にまで追い込まれやすくなってしまう。
自分の心身の限界を超えた仕事の要請(長時間労働)や異常なパワハラの圧力・叱責がいくらあっても、『逃げる・辞める・休むという選択肢』をはじめから絶対に自分に許していないことによって、ギリギリまで追い詰められれば『視野狭窄・思考停止・体調悪化』にならざるを得ない。
この今の仕事から逃げれば生きていくことができない(ここで勤まらなければ他に自分ができるような仕事などない)というほどの『極度の視野狭窄』に陥ると、どんなに限界まで追い込まれても逃げ場がなくなっているわけで、その結果、自殺を含む極端な逸脱行動やうつ病などの心身の病気を発症しやすくなるのである。『ブラック企業』というとずさんな労務管理や遵法精神の軽視の問題がイメージされやすいのだが、その本質は『会社が社員(従業員)を大切にしなくなったこと+会社が社員の心身の健康や将来の人生設計に配慮せずむしろ壊していること』であり、そういった会社や上司に対して『社員(従業員)の側のストレスの原因となる不信感・被害感・不適応感(居心地の悪さ)・敵対心』が高まりやすくなっているのである。
会社(勤め先)が運命共同体や自分の居場所として機能しづらくなっており、一緒に働いている上司・同僚との『仲間意識・連帯感』も感じにくくなっていることで(個人主義・プライベート重視で会社から早く帰りたい人が増えていることで)、ブラック企業の『長時間労働・パワハラ・過大なストレス』は余計に深刻な心身の健康被害や自殺念慮を引き起こしやすくなってしまう。心理的・経済的・アイデンティティー的に逃げ場を無くしている人が、ブラック企業の過酷な勤務条件や悪質なハラスメントによって追い込まれやすくなるが、近年のブラック企業は人手不足や若者の人口減少もあって『辞めたいという人を強制的に辞めさせない・アルバイトでも社員並みの仕事をさせたり時間拘束をしたりするという問題』も新たに増えてきているようである。
ブラック企業と日本の雇用形態・格差社会による従業員心理の変化:1
ブラック企業の問題の根底にあるのは、会社が社員(従業員)の人生設計や健康維持、やりがいに配慮しなくなったことであり、それと合わせて社員(従業員)の会社に対するロイヤリティ(忠誠心)や帰属感・共同体感覚(仲間意識)が落ちてしまったことである。会社と社員(従業員)の相互的な貢献・配慮・仲間意識の中心にあったものが、昭和の高度経済成長期に慣習化した『終身雇用・年功賃金・福利厚生』であり、日本人はそれまで『与えられた労働環境・役割・組織目標の中で努力し続けること』が得意で、それが日本経済の強みとされた日本人の労働者の勤勉性・地道さにもつながっていた。
その勤勉性や地道さの背景にあったものが、会社を辞めずに帰属して頑張って働いていれば人並みの人生設計が成り立ち、自分・家族が経済的に困窮しないという『終身雇用・年功賃金・家族主義(仲間意識)』だったが、バブル景気が崩壊して平成期のゼロ年代に入る『失われた20~30年』の中で、企業間・個人間(雇用形態間)の格差が拡大していき、会社は以前ほど忠誠心のある社員(従業員)の生活・人生設計を守るという姿勢を示さなくなってきた。
派遣社員・期間社員・アルバイトなどの非正規雇用をはじめ、『自由度は高いが雇用保障の薄い・給与水準の低い働き方』が好むと好まざるとに関わらず増え始めた。医師・看護師・エンジニアなど特殊な需要の強い専門技能がある人を除いて、雇用形態が非正規だと、その環境や立場でいくら必死に努力して働いても、それほど高い給与は得られず将来の保障(継続雇用・昇給昇格)もないので、非正規労働者や正規キャリアからドロップアウトした人の労働モチベーションは下がりやすくなり、(献身しても報われない思いから)ストレス耐性も低くなりやすい。
介護士・保育士・障がい者福祉などの現代社会に必須の職業の雇用待遇もかなり低いままに据え置かれ、昭和期の過去には学歴さえ持っておけば仕事はある、難関国家資格(弁護士・公認会計士・税理士・司法書士など)さえ持っておけば一生食いっぱぐれがないと言われた権威主義の常識もほとんど通用しなくなってきた。 研究開発・知識労働・専門性などを選んでこだわる大企業(公的機関)に就職できなかった高学歴者が、かえって人並み以下の収入しか得られない高学歴ワーキングプアの問題も浮上したりした。インターネット社会の拡大によって、学歴・学位を根拠とする知識や情報、言葉の権威を直接的に雇用に結びつけ換金する力が、一部の実学的な専門職・専門分野を除いて弱まっている。
新卒採用・専門業種からのキャリアの積み上げ(他から求められる人材としての能力・実績)があまりないのに、働き方や仕事内容にこだわることの経済的リスクは元々高いものだが、知識・情報の相対的価値がネットの情報氾濫によって低下しやすくなっている。情報の真偽や確度、有用性を判断するネットリテラシーの問題は常に指摘されているが、誰でもほぼ無料で情報を検索できるウェブ環境が整備・普及したことによって、有料でお金を出してでも(専門家とされる人に依頼したり有識者の書籍を購入してでも)敢えて手に入れたい知識・情報が過去よりも減少している。
今の日本の中流階層(婚姻率・有子率・車や住宅のローン率が高い層)は『新卒採用で公務員・大手企業に就職して勤務を続けている人』か『自営業・自由業で稼げる才覚・発想・営業力のある人』かになっており、中小零細企業や非正規雇用、平均的な自営業・自由業は、中流階層のライフプランが成り立ちにくい給与・キャリア・社会保障の水準になりやすい。
日本で格差社会や貧困問題が言われ始めて久しいが、大多数の人にとっての格差・貧困の根幹にあるのは『新卒採用からの勤続の有無・雇用形態と企業規模(組織の大きさ)の格差』であり、ビジネスの才能・やる気や稼げる発想・人脈、新たな時代への再適応力がある個人を除けば、新卒採用の組織内のキャリアから一度脱線すると中流階級的なライフプランに戻ることが簡単ではなくなっている。
ブラック企業と仕事・職場のストレスによるメンタルヘルスの悪化問題:2
社会問題としての格差や貧困に呼応する形で、『価値観・ライフスタイルの多様化(未婚化晩婚化・少子化・消費抑制と貯蓄志向など)』と『自分は自分・他人は他人という個人主義的な分別(同調圧力の低下・他人へ強く干渉しない・世間体にこだわらない人の増加)』が生まれて、『総中流社会・皆婚時代・余裕ある老後保障(みんなで同じような平均的なライフプランを生きていくのが当たり前)』は終焉を迎えつつある。
しかし、格差・貧困の悩みから逃れやすいとされる大企業・公務員の正規雇用でも、給与水準の問題は少ないとしても、ハードワーク(長時間労働・難易度の高さ)やハラスメント(パワハラ・モラハラなど)、責任感の過剰でメンタルヘルスを壊してうつ病・不安障害になったり希死念慮を懐いたりといった問題はあり、雇用待遇と社会保障の良い正規雇用だから人生・健康・幸福感の上で万全とまでは言えないのである。
広告大手の電通の新入社員の女性がパワハラや過酷労働で自殺に追い込まれた事件は象徴的だが、雇用・給与が安定しているとされる自衛隊・警察官などの公務員でも職場の人間関係(上下関係)を介したパワハラやいじめなどで毎年のように複数の自殺者が出ている。学校の正職員の教員も、雇用保障や給与水準の面では恵まれた方であるが、生徒・保護者・上司と関わる仕事のストレスや過重な負担に耐えられずに、うつ病などの精神疾患を発症して休職を余儀なくされる人は多いのである。
正規雇用や公務員だからメンタルヘルスを壊さずに安定した経済生活を送ることができるという保証があるわけではなく、『(簡単に辞めてはならない・今までの努力が無意味になると思いやすい)正規雇用だからこその強いストレス・人間関係の苦痛』が生まれることも多い。苦痛なストレス状況に対して我慢に我慢を重ねて、自分の限界を自覚できなければ(精神状態が完全に機能不全に陥る前に休んだり辞めたりできなければ)最悪のケースにもなりかねない。
やりがい・使命感を持てる仕事内容や良好な職場の人間関係・チームワークに恵まれ、将来を悲観しなくて良い給与・保障もあるというのは、ブラック企業問題とも合わせて、現代人の『メンタルヘルス・主観的幸福感・ライフデザイン』にとってもっとも効果的な処方箋の一つである。だが、現実には『仕事・職場・人間関係・社会保障』がストレスや不安、負担となって心身の健康を崩したり不幸な思いに苛まれたり、仕事・お金の問題で人生設計が上手くいかなくなったりする人は多く、『やりがい・給与水準・雇用保障・人間関係・適度なストレス』が揃った理想的な仕事や職場というのはほとんどない。
基本的に、多くの日本人にとって仕事が『嫌なことを我慢して給料を貰うという考え方』になっていることが、仕事・職場がメンタルヘルスを壊す原因となり、更には『正規-非正規の雇用格差』を正当化する理由(正規のほうが非正規よりも長時間労働はじめ嫌なことを多く我慢している)にもなっている。ブラック企業の経営者の論理も、『会社(自分)はお金を支払っているのだからこれくらいの嫌なこと・つらいことは我慢・忍耐するのが当たり前』『会社が支払っている給料分の仕事ができていなければ給料泥棒と同じ(その会社のビジネスモデルや商材がそもそも儲からないだけという可能性が高いのだが)』というものである。
『嫌なこと・つらいことを我慢した対価としての給料』という考え方は、勤勉道徳・忍耐力につながる一方で、『あまり利益を上げていない社員に十分すぎるくらいの対価を払っているのだから我慢せよ』というブラック企業的な価値観との親和性も持っている。企業・組織で働くことは『上司・同僚といった他者との協調や配慮』を求められ、『企業・組織の目標達成に向けたコミットメントの貢献・成果』を求められるので、ストレスのない仕事や嫌なことのない職場はほぼあり得ない(適度なストレスはやりがいにもなる)とも言えるが、厳しい環境を自分で変えていく工夫をしながら、『受忍限度を超えたブラック企業の環境』からは離脱・逃走することも考える必要があるだろう。
元記事の執筆日:2017/01/07