やる気・行動力を高める考え方とニヒリズムのリスク1:面白くない・つまらないの決めつけを捨てる、やる気・行動力を高める考え方とニヒリズムのリスク2:自分から他者・世界を拒絶せずにやってみる

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やる気・行動力を高める考え方とニヒリズムのリスク2:自分から他者・世界を拒絶せずにやってみる


物事はなぜ計画通りに進まないのかの心理学1:計画の錯誤を生む楽観バイアスと専門家の直感


物事はなぜ計画通りに進まないのかの心理学2:統計の外部情報と他人の意図・能力の無視


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やる気・行動力を高める考え方とニヒリズムのリスク1:面白くない・つまらないの決めつけを捨てる

やる気(意欲)がでないや行動力がでなくなるというのはうつ病(気分障害)の中心的な症状ですが、うつ病のような精神疾患の水準の意欲低下・行動力低下でなくても、一般的な悩みとしてやる気がでなくて行動力がないというのは多いものです。

うつ病などの病的な意欲低下・行動力低下の背景には『興味・喜びの喪失+強い気分の落ち込み』『身体症状(心身症)による全般的な体調不良+鉛様と表現される身体感覚の重さ』がありますが、一般的な意欲や行動力の低下にはそういった心身の症状は乏しく、どちらかといえば『面倒くささ・つまらなさ・面白みのなさ・くだらなさ(バカらしさ)といった行動全般に対するネガティブな評価』があって何となく行動できないということになります。

やる気がでない心理に影響しているのは、『どうせやっても無駄であるという結果の先読み(決めつけ)の認知』『何も好きなことややりたいことがないという積極性・興味関心の欠如』です。うつ病などの原因として実際に何度も挑戦的にやってみたがダメだった、行動する度に失敗して挫折感や失望感を味わわせられたという『学習性無力感(学習性絶望感)』が影響しているケースもあります。

ただそういったケースでも『効果のないジャンルの活動や自分に不向きな目標に過度にのめり込み過ぎた(努力・時間を注ぎ込む対象を間違っていた)』という可能性のほうが高く、どんな事をやってもダメとか何をやってもつまらないというのは客観的な事実ではないことがほとんどでしょう。まだ何もやっていない内から敢えて何にも興味を持たず、行動の結果を好ましくない方向に決めつけることによって、ますます意欲や行動力が無くなっていくネガティブなフィードバックに陥ることになります。

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人間の感情と生理反応の関係では、“悲しいから泣くのではなく泣くから悲しい”とするジェームズ=ランゲ説が知られていますが、意欲・行動力にもその仮説と似た部分があるのです。常識的には人間は自分が好きだからそれをやるとか、興味を持っているから行動すると思われがちなのですが、実際には『とりあえず行動してみた後に好きになっていく(やってみた後に少しずつ興味を持っていく)』というパターンも非常に多いのです。

仕事・職業でもスポーツでも文化的趣味でも、初めから『自分のやっていること』がものすごく好きだからそれをやっているという人ばかりではなく、初めはむしろ『とりあえず仕事をしなければならなかったから・親から勧められて練習をやらされていた・人に誘われたのでとりあえずやってみた・好きでも嫌いでもなく何となく部活(サークル)に参加してみた』という所から始まり、『行動や参加をしている内に興味関心が広がったり好きになったりして、練習・努力を前向きに積むようにもなった』という感じの人はその分野で一流の人にも多いのです。

もちろん、実際にやってみた結果として、やっぱり自分には向いていなかった、ある程度やってみたが得られるものがなかった、面白みや楽しさが分からなかったということは幾らでもあるわけですが、大事なのは『とりあえず行動・参加をしてみる,前向きに興味関心を持ってみる,どうせやるからには真剣に取り組んでみる,何度かはやってみてまだ続けるかどうかを判断していく』というトライ&エラー(試行錯誤)の姿勢であり、やっている内にやる気や行動力が高まりやすくなります。

先入観・食わず嫌いで実際にやる前から完全に拒絶したり、まだ何もしていないのに『面白くない・つまらない・馬鹿らしい』と決めつけていたりすれば、やる気・行動力が低下するだけではなく、世界・他者の魅力が極端に色あせて、自分に対する自信・自尊心も失ってしまいます。結果、うつ病にまでならないにせよ、人生全般の楽しみ・面白さまで薄らいで、人生や世界に大して意味のあることなどないという虚無主義的な世界観を持ちやすい危険があります。極端な結果の先読みや物事の本質の追求を極端にやり過ぎると、究極的には人間はいつか死ぬから何事にも意味はないとか、どんな事もいずれ終わりが来るから頑張っても無駄だとかいうネガティブなニヒリズム(虚無主義)を言い訳にして、やる気や行動力を起こせなくなってしまいます。

しかし、最終的な終わりやいつか来る帰結そのものに意味があるかないかが問題なのではなく、『自分が生きている人生の時間』や『今・ここにある自分の感じ方・生きがい』をどう充実させるかこそが『意義ある人生を生きようとする人間(私)にとっての問題』なのです。そこを前提にしなければ、行動力を落としてしまう人生の虚しさや無意味さの感覚は解消されないわけですが、ニヒリズムの感覚を解消するためには『何事もとりあえずやってみてからどうするか判断する(実際にやる前から嫌だとか無意味だとか決めつけない)』ようにすることが重要になってきます。

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やる気・行動力を高める考え方とニヒリズムのリスク2:自分から他者・世界を拒絶せずにやってみる

何をやっても意味がないとか、どうせ頑張っても無駄だとかいうニヒリズムは『自分と他者(外界)との切り離し』を行う作用を持つので、必然的に『何事に対しても誰に対しても興味関心をモテない無気力な態度・やる気のない姿勢』につながるのです。世界・他者に対する態度が『(自分とは関係がないという)切り離し・軽視無視』になると、『ここは本来私がいるべき場じゃない・あなたと別に一緒に活動(仕事)したいわけではない』という上から目線の傲慢な考え方になり、『現実社会に居場所がない感覚・誰とも打ち解けられず孤立した感覚』に苦しめられやすくなります。

その結果、更にやる気や行動力が低下していく恐れが出てくるのですが、『実際にやる前から拒否していないか・実際に接する前から嫌っていないか』を見つめ直してみて、『無根拠な世界・他者の切り離し(自分とは何の関係もない・やってみても意味がないという態度)』をやめて少しでも興味ひかれることに参加したり、悪くない感じの人と打ち解けてみる(当事者意識を持ってコミットしてみる)ことが必要になると思います。

現実社会というのは『共同認識(対話)・共同活動(仕事)』によって成り立っているものなので、『自分だけがこの世界(この場)とはあまり関係ないという態度・他者には付き合うべき価値がないという考え方(自分と世界・他者とを切り離す切断)』になってしまうと、どうしても自分一人だけの世界観・生き方ではやる気や行動力が低下しがちになってしまいます。正社員でもアルバイトでも何か仕事をする時には、どうせその仕事をするのであれば好き嫌いをせずに同じ職場の人と打ち解けて真剣に取り組んだほうが、初めはあまり好きでなかった仕事内容でも、職場の雰囲気と合わせて自然に好きになってくることも少なくはないのです。

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しかし『自分は本当はこんな仕事をしたかったわけではない(自分ならもっと良い仕事ができていたはず)・こんな職場で働いている人と親しくなりたくなんてない(この職場の人とは何の共通点もない)・バイトだから最低限の仕事だけして余計な会話はせずに就業時間にはさっと帰るだけで良い』というような自分と職場(他者)を切り離すような考え方をしていると、そういった考え方は表情・言動を通して周囲に伝わるものですし、伝わってしまえばみんなからも距離を置かれてその職場・仕事は更に楽しくなくなります。

(自分が先に他者を切り離して軽視無視していたにも関わらず)下手すれば、『自分を馬鹿にしやがって・自分の能力を不当に低く評価しやがって』という被害妄想的な意識にもなりがちであり、そういったストレスや仕事・人を嫌いな感覚を引きずって、怒り・不満ばかり溜め込んで仕事をしていればかなりの確率で心身を壊して病気になってしまうリスクもあるわけです。勉強でも仕事でもイベントや人間関係でもそうですが、『嫌々ながらの気持ちや態度でやる・不本意な気持ちを出して参加する』というのは、パフォーマンスが落ちて成果がでないだけではなく、周囲にネガティブな印象を与えて更に無気力・孤立感で悩んでしまうことが多いものです。

世界・他者に向かって自分を閉ざして切り離すのではなく、自分を開いて参加して少しでも良い所を見つけ出す姿勢を持つことが大切であり、虚無感を退けて自分の可能性を広げていく意味でも『共同認識・共同活動(他人とコミュニケーションしたり一緒に行動したり)』を完全に無視して、自分一人だけの価値観・人間観に閉じこもること(自分のやり方や考え方をとにかく押し通していくこと)は賢明ではないことが多いのです。

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本当は自分のほうから『世界・他者』を拒絶しているにも関わらず、世界・他者のほうが自分を軽視して拒絶していると思い込んで拗ねてしまうことは少なからずあることなのですが、それは『世界・他者が自分の機嫌をとってくれて丁寧にお客様扱いしてくれることが当然という自己愛や操作欲求に偏った非現実的な考え方』でもあります。自分から世界(場所)や他者に近寄ってみて、いろいろな場所・活動・人にも接してみて、『少しでも良いと思える点』があればそこから興味関心を広げたり深めたりしていくことが行動力を高める正攻法であり、まずはやってみてから判断していく中で『好きと思えること・人』が分かってくるのです。

勉強や練習も初めから面白いと思って何の苦もなく取り組んでいる人は少数派である可能性が高く、勉強や練習をしている内に『上達・向上の実感(自分が良い方向に変化している実感)』があって、少しずつ面白さややり甲斐のポイントに気づいてくるところがあります。更に苦悩や困難も多い勉強・練習(トレーニング)を続けていくことによって、『ここまで自分はやり遂げることができたという自己評価・自信』も身につけやすくなります。この自己評価や自信は『やる気・行動力の高まり』とも密接な関係があり、これも逆説的ですが自信があるからそれをやりたくなるのではなく、頑張ってやり続けて成功や上達を自分なりに実感できたから更にやる気・行動力が高まっていくというポジティブなフィードバックが起こっていると考えられるのです。

物事はなぜ計画通りに進まないのかの心理学1:計画の錯誤を生む楽観バイアスと専門家の直感

未来を予測することや物事を計画通り(予算通り)に進めることはかなり困難である。教育と訓練を受けていて当該分野に精通しているはずの専門家でさえ、往々にして統計的傾向や確率を軽視して間違ってしまう。今、東京都では築地市場から豊洲市場への移転計画が『土壌・地下水の汚染問題』で難航していて、元東京都知事の石原慎太郎氏が小池百合子現都知事から当時の最高責任者としての責任を追及され証人喚問までされた。過去の豊洲市場移転に対する石原元都知事の計画承認の適切さが問い直されているが、豊洲市場移転計画も当初の計画通りに物事が進まない一例だろう。

福井県敦賀市の高速増殖原型炉もんじゅも、MOX燃料を使ったプルサーマル計画(核燃料をリサイクルして使い続けられる半永久機関)を実現できる『夢の原子炉』として長年期待を集めていたが、液体ナトリウム漏れによる火災、中継装置の落下事故などトラブルが次々と起こり、約1兆810億円ものコストがかかったにも関わらずほとんど稼働しないまま2016年12月に廃炉が正式決定されることになった。この高速増殖炉もんじゅも、未来予測や物事の計画・予算が上手くいかずに膨大なコストを費消した典型的な事例である。

2020年東京オリンピックの開催費用も事前の計画が狂い、約2~3兆円もかかるとされる大会予算が大幅に膨張した事例である。意思決定者である東京都知事も次々と変わり、総工費が約1500億円以上はかかるとされる新国立競技場も当初のエキセントリックなデザインのザハ案が撤回されることになった。新国立競技場については総工費1500億円でも控えめな予算とされ、大手ゼネコンなどの関係者の中には人件費や建築資材の高騰の影響で更に1000億円前後の予算の膨張があってもおかしくないという曖昧な状況が残されている。

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大規模なプロジェクトや建築構造物、科学技術研究ほど、事前の計画や予算がなぜ大幅に狂ってしまうのか、しかも悪い方向(もっとお金がかかる方向)に狂って変化してしまいやすいのか。その心理学的な理由の一つは、『楽観バイアス』『外部情報・統計情報の不活用(内部情報・経験と直感の過大評価)』だと考えられている。事前の計画や予定・予算が狂ってしまう問題は『計画の錯誤』と呼ばれる問題である。計画の錯誤を引き起こす有力な原因が、世界(社会)を実際よりも安全で善意にあふれた場所と考え、自分の能力を実際に過大評価し、自分の立案した計画を実際以上に簡単に達成できると思い込む『楽観バイアス』ということになる。

人間の多くは、責任者・担当者(ハイレベルの意思決定者)として一定以上の地位と権限を与えられ、周囲にイエスマンが増えて異論反論がなくなると、簡単に計画を実際よりも簡単に達成できる、事前の予算通りに計画を進められると思い込む『楽観バイアス』の認知の偏りにはまり込むことが知られている。また楽観バイアスそのものは個人単位の心理状態にとっては悪いものではない、物事や人間の『良い部分』だけにフォーカスして認知するので、『主観的幸福感・楽天的な性格傾向』を高めてくれるというプラスの作用が大きなものでもある。

楽観バイアスの強い楽天家は、一般的に自分が幸運・幸福・健康だと感じており、人並み以上の能力と体力(生命力)に恵まれていると認識しているので、仕事でもプライベートでも積極的に行動しやすく実際の成果を出しやすい傾向はある。しかも積極性や行動力、能力の高さによって成功経験を繰り返して組織集団での地位を高めやすく、そのために更に自分の判断力や状況をコントロールする力に対する自信を強めやすい。その結果、計画や自分を疑うという姿勢そのものが弱くなるか欠落しやすくなり、予算や規模が大きくなるにつれて楽観主義者が『計画の錯誤』を起こすリスクも高まるということになる。

有力な政治家や高級官僚というのは、一般社会ではテスト・選挙・昇進などで成功体験を繰り返してきた実力者であり、その意味では世の中の平均以上に自己評価・自信・楽天性が高く、楽観バイアス(税源で自分の懐が痛まないのもあるが)に捉えられた『計画の錯誤(予算の肥大)』を起こしやすい傾向はあるだろう。企業の社長や成功した起業家などもかなり楽観バイアスに捉えられやすいタイプが多く、基本的にはもっと成長できるはず新たな市場を作り出せるはずという信念でイケイケ路線を突き進むような人が多いはずである。

そもそも論としては、ニヒリスティックで未来予測・事前計画について暗いことや節約(今後成長・進歩をしない前提での慎重な意見)ばかりをいうケチで悲観主義的な人は、組織集団のリーダーのような地位には立てないことが多いというのもある。これからの未来は今より悪くなるとか、お金が掛かる大プロジェクトはやめておこうとかいう悲観主義者は、他者からの応援や支持を集めにくい傾向が顕著なので、世の中の主流や組織集団に上位者に立つような人には悲観主義よりも楽観主義のほうが圧倒的に多いのは自然の趨勢でもあるかもしれない。

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一方、豊洲市場移転問題の土壌汚染で証人喚問された石原慎太郎元知事は、『土地の汚染問題について専門的な知見がなく専門家に一任していた旨』の反論をしたが、最高責任者が大きなテーマについての諾否だけを意思決定して『個別詳細の事項は専門家に任せる』というのはありがちなやり方ではある。豊洲市場問題の専門家の判断の詳細は別として、一般的に専門家の判断や直感はどこまで信頼できるのかという問題がある。心理学者ダニエル・カーネマンは、意思決定(自己選択)のプロセスやその妥当性について著書『ファスト&スロー』で認知心理学的な研究を行っているが、ある分野の専門家が知識・経験・直感を元にして『予測的な判断』をする時にその判断が妥当かどうかは、『予測しようとする事象に統計的な傾向+規則的な秩序があるかどうか(統計的・規則的に単純な答えを出しやすいかどうか)』にかかっているとしている。

ファンドマネージャーや経済評論家、政治評論家などが、『政治・経済・株価の未来の長期的予測を外すこと』は多い(短期的予測なら少しは精度が上がる)、というかむしろほとんど外してしまうものだが、これは専門家としてのスキルが低いのではなく、『元々政治・経済・株価というものをスキルで長期予測することが不可能だから』なのである。それらの専門家は確かに過去の政治経済や株式市場の専門分野にまつわる情報・知識を多く持っているかもしれないし、その情報・知識に基づいて彼らなりの理論や法則性を考えているかもしれないが、『政治・経済・株価』というものは元々決まったルールや秩序に従って予測可能な形で変動するものではないから、専門家でも予測はほとんど当たらないということになる。

反対に、同じ専門家でも機械・コンピューターのエンジニア、患者の処置をする看護師(不確実性のある診断・治療の見立てをする医師よりも指示を受ける看護師のほうが予測可能な部分が多い)、現場の消火作業をする消防士などになると、同じ専門家でも『予測可能な法則性・規則性のある対象』を相手にするので、中長期の予測が当たりやすくなり、自分の行動(修理・処置・消火)によって起こる結果をより正確に予測しやすくなるのである。ダニエル・カーネマンは、専門家が持つ予測能力を高める『本物のスキルの条件』として以下の点を上げている。

1.十分に予見可能な規則性を備えた環境であること。

2.長期間にわたる訓練を通じてそうした規則性を学ぶ機会があること。

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物事はなぜ計画通りに進まないのかの心理学2:統計の外部情報と他人の意図・能力の無視

極端にリスクや浪費を恐れて未来を悲観する人、今までの成功経験や周囲の支持・賞賛がない自分に自信がない人は、最高責任者や意思決定者にまずなりにくいというのが『楽観バイアスによる計画の錯誤(予算の肥大)』の要因になっているのである。豊洲市場移転や東京オリンピックを決定した当時の石原都知事や猪瀬都知事は、やはり相当な自信家としての風貌を備えていたし、一般に首相や知事、社長、官僚になるような人は(特に仕事能力・判断力の)自己評価が高い、自分に人並み以上の判断力があると思っていないとそのような職責は務まらないのである。

当時の知事に『土壌・水が汚染されていたらどうしよう、本当に大丈夫かな』とか『東京オリンピックに事前の予算以上のお金がかかるかもしれないからどうしようかな、やめて節約したほうがいいかな』とかいう自信のなさや自分への疑いというものは全くなかったはずだし、そういった慎重過ぎる懐疑主義や計画の白紙撤回というのは、世の中において一般に低く評価される(その地位につく人間として不適切だと評価される)ことにもなるのである。

『楽観バイアスによる計画の錯誤(予算の肥大)』は行政や大企業の大プロジェクトになると、数百億円~数千億円の浪費・損失の原因にもなるが、一般論として大勢の人々に大きな影響力を振るえるような地位・権限・役割を持つ人は、一般国民との比較では楽観主義かつ自信過剰(自己の過大評価)であることが必然的に多くなる(リスクがあること、お金がかかることは全てやらないほうがいいという悲観的な現状維持派の人はその地位まで上がれない)ということは言えるだろう。自信過剰な人のほうが信用(優遇)されやすいとか成功しやすいとかいった、社会的・経済的・プロフェッショナル的なプレッシャー(期待感・責任感)といったものも、楽観バイアスによる計画の錯誤を生み出しやすくしている。差し迫った状況や判断で『不確実性』が高くても、地位の高い人やプロフェッショナルほど『私はどう判断して良いかわかりません・不確実なので判断を保留するしかありません』とは言いにくいプレッシャーがあることもまた事実なのである。

行政・大企業のような大きなお金の関係するプロジェクトでなくても、人間は一般的に『統計的傾向(外部情報)がどうであれ、自分だけは上手くいくという楽観バイアス』を非常に持ちやすい傾向がある。例えば飲食店の新規事業を始めようとする人やこれから結婚生活を始めようとする人は『外部情報(統計的事実)』を確認しようとしないことが殆どである。『確率では5年後にお店が継続していない可能性(最期まで夫婦で連れ添うことがない離婚の可能性)は高いかもしれないが自分だけは大丈夫なはず』という楽観バイアスは非常に強いものになる。

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楽観バイアスの根底にあるのは『自分は平均的な人間よりも能力・属性において優れている』という過去のいくつかの成功経験に基づく根拠の薄い思い込みなのだが、これは『平均以上効果』と呼ばれる認知バイアスである。平均以上効果の典型的な例として、『90%のドライバーが自分は平均以上の運転技能(安全運転の注意力・事故を起こさない能力)があると思っていること』があり、自分を棚に上げて『他のドライバーの運転技能や安全運転の注意力などに文句をいう人』はかなり多いものでもある。ダニエル・カーネマンも複数の学者を集めてチームを作り、高校生向けのカリキュラムと教科書作成の計画を立てた時に、『計画の錯誤(計画した通りには全く物事が進まない失敗)』の経験をしている。

教科書作成の最終案を教育省に提出するまでに何年かかるかのチームメンバーの事前予測では『1年半~2年半』という楽観的なものだったが、共同研究者のセイモア・フォックスは過去の教科書作成計画を思い起こして統計的には『約40%が教科書作成事業を完成させられなかった・最低でも7年はかかった』という事実を告げた。そして、教科書作成チームのメンバーの能力・実力についても、過去のチームに比べると平均以下に当たるだろうというのだ。しかし当事者であるカーネマンらは『最低7年かかる+失敗確率40%』という過去の多くのチームの現実から導かれた統計的事実を軽視して、『自分たちのチームだけは例外的にもっと早く教科書作成を完了できるし、絶対に失敗もしないだろう』という楽観主義のバイアスを持ってしまったのである。しかし現実には『カリキュラム・教科書の作成事業の難易度』はカーネマンらが思っていた以上に高いものであり、チームメンバーに起こるトラブルや病気なども予測困難なものだった。

結果は、事前の計画では後2年もあればカリキュラム・教科書の作成を簡単にやり遂げられると自信満々だったのに、実際には多くのアクシデントに見舞われて完成までに『8年以上』もの歳月がかかって、教科書の内容が古くなり一度も使われないままにお蔵入りになるという苦い失敗(計画の錯誤と挫折)に終わったのである。自分たちが自分の能力や計画についてどう思っているかという『内部情報(主観性)に頼ったアプローチ』ばかりに気を取られて、自分以外の他の人やチームが過去に同じような計画を立てて実行してどうだったかという『外部情報(客観性)に頼ったアプローチ』を不当なまでに軽視無視してしまったのである。

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共同研究者のセイモア・フォックスから、過去に同じような教科書作成計画にチャレンジした学者・チームの『平均的レベル』が自分たちよりも高かった(統計的には自分たちはもっと教科書作成に時間がかかって失敗する可能性も高い)と聞かされていたにも関わらず、『自分たちだけは特別に短期間でやり遂げることができるだろうという自信過剰と自己の過大評価・外部情報(同等の能力の他者)の無視』に陥ってしまったのである。心理学実験では特別な成功者・有力者でなくても人の多くは『自分が人並み以上に勤勉・誠実・責任感があるという自己の過大評価の傾向』を持っており、本当に真剣にお金をかけるような実験でも、他人より自分のほうが勤勉(誠実)であるというほうに賭ける人が多いことが知られている。

なぜ人間は楽観バイアスによって『計画の錯誤・予算の肥大・結果的な失敗』を起こしやすいのだろうか。その原因は、『外部情報・統計的な傾向・他人との競争の無視』にある。

1.自分の計画と目標ばかりにフォーカスして、他のケースがどうなったのかという統計的な傾向(確率的な可能性)を無視してしまう。

2.成功と失敗がすべて『能力』だけで決まると思い込み、『運・偶然・他者』を軽視することで、自分の能力さえあれば状況を上手くコントロールできるという『コントロールの錯覚』に陥る。

3.自分の知っていることばかり強調し、知らないことや他人の意見を無視することで、盲目的に自分の意見・価値観を過大評価してしまう。

4.自分の計画や目標、能力ばかりに意識が向かい、競合する要素のある『他人の能力・努力・意図・影響力』を不当に過小評価したり無視したりする。

スタートアップの起業に成功した新進気鋭の経営者などは、特に『2のコントロールの錯覚』に陥りやすく、自分に能力があったから上場して成功したと思い込みやすく、『競争相手となる他社やこれから先の市場環境の不当な軽視無視』をしたために、追い上げられたり景気が悪化したりして(自分の能力だけでどうにでもなるというコントロールの錯覚が通じなくなって)、結局は起業した会社が長続きしないということにもなりやすい。とはいえ、組織集団における意思決定は、『いったん動き出した公共事業は止まらない』にも似た慣性が働きやすく、意思決定の方向性や目標がはっきりして最高責任者がゴーサインを出せば『懐疑なしの集団思考(懐疑・躊躇は忠誠心・意欲の欠如)』に陥りやすくはなる。

ただ学習性無力感やポジティブ心理学などで知られるマーティン・セリグマンは、楽観主義の性格の最大のメリットは『失敗しても挫けないこと・折れないこと』にあるとしており、成功は自分のおかげで失敗は他人のせいというご都合主義の『楽観的な原因帰属』によって、ポジティブなセルフイメージを維持して失敗・挫折からの回復の短期化を図ることができるとしている。

元記事の執筆日:2017/03/23

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