回避性パーソナリティーの『面倒くささ・億劫さ』と社会適応の妨げとなる『前向きな意欲(やる気)の低下』、回避性パーソナリティー障害の人はなぜ『対人関係の苦手意識・面倒くささ』が強まるのか?

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回避性パーソナリティー障害の人はなぜ『対人関係の苦手意識・面倒くささ』が強まるのか?


回避性パーソナリティー障害の傾向を強める現代人のライフスタイルと消費文明・ネット社会


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回避性パーソナリティーの『面倒くささ・億劫さ』と社会適応の妨げとなる『前向きな意欲(やる気)の低下』

社会適応がスムーズにいかなくて悩み込む原因の多くは、『前向きな意欲(やる気)の低下』『対人関係の苦手意識』『自己評価(自己イメージ)の低下』と関わっている。『前向きな意欲(やる気)の低下』は、失敗・挫折・恥によって傷ついて意欲(やる気)が無くなるというのもあるが、生きるため(社会に適応するため)に必死に努力する意味を感じられなくなり、『面倒くささ・億劫さ・モノグサ(怠惰)』に常に圧倒されて身動きができないような状態も増えている。

そういった社会適応に対する面倒くささ・億劫さ(不安感も含め)が極めて強くなった人の一部が、ひきこもりやニートの状態に移行しやすくもなる。だが子供時代から『消費者意識』が優位になり、豊かで便利になった現代社会では、意欲低下や自己評価低下(大きな躓きによる自信喪失)があると最低限度の社会適応のハードルは高くなり、人と会ったり仕事をしたりする心理的な準備体制が自発的に整いにくくなる傾向がある。

前向きな意欲(やる気)が極端にでない期間や誰とも会いたくない気分が続くと、現代ではうつ病(気分障害)や社会不安障害(対人恐怖症)のような精神疾患を疑われることになるが、実際にはその人のそれまでの成功体験・自己評価・欲求や野心・社会認識などによって『人生・仕事・人間関係のやる気と面倒くささの個人差』は病気がない人でも相当に個人差が大きいものである。人生や仕事、人間関係は一般的に楽しいこともあれば嫌なこともあると考えることができるが、世の中には『つらいことが多い人生は修行のようなもの・嫌なことを我慢して給料を貰えるのが仕事・社会で生きていくためには嫌な人とも無理に付き合わなければならないのが人間関係』というように、我慢や忍耐、無理を前提にして世の中に消極的にひっそり適応している人も少なくない。

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基本的に『人生・仕事・人間関係は嫌なことが多くて面倒くさいもの』という認識を持っているが、表面的にはそれなりに上手く適応している人も結構いるということである。こういった社会生活・対人関係に対する慢性的な面倒くささや億劫さを常に抱えていて実際に動けない人は、パーソナリティー障害の分類ではクラスターCの『回避性パーソナリティー障害』に当てはまることも多い。だが、現代人のモラトリアム遷延やネット社会の間接コミュニケーションによって『面倒くささ・億劫さのある社会的行動(対人関係)の回避傾向』は過去の時代よりも強まっている。

極端な不適応や行動不能な無気力に陥らなければ、誰もが程度の差はあっても、敢えて(生きていくために絶対的な必要性がなくても)積極的に社会・他人に関わっていきたいとまでは思えない億劫な心理状態は珍しいものではなくなっていて、若者世代でも『異質な他者を避ける身内志向(気の合う仲間だけ)・外的な刺激を避けるインドア志向(室内での一人遊び)』は強まっているとされる。

回避性パーソナリティー障害の人はなぜ『対人関係の苦手意識・面倒くささ』が強まるのか?

『前向きな意欲(やる気)の低下』は極端に強くなれば精神医学的なうつ病(気分障害)に当てはまることになるが、『対人関係の苦手意識』とも密接な関わりを持つものである。『対人関係の苦手意識』といってすぐに想起されるのは、人と会ったり話したりすること、人前で何かを発表したり動作をしたりすることに強い緊張感・不安感を感じて動悸・発汗・赤面のような身体症状がでる『社会不安障害(社交不安障害,対人恐怖症)』であるが、意欲の低下と相関する問題では不安・恐怖よりも『人と会うことの面倒くささ・人と責任(義務)の生じる約束をすることの億劫さ』というものが強くなりやすいだろう。

回避性パーソナリティーの『面倒くささ・億劫さ』と社会適応の妨げとなる『前向きな意欲(やる気)の低下』

人と関わることが面倒で億劫という人も、『他者や他者とのやり取りに対する興味関心がほとんどない自閉症スペクトラムの程度が強い人』『他者や他者とのやり取りに対する興味関心はあるが自分にとってちょうどいい関係性(相手)がなかなかない人』に分けることができる。前者は他人に対する興味(欲求)がなく他人と関わっても喜び・楽しみを感じにくい、他人の評価にもあまりこだわらないので『他人と関わらない一人の時間・場所がとにかく好き(他人には自分にあれこれ構ってほしくない)』という感じになりやすい。

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後者の『他者や他者とのやり取りに対する興味関心はあるが自分にとってちょうどいい関係性(相手)がなかなかない人』というのは、『他人に気を遣いすぎて疲れてしまう人・他人の要求や期待に応えることが煩わしいと感じる人・長い時間、他人と一緒だと気疲れしてしまう人』で、現代人には比較的多いタイプの人たちである。人と会うと疲れてしまう人は、人に良く思われたい、人に悪く思われたくないという気持ちが強い人で、他人からの否定・拒絶(他人が機嫌を損ねて自分を低く評価すること)に対して敏感になる傾向がある。こういった人に良く思われたい、人に嫌われたくない(人に失望されたくない)という心理は現代人では一般に相当に強いので、アドラー心理学をベースにした『嫌われる勇気』がベストセラーになったりもするわけである。

人と会うと疲れてしまうとか、人と話したり関わるのが煩わしいとかいう人のもう一つの心理として、自己愛性パーソナリティー障害とも関係した『人間関係のメリットとデメリットへのこだわり・都合の良い人の過度の選り好み(自分が気に入って自分に負担やデメリットの少ない人としか接したくない)』もあるだろう。こういった人は、具体的根拠のない自信過剰や自己愛の強さによって、他者の相対価値(自分と合うような人間かどうか)を値踏みしやすく、自分が納得のできる気に入った人としか関わりたがらないが、基準・好みが高すぎたり要求・期待が多すぎたりして、結局、誰とも関わりたくない億劫さや煩わしさに負けてしまう。

更に、他人に対しては選り好みをしたり高い基準や贅沢な好みを押し付けるのに、自分自身は他人から負担になるような要求や期待をされたくない(自分側の要求や期待ばかりを押し付ける)というわがままな自己中心性も出やすいので、色々なタイプの人と付き合う多様な社会的な人間関係からは必然的に遠ざかりやすくなってしまう。『前向きな意欲(やる気)の低下』の背景には、上で述べた『対人関係の苦手意識』だけでなく『自己評価(自己イメージ)の低下』も深く関わっている。対人関係が苦手という人の多くは『自己評価(自己イメージ)』が低下しているが、自己評価が下がって自己イメージが縮小していると、『他者からの要求・期待に応えることができる確信』もなくなるので、他者から賞賛されたり認められたりすることさえも心理的に大きな負担になってしまう。

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普通は、他者から賞賛されたり認められたりすれば嬉しくてやる気が高まるものだが、自己評価の低下と対人関係の苦手意識が強くなっていると、『更に困難なことを期待されるのではないか(この気を遣う人間関係がまだずっと続くのではないか)という煩わしさ・面倒くささの思い』ばかりが沸き起こりやすくなり、何かを期待されて自分が評価されること自体が憂鬱の原因にもなってしまうことがある。現代の若者のかなりの部分が、会社での立身出世や社会的成功に後ろ向きで、どちらかといえばほどほどに仕事をしてまったりと私生活(自由な時間)を充実させていきたいという考えを持っているとされる。

こういった社会活動や昇進昇給にあまり前向きでない心理の根底にも、この『他人から要求・期待されることの煩わしさや重圧感(他人の要求・期待に応え続ける自信・確信のなさ)』があると推測されるが、消費社会・ネット社会の現代では必要以上にストレートな形で他者・社会にコミットしたくはない(お金や社会的承認がそれほどなくても自分と極めて親しい他者だけの世界に浸るほうが良い)とする軽度の回避性パーソナリティーや非社会的行動の傾向はそれほど珍しくないだろう。

回避性パーソナリティー障害の傾向を強める現代人のライフスタイルと消費文明・ネット社会

回避性パーソナリティー障害の傾向性がある人が増えている大きな原因として、利便性や効率性が高まり拝金主義で勤勉道徳がかつてより衰え、ネット(スマホ)が普及して画面を通した間接的コミュニケーションが一般化した『現代的なライフスタイル』もあるだろう。

回避性パーソナリティー障害の人はなぜ『対人関係の苦手意識・面倒くささ』が強まるのか?

現代人は中流的な経済状況の家庭で育てば、子供時代からインターネットを使って物質的・情報的に満たされた生活を送り、ある程度甘やかされれば便利なモノや道具があって当たり前という消費文明に過剰適応してしまう。受験・学歴に偏った価値観に染まれば、勉強さえして点数・順位などの数字の結果を出せば良い(大人になればお金さえあれば良い)とする社会性・協調性の乏しい自己中心的な性格形成をしてしまう可能性も高まる。

農業経済・工業経済の時代のように、つらくて大変なことも多い『生産者(労働者)』としての自己アイデンティティーを自然に身につけていくことが簡単とは言えなくなっている時代背景や個人の能力・魅力・努力の競争原理による格差(自己評価の低下のしやすさ)も影響している。現代はインターネット(スマホ)のSNSのコミュニケーションにせよ、ネット通販の買物やネット上の株取引にせよ、企業の自宅勤務・リモートワークの促進にせよ、『直接に他者と接してやり取りする対人コミュニケーション』を回避しても迅速に目的を達成することができるツールや手段が増えている。

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こういったネット社会や技術革新による利便性・効率性の増大が、『社会的な動物』として今まで進化してきた人間の行動パターンや対人関係に一定以上の影響を与えていることは確かで、単純に『一日のうちで画面を見て過ごす時間』がネット以前(1995年以前の頃)とは比べ物にならないくらい増えている。回避性パーソナリティー障害が重症化する前兆としては、(いじめなど特別な理由もないのに)思春期の子供が学校に行くのが面倒くさいといって行かなくなるとか、(うつ病のような精神運動抑制で動けないわけではないのに)大人が会社に行ったり働くのが億劫になって長期の失業状態に陥ってしまうとかいう現象があるが、『学校・会社・仕事・人間関係に対する社会的適応』というのは基本的に大変で面倒なことが多いものである。

ストレスも多くて大変な労力・時間も必要になる社会的適応の課題に、自分がどのようなモチベーションや意味づけの意識で立ち向かっていけるか(前向きな意欲を維持して適応的な努力・行動をやめずに続けられるか)が、現代ほど問われた時代はかつてなかったとも言える。それは現代ほど衣食住に困らない時代(生きるための社会的行動を取る理由をあれこれ考える時代)が過去にはなかったことの現れでもあり、現代ほど仕事に必要なスキル・経験が複雑化している時代(ただ健康でやる気さえあれば納得できる仕事で稼げるわけではなく仕事のための学習が必要な時代)も過去になかったことの現れでもあるのだが…。

人生を決断しないモラトリアム遷延や他人と関わらない非社会的行動を生み出す『前向きな意欲(やる気)の低下』『対人関係の苦手意識』『自己評価(自己イメージ)の低下』は、回避性パーソナリティー障害の各種の行動パターンを特徴づけている。極度の回避性パーソナリティーの傾向性は、現代人にとって豊かで便利な現代の消費社会の中での『主観的な悩み+客観的な格差』を生み出す原因にもなっているので、これらの心理社会的問題ややる気をなくす自他の認識を解決する自分と社会にとってのメリットはやはり大きいということになる。

社会的活動や人間関係の何もかもが面倒くさくて煩わしいという行動抑制の傾向は、過去のトラウマや性格形成過程が背景にあって『失敗・挫折・拒絶』によってこれ以上傷つけられたり恥をかいたりしたくないという自己防衛の心理とも重なる部分が多い。『自己評価・自己イメージ』を適切な水準に回復させながら、『実際の他者・社会と関わって得られる何らかのメリット』を一つでも二つでも体験してみる機会を持てることが社会的行動の意欲回復のポイントになってくる。

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元記事の執筆日:2017/06/07

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