他人を“自分の仕事の邪魔”と感じてしまう心理と完全主義思考による不適応・無気力のリスク、“真面目すぎる人・完全主義思考に囚われる人”はなぜストレスを溜めやすいのか?

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“真面目すぎる人・完全主義思考に囚われる人”はなぜストレスを溜めやすいのか?


『受動的・依存的な生き方』の克服と自己肯定感を高める1:小さな興味・成功体験の実感


『受動的・依存的な生き方』の克服と他者との適切な距離感2:他者に振り回されない


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他人を“自分の仕事の邪魔”と感じてしまう心理と完全主義思考による不適応・無気力のリスク

ある分野の優れた能力(知識・技術)や意欲(やる気)がある人は、『他人にも自分と同程度の能力・意欲があるのが当たり前』という決めつけをしてしまいがちである。そして自分ができることを他人ができないことが許せなくなり、怒り・不満を溜め込み、リーダーシップや教育能力を発揮できなくなり全体の仕事のパフォーマンスも落ちてしまう。『あいつは仕事ができない・全く使い物にならない・あの人のせいで仕事が終わらない』といった部下(後輩)への不平不満をいつも述べているような上司(先輩)は少なくない。部下(後輩)が『自分の仕事の邪魔・障害』になっているように感じている上司(先輩)は、パワハラをするリスクが高くなるし職場の人間関係(職場の居心地)を悪くしてしまいやすい。

そういった上司(先輩)の多くは、『長くその仕事をやっている自分と同じくらいに部下も仕事ができるべき・入ったばかりで何も教えられていない新人でもこれくらいの仕事はできないとおかしい・自分がなぜわざわざ仕事を教えてあげなければならないのか・何をして良いか分からない状態の新人に何も指示指導をしなくても自分からできる仕事を探して動いてほしい』といった非現実的・自己中心的な認知を持っている。過剰な期待や高いハードル設定をしてしまい、その期待通りに部下(後輩)が動いて働いてくれないから頭に来たりストレスを溜め込んでしまう。だがリーダーシップの基本は、『相手のことをしっかり観察して長所・短所・意欲・適性・各種の心理状態を見極めること』である。

リーダーシップを発揮して相手のモチベーションや仕事の成果を高めるためには、『相手の短所(ダメな部分)だけを取り上げて否定する』のではなく、『相手の長所(良い部分)を発見して肯定的に評価して、次のステップに進めるよう支持すること』が大切になってくる。すべての分野において能力も意欲もないダメな部下(後輩)も稀にいるかもしれないが、働き始めたばかりの新人の時期に完全に意欲のない人材というのは少なく、部下(後輩)の仕事ぶりや行動・表情・会話などをしっかり観察していくうちに『部下(後輩)の適性・特徴・能力の活かし方』『モチベーションの高め方』のポイントが見えてきやすい。

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自分ほど仕事のできない部下・後輩に限らず、職場にいる他者を『自分の仕事の邪魔・障害』のように感じてしまう自己中心的な認知の背景には『自分自身の仕事状況や時間管理の余裕のなさ=ノルマ・目標達成に圧迫される心身の調子の悪さ』も関係している。気分・感情を改善する認知療法の基本戦略は、自分の欠点ではなく長所に意識を向けて、客観的な出来事を肯定的に解釈していくことにあるが、『自分・他者の欠点(ダメな部分)』ばかりに意識が向かって成果を出せなくなる原因の一つに、『完全主義思考(0か1かの二分法思考)』がある。

正確には非現実的かつ非効率的な完全主義思考によって、人は『原理的に完全にはなれない自分・他者に対する評価や信頼』を失いやすくなり、『ミスのない完全な状態でなければ何をやっても意味がない』という無気力な状態(何も実際の行動ができない状態)に落ち込みやすくなる。完全主義思考に過度に囚われた優秀な人は、途中のどこかで一度でも失敗や挫折をしてしまうと、それ以上の行動や努力を続けることができない『潔癖さ・ひ弱さ・逃避傾向』を露呈しやすくなる。

元々は成績優秀だった人や頭脳明晰だった人でも、『完全でなければ意味がない・常に他人より優れていなければ意味がない』といった非現実的かつ非効率的な完全主義思考(過剰な競争心・他者との比較)に囚われてしまうことで、現実的に意味のある仕事や努力を続けることができなくなってしまうリスクが高まるのである。現実には有り得ない完璧な結果を求める『完全主義思考』は、真面目で几帳面な人ほど持ちやすい非適応的な偏った思考であるが、うつ病の病前性格として知られるメランコリー親和型性格や執着性格の根底にも『完全に仕事や学業をやり遂げられなければ意味がない・真面目にコツコツと努力してミスを全くせずに責任を果たさなければならない』という自分を追い込んでいく過度の完全主義思考があることが多い。

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部下・後輩など他者が仕事ができないからといって『邪魔・障害』のように感じて、自分がイライラして人に当たってしまうような人も、『他者を邪魔・障害と感じるような好ましくない短所の部分』ばかりに意識を向けたり、『誰も自分の邪魔にならない完全主義的な職場環境・仕事状況の希望』を持っていたりする。上司に対して過度の苦手意識や自分の邪魔になっているという感覚を持つ部下もまた、『誰も自分の邪魔にならない完全主義的な職場環境・仕事状況の希望』に囚われていると言えるが、そういった万事が思い通りになる完全な職場や仕事状況というのは『現実には存在しないもの』であるから、その希望に執着している限り不平不満のストレスが無くなることはない。

この職場の人間関係や完全主義の問題を改善するためには、『注意を向ける相手(自分に合って理解してくれる相手・仕事でプラスの多い相手に注意を向ける)』と『相手のどの部分に注目するか(相手の短所ではなく長所を見つけて注目する)』を調整していくことが効果的である。仕事の悪い部分ばかりが目立つように見える相手であっても、『ここの部分や性格は素晴らしい・この分野の仕事や知識は優れている・あの時にこういったことで役に立ってくれたといったポイント』を探せば一つか二つは見つけることができるはずであり、困難や障害、欠点ばかりを過大評価しないようにすること、その相手の良い部分に注目して人間関係を良くしていくことが大切である。

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“真面目すぎる人・完全主義思考に囚われる人”はなぜストレスを溜めやすいのか?

他人の言動や反応(評価)に影響されやすい人ほど、『過度の完全主義思考+表面的な真面目さ・責任感の強さ』を持ちやすく、他人が思い通りに動いてくれないとか、自分はこれだけ頑張っているのに他人が応えてくれないとかいった怒り・不満のストレスを抱えやすい。そういった怒り・不満のストレスが積み重なることによって、うつ病のような気分の落ち込みや意欲喪失を引き起こしやすくなり、自分と他人に対する評価(信頼)も低下していきやすい。

他人を“自分の仕事の邪魔”と感じてしまう心理と完全主義思考による不適応・無気力のリスク

実際には実現できない強迫的な完全主義と合わせて、几帳面・神経質で真面目な人ほど悩みやすく落ち込みやすいと言われるが、それは『表面的な真面目さ・責任感の強さ』の背後には『他者からの愛情・評価・承認を求める強烈な欲求』が潜んでいることが多いからである。つまり、何も見返りを求めていない感じで黙々と真面目に仕事・努力を続けていても、他人からそれに見合うだけの承認や評価が得られない時には、表面的に真面目な人は『かなり強い不満・虚しさ・怒り』を鬱積させていること(自分はこんなに真面目に頑張っているのに誰も認めてくれず報われないと無意識にでも思っていること)が多いのである。

真面目すぎるほどに真面目な人というのは、『やるべき仕事・学業に対して本気で興味をもってのめり込んでいる』というよりも、『(人知れず真面目に頑張っている自分に対して)他人から好意や評価などの肯定的な反応を貰いたいと思う欲求』が強いことも多く、そういった人の場合には不満・怒りの蓄積によって燃え尽き症候群やうつ病の発症リスクが上がりやすくなってしまう。真面目すぎるほどに真面目な人は、他人や異性、遊び、冗談に興味がないような外観を示しているが、本音の部分では真面目に頑張っている自分(社会的規範・常識観念をきちんと守っていて道を踏み外していない自分)を認めてもらう形から始まって、他人との交流や他人からの好意を求めているところがあるのである。

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しかし、そういった本音の他者に対する自分を認めて欲しいという欲求がダイレクトに伝わりにくいために、真面目すぎる人はそれほど真面目ではない人よりも、『他者からの愛情・評価・承認』を得づらくなって余計にストレスや苦しみが増す(真面目さが空回りして報われない不満を持つ)ということになりやすい。仕事・学業を真面目にコツコツと努力して頑張ることは、社会一般的には高く評価される行動様式とされ、表面的な社会適応も良くなりやすいが、『他者との本音の交流・他者から愛されたり認められたりすること』にはあまり役に立たないことのほうが多い。

真面目さは確かに人間的魅力の一部ではあるけれど、それよりも主に社会規範や労働道徳の上で評価されやすいものである。真面目さや責任感の強さはそれだけでは、『人間としての好き嫌い・承認や愛情を伴う関係』で必ずしも最優先されるべきものではなく、『ユーモア・話題の多さ・楽しさ・面白さ・爽やかさ・共感性(受容感)・清潔感・柔軟さ』といったその他の要素と組み合わせることによって初めて人間的魅力が高まるものだからである。真面目すぎるほどに真面目な人や完全主義思考を持っている人の問題は、自己評価が低くて対人関係で認められる自信もないために、人から認められるための手段として『真面目さ(社会的な模範性)・完全主義(ミスをしないこと)』を用いてしまうということである。しかし『他人からの愛情・評価・承認』を求める手段としては、『真面目さ(社会的な模範性)・完全主義(ミスをしないこと)』はあまり有効に機能しないので、頑張っているのに報われないという不平不満やイライラを溜め込んでしまいやすい。

他人から愛されたり認められたりする手段として最も重要なのは『人間的魅力・本音のコミュニケーションの相性・相手に対する好意や共感』であるが、それを『他者の価値観と関係しない真面目さ・完全主義思考』に置き換えてしまうと、『自分の望むものが得られない努力による徒労感・不満感』の原因になりやすいのである。『他人の好意・愛情・評価』に関心があるのに関心がない振りをして、真面目さや完全主義で過剰に頑張りすぎると燃え尽き症候群・うつ病を発症しやすくなってしまうが、それを防ぐには『ありのままの自分の呈示をしても受け容れられるか・本音のコミュニケーションでお互いが楽しめるか・ユーモアや趣味、関心の共有ができるか』というもっとリラックスした姿勢での他者との相互的な関わりのほうが大切になってくるのである。

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本心から他人のための献身的努力を真面目にできる人であれば、他人の一つ一つの反応や評価は気にならないはずであるが、そこに『他人からの好意・愛情・評価を求める欲求』が入り込んでしまうと、他人が自分に対する感謝や高い評価を示してくれないと満足できずに不満・怒りで苦しむことになる。『真面目・勤勉・義務といった社会的価値観』を守ることだけでは、人間的魅力やコミュニケーションの楽しさを他者に実感してもらって認めてもらうことはなかなか難しいし、真面目さだけで人間関係や仕事のすべてが上手くいくという話でもない。

しかしその難しいやり方だけにひたすら固執して(それ以外の方法が分からず自分が傷つかないよう防衛的に他者と恐る恐る関わりながら)、自分の価値を認めてもらえず不満ばかり感じて気分が落ち込んでしまうのが、真面目すぎて柔軟さがない人の心理的苦悩のメカニズムである。表面的な真面目さによって、自分が批判・否定をされないように(人から嫌われないように)防衛しすぎるということは、『本音の自分にある逃避・怠惰・不安・面白みのなさ』を真面目さ(社会的に批判されない建前・正しさ)によって抑圧していることにもつながる。だが、自分を偽る形の無理の多い『抑圧』にはいずれ限界がくる。

真面目に頑張ってやっているのにいつまでも自分が期待している承認・評価が得られない時に、突発的に怒りが爆発したり深刻な抑うつ感で塞ぎ込んで行動できなくなってしまったりする。そういった抑圧の限界からくる不適応状態を避けるためには、早い段階で『自分が真面目にコツコツと努力を続けていることの目的・理由』を自分自身で納得できるように整理して受け容れておく必要がある。

『受動的・依存的な生き方』の克服と自己肯定感を高める1:小さな興味・成功体験の実感

自己アイデンティティーを確立できていないと、自分が何者で何をしたらいいかが分からないという意味で『受動的・依存的な生き方』に陥りやすいですが、『能動的・自立的な生き方』にシフトするためには、自己肯定感・自信(自尊心)を高めていく必要があります。幼少期から『自分の考え・興味・行動』を親・友人など周囲の人に馬鹿にされたり否定されたりしてきた人は、どうしても自分自身は他人よりも劣っていて何をやっても上手くいかない(何も興味を持たずやらないほうがマシ)という『自己肯定感の低下』が起こりやすくなります。

自分で自分の存在価値を認められないという自己肯定感の低下は、自分から何かに興味・目標を持つことができずチャレンジすることがないという『受動的な生き方』につながります。あるいは、精神的に自立できず誰かに従ったりついていったりして正しい方向に導いてほしい(他者に反対・自己主張することができずに自分を押し殺してしまう)という『依存的な生き方』の原因にもなりやすくなります。

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自己肯定感を高めて自信を持つためのもっとも効果的な方法は、『今の自分にとって少し難しい課題で成功体験をすること』ですが、十分な準備・心持ちができていない状態で、いきなり難しめの課題に挑戦することには『失敗・挫折による自己否定感・自信喪失のリスク』もつきまといます。自己肯定感を回復させるための失敗しにくい初歩的な課題としては、幼少期から禁止・否定されてきた(自分から何をしても無駄だと思ってしまった)『自分の能動的な興味・関心』を見つめ直したり改めて探したりして、自分自身が楽しむため頑張るための『興味・関心を持つことを許可すること』です。

『興味・関心の対象』はできるかできないか分からない難かしめの課題ではなくて、過去に興味を持っていたけどやらないままに終わってしまっていたこととか、昔に少し取り組んでみてやりがいや面白さを感じたこととかで良いのです。自分自身で何かに対して能動的・積極的に興味関心を持てるようになって、上手くできてもできなくてもとりあえずやってみること、実際にやってみて少しでも楽しい部分ややりがいのある部分、もっと上達したい内容などに気づけることが自己肯定感の基盤として大切になります。

メンタルヘルス改善のために自己肯定感を高めるとっかかりとしての『興味・関心の対象』を選ぶ際には、『政治経済・社会問題・思想哲学のような自分と直接の関わりが薄い複雑で大きなテーマ』よりも『自分自身の日常生活に関わりのある趣味・仕事・関係・活動のようなシンプルで小さなテーマ』のほうが良いでしょう。それは自己肯定感の上昇には『小さな成功体験・楽しい感覚的(身体的)な実感』のほうが効果的だからで、『政治経済・社会問題・思想哲学のような自分と直接の関わりが薄い複雑で大きなテーマ』だと、頭(概念・理屈)で考えるばかりになりやすく、現実的に自分にできることはかなり限られてしまうからです。

複雑な内容の読書や勉強を教養・知性を深めるための趣味として楽しめる性格であれば、そういった大きなテーマを自分なりの考えて咀嚼して応用するような方法もありますが、一般的には『小さな成功体験・楽しい感覚的(身体的)な実感』を得やすい身近なテーマ(活動・目標)のほうが適していることが多いのです。仕事で実現しやすい目標を立てるというような実際的なテーマもありますが、仕事返りに気分転換におしゃれなカフェで美味しいコーヒーを一杯飲んで帰ろうとか、趣味の語学の勉強も兼ねて英会話教室に通ってみようとか、朝か夕に30分くらいウォーキングして健康維持をしようとか、過去にやっていた登山や歴史散策の旅でもまたやってみたいなとかでもいいわけです。

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何事に対しても受動的になってしまう、勢いのある人(口の上手い人)に合わせて自分の意見(賛否)を押し殺してしまって後でもやもやとした不満が残るという人も多いですが、そういった人は『自発的な興味・関心(テーマ設定)を持つこと』と合わせて『小さなことからの自己開示・自己主張(アサーション)』をしてみるのもいいかもしれません。『小さなことからの自己開示・自己主張(アサーション)』の基本は、自分がどのような気質・性格の人間であるか、どんな意見・価値観・ライフスタイルを持っているかを段階的に少しずつ相手に知らせていくことです。

相手に嫌われたくないと思って『自分をほとんど捨てて相手の意見に完全に合わせること』も、相手に支配・命令されたくないと思って『相手の意見や誘いを何でもかんでも強く否定・非難すること』もどちらも極端であり、非適応的な心理状態や対人関係に陥ってしまいます。望ましいコミュニケーションや対人関係のあり方は、自分がどのような人間であるかを少しずつ開示して相手にも知ってもらう自己開示を進めていき、『合わせるべきところは合わせて断るべきところは断る(相手に全面的に依存・従属せずに臨機応変なやり取りができるようになる)』といったバランス感覚のある自己主張ができるようになることにあります。

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『受動的・依存的な生き方』の克服と他者との適切な距離感2:他者に振り回されない

日常生活や人間関係、仕事状況にまつわる小さな出来事やテーマに前向きな興味関心を持って現実的な対応を取れる人のほうが、精神状態が安定しやすく自己肯定感が高まりやすいとされますが、その理由としては『小さな成功体験・感覚的な実感を積み重ねやすいこと』『現実的な目標に合わせた適切な要求水準であること(今の自分でも努力や工夫によって成し遂げられそうなことを目指している)』が考えられます。

『受動的・依存的な生き方』の克服と自己肯定感を高める1:小さな成功体験の実感

政治経済や社会全体に関わるような大きなテーマだけに興味関心を持ったり、現時点の自分からは簡単になれないような理想自我のイメージ(具体的なプロセスや手応えのない完全主義的な欲求)に執着し過ぎたりすることは『小さな成功体験・感覚的な実感を積み重ねにくくすること』や『(高望みで)現実的な物事・他者・仕事を過小評価して不適応状態をこじらせること』にもなりやすいからです。

自我の自立性が弱くて自己アイデンティティーが確立してないために何をすれば良いか迷っている人は『受動的・依存的な生き方』になりやすいですが、自立性が低くて他者に依存的になることの大きな弊害は『他者の言動や状況に敏感に反応してしまい、落ち込んだり傷ついたりしやすいこと』です。自我が自立していないということは、精神分析的にはエディプス・コンプレックスを克服しておらず、幼児的な全能感と親への情緒的執着(甘え・依存・怖れ・従属など)が混じって維持されているという状態ですが、その自立していない状態では『(誰か何かに依拠して頼らないと)自分で自分を支えられないという問題の程度』が大きくなりやすいのです。

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社会でバリバリ働いて実績を残して家庭を維持し、色々な人と社交的に関係を持っているようなどんなに立派な大人でも『誰にも頼らなくてよい100%の完全な自我(精神)の自立』というのは有り得ませんが、依存的で自我が自立していない人は『他者の些細な反応・言動』だけで大きな影響を受けてしまうという意味で『自我(精神)の自立度』が平均よりもかなり低い状態になってしまいます。自我が自立できず自己アイデンティティーが拡散してしまうことの弊害は、自分の気分・感情の状態が『他者の変化(外部状況の変化)』に極端に依存してしまって、他者(外部状況)に簡単に振り回されてしまうという問題なのです。

受動的・依存的な生き方は、依存性パーソナリティー障害(DPD)や境界性パーソナリティー障害(BPD)の診断基準になっている各種の特徴を満たすこともありますが。その典型的な特徴には『自分と他人との境界線が曖昧であり適切な距離感を取れない+他人の言動によって大きな影響を受けて落ち込んだり怒ったり混乱したりしやすい』ということがあります。自分と他人との境界線が曖昧になっていて適切な距離感が取れないということから、相手が自分に付き合いきれないと思って去ることも多くなり、『長期の安定した人間関係の形成』ができないことによって、余計に自己肯定感・自信が下がったりこれからどのように生きていけば良いか分からなくなったりしやすいのです。

依存的な人は、他人から肯定されたり賞賛されたりすれば、すぐに気持ちが舞い上がって最高に楽しくて幸せな気分になるのですが、逆に他人からちょっと否定されたり非難(侮蔑)されたりすれば、それまで最高に楽しい気分であっても一瞬で最悪の落ち込んだ気分、つまらない気持ちになってしまい、そのネガティブな気分をいつまでも引きずってしまいやすいのです。褒められれば嬉しいしけなされれば悲しいという意味で、他者の言動に一喜一憂しやすい部分は誰でも多かれ少なかれ持っているのですが、『他者のちょっとした否定的な言動で自己嫌悪・自己否定・絶望感に陥ってしまう』とか『いったん落ち込んだり不愉快になった気分がいつまでも続く、気持ちの切り替えができずに最後は自分が不利益を受ける』とかいう状態であれば改善したほうが良いということになります。

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受動的・依存的な生き方を改善するためには、自分のできるところから『他者との望ましい付き合い方・他者に振り回されすぎない自分の自立的なあり方』を考えてみて、『自分の自発的な興味関心に基づく行動・挑戦』を増やしていくことが効果的です。家族・恋人など人生の中でよほど重要な位置づけにある人間関係は除くとしても、『この人との人間関係は大切だけれど(自分にネガティブな影響ばかりを与えるのであれば)この関係が無くなっても生きられないわけではない』といった自他の境界線の引き方や自立的な意識の持ち方も大切です。

自分の自立的な生き方や自発的な興味・目標が固まれば固まるほどに、自分を否定・非難してくる『他人の些細な言動・反応』に対して、事を荒立てずに上手くスルーしたり、お互いにとって適当な範囲の受け答えだけでやり過ごすことができるようになります。自立的な意識がなくて自己アイデンティティーが拡散している人ほど、『自分に対して少しでも否定的な意見や立場』に対して強く叩くような反応をせずにはいられず、結果として(相手にそれほどの敵意・悪意がない場合でも)気分が激しく落ち込んだり感情が乱れて苦しんだりしやすいのです。

自他の境界線がなくて相手と適切な距離感が取れないと、大勢の自分と合わない他者が『戦わなければならない競争相手(戦って自分の側の正しさを証明しなければならない敵)』に見えてしまい、ずっと気分が安らがずにリラックスした状態で自分のやるべきこと(つながるべき相手)に集中できなくなります。自分のやるべきことにリラックスして集中できなければ、余計に自我の自立度(自己肯定感・自信・確信度)が下がることになり、『他者の言動の一挙手一投足』が気になって仕方なくなります。

そして、他者の大したことのない反応のひとつひとつに傷つけられて落ち込んだり怒ったりしなければならない悪循環に陥ってしまうのですが、自分が『戦わなければならない競争相手(戦って自分の側の正しさを証明しなければならない敵)』と思っている相手は、そこまで自分との優劣競争(正当性の証明競争)に強い執着を持っていないことも多いのです。自他の境界線が曖昧になっている『受動的・依存的な生き方』のもう一つの問題点としては、自分の気分が悪化したり感情が混乱したりした責任を『自分の気に入らない反応をした他者』に押し付けることで、過度に『他責的・他罰的・逃避的・お節介で恩着せがましい対応』になりやすく人間関係のトラブルが増えるということもあります。

『誰かのためにする活動』は尊いものですが、自立性の低い依存的な人はそれを『あなた(お前)のためにこれだけしてやったのに』という『お返しを求める恩着せがましい利己的な対応』に変えることで台無しにしてしまって、他者から余計にネガティブな反応を返されやすくなります。『誰かのためにする活動』の背後には確かに、少しは恩返し・感謝もしてほしいという『自分のためにする活動』の側面もあるわけですが、自他の境界線が弱い人は『相手のお返しが返ってくるまで待ちきれない気持ち』になりやすく、他人に恩を着せたり道徳的に責めたりすることで、(相手のために良かれと思って色々しているのにも関わらず)人間関係がかえって疎遠になりやすいのです。

自我の自立性が低くなって他者に自分のあり方を依存することによって、『自分ひとりで能動的・自発的にやりたいこと』がなくなってしまい、常に『誰かと一緒に行動したい共同行為の欲求・誰かからの賞賛や共感に対する欲求』に自分の気分・感情が支配されてしまいやすいということです。『自分の興味・行動そのものを楽しむという内発的動機づけ(誰かから褒められ認められるか否かに依存しない自分のやりたい活動に対する自然な意欲)』が高まらなければ、よほど社交的・共同体的で利他的な人づき合いの労力(他者から好かれて求められるための努力と気配り)を惜しまない人でない限りは、人生を心から楽しめない時間、無意味さ(孤独感)を感じる虚しい状況はどうしても多くなってしまいがちなのです。

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元記事の執筆日:2017/07/02

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