男性と女性のどちらが生きづらいのか?1:男は力・女は美のプロトタイプの変化とジェンダー,男性と女性のどちらが生きづらいのか?2:男と女で何が得(損)かが変わる非対称性の問題

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男性と女性のどちらが生きづらいのか?1:男は力・女は美のプロトタイプの変化とジェンダー


男性と女性のどちらが生きづらいのか?2:男と女で何が得(損)かが変わる非対称性の問題


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男性と女性の恋愛行動(性行動)パターンの違いと社会的性差のジェンダー論

性徴・身体による生物学的性差を“セックス(sex)”、社会構造(慣習・役割規範)による社会的性差を“ジェンダー(jender)”といいますが、フェミニズムやジェンダーフリーの立場では男女差別を生み出す恐れのあるジェンダー(男らしさ・女らしさ)をできるだけフラット(平等)にしていこうとする傾向が見られます。身体構造による生物学的性差であるセックスは基本的に変更することが不可能ですが、人々の慣習・役割の規範的意識や現時点の常識感覚が生み出しているジェンダーはある程度まで変えていくことが可能だと考えられているからです。

しかし、男性と女性は社会的・経済的・意識的に規定されるジェンダーの影響があるとはいえ、『性行動・コミュケーションの取り方・物事や美の優先度・所有か共感か』といった行動パターンの違いが大きく、教育や訓練によって男女の性差をゼロに近づけることは概ね不可能なように思えます。男性はよほど嫌いなタイプであるか最優先して守るべき家族(彼女)がいるかでもなければ、女性からの恋愛・性的な誘いを完全にシャットアウトすることはなく、誘ってきた女性に対して強い嫌悪感・恐怖感を感じることも少ないものです。

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男性は女性と比較すると不特定多数の女性への好意・性欲を持ちやすく、パートナーがいる男性で最終的には断るとしても、好きでも嫌いでもない程度の女性から好意を寄せられたり誘われたりすることは、むしろ少しハイになる嬉しい体験(男としての自分に自信がつく体験)として認識されやすいのです。しかし、女性は男性とは対照的に『許容する男性のストライクゾーン』がかなり狭く、言い寄ってくる男性がよほど好きなタイプであるか、相手の外見・言動に好印象を持たない限りは、恋愛・性的な誘いを基本的にはシャットアウトします。

女性の性的パートナーのストライクゾーンの狭さの現れとして、友達だと思ってそれまで親しく話していた男性から、『自分が異性として求められている(自分に対する恋愛感情・性欲を持っている)と分かった途端』に急にそっけなく冷たい態度になったり、距離を置いて避けたりすることも少なからずあります。女性は『自分に恋愛感情・性欲を持っていることが明らかになった男性』とは、なあなあの友人関係を続けることが難しくなりがちというのも男性との違いでしょう。よく知らない好みでもない男性からのアプローチに対して、女性は表面的には怒らせないように上手く断ってやり過ごしても、内心で嫌悪感・恐怖感を感じることのほうが多くなります。

男性は好きでも嫌いでもない女性に『体・顔だけが目当て』で来られても、むしろ『俺ってそんなに格好いいのか・俺は女性に対して性的魅力があるのか』と自惚れたり自信をつけたりするくらいでしょうが、女性の場合は『体・顔だけが目当て』で来られると、『自分と真剣に交際するつもりも責任を負うつもりもない好みでもない軽い男性から誘われてしまった・自分が誘えば簡単についていくような軽い女だと見られて悔しい』というような(女性各人によって個人差はあるとしても)自尊心の傷つきや自信の喪失につながることも少なくないのです。こういった性行動の男女の傾向的な違いは、セックスによる部分とジェンダーによる部分が入り混じっていて、『女性=妊娠出産する性・男性=妊娠させる性・男性のほうが女性よりも一般に性欲が強い(性的な異性選択の基準が甘い)』という生物学的差異もある以上は、後天的な教育や環境、訓練によって簡単に変えられるものではないことは明らかです。

進化心理学的な観点では、女性が男性と同程度に快楽志向の性欲が強くて相手を選ぶ基準が甘かったならば(求められれば簡単に誰とでも性行為をする、選り好みと倫理観が皆無の社会で、男性が女性に性的に受け入れられるための努力や経済身分、利益供与が必要でなかったならば)、人類の現在の文明社会・科学技術の進歩はなかったとも言えます。男性が好みの女性に選ばれて付き合ったり結婚したりして性的に受け容れられるためには、(特別なイケメンや話術の達人でもなければ)一般に『アプローチ・競争と努力・社会的立場・資源(経済力)・贈与(プレゼント)』が必要になります。また特別なイケメンや丸め込む話術のある男であっても、社会的立場や経済力が一切備わっていなければ、長期的にその男女関係を維持することはどこかの時点で難しくなってくるでしょう。

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女性のほうが惚れ込んでダメンズなイケメン(モテる男)に一方的に尽くすような男女関係も稀にありますが、一般的には女性よりも男性のほうが『異性に受け容れられるために必要な努力の量・経済負担・振られるリスク』が大きく、男性よりも女性のほうは『性行為をするためだけのコスト』は相当に低い(よほど魅力がかけ離れた高望みの男性でもない限り、平均的な女性から恋愛・性だけの関係に誘えば断られることは少ない)のです。

男性と女性のどちらが生きづらいのか?1:男は力・女は美のプロトタイプの変化とジェンダー

社会的に規定されるジェンダーと相関する代表的なプロトタイプとして『男は力(金)・女は美(愛嬌)』というものがありますが、近年ではこのプロトタイプが成り立ちにくい社会潮流・男女関係も生まれてきてはいます。例えば、1990年代以前には、男性で『美(顔・容姿・ムダ毛など)のコンプレックス』に真剣に悩む人は相当な少数派でしたが、2000年代以降は美容院やエステに通ったり化粧品(化粧水など)を使ったりする男性もでてきて、『ただしイケメンに限る(どうせ醜男は努力しても相手にされない)』といったかつては女性に多かったタイプの外見コンプレックスに悩む男性も増えてきました。

男性と女性の恋愛行動(性行動)パターンの違いと社会的性差のジェンダー論

かつては『男は力(金)』というジェンダーが支配的だったので、多少顔や見てくれが悪くても高学歴・高収入を目指して社会経済的影響力を持てば、立派な価値のある男として社会からも女性からも承認されるという価値観で男性は生きていました。女性も本音はともかく(昔もアイドルの追っかけなどはありましたので)、結婚して男性に扶養される立場にならなければいけない女性が多数派だったこともあり、『男は力(仕事とお金)』のジェンダーを追認して男の顔や容姿についてあれこれ論評してイケメンのみが好きと公言するような女性は少なかったのです。

逆に、男なのに顔の造作や髪型、美肌などに過剰にこだわっていつも鏡を見ているような奴は『男らしくなくてダメだ・男の人生は仕事をして稼いで家族を養ってなんぼだ』というのが旧来のジェンダーだったわけですが、近年は男性が一人で家族を扶養できなくなった経済情勢の変化もあり(男は力・金だといってもそれを持っていないのでどうしようもなくなった事情もあり)、『男も外見が格好いいほうが良い・男も力だけではなく美も大事・男も女を視覚的に喜ばせてほしい(昔は男ばかりが女に美や愛嬌を求めてきたが今は女も求める)』という価値観を持つ女性が増えて、それに合わせて外見を過度に気にする男性も増えています。男女関係のみならず男性同士の関係においても、『男は力』というお互いの職位・権力・年収(財力)・腕力などに基づく上下関係のジェンダーがつきまといやすい。一部の昔馴染みの同級生・友達や気の置けない親友などを除いて、男性は他の男性との関係において『上下関係・役割関係のないフラットな人間関係』というのを持ちづらくなっているのです。

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子供時代にも腕力・人気・スポーツ・リーダーシップなどで序列・上下関係は生まれやすいのですが、特に『社会的地位の序列・上下』が影響してくる大人になると特に男性同士でお互いの名前を呼び捨てで呼び合うような、『フラットな男性同士の人間関係』はほとんど無くなってしまうのです。年齢・学歴・年収・職業的権威・役職などによって大人の男性同士の序列が暗黙裏に決まってくるのですが、その上下関係(どちらが上でどちらが下か)の感覚はそれを本人が認めても認めなくても、社会全体で概ね共有されている社会的常識に類するものになっています。

特に会社・学校など同じコミュニティに所属している場合には、上下関係のある序列・役割に力づくで逆らうこともほぼ不可能であり、いくら人間はみんな平等ではないかと反対しても、大多数の人は社会的常識に組み入れられている上下関係(上司と部下・店員と顧客・職位や権威)に従うので、『常識のない人』というように見られるのが落ちなのです。『男は力』のジェンダーの直接的・間接的な影響によって、男性同士では『力・金・社会的地位』がかけ離れていると、過去にどんなに仲の良かった親友であっても、以前のように対等で親密な友人関係を維持できなくなっていきやすいのです。どんなに性格や趣味、話題が一致していても、男性同士で『力の大きな格差』がある時には、優位な男性のほうがそんなことは気にしない俺たちは対等だと思っていても、劣位な男性のほうがどうしても惨めさや居場所のなさ、相手との差の大きさを感じて疎遠になっていくことが多くなります。

現代でも男性は『力(社会的地位・お金の影響力)』によってランクづけされやすく、女性は『美(顔・容姿の美しさ・性的魅力)』によってランクづけされやすい傾向がありますが、この傾向には生物学的性差であるセックスと社会的性差であるジェンダーの両方が影響していると考えられます。ランクづけの道徳的な善悪や人間性の評価は別として、『力・美の上下関係(どちらが社会一般で優位と見なされるか)』は誰もが無意識的にせよ知っていて社会的に暗黙裏に共有されているものですが、この上下感覚の性差には『男性社会・父権社会の影響』も当然あります。

数十年前までは、女性が60~65歳以上まで勤め上げられる会社・職業がほとんどなく、教員・医師・公務員・看護師など一部のキャリア女性を除いて、男性(夫)に経済的に扶養して貰わなければならない男性社会の構造があったために、余計に『男は力・金』のジェンダー的な価値観が強まったとも考えられます。『女は美・愛嬌』というのも男性社会におけるジェンダーの影響は大きいですが、性行動が能動的で競争的な男性がより魅力的な美しい女性を求めるという生物学的性差・原始的本能も影響しているでしょう。

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しかし『美の基準』そのものは時代や文化、個人の好みによってかなり左右される相対的なものであり、『社会一般で概ね共有されている美人・可愛いの基準(モデル)』はあるとしても、個人レベルの男女関係やカップリングでは誰がどのような外見・性格の人を気に入るか(自分に対する相手の気持ちも考えて現実的な選択として誰を選ぶか)はかなり個人差が大きくなるのです。一方で、男性は相手の女性が『自分にとっての最低限の美(魅力)の水準』を超えていないと、恋愛や結婚の相手として選ぶことがまずないというのは一般的な事実としてあります。自分にとっての性的魅力が多少低くても、他の人間性や魅力に秀でていればパートナーとして選ぶことは十分ありますが、自分にとっての性的魅力がゼロで全く感じられない(触れたいと全く思えない)相手になるとパートナーとして選ぶ可能性も極めて低くなってしまうのです。

また美人の基準は相対的なもので個人差がありますが、『社会一般で美人・可愛いとされる女性の基準』は概ね一致していて、男性社会では美人のパートナーを持つ人ほど嫉妬と羨望も混じった高い評価を得やすいという傾向があります。社会的地位とパートナーの美貌がかけ離れている場合には(全く接点のない世界で生きている人同士であれば関係ないですが)、特に男性同士の関係では嫉妬や羨望、不公平の悪感情が強くなりやすいともいいます。目立つ美人や可愛い人がろくでもない男にひっかかってDVやストーカー、モラハラ、借金(貧乏暮らし)、殺傷事件の被害に遭って別れたり事件になった時には、『それ見たことか。そんなつまらない男を選ぶからだ。男を見る目がないから、男を容姿だけで選ぶからそんなひどい目に遭うのだ』という女性自身の見る目のなさをバッシングする声がネット上などでは溢れます。

こういった非難の声の背景には必ず嫉妬や羨望も含まれますが、それと合わせて『そんなダメ男より誠実で女性を大切にして仕事を頑張る俺を選んでいれば幸せにやれていたのに(そんなろくでもない男に美人な女がくっついていき、自分にはくっついてこないのが許せない)』という暗黙裏の自己推薦のような競争心理もあるのです。男性社会を前提とした女性の美貌のランクづけというのは、男性の社会的地位・経済力のランクづけと対照を為していますが、人を値踏みするのは道徳的な問題があるとはいえ、男性社会では美しい妻・彼女を持つ人は、その人の実際の能力以上に高く評価されやすい(これだけの美人を捕まえた男性は何か特別な魅力・能力を持っているのだろう)傾向があります。

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男性と女性のどちらが生きづらいのか?2:男と女で何が得(損)かが変わる非対称性の問題

その人が外見をどれくらい重視しているかというのは、表面的な意見からだけでは分からないことが多く、『社会的望ましさ』の影響も受けるので大半の人は『外見よりも中身のほうが大切』と回答するのですが、実際には『自分が選択可能な範囲の中でできるだけ好みに合致していて性格も自分と合う美しい人・格好いい人』を選ぼうとする人が多いわけです。厳密には、あえて見た目が好みではない人(美的な要素がまったくなく性的に魅了されない人)のほうがいいからそちらを選ぶという人は少ないということになります。男性社会では一般に自分の社会的地位・経済力と見合った美(性的魅力)を女性に求める男性が多くなりますが、女性も仕事を持ち経済力をつけてきた現代では『男性側だけのニーズ』が満たされることはなく、女性からも厳しく選ばれるということになります。

男性と女性のどちらが生きづらいのか?1:男は力・女は美のプロトタイプの変化とジェンダー

女性のほうが男性よりも美貌・外見で評価される傾向は現代でも強いですが、この傾向は生物学的性差に基づく偏りというよりは、『女性が経済力・権力・仕事を持っていないことが多かったという社会的・歴史的な男女差の構造』による部分が多いでしょう。近年は、女性でも外見・顔が爽やかで格好いい男性(いわゆるイケメン)が好きなことを公言して憚らないようになり、男性の恋愛格差(モテ格差)が取りざたされることも増えていて、男性の外見コンプレックスやその反動としてのミソジニー(女性憎悪)も問題になったりしています。

女性の社会参加が進んで就労率も高まり、若年世代では男女の所得格差は縮んでいます。若いうちは女性のほうが就労率・所得が高くなっているくらいですが、『社会的な力・お金を持っている側が相手を選ぼうとする傾向』は恐らく男女の違いがほとんどないのではないかとも思わされます。男女共に相手に高い水準の美や力を求めすぎるようになったこともあり(雇用・経済の格差が広がったのに従来の男性が主な稼ぎ手として家族を扶養すべき、女性は補助的なパートでも良いというジェンダーが残っている影響もありますが)、現代では全般的に『恋愛関係・男女関係が低調』になって恋人がいない若い人たちが増えているともいいます。

伝統的ジェンダーのプロトタイプである『女は美・愛嬌』というのは、言い換えれば『外見が好みで美しいか・性格が自分に対して明るく笑顔が多くて優しいか、気配りしてくれるか』ということですが、こんな特徴はもしそんな相手を選ぶことが可能なのであれば、男性が女性にだけ求めるものではなく、女性だって男性に求めたいものであることは明らかです。その意味では、現代の女性が仕事をして経済力を高めていくほど(男性に一方的に経済的依存をしなくても良くなるほど)、むしろ『男は美・愛嬌』という要素が強く求められやすくなり、最近になるまで進化論的に美で選り好みされてこなかった男性のほうが恋愛面・性愛面では不遇をかこちやすいということになるのかもしれません。しかし、男女の生物学的性差が反映される男女の異性に対する欲求の違いとしては、『男性は女性の身体や存在そのものを求めやすい・女性は男性が何をしてくれるか実際に役に立つかを求めやすい』という違いはあるかもしれません。

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ただ平均的には男性のほうが経済力・長期雇用があるという男性社会の構造は暫くは残り続けるでしょうから、美(見かけ)や愛嬌(サービス精神)で高望みする女性が増えると、カップリングの失敗や未婚率が上昇して女性自身が経済的な人生設計で困るという事態も増えてくるかもしれません。それ以前に、男性の平均所得や社会保障が落ち込んで、男性自身が独り身でも困るという状況もあるかもしれないので、単純に男性と女性のどちらが有利かという話ではありませんが。現代社会では『男性のほうが得か、女性のほうが得か?』『男性と女性のどちらが生きやすいか(生き難いか)?』という議論も多く行われていて、昔と比べればかなり女性が生きやすくなった(自由になった)面はありますが、それでも男性と女性が生きやすいと思う条件の違いという『男女の非対称性』があるのでこの問いに答えることは簡単ではありません。

典型的な男女の非対称性としては、結婚生活・子育てをするのであれば、男性は基本的にフルタイムの労働を65歳以上くらいまでは休まずに続けないといけないが、女性は相手や経済状況によっては、結婚してから働かないという選択肢やパートの短時間労働だけの選択肢があるという違いがあります。慣習規範としても、女性の無職に対してより男性の無職のほうがより厳しい道徳的批判(世間からの否定的な扱い)を浴びやすく、仕事をしておらず十分な財産もない場合には男性のほうがより人格や生き方を強く否定されやすくなります。

『男性のほうが得か、女性のほうが得か?』という質問に簡単に答えようとすれば、現在まで残る男性社会や慣習規範の影響を前提にして、『男性では社会的地位・経済力(お金)を持っているほど生きやすい』『女性では美貌・コミュニケーション力(愛嬌)を持っているほど生きやすい』とは言えると思います。ただ男性が社会の財の大半を握る男性社会であっても、『主観的幸福度』に関しては常に女性のほうが高いという統計があり、男性一般が男性であるというだけでお金持ちや権力者なはずもなく男性間の格差が大きいという問題もあります。

男性のほうが不利益が多いというデータとしては『平均寿命が短い・自殺者が多い・ホームレスが多い・ひきこもりが多い・犯罪者(暴力の加害者)が多い』があり、女性のほうが不利益が多いというデータには『大学進学率が低い・平均賃金が低い・管理職比率が低い・経営者や国会議員など社会の指導的立場に女性がほとんどいない』などがあります。しかし男性のほうが主観的幸福度が低いにも関わらず、『生まれ変わったら女性になりたい男性』はほとんどおらず、むしろ『生まれ変わったら男性になりたい女性』のほうが多くなっています。

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その理由には、男性社会においては男性のほうが『主体的な他者(異性)に依存しない人生』を生きやすいということがあるのかもしれません。男性は確かに女性と比べると、競争原理や労働道徳が厳しく働いてストレスもきつい、人生の勝ち負けの意識にも悩まされやすいのですが、視点を変えれば、『選ぶ男性(自分の性的魅力)』によって大きく人生を左右されやすい女性と比べると、男性のほうが『勉強・仕事などにおける自分の能力と努力の結果(社会経済的な競争をしてきた結果と自己責任)』として自分の現状を受け容れやすいというような見方もできるのではないかと思います。『男性のほうが得か、女性のほうが得か?』という質問には、高身長や高所得のハードワークといった『同じ条件・要素』があっても、男女でそれが得か損かが変わるという『男女の非対称性』があるために簡単に答えにくい部分もあります。

ジェンダー論では、社会が『男女の区別・男女の特質・男女の平均的な関係性』を作り出しているというように考えて、社会構造や慣習・文化・政策を変えることによって『男女それぞれの差別・不利益』を無くしていこうとする傾向がありますが、社会からすべての抑圧や慣習、差別を無くすことは普通に考えればやはり不可能です。男女のジェンダーや社会的な抑圧を完全に無くす改革の方向性は不可能ではありますが、『男性であること・女性であることによる社会的制約(誘導される行動パターン・価値判断)』を明らかにすることはできます。自分が誘導されている男性・女性としての行動パターンを明らかにした上で、社会的に制約・規制されている『男らしさ・女らしさ』にどの程度合わせるか、あるいはどれくらい外れて自由にするかという『人生・男女関係・行動選択の多様性』がもたらされるということに新たな可能性があるのだと考えています。

元記事の執筆日:2017/08/25

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