森田正馬の神経質の症状形成と精神交互作用1:注意・意識を向けすぎると悪化する、森田正馬の神経質の症状形成と自分・症状へのとらわれ2:あるがままをどう実現するか

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森田正馬の神経質の症状形成と自分・症状へのとらわれ2:あるがままをどう実現するか


人のやる気(意欲)を高めるか無くしてしまうか:人を思い通りに動かすことはできない


カウンセリングマインドで結果としてやる気を引き出す:なぜ人の話を上手く聴けないのか?


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森田正馬の神経質の症状形成と精神交互作用1:注意・意識を向けすぎると悪化する

日本の精神科医の森田正馬(もりたまさたけ,1874‐1938)は、些細な違和感や感覚・思考の異常に過度に注意を向けすぎることによって、『不安・心配・苦痛の症状』がより悪化していくという『森田神経質』を提案したことで知られます。森田神経質(森田神経症)というのは、今でいう社会不安障害(対人恐怖症)や不安性障害(不安神経症)、醜形恐怖障害などに当てはまることが多いのですが、いわゆる『神経質な性格傾向』が不安や緊張・強迫性・自己嫌悪を強めてしまった病的状態のことを表しています。

神経質な性格傾向……完全主義、小さなことを気にしすぎる、潔癖、几帳面、悲観的、人の評価や思惑を気にしすぎる、慎重で臆病、刺激過敏性、プレッシャーに弱い、取り越し苦労など。

『神経質な性格傾向』そのものは性格特性のグラデーション(程度問題)として誰にでもあるのですが、絶対にミスをしてはいけないとか自分はいつも人から悪く思われている、頑張ってもどうせ上手くいくわけがなく不安だとかいうように『過度の神経質さ・自意識過剰』が長く続いて習慣化すると心理的問題として深刻になってきます。森田正馬は、森田神経質の症状形成メカニズムについて、『神経質の病的状態=素質(ヒポコンドリー性基調)×機会×病因(精神交互作用)』の方程式を提唱していました。小さな身体感覚の違和感を、重大な病気の証拠と考える『ヒポコンドリー(心気症)』とその違和感にずっと注意を向けて気にする『精神交互作用』が『機会(症状自覚の出来事)』と合わさることによって森田神経質が発症します。

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森田正馬の神経症理論では神経質性格というのは、『弱力性(内向性・心配性・過敏症・心気症・受動性)』『強力性(完全主義欲求・優越欲求・自尊感情・健康への欲求・支配欲求)』を併せ持った性格と定義され、自分の性格構造(内面)に存在する『弱力性と強力性の矛盾』を受け容れられずに苦悩することになります。森田正馬は弱力性と強力性の性格特性の自己矛盾と合わせて『思想の矛盾』が、神経質性格を形成して維持するとしています。思想の矛盾とは、簡単に言えば強力性に象徴される『理想自我』と弱力性に象徴される『現実自我』の矛盾のことです。森田は思想の矛盾について理想の自分と現実の自分のギャップであり、かくあるという『事実』とかくあるべしとする『思想(理想)』のズレであると述べています。

人は神経質な性格傾向が過度に強まって、些細なことに不安・緊張を感じることが習慣化すると、『森田神経質』と呼ばれるような日常生活・人間関係に支障がでてくる病的な心理状態になってしまいやすいのです。森田正馬のいう森田神経質は、ジークムント・フロイトが初期に肛門期性格と関連づけて定義した『強迫神経症』と似ている部分も多いのですが、森田神経質の症状形成機序は『ヒポコンドリー』『精神交互作用』によって成り立っています。

ヒポコンドリー(心気症)……小さな身体の違和感や不快感から、自分が心臓疾患やがんなどの重大な病気なのではないかと過度に心配する神経症の一種で、医学的検査を受けても異常所見(病気の事実)は見つからない。

精神交互作用……森田神経質の症状を形成する中心的な心理メカニズムで、『身体・心理の些細な変化や違和感』に過度に意識・注意を向けることによって、更にその小さな違和感・症状が強調されて悪化していくことになる。『気にしすぎて病気になる・注意を向けすぎてその不安だけで頭がいっぱいになる』という典型的な心理状態である。

森田神経質のきっかけや原因になるものとしては、幼少期・児童期の恥辱感や劣等感(自信喪失)の強化に関わってくるトラウマ的な体験があります。またそういった特定可能なトラウマ的体験がない場合でも、元から内向的な性格の人が『1回~数回のありふれた失敗・恥の体験』を気にしすぎることによって、社会不安障害(昔の赤面恐怖症・人前で文字が書けない書痙など)や不安性障害のような慢性的な状態・症状に苦しめられてしまうことがあります。

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森田神経質になってしまう人には、『内向的な性格・小さなことを気にしすぎる・他人の悪意を想像しすぎる』と合わせて、『向上心や自意識(恥の回避)の強さからくる完全主義欲求』があることが多いと言われています。1回~数回の失敗をして恥ずかしい思いをすると『次からは絶対に失敗してはいけない・もう二度と恥をかきたくないという完全主義の構え』で固まってしまい、余計にリラックスできなくなって本来の能力・性格を出せなくなってしまうのです。

うつ病(気分障害)に対する認知療法的なアプローチでも、気分・感情を落ち込ませて自信ややる気を無くしてしまう認知の歪みとして、『完全主義欲求・白黒思考(1か0かの二分法思考)』がクローズアップされることは多いのです。『不完全であるしかない人間(私)』がガチガチに構えて完全でなければならない、ミスをしたらすべてがダメになると強迫的に思い込むところから、さまざまな精神の不調が始まることは少なくありません。

『気になる症状・感覚の違和感・ミスする可能性』に注意を向けて意識すれば意識するほどに、『深刻な問題であるように感じる変化や違和感』は次々に増えてきてしまい、心理状態がますます悪化して日常生活や普段の仕事、人間関係にも適切に対応できなくなってしまいます。ヒポコンドリーと同じように、自分で自分の心神の状態の違和感や不快感を敢えて探して気にしてしまう状態に陥ると、『少し心臓がドキドキした・少し手のひらに汗をかいた・人向き合って頭が少しぼんやりした・人の目線が気になって言葉が流暢に出てこなかった・わずかだけどどもってしまった』などの変化があるだけで、更に『対人不安・対人緊張・吃音や緘黙』が強まって最低限の会話(やり取り)さえもできない深刻な社会不安障害(対人恐怖症)に移行しやすくなるのです。

森田正馬の神経質の症状形成と自分・症状へのとらわれ2:あるがままをどう実現するか

『注意』と『感覚(病気であるという感覚)』が相互作用して強め合うというのが、森田神経質でいう『精神交互作用』です。ヒポコンドリーと精神交互作用によって心身の不快感・違和感が『症状』として自覚されてしまうと、人はその苦痛な症状をどうにかして治したい、どうにかして取り除きたいと思うようになり、『症状との対決・格闘』に日々明け暮れることになってしまいやすいのです。

森田正馬の神経質の症状形成と精神交互作用1:注意・意識を向けすぎると悪化する

森田正馬の開発した『森田療法』では、『あるがままの自分であること』が何度も繰り返し強調されるわけですが、言い換えれば『症状との対決・格闘をやめること』によってしか森田神経質に由来する神経症的な症状は軽減・回復しないということになります。神経質由来の症状との対決・格闘は、注意と感覚(症状)を相互に強め合う精神交互作用を繰り返しているようなものなので、『症状を無くそうとして意識して努力すればするほど無くならないという悪循環』にはまり込みやすいのです。

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対人緊張が強まっている時に、『緊張するな緊張するな・頭を空にして自然体でいくしかないぞ』みたいな自己暗示をかけすぎると、かえって体が緊張してガチガチになってしまった経験がある人も多いと思いますが、『緊張や不安を取り除こうとする意識的な集中・努力』は往々にしてかえって緊張感に注意がいって逆効果になりやすいのです。人前で緊張したり赤面・発汗したりしないように、人の前に出る時は必ず大きく深呼吸するというような努力も、『自分が人前で緊張する性格であることを意識しすぎる』と逆効果になりますし、座禅・鍛錬・苦行・マラソンのような『心身の鍛錬(苦痛・きつさに耐えるトレーニング)による緊張感・不安感の克服』というのも、自分が対人恐怖症であるという前提の自覚が強化されている状態ではほとんど効果がでないのです。

自分で自分に対してネガティブなラベリングをしたり病気であるという自己定義をしたりすると、『人と向き合う場面(ある場面)になると自分は必ず不安・緊張の症状が出てくるという古典的条件づけ』が起こりやすくなるので、『症状に対する格闘・努力』も無効化することになります。多面的で柔軟かつポジティブな自己定義(自己規定)ができる人というのは、森田神経質に限らずあらゆる精神疾患の発症リスクが低くなることが分かっています。そのため、『いつも病者であるという悲観的な自己アイデンティティ以外の自己定義の幅』を広げたり増やしたりしていけるような意識の持ち方、対人関係(日常生活)の工夫も大切になってきます。

人前で話したり文字を書く時には、自分は必ずどもったり(声が出づらくなったり)手が振るえたりするという古典的条件づけは、いわば『ネガティブな自己暗示』によって形成された『症状へのとらわれ(無意識的な症状へのとらわれ)』なのです。症状へのとらわれは、今よりも成長・発展をしたいという向上心(競争心)を生み出す『生の欲望』を根底に持っているので、簡単に克服することはできない面もあるのですが、『人生の有意義な目的の再設定』『目の前にあるやるべき仕事・事柄への集中』によって、生の欲望を有効活用できる可能性が開けてくることがあります。

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森田療法では『あるがままの自分に対する過剰なこだわり』も神経質性格の原因になるとするので、意識の持ち方や心理状態の操作だけで『症状・自分へのこだわりの克服』をすることは難しく、『作業・仕事・関係などのやるべきことに対する集中と専心』が神経質の一つの治療方法として推奨されています。『理屈・理論(頭)』ではなく『行動・作業(体)』を優先するというのが、作業療法的な側面のある森田療法の基本的な方法論になっています。

オーソドックスな森田療法では、入院療法の『第一期~第四期』『何もしない時間+作業に没頭する時間』を作って、『自分・症状について敢えて考えられないようにすること(自分・症状について考える時間そのものを無くすこと)』によって、自分や症状へのとらわれを自然な作業時間の中で無くそうとしているのです。

第一期(絶対臥褥期)……患者は隔離された個室で生活する。食事・洗面・トイレ以外の活動を一切させずに、ずっと布団で寝ているだけの退屈なつらい『臥褥(がじょく)状態』にし、とにかく何か活動したくてたまらないという心的エネルギーを高めさせる。

第二期(軽作業期)……患者は隔離された個室から外界に出ることができ、鬱積していた活動したい心的エネルギーを開放して、掃除・炊事・草むしり・物づくりなどの『軽作業(思考力・自省を要さない主に体を使う仕事)』に従事することになる。この時期から、担当者との『個人面談』や『日記指導』も合わせて行っていく。

第三期(作業期)……本格的に『作業・仕事』のみに集中して没頭する時期であり、『睡眠時間・休憩時間・身支度』以外はほとんど何かの活動をしている生活なので、『自分・症状へのとらわれ』が半強制的に克服されることになる。

第四期(社会生活準備期)……個人面談(精神療法)などを行いながら、実社会で生きていくため、普段の日常生活・人間関係に戻っていくために『社会適応(社会生活)の準備』を整えていく時期である。

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自分・症状のとらわれ以外のことに没頭しなさいとする森田療法の基本的な方法論は、『暇なく仕事・作業(やるべきこと)に没頭していれば、あれこれ自分について悩んでいる時間はなくなり気分は楽になる』といった経験主義的な気分転換法として昔から広く知られていたものではあります。森田正馬はその経験論的に知られていた『仕事・作業への没頭の効果』を、理論的・臨床実践的に体系化したとも解釈できますが、徹底的に『自分・症状について考えないようにするやり方』の向き不向きには個人差もあります。

昔ながらの本格的な長期(1ヶ月以上)の入院療法としての森田療法を実践しているクリニックも今ではほとんどありませんが、『自分・症状・内面ばかりに注意(意識)を向けすぎることの弊害』は神経質・神経症でなくても多いですので、『注意・意識の向け方(自分と外界・他者への時間の使い方)のバランス』を工夫することはメンタルヘルス維持にとって重要なのです。『あるがままの自分』にどうやってなれるか、力を入れず自然体でリラックスした状態でいられるかというのは、森田療法における『神経質の全治』が『悟りの境地』のアレゴリーで語られるほどに実際は難しい課題なのですが、『あるがままの自分から大きく外れてしまった不自然なきつい状態』にできるだけ早く気づいて、早くケアや対処をすることが現実的な治療方略になってくると思います。

人のやる気(意欲)を高めるか無くしてしまうか:人を思い通りに動かすことはできない

自分が乗り気でない事柄に対して『やる気(意欲)』を出すというのも難しいですが、仕事・学校などで共通の目標に向かって他人の『やる気(意欲)』を引き出して協力してもらうというのは更に難しいことです。リーダーシップに優れた人というのは、他人や集団(チーム)の『モチベーション(動機づけ)』を高めてみんなをやる気にさせられる人であり、やる気(意欲)を出した複数の人たちを『共通の目標達成』のために、適材適所で配して活躍させることのできる人だとも言えます。

『人のやる気(意欲)を高める方法』というのはすぐに思いつかない事が多いと思いますが、反対に『人のやる気(意欲)を無くす方法』というのは、少なくない人が自分の実体験に基づいて何となく分かるのではないでしょうか。親(周囲)から『勉強をやれ・遊んでばかりじゃダメだ』とうるさく言われると、それまでやる気になりかけていたのに突然やる気がなくなったという経験をした人はいるでしょう。あるいは、『本当にちゃんと仕事(勉強)していたのか?』と疑われて細かくチェックされたり、『どうせ結果は大したことないだろう』と否定的な過小評価をされたり期待されていない状態だとやる気は落ち込みやすくなります。否定や疑惑、侮辱、軽視(過小評価)などは一般に人のモチベーションを落としてしまうのです。

教育心理学では教師が生徒の能力・努力を信じて、その生徒が有能であるかのように肯定的な期待をして接することで、実際にやる気と成績が上がってくるという『ピグマリオン効果』が知られています。人は基本的に他者から自分の存在や能力を信頼されて肯定的に期待される時に、やる気(意欲)を高めやすいのです。反対に人がやる気(意欲)を無くしやすい時というのは、自分の存在や能力、やる気を『否定された時(馬鹿にされた時)・疑われた時・全く期待されていない時』であり、ピグマリオン効果が悪い方向に作用して『能力や意欲のないダメな人という前提での扱い』を受けると、本当にやる気がなくなったり無気力になって成果を出しづらくなったりもします。

仕事・学校でのリーダーシップでは、他者を共感的に理解して受け容れていくというカウンセリングマインドが有効になることもありますが、それは自分を本当に理解してもらえたと感じた時に、人の精神状態は安定してモチベーションが高まり、『集団での役割分担・協力意識+目標達成の強い意思』を持てるようになるからです。カウンセリングマインドの理論や実践方法には色々なものがありますが、その中で最も基本であると同時に重要になるのは、共感的な理解や徹底的な傾聴をするために『人の話を聴くこと』です。

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人は相手が思い通りに動いてくれなかったり、自分の価値感から外れた行動を取った時には『怒り・悲しみ・不満の感情』を表現しやすく、『強い自己主張(相手を変えるための意見や説教)』をしがちです。しかし、それらは往々にして相手の反骨精神を煽ったり、逆に精神的な萎縮をさせたりするだけで、相手のやる気(意欲)や協力意識を高めることはできないのです。結果、強い自己主張や相手を非難する言動ばかりが目立つ人は、やる気のない人に対しては、効果的なリーダーシップを発揮しづらいということになります。

例外として、部活の強豪校の生徒であるとか、難関大学を目指す進学校の生徒であるという場合には、『初めから生徒の目的意識・自己肯定感が高い(部活や勉強で成果を上げるために学校に来ているという自覚が強い)』ので、発破をかける暴言・罵倒・懲罰が飛び交うスパルタ教育でも、それに耐えた生徒は一定の成果が出やすくはなります。これは生徒の人権を軽視するような暴言・罵倒もあるスパルタ教育そのものの一般的効果というよりは、初めから生徒に高いモチベーションと自己肯定感があったという影響が大きいと思われます。部活・学業のモチベーションと合わせた潜在的な能力と目的意識の高さがある場合には、『否定・挑発・侮辱のある厳しすぎる指導方法』がマイナスになりにくく、こんなところで負けてたまるか(自分ならまだまだやれる)という反発精神をやる気に変えられる人も多いということでしょう。

カウンセリングマインドで結果としてやる気を引き出す:なぜ人の話を上手く聴けないのか?

スパルタ教育から話を戻すと、カウンセリングマインドの『人の話を聴くこと』というのは『人の話を聴いて自分の意見を返すことで、相手を変えようとすること』ではなく、『人の話をその人の欲求・意図に従って共感的に聴くことで、相手を受け容れること』です。カウンセリングマインドとリーダーシップには、『人は自分の存在・能力を評価してくれて受け容れてくれる人(集団)に自発的に貢献したいとする傾向を持つ』という点において一定以上の相関関係もあるのです。

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人のやる気(意欲)を高めるか無くしてしまうか:人を思い通りに動かすことはできない

人の話を聴かない人(人の話を聴けない人)というのは、『相手の欲求・感情・意図(事情)に配慮せず共感もしない人』というのに近く、相手の話を真剣に聴いているような態度を示しているとしても、心の中では『特定の結論や自分の欲求(目的)の押し付け』があるので、それを察した相手が素直にやる気を出しにくく、反発やひねくれた対応を受けやすくなってしまうのです。カウンセリングマインドを持って人の話を聴こうとする時には、『偏見・差別に基づく固定観念(頑固な思い込み)』『特定の結論=自分の欲求(目的)の押し付け』を排除して、『相手が話したいと思っている内容(欲求・感情・意図)』に対して丁寧に傾聴しながら共感・受容をしていくことになります。『オープンな態度の理解者』のポジションで相手の話を丁寧に聴いて受け容れることは、相手の潜在的なやる気や能力・自信の可能性を引き出すことに役立ちやすいのです。

相手の話を聴けない人は『投影(projection)・反動形成(reaction formation)』の自我防衛機制を用いていることが多いのですが、それは無意識に抑圧したり合理化して誤魔化している『自分自身の未解決の心理的問題』があることとも関係しています。自分の未解決の心理的問題があると、その問題と関係する欲求やフラストレーション(欲求不満)が無意識に抑圧されて、『実際の欲求(愛情・甘えなどの求めていること)とは正反対の攻撃的・批判的な言動』を取ってしまう反動形成を起こしやすいのです。あるいは自分が持っている欲求・感情・フラストレーションを相手に投影してしまって、本当は自分が怒っていたり無気力になっていたりするのに、『相手が怒っている・相手が無気力になっている』というように思い込みやすいのです。

自分に未解決の心理的問題が残されている時(抑圧・投影・反動形成といった自我防衛機制が発動している時)、あるいは自分で自分の弱さやフラストレーションを認められない時に、『人は相手の話を共感的・受容的に聴くことができない心理状態』になりやすいのです。S.フロイトが始めたとされる精神分析家同士で自分の心理的問題について再検討する『教育分析』、あるいはカウンセラー同士で自分の心理的問題や難しいケースについて話し合ったり先輩からアドバイスを受けたりする『スーパーバイジング』といったものも、突き詰めれば『相手の話を共感的・受容的に聴くことができる心理状態』を安定的に維持するための方法として理解することができるでしょう。

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自分で自分の心理的問題を受け入れて解決に近づけ、自分の弱さを受け入れて非適応的な防衛機制を弱めることによって、『相手の話を聴くことができる余裕のある心理状態』や『リーダーシップを発揮できる部下(生徒)を共感的に理解しようとする心理状態』が再構成され、『人間関係・仕事・学業』でも好ましい結果を出しやすくなることが多いのです。投影の防衛機制が働いている時には、『自分の要求・否定・押し付け』を『相手の要求・否定・押し付け』と勘違いしてしまうことが多いので、『相手の意見・主張』を自分に何かを押し付けてきているように感じて、落ち着いて共感的に聴くことができなくなります。

投影の防衛機制によって心理的問題が未解決のままになっていると、『自分と相手の人格・言動(意見)の境界線』がなくなってしまいます。自他の境界線がなくなった結果、『自分は自分・相手は相手という割り切り』ができなくなり、『相手の意見・主張』に対して非常に強い攻撃性・圧迫感(強要性)を感じやすくなってしまうのです。しかし、そういった他者が持っているように感じる『攻撃性・圧迫感(強要性)』は、本当は自分自身が持っているもの(相手を思い通りに動かしたいという強要性・自分と異なる価値感に対する攻撃性)であることも多いのです。自分の無意識に抑圧された未解決の心理的問題(自分が持っている欲求・感情・不満)に自覚的になって自分を変えようと思わない限り、『相手の話をそのまま共感的・受容的に聴くこと』が非常に難しくなり、更に何かを強制されているという苦痛を感じてしまうのです。

元記事の執筆日:2017/10/12

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