神奈川県座間市で9遺体が発見された猟奇殺人事件について1:一見普通な青年の異常な犯罪,小金井ストーカー刺傷事件とストーカーの心理:被害者保護の再犯予防策・矯正教育の検討

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神奈川県座間市で9遺体が発見された猟奇殺人事件について2:未熟な若者の自殺願望を煽る卑劣な殺人


小金井ストーカー刺傷事件とストーカーの心理:被害者保護の再犯予防策・矯正教育の検討


元名古屋大の女子大生の殺人・タリウム混入事件:発達障害と心神喪失・責任無能力者について


埼玉県朝霞市の中学生誘拐監禁事件と被告の現実逃避的なパーソナリティー特性:1


埼玉県朝霞市の中学生誘拐監禁事件と少女を洗脳しようとした被告の動機・心理の特異性:2


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神奈川県座間市で9遺体が発見された猟奇殺人事件について1:一見普通な青年の異常な犯罪

神奈川県座間市の格安ワンルームの一室で、切断された9遺体(女性8人・男性1人)が発見されたという前代未聞の猟奇事件で、無職・白石隆浩容疑者(27)が逮捕されました。わずか2ヶ月の期間に9人もの人間を次々に殺害して死体を損壊するという日本では類例のない猟奇的な凶悪事件ですが(単独犯だと確実に決まったわけではないですが)、逮捕された白石容疑者の写真を見ると、どこにでもいそうな平凡・柔和な感じを受けるあまり癖のない青年(少なくとも短気で攻撃的な印象・コワモテではなく)であり、このような凶悪犯罪を起こす兆候を外見から他人が推察することはおよそ不可能でしょう。

パチンコ店や風俗店のスカウト業などキャリアにならない不本意なバイトを転々として現在は無職というのは、『社会適応の悪さ・経済的な困窮・自己アイデンティティーの拡散』を示唆するかもしれませんが、現代の若者で安定した職業や正規雇用の仕事を持っていない人はいくらでもいるでしょうから、その場しのぎに近いバイトで食いつなぐ生き方が猟奇性のある凶悪犯罪の一因であるとも言えません。白石容疑者の子供時代に関する同級生などの証言も、基本的に目立った個性や特徴、過去のトラブルを指摘するものはなく、『あまり目立たない自己主張の弱い少年・大人しくて聞き役に回ることの多かった子供』といった感じで、どちらかというと影の薄い、集団の中に自然に埋もれるタイプの平凡・普通な子供のイメージで語られています。

白石容疑者のパーソナリティーや生命に対する価値観が異常を来たすことになった発達史上の転機は、現在でてきている報道の情報からだけではほとんど分からず、猟奇犯罪・快楽殺人の加害者に多い『幼少期の親からの激しい虐待体験・性的虐待』や『猫・小鳥などの小動物を虐待したり殺したりしていた情性欠如の行為障害の履歴』なども無いようです。ただ家庭環境や親子関係が良好なものだったかは分からず、『母親・妹が数年前に出て行って連絡を取っていない状況』にあるようなので、父親か白石容疑者かのいずれかと、母・妹が二度と顔も合わせたくないような深刻な対立やトラブルを抱えていた可能性もあり、家族の分裂による情緒的な変化や孤独感・疎外感が一定の影響を及ぼした部分も多少はあるかもしれません。

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『母親からの見捨てられ体験・家族からの疎外感』は、安定した家族関係を失って自己価値を毀損するトラウマの一因にはなりますが、子供時代であればともかく成人以後であれば犯罪の決定的な要因にはなりにくいでしょう。就職(仕事への定着)が上手くいかず、社会適応や経済生活に長く困窮して不満を抱いたり生きる意味を失いかけていた可能性はありますが、特に風俗のスカウト業をしていて、『組織犯罪処罰法違反(違法収益)・職業安定法違反(売春斡旋)』で逮捕されたことが人生や心理状態の転機になったのかもしれません。

『職業適応・人生設計・生活規範』が大きく崩れて自暴自棄になる人や精神状態を悪化させる人はいますが、同じカネ目当てや性的暴行目当ての犯罪であっても、こんな猟奇事件を起こす犯罪者はまずいないわけで、白石容疑者のパーソナリティー構造や精神状態は『一般的な目的遂行のための犯罪心理』とはやはり異なるものだと考えるべきでしょう。単純にお金がほしいだけの犯罪者なら窃盗・強盗をして、暴行が目的であれば強姦・強制わいせつをするはずで、普通は殺人とそれらをセットにして『死刑判決』も覚悟で強盗殺人・強姦殺人・遺体解体を計画する犯罪者はほとんどいません。それは量刑が重いからというだけではなく、犯罪者であっても大半は『人を無意味に傷つけたり殺したり遺体を処理したりすることに対する生理的嫌悪感が強いから』に他なりません。

同じ犯罪でも、人を殺さずにお金を手に入れたり暴行できたりする選択肢がいくらでもあるのに、敢えてそれを選ばずに殺す前提で複数の人間を誘い出すというのは『殺人自体の目的性』があると推測されます。白石容疑者は『お金・性の目的』もあったかもしれませんが、首吊り士というアカウントを作ってまで『自殺志願者』を検索して探し、初めから『殺人(自殺幇助の大義名分を勝手に作り上げた卑劣な殺人)』をするつもりで呼び出していますから、『殺人なしのお金の奪取・性欲の充足』を求めていたとは考えにくいでしょう。

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神奈川県座間市で9遺体が発見された猟奇殺人事件について2:未熟な若者の自殺願望を煽る卑劣な殺人

白石容疑者は、悪徳な風俗スカウトをしていた時からTwitter(SNS)を駆使してターゲットを探していたと報じられていますから、『SNS経由の被害者(誘い出しやすそうなメンタルの弱った女性)の物色』に慣れていたということもありますが、ハッシュタグの検索や設定が『自殺・死にたい・自殺願望・首吊り』などであることからも、副次的にお金や性犯罪の目的があったとしても、それ以上に死にたがっている人(周囲の家族や知人とも関係が薄くて捜索されにくそうな人)を見つけて殺すという殺人願望の方が強かったのではないかと考えられます。インターネット上で少し検索しただけで、大勢の自殺志願者を探し出すことができるというのも、自殺の多い現代の社会病理でありメンタルヘルス対応の課題です。SNSを介したコミュニケーションによって精神的に救われたり励まされたりする人たちも多くいる一方で、SNSが『自殺志願者と殺人嗜好者(殺人衝動のあるサイコパス)を引き合わせるツール』として悪用されてしまった悲劇的な事件としての側面も持っています。

ここまでの大量殺人を計画して短期間で実際に実行できる人間はまずいませんから、この特殊すぎる事件一件を例にして、SNSのTwitterが人殺し予備軍が獲物を求めて標的を検索しつづけている危険な場所とは到底言えないわけですが、この大量殺人事件そのものを予防することが難しかった一因は『犠牲者となった人たちの大部分は死にたがっていたこと・死んでも構わないと思って誘いに乗ったこと』にあります。これがナンパのような誘われ方で、一緒におしゃれな居酒屋に行くつもりで誘いに乗った女性、相手に男性としての魅力を感じて知り合いや恋人になりたいと思って出かけた女性、ディズニーランド・USJに遊びに行くつもりで出かけて行った女性であれば、『上手い誘い文句・甘い口説き文句・楽しいイベントの誘い・写りの良い写真に騙されて殺された』と言えるかもしれませんが、死にたいと思っている人に対して『苦しくない首吊りをお手伝いするので来てくださいというような異常な誘い文句』に乗ってついてきた女性に対しては、事前に注意・警告によって自制を求めることが難しい問題はあります。

『知らない男性についていったら危ないですよ』という女性に対する一般論は、殺された犠牲者の女性でも知っていたはずですが、会いに行った目的がそもそも『一緒に自殺するため(首吊り自殺で死ににいくため)』ですから、知らない男性についていったら暴行されたりカネを取られたり、殺される恐れもあるなどという注意文句(普通は最悪のケースになる自分が死ぬことを望んで出かけていっているので恐怖心を惹起できない)が心に響かない可能性は高いでしょう。この事件を事前に防ぐためには、自殺願望を持って孤立している人(誰にも助けてもらうための相談ができない人)、自殺願望や自殺幇助で殺して欲しい願望をネット上に書き込みたくなる人を減らすことが重要になります。

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『生きることのつらさ・苦しさ・無意味さ』ばかりが頭の中を占めていて人生のポジティブな側面が見えなくなっている人を、前向きに生きられる状態に持っていくことは確かに専門の医師や臨床心理士であっても相当に難しいことですが、『生きる方向に導いてくれる仲間』よりも『死ぬ方向に騙して導く犯罪者』のほうが説得力を持ってしまった現状は社会病理の現れでもあります。この異常な事件を切り離しても、死にたいとか安楽死させてほしいとかいう人が増えている悲しい状況があります。薬物療法では解決できないレベルの実存的な苦悩や主観的な『自分・社会・他者への拒絶感』というのは、日常生活の中で安心できる人間関係や自分を肯定してもらえる継続的なコミュニケーションがないと、なかなか自分の力だけで落ち込んだ精神状態を立て直して、自己否定の苦悩を解消することが難しいのですが、今の社会生活や人間関係の中に『弱っている他者と向き合って粘り強くケアのできるような余裕のある人・安心できる場所』が減ってきているという問題はやはり重いと思います。

白石容疑者の最初の殺人は、ネット上で知り合った知人女性であり、初めは知人女性の彼氏も一緒に三人で会ったことがあるといいます。知人女性を単独で呼び出して殺害した後に、いなくなった彼女のことを心配して訪ねてきた彼氏を、殺人隠蔽のために殺しており、この彼氏が唯一の男性の被害者となっています。8月に1人、9月に4人、10月に4人という異常に早いペースで連続殺人に手を染めた白石容疑者ですが、最初のカップルの女性に自殺願望があったかは不明であり、その後の7人の女性はSNS上で検索した自殺志願者である可能性が高いようです。しかし自殺志願者といっても、被害に遭った女性たちは10~20代の年代であり、まだ人格も価値観も生き方もまったく固まっていない若い人たちで、そういった若い人たちの『判断能力の未熟さ・人生観の浅はかさ・暫時的な絶望感』に敢えてつけ込んで、死にたい気持ちをむやみに煽って、実際に死ぬしかないという方向に誘導していったという悪質さや狡猾さが容疑者にはあります。

10~20代の若い世代の女性であれば、これからいくらでも今抱いている自殺願望を乗り越えて気持ちや考え方を入れ替えられるチャンスはあったはずで、『新たな人生・人間関係・社会生活』に踏み出せるまで時間はかかったとしても、最終的に自殺を選ばないという主体的な選択ができた可能性も十分にあったでしょう。同じSNSでこんな卑劣な容疑者ではなく、もっと親身になって生きられる方向性を一緒に模索してくれる相談者に出会えていればと悔やまれて仕方ありません。容疑者の自己制御を失った殺人衝動の原因は何だったのかは不明のままですが、先天的なサイコパスというよりも、客観的な現実感が薄らいで興奮する『ある種の解離障害的(離人症的)なトランス状態』にあった可能性があるのではないかと思います。

白石容疑者は八王子市に住む23歳の女性を殺害しましたが、そのお兄さんが非常に妹思いの人であったために、徹底的なネット上での捜索活動と情報収集を受けて、最後は警察のおとり捜査(声をかけていた女性が現場に行くと見せかけた)によって、首吊り士アカウントの身元・住所を割り出し逮捕に漕ぎ着けることができました。しかし、容疑者は死体の大部分を遺棄しておらず、室外に腐敗臭が漂う状況を放置していたので、遠からず遺体が発見された可能性もあったわけで、『証拠隠滅の意図・逃げ切ろうとする意志』はそれほど強くなかったように感じられます。現場に警察官が踏み込んできた時も、逃走の姿勢などは見せず、自分が殺人を犯したことを認めて淡々と質問に応えたようです。

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『強烈な殺人衝動(性的暴力の衝動も含む)』のためにセルフコントロールや現実的な利害判断(殺人を隠蔽したり逃走したりする保身の動機づけ)を完全に失って、一回の殺人後の遺体の遺棄作業をする時間も惜しんで、次の殺人を我慢できずに手を染めてしまうというような異常な心理状態が想定されます。過去の連続殺人のプロファイルでも『絞殺魔』は多く、絞殺にはサイコパスの快楽殺人者に対して何らかのやみつきになる精神的報酬になる要素(苦悶の表情からの生命管理の優越感・段階的な生命の喪失の観察による支配欲求の充足など)があると言われていますが、こういった異常な連続殺人者には性的快楽と暴力衝動(他者の苦痛や懇願の表情)を結びつけるイメージが強い傾向があるようです。人間や生命を『モノ』と同じように見なして、人を傷つけたり殺したりすることを躊躇しないというサイコパスの特徴もあります。

白石容疑者に対して風俗スカウトの時代にインタビューをした人が『女性をモノ(カネ)のように扱う男・女には低姿勢で甘いが男には横柄な態度を取ってくる』という感想を述べており、風俗でスカウト業をして女性を騙してカネに変えるような経験をしたことが、容疑者の異常な女性観(女性のモノ化と女性自身の自殺願望による殺人の罪悪感の消去)を助長した恐れがあります。容疑者は自分自身の仕事や異性関係、人生設計が上手くいっていなかったこと、殺人事件を確実に隠蔽して逃げようとする保身が弱かったことから(杜撰すぎる多数の遺体部分の室内への放置)、他者の人生を破滅させ生命を奪い取ることで『自分の社会的・物理的な死の代償(埋め合わせによる納得)』にしようとする小心者のテロリストに多い『巻き込み型の自己破滅願望(他者を道連れにしてやっと破滅・刑罰・死刑を受け容れられる心理)』もあったと推測されます。

9人もの遺体(頭部・骨)をクーラーボックスや大型収納ボックスに詰め込み、死体の異臭が漂う部屋で、自分は狭いロフトの部分で寝ていたという生活状況そのものが、もはや正常なパーソナリティーの人間が耐えられるものではないのですが、『強烈な殺人衝動の根本にある原因』が支配欲や性的充足であろうが死体嗜好であろうが過去のトラウマであろうが解離性障害の変性意識であろうが、人道・倫理を支える当たり前の人の心を大きく踏み外して戻ってこれない場所、悪事に対する謝罪・改心が通じない非人間的な行為にまで深く落ちてしまったことだけは確かでしょう。

小金井ストーカー刺傷事件とストーカーの心理:被害者保護の再犯予防策・矯正教育の検討

音楽活動をしていた女子大生の冨田真由さん(21)が2016年5月21日に、東京都小金井市で、ファンとされる無職・岩埼宏被告(28)に折りたたみ式ナイフで首など34箇所を刺され重傷を負った事件は、奇跡的に一命は取り留められたもののストーカーによる事件の中でも極めて執拗かつ残酷な事件として印象に残っている。地域のイベントなどを行って地道に音楽活動をしていた被害者の女子大生は、容姿端麗で芸能活動の履歴もあったことから、加害者からすれば純粋なアーティストというよりは見た目・雰囲気に惚れ込んだアイドル(女性としての魅力がメインで下心もあって会場に足を運び続けているアーティスト)の位置づけにあったと思われる。

この加害者の最大の問題点は、アーティスト(アイドル)と観客との立場の違いを理解しておらず、過去にも女性アイドルやアーティストに過度に接近してプライベートでのやり取りを求めたりして立ち入り禁止処分を受けた前歴があるように、『見た目が好みの女性が開催しているライブ・イベント』を観客として節度をもって楽しみに行くのではなく、あたかも『私生活の恋愛相手を探す出会い系か何かのサービス』と勘違いして半ば意図的につきまとっていた節があるのである。確かに、被害者女性は一般的に見ても魅力的な容姿の整った若い女性であるだろうが、彼女が開催している小規模会場のライブは外見の魅力も加わったものであるにせよ、売り物にしているメインはあくまで『歌・音楽』であり、『彼女本人のプライベートでのやり取り(会場・音楽と切り離された彼女個人としてのつき合い)』などは料金にもサービスにも含まれていない。

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ライブ(音楽の仕事)の最中にそんな恋人候補など探してもいないし、ライブやイベントで見せてくれる愛想の良さや会話の応答もあくまで『限定されたライブの時間中』だけのものであり、それが終われば『個人として会話や要求に応じる義務』などないのである。何度も足を運んでくれているファンであれば会場外でも会釈・黙礼・微笑くらいはしてくれるかもしれないが、彼女自身の別の人間関係や私生活、考え事があればファンに気づいていても無視するかもしれないのが普通であり、『ライブ中の人格・言動は彼女の本音でない部分もある(アーティストもファンも限定された場所・時間で盛り上がって終わればそれぞれの私生活に戻る)』というのは常識的にも暗黙の了解でも分かっていて然るべきものである。

アイドルや芸能人を対象にしたストーカー(つきまとい)や熱狂的な好意・嫉妬がねじれての加害行為の事件というのは、昭和期の昔から繰り返されてきたものだが、『小金井ストーカー刺傷事件』は距離感の遠いプロフェッショナルのアイドルやアーティストではない(ライブ会場の距離感が近くてセキュリティもなく、本人と直接言葉を交わすようなチャンスもある)という意味で、過去の事件と比べれば特殊である。過去の芸能人のファンがストーカー化する事件と比べれば特殊ではあるが、『会えるアイドル・握手会・小さな劇場』などが人気の大きな要因となったAKB48以降のアイドル業界のトレンドを考えれば、極めて現代的なストーカー殺傷事件としての側面も持っているだろう。

少し前までのアイドルや芸能人は、CD・DVD(VHS)・写真(ポスター)・ライブを介した『擬似恋愛の妄想』を楽しむという部分がなかったわけではないが、会えるアイドルやネットでのちょっとしたやり取りの要素もある現在の芸能界(アイドル界)と比べるとやはり『自分とは違う別の世界の華やかな人たち』という前提が強かった。セキュリティや事務所の防衛策の強さもあり、一線を超えてまで本人に無理やり接近することはできないという常識や自己抑制が効いていたはずである。加害者がストーカー犯罪に転落することになった躓きの始まりは、上記したようにアイドルや芸能人の限られた時間だけを楽しむべきライブ・イベントを、自分の好みに合致する彼女を探しに行く出会い系かのように勘違いしたことだろう。

確かに、会える距離感にいる女性のアイドルやアーティストは、ある程度の数の人たちを惹きつけてファンにしてしまう魅力があるのだから、身近で見かける女性や知り合いになれそうな女性よりも相対的に綺麗で魅力があるように感じるとは言えるだろうが、普通はライブに通ったとしても『実際に私生活で親密なつき合いをしたり恋人になれたりする』とは思わない。ライブとは切り離された私生活や異性関係の好き嫌いは別物としてあるわけで、熱心なファンにさえなれば個人的な会話やつき合いができると思い込む初期の時点で妄想・現実逃避が激しい性格傾向だったのだろう。『ライブ鑑賞(イベント参加)・擬似恋愛のルール』を踏み外して現実逃避的なアプローチを続けていく中で、被害者女性をまるで実際の親しい知り合い(彼女に近しい人)であると思い込むような一方的な妄想を募らせ、自滅的に傷ついて絶望・激昂の果てに反抗に及んだという流れが推測される。

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どんな性格や動機の人が来るか分からない、どんな精神状態をこじらせているか分からないという点を深刻に考えるならば、『距離感の近い芸能活動・会える仕組みのあるアイドル活動』には潜在的にストーカー犯罪に遭遇するリスクがあるとは言えるかもしれない。だが、通常は芸能・アイドル活動をする人も、『距離感や節度・擬似恋愛の要素に関係する暗黙の了解』が通じているもの(ファン側に誤解や妄想があってもきちんと説明してお断りすれば通じるもの)として活動しているので、ここまで一方的な恋愛妄想・被害妄想・怨恨感情(愛憎のアンビバレンツ)を募らせる相手につきまとわれるというのは想定外のケースではあるだろう。

今回の事件では、被害者の女性を外部の人の接近から守るセキュリティがまったくなく、電車移動でもライブ会場でもファンが接近したり話しかけたりしようと思えばできるという部分に高いリスクがあったと思われるが、電車・駅から会場までの単独行動の時に加害者に接近されて刃物で危害を加えられてしまった。その場でどういった対応をしていれば、加害者の刃物による傷害(殺人未遂)を防げたのかの論は、どうしても後付けになり被害者の自責感を煽ることにもなりかねないが、自分ひとりで向き合っていてストーカーが差し迫った表情・態度・口調で詰め寄ってきた時には(どれだけ相手が差し迫っているか本当に危害を加えてきそうかの判断そのものが難しい部分もあるが)、『強い拒絶・無視・否定・非難』など相手の感情を刺激しそうな反応は抑えて、『相手を宥めて(適当に合わせて)その場をやり過ごすことだけ』に全神経を集中させ、とにかく物理的な安全距離を取ってから次の行動を考えるほうが良いだろう。

適当に合わせて勘違いさせてはいけない、毅然とした拒否や対抗の姿勢を取ったほうが良いのではと思うこともあるが、『一対一の状況(周囲の知人の支援・防御が期待できない)』で『相手の表情・口調・態度が差し迫っていて怒り出しそうな恐怖を感じる』ような場合には、警察や誰かに助けを求めたい気持ちは十分に分かるが、『(自分へのしがみつき・見捨てられ不安で)追い詰められている相手の感情・絶望・憎悪を刺激すること』が一番何をされるか分からない危険になる。手が届く距離に怖さを感じるストーカーがいて、周囲に自分を助けてくれる警察や知人もいないのであれば、その場でストーカーに決定的なダメだし・絶縁宣言をすることに一定以上の危害を加えられるリスクが生じてくるので、『決定的な絶縁・無視』をいずれするにしても、『相手を激昂・逆ギレさせずにまずその場を安全に離れること(そつのない対応で相手を落ち着かせてから手の届かない距離にまで逃げること)』を最優先にしたほうが良いようには思う。

初対面の知らない相手であれば、声かけされても聞こえない振りをして無視してさっとその場をやり過ごす方法も悪くないが、『既に相手が自分のことを知っていて特定の人として標的にされているストーカー被害が明らかな状況』では、相手に対する一方的な無視・拒絶の持続だけでは、相手を諦めさせてストーカーをやめさせることは難しいからである。ストーカー被害のベストな解決は『話し合いでストーカー本人に納得してもらって諦めてもらうこと』であるが実際にはパーソナリティー障害や妄想体系の強固さもあってなかなか難しいし、話して納得してくれる現実認識や他者の気持ちへの配慮が出来る人ならそこまでのストーカー行為をはじめからしないということもある。

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『怒り・憎悪を回避しながら、あなたの気持ちは受け入れられないと返事をしてやり過ごしながら執着の対象が移ることを待つ』か『どうしても相手のストーカーや執着心が変わらないのであれば引越し・転職も含めて完全に相手の前から姿を消す』などの次善の対応になりがちではある。被害者の女性はこれほどの被害を受けてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しながらも、裁判所に出廷して勇気のある再犯恐怖(再び自分を殺しに来るのではとの恐怖)と厳罰化の要求の意見陳述を行っている。その意見陳述に対して、被告は感情的に興奮・激昂して『じゃあ殺せよ』『殺すわけがないだろ』など不規則発言の怒鳴り声を上げて、裁判長から強制的に退廷させられているが、自分の思い通りにならなければ怒りや暴力を抑制できないセルフコントロールの弱さが垣間見えた一幕のように思えた。

本件のように特定人物だけを執拗につけねらったストーカー犯罪では特に単純な懲役(刑務所習慣)の刑罰だけでは、被害者の不安・恐怖の心理を十分に癒して安心させることが不可能であり、『出所してくると予測される時期前後の不安・恐怖』を軽減するための再犯予防策・矯正プログラム(出所後の矯正教育・カウンセリングの定期的実施の義務付け)・被害者保護制度を真剣に検討していく必要性が高まっているように思う。ストーカー本人の『絶対にもうしない(自分は心を完全に入れ替えた)という言葉の誓約の信用性』そのものが、興奮錯乱・殺傷沙汰のストーカー事件の発生によって完全に壊れてしまっているので、長期の懲役に処されていてもその期間に『自分(被害者)に対する興味関心・執着心』が完全になくなったことを証明することは、専門家・専門医であってもかなり困難のように思える。

『殺人未遂のような悪質なケースではGPSによる現在地把握(常時監視ではなく問題発生時に居場所をチェックできる体制)+定期的なストーカー心理に対応した矯正プログラム・自分のセルフチェックをする認知行動療法的なカウンセリングの実施+定期的なレポートの作成提出』など加害者の再犯予防の再教育だけではなく被害者保護の目的も兼ねた『ストーカー犯罪の懲役以外の法的処遇』の見直しも急がれるのではないだろうか。ストーカー心理の根底には、『自己愛・孤独感・所有欲(支配欲)・見捨てられ不安・焦燥感と衝動性・愛着障害(深い情緒的絆の履歴の欠如)』などさまざまな要因が介在しているので、ストーカー犯罪の前科があるということで一義的な心理分析や対応策があるわけではないのだが、『加害者の再犯予防・人格傾向や認知行動の改善(今の自分に絶望せずに現実的な適応や関係を模索できるようにする)』と『被害者の保護体制の強化・心身両面の傷つきのケアシステム』などを整備していく必要があるのだろう。

元名古屋大の女子大生の殺人・タリウム混入事件:発達障害と心神喪失・責任無能力者について

19歳の頃の名古屋大学在籍時(2014年12月)に、知人の70代女性を手斧で殴ってマフラーで絞殺した容疑者の女(21)の裁判員裁判が始まった。容疑者の女は仙台市にいた高校時代にも、女子生徒(中学時代の同級生)と高校の同級生の男子生徒に劇薬の硝酸タリウムを飲ませて重篤な視力低下の後遺症を負わせたりタリウム中毒にするなどの殺人未遂・傷害の罪を犯している。同級生に毒物を飲ませた動機として、毒物を服用させると人体・健康状態にどのような変化が起こるのかを見てみたかったという人体実験的な理由も語られていたが、70代女性の殺人事件でも『人が死ぬのを見たかった』という身勝手な動機があったとされる。

それ以外にも手製の火炎瓶を製造して60代のパート女性の住宅を損壊したり、放火して殺害しようとした罪に問われていて、合計で7個の罪状で起訴されている。いずれも何の罪もない他者の生命を奪おうとする凶悪な犯罪であるが、『人間の死や毒物の効果に対する強い興味(人間が死んだり健康を壊していく過程に対する観察・実験の抑えがたい欲求)』という動機も同情の余地が乏しいものである。弁護側は精神障害および発達障害で善悪の判断ができず行動をコントロールする能力がなかったとして無罪を主張しているが、近年は猟奇的殺人や無差別殺人(大量殺人)において『責任能力の有無』を問うて無罪にしようとする法廷戦術が増えている。

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裏返せば、その法廷戦術以外に死刑・無期懲役などの重い刑罰を減免させる方法がないほどに凶悪な犯罪であるということであり、仮に責任能力があると認定されれば死刑になってもおかしくない殺人事件に対して採用されることの多い弁護方針でもあるだろう。刑法39条では、『心神喪失・心神耗弱』で責任能力が無いとされたり責任能力が弱いとされた場合には、刑罰が免除されたり軽減されたりする。この近代刑法の『責任能力』の考え方に対しては、意図的に殺人を犯しても責任無能力者と見なされれば無罪になるのはおかしいとして、一般常識や遺族感情・応報刑の観点からは非常に強い反対意見もある。だが、『物事の是非・善悪の判断ができない(違法性の認識がそもそもない)人』や『善悪の分別(法律)に従った行動制御能力がない人』を非難して処罰する意味がないというのは合理的な考え方でもある。

極論すれば、責任能力がない心神喪失者というのは、『殺人(犯罪)をするかしないかの選択肢がそもそもなかった(脳・精神・知能の病的状態やその影響によって自分の意思・欲求ではなくほぼ自動的に殺人の結果を引き起こしてしまった)』と見なされた人であり、自分の意思で是非・善悪を分別することができないか、善悪を分別できたとしても自分の行動を制御する余地がなかったので、行為主体としての責任を追及できないし処罰することができないというロジックである。責任無能力者の象徴的な存在として、物事の是非・善悪がまったく分からない『赤ちゃん(乳幼児)』であったり、自分の主体性・意思・判断(選択)ではなくただプログラムされた通りに動いてしまう『ロボット』であったりを思い浮かべるのが分かりやすい。

仮に赤ちゃん(乳幼児)が偶然に偶然が重なって結果的に他者を殺傷したり、ロボットがプログラムで命令された通りに他者を殺傷したとしても、赤ちゃんやロボットに責任能力があると考えるのはおかしい(処罰することに意味がない・ロボットは廃棄処分などがあり得るにせよ)というのと同様のロジックが、(赤ちゃん・ロボットほど徹底的かつ確定的な分かりやすい責任能力のなさではないとしても、一時的あるいは暫時的な責任能力のなさ・低さとして)心神喪失・心神耗弱の人にも働いているわけである。今回は発達障害と双極性障害の躁病を心神喪失の理由として弁護側は上げているが、実際には、重症の統合失調症が責任無能力者と刑事裁判で見なされることが多い。ただ赤ちゃん(乳幼児)やロボットというのは責任無能力者の余りにも分かりやすい極端な例であって、実際には『少年の年齢・精神疾患・発達障害・薬物の作用』などが責任能力のなさ・低さの理由に上げられるので、赤ちゃん・ロボットほどに『全員一致で責任無能力者として認定するだけの説得力・納得性』に欠けるという問題はどうしても残ってしまうことになる。

今回の元名古屋大学生の容疑者は、確かに専門的な療育や精神医療を必要とするレベルの『重篤な発達障害(自閉症スペクトラム・その後の二次障害)・反社会性パーソナリティー障害・双極性障害』を早い時期から発症していたかもしれないが、そうであっても『名大に合格するだけの知性・学力+学校で友達と普通にコミュニケーションしたり騙してタリウムを飲ませるだけの言語能力+1週間前から70代女性を殺害するための準備をした計画性(同級生の殺害計画をやめて70代女性にターゲットを変更した)』などから、物事の善悪(殺人の違法性)がまったく分からず、殺人をするかしないかの選択の余地がまったくなかったと断定すること(容疑者が責任無能力者であったとすること)は極めて難しいように感じる。

新聞記事には発達障害の種類については明記されていないが、そもそも発達障害は『殺人衝動(人間の死の過程を観察したい願望)・犯罪欲求』の直接的な原因になるものではなく、重度の発達障害の人が殺人衝動を抱けば自己制御できなくなって殺してしまう(それ以外の選択の余地がなくなる)という行動プロセスを、発達障害一般の問題として上げることは困難なのではないかと思う。知的障害のない発達障害やその二次障害が(一定水準の暴力・自傷の衝動性であればまだしも)『殺人衝動・人の死への興味を我慢できない症状』を引き起こして、半ば自動的・発作的に人を殺してしまったのだから責任能力がないというような法廷戦術は、発達障害全般に対する様々な誤解や偏見を招きかねないだろう。

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責任能力の有無・高低によって『心神喪失・心神耗弱』が認定されると刑罰が減免されるという近代刑法のロジックは合理的なものであり、本当に責任能力がないのであればその行為を非難したり処罰するべき理由がなくなるというのはその通りであるが、問題は『責任無能力者=再犯能力(他者に危害を加える能力)のない者・今後二度と類似の犯罪をしない者』ではないということなのだろう。赤ちゃん(乳幼児)やロボットといった誰からも異論のでない決定的な責任無能力者であれば、『本人に故意や選択の余地(意図的な犯罪の実行)がなかったこと』が疑いの余地なく明らかなので、責任能力がないから刑罰を減免するということに理不尽さや不正義を感じる人はまずいない。

しかし、心神喪失者の多くは、一定以上の年齢かつ知的能力も平均程度はある人であり、その殺人(犯罪)以外の日常生活やコミュニケーションは普通にできていたりのケースも多いので、『本当に善悪の分別がまったくできなかったのか・本当に行動制御能力が欠如して行為を選択できなかったのか(本当は殺人を悪だと分かっていて、殺人をしないという意識的な選択ができたにも関わらず、自分がやりたくてしたのではないか)』という疑問の余地は生まれてしまう。今回の元名古屋大生の事件では、『弁護側は元学生に発達障害があり、他者への共感性がなく、興味の対象が極めて狭く、頭に浮かんだことをすぐ行動に移してしまう上、遅くとも中学1年時に双極性障害(そううつ病)を発症して、そう状態の時は抑止力が全く働かなくなった』と主張しているが、容疑者は一週間以上前から殺人の計画を立てて準備しており、Twitterに『できれば大学院に行きたいけど、少年のうちに殺人することを諦めなければならない。葛藤である』と書いていることからも、犯罪をするかしないかの葛藤(迷い)があったことは明らかである。

殺人衝動に対する抑止力が働かなかった(自分の行動を制御する能力がなかった)という心神喪失の原因は、本来は『殺人現場(被害者を目の前にした状況)における瞬間的・発作的な衝動制御の不能』だけに限定されるべきもので、『かなり前からの人を殺したいという願望・人の死や健康悪化のプロセスを実験したり観察したいという欲求』があって、殺人や人体実験を実行しようかどうかあれこれ迷っている人にまで責任無能力の要件を適用すれば、猟奇的・快楽的な殺人のほとんどが心神喪失・心神耗弱になって刑罰をほとんど科せなくなってしまうだろう。発達障害や精神疾患の幻覚妄想・異常心理などで、人を殺したいとずっと思っていて、殺してしまったら大変なことになるから(自分が逮捕されて不自由になる・家族に迷惑がかかる等)やめておこうとも考えたが、最終的にやっぱり我慢(抑止)できなくて殺してしまったというのは、『責任能力がないから刑罰を免除すべきと判断することができる抑止力(行動制御能力)の欠如』ではなく、他者に共感できず生命・人権の価値に同意しないサイコパス(ソシオパス)の傾向のある犯罪者の心理プロセスと変わらないだろう。

そもそも論から言えば、何の罪や怨みもない人をターゲットにして、猟奇的・快楽的な殺人をしたくてたまらなくなるという人(サイコパスの傾向を持つ人)はかなり病的・異常であるのが当たり前であって、『人を殺したいという衝動・思いついたらすぐに実行せずにはいられない気質・純粋に人が死んでいく過程を観察したい好奇心』といった弁護側が責任無能力の要因として上げたものは、善悪を分別できず自分の行動を制御できないという『犯罪の不可避性・主体性の欠如(犯罪の責任を追及したり刑罰を科すことに合理的な意味がない)』と直結しているものではないように思うが。『金銭・利害・怨恨のとりあえず納得できる理由』のない猟奇的・快楽的・嗜好的な殺人(殺人のための殺人)はすべて正常ではない病的なもの(本人の責任だけを問えないもの)であるから、原則として刑罰ではなく専門的な治療・環境調整・教育機会を施すべきであるというのも、確かに一貫した『責任能力を前提とする人間観』ではある。

だが、その拡大された責任能力論や殺人を犯罪よりもむしろ病気とする人間観を採用するのであれば、再犯リスクを確実に防いで定期的な治療・面会の義務付けをしなければならないだろう。心神喪失で責任無能力者と認定されても、加害衝動や犯罪遂行能力はあり、本心は確実に知ることができないという矛盾・不安は残ってしまう。そのため、心神喪失状態にあったとされる加害者のその後の人生・回復を緩やかに見守り続けるような『長期的かつ実際的な医療観察制度(凶悪犯罪を犯して責任無能力とされた人の長期的な治療・教育・所在確認・経過観察などの実施)』をより厳格化しなければ、被害者遺族も凶悪犯罪を恐れる人々も心神喪失による刑罰免除に納得しづらいということにはなる。

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埼玉県朝霞市の中学生誘拐監禁事件と被告の現実逃避的なパーソナリティー特性:1

埼玉県朝霞市で当時中学1年生だった女子生徒を誘拐して、千葉市や東京都中野区の自宅で約2年間にわたって監禁し、精神的虐待を行って深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負わせたとされる元千葉大生で就職も決まっていた24歳の容疑者の刑事裁判がさいたま地裁で行われている。被告は女子生徒を誘拐した事実は認めたものの、監禁致傷については『自宅で2年間にわたって監視していた意識がない』として否認している。しかし、誘拐監禁されていた女子生徒には、家族以外の他人(特に男性)に怯えて怖がったり、監禁現場となった『千葉・中野』などの言葉に敏感に反応して嫌悪するPTSDの症状が出ており、現在でも外出することが困難で学校にも通えていない状況にある。

監禁されていた場所の地名である千葉・中野だけではなく、郵便物から被告の実家が『大阪』であることを知ったため、大阪というキーワードにも拒絶反応が出ており、誘拐前にぜひ行ってみたいといっていたUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)でさえ、どこにあるのか聞いて『大阪にあるという事実』を知ると『怖いから絶対に行かない』という条件反射的な拒絶・回避の反応を示したのだという。地名だけの特定キーワードに過剰に反応して不安感を覚え、他人や男性に強い恐怖感を感じて回避的になるという少女のPTSDの症状はかなり深刻なものである可能性が高く、平穏な日常生活や学校生活に再適応していくには相当な期間と適切な治療・支援が必要になってくると思われる。

証人として出廷した少女の母親が『娘の2年間をむちゃくちゃにした』『あなたと過ごす2年間じゃなかった。二度と娘の前に現れないでください』と述べて、できる限り重い刑罰を与えてほしいと訴えたのは当然のことなのだが、被告は『誘拐の罪の重さの自覚』『少女の精神をひどく傷つけて取返しのつかないことをした認識』が極めて薄いかほとんどないような発言を繰り返した。高学歴で大学での学業成績も良かったとされる被告だが、『誘拐罪の罪の重さを知らなかった。犯行前に法律でどのくらいの量刑を科されるかなど調べたことがなかった。誘拐の罪の重さは高級品の窃盗よりも軽いと思う』などの無知・非常識な発言をして、『被害者の女子生徒の人格・感情・人生に対する人間味のある共感性』が皆無であることを印象付けようとしているようでもあった。

弁護人が『人が一人突然いなくなることがその関係者にどれほどの悲しみを与えるか分かりますか?あなたの母親が行方不明になれば心配になりませんか?』と問うても、被告は『自分は特に心配にはならない。それは運命だと思って受け入れて生きていく』といった趣旨の、何があっても感情を乱さない『諦観』を気取ったような回答を無表情でするだけだったようだ。母子関係における愛着形成の不全や障害を感じさせる回答ではあるが、誘拐の罪の重さを自覚させようとした弁護人の質問は空回りすることになった。弁護人は心神耗弱による減刑を求める法廷戦術として、24歳の被告が犯行当時に『統合失調症』であったという主張をして精神鑑定をすることになりそうだが、誘拐前のインターネットを駆使した入念な地域・学校の下調べ、偽造ナンバープレートまで準備して50キロも離れた埼玉県にまで出向いての女子生徒の物色・誘拐などを考えれば、統合失調症で現実認識能力がほとんどなかったという主張がそのまま通るとは考えにくい。

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誘拐後にも女子生徒のいる部屋で普通に生活しており、大学に通学して授業や試験を受けるだけの知的能力もあって、友達と一緒に何事もなかったかのようにドライブや談笑するようなコミュニケ―ション能力も維持されていたのだから、現実と妄想を区別できず善悪も分からず、まともに日常生活にも適応できないような統合失調症の混乱した精神状態下にあったというのは、具体的な精神症状があった根拠を示すことができない無理筋な言い分だろう。被告はアメリカの留学先で洗脳に関する本を読んでインスパイアされたといい、『少女を被験者と呼んでいた。洗脳実験をしたいと思っていた』と不可解な動機について述べている。少女のことについて『動物やクリーチャーと接しているような感覚だった』といい、少女の人間性や人格性に対する認識の欠如を語っている。

本当にそのような『人間のモノ化(他者の心情無視)』の傾向があるのであれば、良心・共感性が先天的に欠落していて、他者の人格・感情・痛みについて想像して思いやることのできない(他者をモノや道具として冷淡に利用できる・平気でうそをついて人を騙そうとする)サイコパスやソシオパスといった反社会的パーソナリティー構造を持っている可能性もあるのだろう。被告は統合失調症というよりも、むしろサイコパスの異常なパーソナリティー構造を前提とした解離性障害(離人症性障害)の可能性のほうがまだあるのではないかと思う。被告本人も自分の人生や日々の生活について『自分自身が意識をもって行動しているというよりも、第三者が行動している姿を客観的にビデオで見ているような感覚』といった離人症的な精神状態について語っていたようである。

自分自身の意識や自我、責任をしっかりと認識することができず、いつも白昼夢の中にいるかのようにふわふわ・ぼんやりした感じがあったり、自分と他人・世界の間に膜が張っているような感じで『他人の実在感が乏しい(モノのように感じる)』というのは、意識状態が変性して自他・世界のリアリティーが希薄化する離人症性障害に見られる症状である。解離性障害の精神分析的な原因は、一般に本人にとって耐えがたいほどの苦痛なつらい体験のトラウマであり、自分と世界(他者)を分離する一種の現実逃避的な自我防衛機制が働くことによって、現実感(リアリティー)が鈍麻すると考えられている。自分の人生の出来事や人間関係・活動をあたかも『他人事(生活や行動をしている自分の第三者化)』のように見ることができるリアリティーの低下によって、ストレスや責任感を緩和させると考えられている。

埼玉県朝霞市の中学生誘拐監禁事件と少女を洗脳しようとした被告の動機・心理の特異性:2

この誘拐事件の被告に解離性障害のような意識状態の変性があったのだとしたら、その原因は『自己評価・自己肯定を低下させた過去の愛着障害やトラウマ』と推測されるが、自分自身が『人間扱いされていない・他人から愛されたり尊重されるべき存在ではない』といういじけや拗ね、面白みのなさがあり、そういった他者不信や社会不適応が『少女は非人間的な被験者(人間を冷淡にモノ化した認識)』という異常な対人認知を生み出したともいえる。『人間のモノ化(他者の心情無視)』『解離性障害・離人症性障害のリアリティーの欠如』という心理自体は、暴力的な殺傷事件でも本件のような実験的な監禁・虐待事件でも見られるものである。

他人を自分と同じ人格と感情(傷つく気持ち)を持った『人間』として認識していないからこそ、極端に残酷な暴力を振るったり非人道的な仕打ちができるのだともいえるし、大多数の人は見知らぬ他人であっても『最低限の配慮をすべき人間(その人にも家族や恋人、友人がいて大切にされている)』として認識しているからこそ、暴力・拉致監禁などの犯罪はまず心理的にできないのである。そして、その根底にあるのは上記したように『どうせ自分自身も他人から尊重されていないし愛されていない(まっとうに生きても誰も自分を愛してくれず関心を持ってくれず評価してくれない)』のだから、『自分も相手や他人のことを人間的に尊重して配慮する必要などない(相手を尊重しても無駄であり自分だけが傷つけられたり損したりする不公平で理不尽な世の中だ)』といういじけや拗ねた対人認知・社会観だが、被害者や世の中一般からすれば『自分だけが不幸と思い込んだ甘えた自分勝手な心理』であることも確かなのである。

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確かに、被告には主観的な認識としての愛着障害の孤立感や虚しさがあったり、過去のいじめ体験による自尊心の喪失や不公正な世の中への不満、対人不信があったのかもしれないが、だからといって『無関係な第三者の少女』の人生や精神を自分の都合で破壊したり利用して良いわけでは当然ない。被告は『母親が突然いなくなることも運命として諦める』と無表情で語っていたが、母親失踪の事態を運命だとして開き直れるというのであれば、『犯行前の自分自身の心理状態や過去の体験による傷つき』こそ運命として受け容れて、『そこから他者を傷つけずにどう生きて自分の幸せや楽しみを感じられるか』の方向へ認知と行動を転換させるべきであった。

一般的には、未成年者の拉致監禁事件は性犯罪の側面がどうしてもつきまとうものだが、この事件は性犯罪の側面が皆無ではないとしても(報道規制などがあるとしても)、容疑者の動機は『犯罪による非日常的な性的搾取』よりもむしろ『自分に従順な好みの少女が日常生活の中にいて自分に配慮してくれること(性に関連する要求ではなく料理・掃除・傍にいるなどの家庭的な要求が多く報じられていた)』といった少女愛や愛情飢餓・家族の欲求、孤独感の埋め合わせのほうに重点があったように感じられる。 容疑者はいわゆるロリコンで他者を自分の思い通りに操作したいという異常なパーソナリティーではあるだろうが、未成年の少女に子供らしさや性的対象の魅力を求めるよりもむしろ『擬制された母親・家族(自分のために料理をしたり関心を持ってくれたり世話を焼いてくれる)』を求めるかのような相手の年齢・精神発達に配慮しない異常な対応が感じられる。

本人が洗脳手段として少女に何度も書かせたという『両親は私のことをもう愛していないし捜してもいない』という文面にしても、強い親子の絆を断ち切らせて自分だけを見てほしいという幼児的な依存欲求の投影も考えられる。また自分自身が『両親からの愛情(自分をいつまでも必死に捜してくれるほどの愛情や関心』を恐らく感じていなかったために、『少女と両親の情緒的な強い結びつき(自分の人生にはなかったように感じられるもの・本当は欲しかったもの)』に対する嫉妬や不快感のようなものもあったのかもしれない。『被験者を長い期間をかけて洗脳実験したい』という男の語る動機は相当に歪んだ異常なパーソナリティーというしかないが、その動機がどこまで本気かは分からないものの、結果としてこういった動機を含めて『直接の暴力・性虐待』には向かわずに、『洗脳実験の被験者と称する精神支配』に向かったことによって殺人事件にまで発展するという最悪の結果は回避できたようにも思える。

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誘拐監禁事件で数年以上にまで長期化するケースは稀だと思うが、容疑者の男は千葉市から東京都中野区に就職で引っ越す場合にも、少女をリスクを侵して一緒に連れて行っていることからも、容疑者は『被害者の少女を人間と思っておらず動物のように思っていた』と言ってはいるが、『一定以上の人間に対する強い情緒的な依存度・執着度(少女が日常生活の中にいることが何らかの精神的な安定を生んだ)』があったのではないだろうか。『自分という人間の存在価値を認められず、いつも軽視されてきたという実感』から始まった誘拐事件だと推測されるが、少女を被験者とする供述や両親との関係を裂こうとしていた洗脳など『自分が孤独・不遇だから他者もそうあるべきというルサンチマン』が垣間見えて薄ら寒い気持ちにさせられるが、自分の不遇や苦境があるからといって第三者を引きずりおろして傷つけたり利用して良いわけがない。

加害者は少女にずっと何度も『親は私を見捨ててもう捜してない・親は私のことを愛してない』という文章を書かせて洗脳したと報じられているが、最後まで少女は『両親が完全に自分のことを見捨てるはずがない・いつか必ず逃げ出せる確実なチャンスができるはず』という信念や意思を忘れることはなく、加害者の犯罪的でいい加減な洗脳実験は失敗に終わり少女は救出された。卑劣・異常な犯罪と理不尽な待遇で深く傷つけられた被害者の少女の少しでも早い回復を祈るばかりであるが、加害者に奪われたかけがえのない『2年間の時間』を埋め合わせて有り余るような素晴らしい新たな人と環境との出会い、やりがいのある人生の目標が、彼女の未来にきっと待ってくれているのではないかとも思う。

加害者は自分の罪の内容や重さから逃げるような発言を繰り返しているが、加害者に出来る罪の償いは『罪の重さと少女に与えた被害の大きさの認識・他者の人格や感情への配慮・現実感覚の回復と更生』をした上で、少女の母親が突きつけたように『二度と少女の前に顔を現わさないこと・出所後に自分という存在を少女にまったく認識させないまま生きること・人間としての共感可能な心と他者のリアリティーを取り戻すこと(自分自身の抱える精神的問題の治療や援助も受ける)』であろう。

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元記事の執筆日:2017/11

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