向精神薬以前の薬物治療・ショック療法の歴史

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抗精神病薬として使われるようになる『クロルプロマジン(日本での商品名コントミン,ウインタミン)』が1952年に開発される以前の精神医療では、神経活動を鎮静する効果を持つ化学物質が精神疾患(統合失調症)の治療に用いられていました。『クレペリンの早発性痴呆・ブロイラーのスキゾフレニア』のブログ記事でも書いたように、効果的に精神病の患者の興奮・幻覚を抑制できるクロルプロマジンの処方の開始は、近代的な科学的精神医学の誕生をも意味していました。

抗精神病薬が開発される以前の精神医療の治療法の中心は、『精神分析の会話療法(心理療法)』『ブロム剤・バルビツール酸系の睡眠薬』であり、激しい興奮・過活動・錯乱を示す統合失調症の患者に対する有効な治療法は『速やかに眠らせること』しか無かったのです。重篤な精神病の患者を、とにかく薬で眠らせて安静にさせるという『持続睡眠療法』は19世紀末から20世紀初頭のスタンダードな治療法の一つであり、薬剤としては『ブロム剤・バルビツール酸・モルヒネ・抱水クロラール・アトロピン・スコポラミン』が用いられました。

『ブロム剤(臭化物)』は、ブロム中毒による神経障害や昏睡を起こすリスクがあり、強力な鎮静・催眠作用を持つ『バルビツール酸系の睡眠薬』は、処方量を間違ったりアルコールと併用すると昏睡・死亡のリスクがあります。20世紀半ばまでは睡眠障害・不安障害に対する治療薬として、バルビツール酸系の強力な睡眠薬が使われていましたが、過量服用(OD)やアルコール併用のリスクが高いため、現在ではベンゾジアゼピン系の睡眠薬が主流となっています。

ただし、ベンゾジアゼピン系もバルビツール酸系も、薬の作用機序としては抑制アミノ酸の『γ-アミノ酪酸 (GABA)』の働きを増強することが知られており、GABA受容体の反応性を強化することによって『催眠・鎮静・抗けいれん(抗てんかん)・抗不安・筋弛緩・麻酔』などの効果を発揮しています。

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1920年代に、精神病患者をひたすら眠らせる『持続睡眠療法』を普及させる役割を果たしたのは、スイスの精神科医ヤコブ・クレージでした。ヤコブ・クレージは患者の食事・排泄の時間だけ緩やかな覚醒状態に導き、それ以外のほぼすべての時間で患者を眠らせることが、統合失調症の症状の回復に役立つと説きましたが、この持続睡眠療法には客観的な科学的・統計的な根拠はありませんでした。向精神薬を用いる『近代的な薬物療法』が開始される前の1920~1930年代の精神医学では、うつ病に『メトラゾール』が処方され、統合失調症に『インシュリン・ショック療法』が実施されるようになりました。

これらの科学的根拠のない薬物治療(化学ホルモン療法)の他にも、『ロボトミー手術(前頭葉白質切截術)』『電気けいれん療法(ECT)』などの外科的療法が実施されていました。ポルトガルの精神科医エガス・モニス(1875-1955)は1935年に考案したロボトミー(lobotomy)の功績によって、1949年にノーベル生理・医学賞を受賞していますが、ロボトミーは前額部を穿孔してメス(ロイコトーム)で脳の前部を適当に切断するという危険な手術であり、現在の精神医療では基本的に実施されることは無くなっています。

ロボトミーは錯乱状態にある凶暴な精神病患者を鎮静するのに有効な外科的手術とされ、1930年代以降にかなりの症例で実施されたが、ロボトミーの副作用には『人格の荒廃・知能の低下・無為・感情や関心の消失・けいれん発作』など重篤なものが非常に多く見られました。ロボトミーは一時期『精神外科』の有効な技術とされましたが、『前頭前野(人間らしい心理・思考を司る場所)』と『他の大脳皮質・大脳辺縁系』を切除することでなぜ精神病が良くなるのかを説明できる合理的な理論があったわけではありません。日本では、1942年(昭和17年)に新潟医大の中田瑞穂教授がロボトミーを執刀したのが初めての症例だとされていますが、日本でも1970年代までに数万件以上のロボトミーの施行例があります。

ロボトミーは精神医学の歴史における『非人道的な誤謬』でしたが、ロボトミーが当時評価された理由は『患者の利益になるから』ということではなく、『社会防衛・看護の負担軽減に役立つから』ということが大きかったのです。速効性のある強力で安全なメジャー・トランキライザーが開発されていなかった1940年代までは、『衝動性・暴力性・反社会性』を制御できない重症の精神病患者をどのように大人しくさせるかが課題となっており、そのための強硬的な方策としてロボトミーのような精神外科手術が社会的・医学的に承認されやすい土壌があったのだと考えられます。もちろん、精神障害者に対する人権意識が未熟かつ希薄であったことにも留意が必要でしょう。

1930~1940年代の精神病(統合失調症・気分障害)に対する化学療法も有効性が乏しくて危険なものが多く、ハンガリーの精神科医ヨゼフ・ラースロー・フォン・メヅーナが推進した樟脳(カンフル)やメトラゾールによるうつ病治療にも『全身のけいれん発作』という危険な副作用が伴っていました。樟脳(カンフル)はクスノキなどの植物から抽出される化学成分であり、現在では松脂のテレピン油から合成されたりもしますが、飲用すると『錯乱・けいれん発作・炎症』を起こす有毒な成分を含んでいます。

しかし、20世紀前半までは電気けいれん療法(ECT)などもそうですが、激しいけいれん発作を起こすことで重症の統合失調症やうつ病が改善するという仮説が信じられていました。病的な神経構造のネットワークや電気的な神経伝達の回路を『けいれん発作』によって断ち切ることができるという仮説に基づいて、樟脳(カンフル)や化学合成されたメトラゾール(商品名カルジアゾール)で患者に激しいけいれん発作を起こさせていたのでした。現代の精神医学的知見では、樟脳・メトラゾールを用いた化学療法は完全に間違っていて危険なものですが、これに類似した考え方は現在も電気けいれん療法などに継承されています。しかし、それほど強力ではない電流を流す電気ショック療法には、うつ病の抑うつ感の改善に一定の効果があるとされています。

向精神薬が開発される前の薬物治療としては、統合失調症や薬物依存症に対する『インシュリン・ショック療法』がありましたが、これもメトラゾールの投与と同じく、精神病患者に昏睡(意識消失)やけいれん発作を起こさせるショック療法の一種でした。インスリン(インシュリン)は膵臓のランゲルハンス島(膵島)のβ細胞から分泌される生体ホルモンであり、『血糖値の低下・炭水化物(糖分)の代謝促進』の作用を持っていますが、インスリンを大量投与すると脳内の血糖値が急激に低下して『昏睡(意識消失)・けいれん』といった反応が起こります。オーストリアの精神科医マンフレート・ザーケルは、薬物依存症の患者にインスリンを大量投与してけいれん発作を誘発したところ、その患者が薬物を欲求しなくなったことに気づき、このインスリン・ショック療法を統合失調症にも応用したのでした。

『インスリン・ショック療法』は渡米したマンフレート・ザーケルの啓蒙活動もあって、1930~1940年代に欧米の統合失調症治療に多く用いられましたが、その作用機序は過活動になっている大脳辺縁系の原始的衝動を抑制して幻覚・妄想を消失させるという、かなりいい加減なものでした。インスリン・ショック療法の効果については、インスリン投与による『意識の消失(昏睡)』が自我を抑圧している超自我(スーパーエゴ)を弱めることで、精神構造のバランスが回復してくるという精神分析的な解釈が為されたりもしました。

メトラゾールやインスリン、電気ショックなどを用いた『物理的・化学的なショック療法』は、その危険性や副作用と比較して治療効果が高いとは言えず、現代の精神医学の知識・経験からすると間違った治療法と言わざるを得ません。しかし、当時の観念的・抽象的な精神医学は『科学的な医学分野』とは見られておらず、精神医学と精神分析(心理療法)の境界線も明らかではなかったため、精神科医の多くは『正式な医学』として認められるために『科学的・専門的に見える治療法』を必死に模索していたという背景もあります。

精神分析やカウンセリングのような薬・手術を用いない『談話療法(会話療法)』では、専門家としての『医師の権威・特別意識』が揺らぎやすいということもあり、19~20世紀半ばまでの精神科医は『精神疾患を診断して薬を処方する・精神疾患を治癒させる手術を実施する』という医学モデルへの強い憧れを持っていたのでした。

“解剖学・薬理学・生理学・神経学”などの専門知に基づいた“手術・処方・投薬”をするのが医師であり、ただ患者の悩みや話を聞いてアドバイスしたり心理療法をするだけの精神科医(精神分析医)は『プロフェッショナルな医師』とは言えないという、医学界内部の差別意識のようなものが当時あったのです。

『精神医療における薬物療法・精神外科』というのは、精神科医が他の診療科の医師と『科学的治療法の観点』で対等になろうとする悲願であり、その悲願が達成されるのが1950年代のクロルプロマジンを嚆矢とする向精神薬の相次ぐ開発でした。目に見えない心の問題や精神症状の苦痛の原因が、脳内の情報伝達物質の分泌障害にあるという『生体アミン仮説(モノアミン仮説)』が立てられ、薬剤の臨床試験や効果研究を通して間接的にモノアミン仮説が補強されていきました。

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