抗精神病薬のクロルプロマジンの発見

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19~20世紀初頭の精神医学や精神分析では、『心の病気』である精神疾患に対する薬物療法はナンセンスで効果のないものと考えられていました。当時の精神医学が薬物療法に否定的だった最大の理由は、『無意識的願望・欲求の抑圧』によって精神疾患(神経症・精神病)が発症すると仮定したS.フロイトの精神分析の影響力が余りに強かったからですが、それ以外にも神経科学・精神薬理学などが殆ど発達していなかったことがあります。

精神疾患・精神障害の原因も『脳の器質的障害・幼少期の心的外傷・心理的な苦悩の増大・無意識的な願望』などに置かれていたので、それらの心理的・器質的な原因を薬剤によって解決することは原理的に出来ないと考えられていたのです。向精神薬には『抗精神病薬・抗うつ薬・気分安定薬・抗不安薬・睡眠薬(催眠導入剤)』がありますが、それらの初期の発見はすべて『偶然の発見・適応症の転用』によって行われています。つまり、統合失調症やうつ病を改善する薬を開発しようという目的が初めにあって、それぞれの向精神薬が製造されたわけではなく、違う病気に効く薬を開発していたり他の目的で患者に薬を処方する中で、『各種の精神症状にも効く薬』が発見されたのでした。

ここでは1950年代のクロルプロマジンの発見について説明しますが、クロルプロマジンが統合失調症の治療薬として使われ始めたことが、『近代的な精神医療・精神薬理学』のスタートになったと解釈されることもあります。それまで精神疾患の薬物療法にどちらかと言えば否定的だった精神科医(精神分析医)たちが、クロルプロマジンをはじめとする抗精神病薬を使い始めた理由には『統合失調症の有効な治療法が他に無かった・製薬会社の啓発キャンペーンの効果が大きかった』ということがあります。

各種の向精神薬が大量に処方されるようになる原因としては、『精神医療や精神障害に対する偏見の緩和・製薬会社や政府のメンタルヘルスのキャンペーン・精神科医が診断する疾患の増加・薬物治療に肯定的な患者間やインターネットの口コミ』などを想定することができます。

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クロルプロマジンはフェノチアジンの一種ですが、フェノチアジンの合成は元々、染料を開発する化学企業で行われていて、そういった化学企業には後に製薬会社に転進した会社も多くあります。19世紀のヨーロッパで繊維業が隆盛する中で、植物の天然染料に代わる合成染料の開発が進められ、1883年にはドイツ・ハイデルベルクの化学者アウグスト・ベルンセンがフェノチアジンを有機化学的に合成します。合成染料として開発されてきたフェノチアジンでしたが、1940年代になるとフェノチアジンにアレルギー反応のかゆみ・刺激を抑制する『抗ヒスタミン作用』があることが分かってきて、パリのローヌ・プーラン社は更にフェノチアジンの色々な薬理作用に目をつけます。

ローヌ・プーラン社の研究で分かってきたフェノチアジンの生理作用には『筋弛緩効果・吐き気の抑制・バルビツール酸系の睡眠薬の作用亢進・体温調節機能の変化』などがあり、フェノチアジンを抗ヒスタミン薬としてだけではなく、抗パーキンソニズム薬としても使おうとするような動きがでてきました。フランスの外科医アンリ・ラボリと麻酔科医ユグナーは、プロメタジン(フェノチアジンの一種)を『術後ショック』の抑制薬(麻酔前に投薬する薬)である“カクテル・リティック”として応用しようとしました。実際にプロメタジンを術前の患者に使ってみると、『無痛・精神安定の麻酔効果』が発見されましたが、ローヌ・プーラン社は更に中枢神経系の抑制作用の強い“RP4560”というクロルプロマジンのプロトタイプを開発することに成功しました。

アンリ・ラボリは1952年に、クロルプロマジンの薬理作用に関する初めての論文を発表しますが、この論文ではクロルプロマジンを『抗精神病薬(統合失調症の治療薬)』としてではなく『術前の麻酔薬(カクテル・リティック)』として取り扱っています。クロルプロマジンの生理作用については、『強い眠気・意識レベルの低下・周囲への無関心(刺激反応性の低下)・リラックス・超然とした態度』などがあり、精神医学領域への応用の可能性も緩やかに示唆していました。

クロルプロマジンを精神医学の薬物治療に初めて導入したのは、パリのサンタンヌ病院の精神科医ジャン・ドレピエール・ドニケルでしたが、彼らは1952年の論文においてクロルプロマジンが躁病と統合失調症の錯乱・幻覚を改善すると指摘しています。ジャン・ドレは中枢神経系の神経活動を抑制する薬という意味で、クロルプロマジンを『神経遮断薬』と呼びましたが、現在ではメジャートランキライザー(抗精神病薬)はドーパミン神経のD2受容体を遮断すると仮定されています。クロルプロマジンの副作用として、骨格筋の運動機能が低下したり手足の振戦が起こったりする『錐体外路症状』についても書かれています。

ドレとドニケルはクロルプロマジンが精神病の妄想・興奮・錯乱を抑制して、精神病患者の看護の負担を減らし拘束が不要になると述べましたが、1952年初めのローヌ・プーラン社は『麻酔薬・船員の吐き気止め・抗ストレス薬・抗感染症薬・抗パーキンソン病薬・肥満治療薬』などクロルプロマジンの様々な医学的応用の道を模索していました。しかし、統合失調症や躁鬱病の躁状態に効果があるという各地の医師の報告が集まり始めたことにより、次第にクロルプロマジンは精神病治療薬としての位置づけを固めていくことになります。

ロボトミー手術の権威だったウォルター・フリーマンは、クロルプロマジンを『化学的ロボトミー』と呼んだりしましたが、この薬物治療は特に興奮性・錯乱性・粗暴性の強い精神病患者に高い効果が認められたのです。1952年末に、ローヌ・プーラン社はフランス・イギリス・ドイツ・イタリアでクロルプロマジンを販売してくれる会社を見つけ、次第にクロルプロマジンは過度の興奮や病的な妄想・幻覚を抑制する抗精神病薬として定着していきます。

興奮性の精神症状を改善する効果が次々と報告される中で、クロルプロマジンを長年にわたって服用し続けると『遅発性ジスキネジア(口や舌の動きを制御できない)・ジストニア(舌を出したままの動作を制御できない)・アカシジア(静坐不能)』など、運動障害を引き起こす錐体外路症状の副作用がでることが分かってきました。

1953~1954年になると、アメリカでもSKF社によるクロルプロマジン(商品名ソラジン)の販売量が急速に拡大して、統合失調症の心理的原因に注目する『精神分析療法』から、生理学的原因を改善するとされる『薬物療法』へのパラダイムシフトが起こりました。向精神薬の薬理機序・作用機序には不明な部分も多く、通説として語られている作用メカニズムの多くは『薬物の効果・症状の改善』から帰納的に推測したものに過ぎないのですが、ポール・ヤンセン『ハロペリドール(ブチロフェノン)』の開発によって更に抗精神病薬の普及が進むことになりました。

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