発達心理学の観察法・実験法と質的研究

発達心理学の研究法としての観察法・実験法の長短

量的研究と質的研究

発達心理学の研究法としての観察法・実験法の長短

進化論や子どもの発見を踏まえた発達観について説明しましたが、発達心理学の代表的な研究法として『観察法(observation method)』『実験法(experiment method)』とがあります。観察法というのは、対象となる人間の行動や反応、生活をそのまま観察して、その観察したデータ(事例)を積み重ねることでそこに共通する法則を発見しようとする研究法です。観察法は個別のデータの集積から一般的な法則・理論を推測していく『帰納法(帰納推測法)』の研究法です。対象のありのままの行動を外部から観察する『自然的観察』と自分が対象に何らかの形で関与しながら観察する『関与的観察』とがあります。

それに対する実験法では、ある仮説理論を前提として、その仮説が正しいかどうかを検証するための『実験環境(独立変数・従属変数)』を整備してから比較実験を行います。実験法は仮説理論を設定してからその仮説の確からしさを実験で確認(検証)するという『演繹法(仮説演繹法)』の研究法です。『観察法=帰納推測法』と『実験法=仮説演繹法』の違いは、観察法は観察したデータ(事例)を元にしてそれらに共通する仮説(理論)を構築していくのに対して、実験法は初めに合理的と思われる仮説(理論)を提示してその仮説の確からしさを実際のデータ(事例)で確認・検証していくという違いです。

科学的心理学では、バラバラのデータや事例から理論を構築する『観察法』よりも、特定の仮説理論の確からしさを条件を統制して実験で検証していく『実験法』のほうが科学的実証性が高いと考えられがちです。仮説演繹の実験法は、科学哲学者・科学史家のカール・ポパー(Karl Raimund Popper, 1902~1994)『反証可能性(反証主義)』によって根拠づけられているが、反証可能性というのは『ある仮説を実験で否定する証明ができる可能性が原理的にあるか』ということです。カール・ポパーは実証科学と擬似科学の境界線を『反証可能性の有無』においており、単純に客観的データ(客観的事例)を集めて抽出(帰納)しただけの理論は科学理論とは認められないと考えたのでした。

発達心理学の理論で言えば、観察法によって多くの母子関係を観察した結果として、3歳前後に『母子分離不安』が一般的に出現するという仮説を立てることはできますが、実験法になると『実際に母親と子どもを引き離してみる実験』を行ってみて、どのくらいの時間が経てば子どもが不安になって泣き出すかの検証をするのです。

更に、『母親と分離させても不安にならない子どもはいないのかの反証実験』も行うことができるので、『幼児期前期の母子分離不安の仮説』には原理的に反証可能性があるという事になります。幼児期前期に母子分離不安が発生するという仮説が正しければ、母親と分離された子どもは不安な表情を見せたり落ち着かずに泣き出したりするはずであり、反対にその仮説が正しくなければ(その仮説が反証される場合には)、母親と分離された子どもで普段と変わらない様子を見せる子どもの数が多くなるはずだからです。

『観察法・帰納法』『実験法・演繹法(反証主義)』はそれぞれ科学的な研究法の手段であり、どちらも客観的な現象やデータを観察してから理論を構築したり検証(反証)したりするので、どちらかだけが科学的に優れた研究法であるという断定は通常できません。研究者の興味関心の対象や検証したいと考えている内容(問題)によって、観察法を用いるべきか実験法を用いるべきかの判断は変わってきますが、それぞれの代表的な長所・短所を挙げると以下のようになります。

観察法の長所・短所……観察法の長所は、対象に関与しない自然観察法であれば、いつもの子ども(被検者)の行動や発言をそのまま観察することができるということです。普段のありのままの様子を観察できることを『生態学的妥当性』といいます。複雑な多要因の相関に惑わされずに、直観的な仮説の設定や現象の記述をしやすいということも長所になります。観察法の短所は、実験法のように環境条件を厳密に調整できないことであり、被検者の特定の行動様式や特徴などに限定した検証ができないという事です。特定の仮説理論を検証するためには、二つの群を準備して実験条件を調整してから観察(比較)する必要があるため、ただ観察するだけの観察法では仮説の検証を的確に行うことは難しくなります。

実験法の長所・短所……実験法の長所は、実験条件を調整したり実験群・統制群の2つの群を比較したりすることで、検証したい特定の要因を調べることができるという事であり、独立変数(特定の要因)と従属変数(結果)との相関関係を検証するのに適しています。特定の仮説理論の確からしさを検証する場合には、観察法よりも検証性の高い実験法のほうが向いているのです。実験法の短所は、実験条件を調整したり普段とは違う実験室の中で観察することによって、日常生活の自然な行動や反応が観察しにくくなるということであり、観察法よりも『生態学的妥当性』が低くなりやすいという問題があります。子どもの発達心理学研究で実験法を適用するためには、子どもがリラックスしていつもと同じような行動(反応)が見せられるように留意しなければなりません。検査者と子どもの良好な関係を築いたり、マジックミラーを使って検査者の姿を見えにくくしたり、普段の生活環境に近い環境を再現するなどの配慮(=生態学的妥当性への配慮)が必要になってきます。

量的研究と質的研究

『量的研究』というのは、複数のサンプル(標本)からデータを取って統計的に検証する研究法のことで、科学的実証主義(科学的客観主義)の影響を強く受けています。近代科学では単一のサンプルの内容や特徴を調査する研究よりも、複数の多くのサンプルのデータを調べて、統計的操作を加える量的研究が主流になっています。しかし、発達心理学の研究対象には数量化の難しい要因も多くあり、変数として取り扱えないケースも多いことから、一つのケース(対象)の内容や特徴を詳しく調べる『質的研究』も増えてきています。典型的な心理学領域の質的研究としては、『事例研究(ケーススタディ)』が最もポピュラーなものとして知られています。

論理実証主義や数理学的分析(統計的操作)を前提とする量的研究では『客観性・多くのデータによる証明(根拠)・結果』が重視されますが、実験法の短所と同様に被検者の日常生活のありのままの行動(反応)を観察しにくいという『生態学的妥当性の問題』が残りやすくなるのです。それに対して、質的研究では『主観性・生態学的妥当性・プロセス(過程)』が重視されますが、更に個人を他者と切り離されたものではなく、他者と相互的に関係しているものと認識する『関係論的視点』が導入されています。これは認識論的個体主義とは反対のスタンスであり、認識論的個体主義が前提にしている『区別された個人(他者に影響されない個人)』というコンセプトを否定する考え方になります。

質的研究では、個人の内面や判断という『主観性』も取り扱うことができ、観察される現象や行為の意味についての解釈も重視されているので、この研究方法のアプローチを『解釈学的アプローチ』と呼ぶ事があります。個人の行為・反応の原因を、その人自身の判断や意志だけに求めるのではなく、その個人が置かれた人間関係や周辺状況といった『文脈(コンテキスト)』の中で考えていくのが質的研究の方法論になっています。量的研究のように個人の行為(反応)を外部から客観的に判断するのではなく、その個人の内的視点や心理を本人に語ってもらうというアプローチを質的研究では取ります。

被検者本人に自分の内的視点を通してその感情や判断を語ってもらうというアプローチは、『ナラティブ・メソッド(物語論的な方法)』と呼ばれることもありますが、このアプローチは自分で自分の人生のプロセスや心情を語ってもらうことで心理的問題が改善するという『ナラティブ・セラピー(物語療法)』の心理療法にも応用されたりしています。質的研究の長所は『事例研究の自由度の高さ』や『被検者の内的視点や内的世界を取り扱える可能性』にありますが、その短所は『科学的実証性の低さ』や『主観性(アート性)が強くなり客観性が低くなる』ということにありますが、質的研究の長所は主に心理臨床や発達臨床の現場(実際的な対応)において発揮されやすくなっています。

Copyright(C) 2011- Es Discovery All Rights Reserved