人間の高次脳機能とは、事象に注意を向けて認知したり、重要な知識を記憶して学習したり、物事を計画して実行する大脳新皮質の連合野(association area)で実現される高次の複雑な精神運動機能の事です。具体的な人間の高次脳機能としては、『知覚・認知・注意・学習・記憶・概念形成・推論・判断・言語活動・創造・想像・計画』などがあり、原始的な脊髄の反射弓を介した反射行動よりも高次な精神運動機能とされています。
高次脳機能によって形成される複雑で高度な高次脳機能は、人間と動物の境界線の一つです。人間は、大脳新皮質の連合野が生み出す『自我意識と高次脳機能』によって人間固有のアイデンティティを獲得し、知的活動や創作行為、コミュニケーションを可能としています。個別的な事象を一般法則化する科学的思考や未来の社会像を具体的に計画して遂行できる計画遂行能力も、高次脳機能の協働的な働きによっています。
大脳を機能面で見ると、人間らしい複雑な思考・学習や精緻な細かい運動などの高次脳機能を司る『大脳新皮質』と動物的な快・不快の情動や本能的な防衛反応などを司る『大脳辺縁系(古皮質)』に分ける事が出来ます。
大脳を形態面で見ると、『左半球』と『右半球』から構成されていて、脳梁と呼ばれる神経線維で連結しているのですが、左脳と右脳それぞれの役割機能と相互作用については様々な学説や俗信が存在しています。脳の特定の機能が、脳の特定の部位(構造)で実現されているという考え方を『機能局在説(機能局在論)』といいます。
右利きの人の機能局在では、左半球(左脳)は『言語的・分析的・顕在的な優位半球』とされ、右半球(右脳)は『感覚的・総合的・潜在的な非優位半球』とされています。優位半球と非優位半球というのは、相対的な能力の優劣を示しているのではなく、言語機能を担当する半球のほうを優位としているだけです。ヒトの意識的な知性の表現手段や理性の確認手段の多くが言語的コミュニケーション(口頭報告・言語記述)に依拠している為に、言語機能が局在する半球を優位半球にしたのだと考えられます。
左半球と右半球の脳機能はある程度の独立性を持っており、視覚機能や運動機能において左右の脳は、それぞれ反対側の視野・運動神経を司っています。視覚の場合には、『視神経交叉(optic chiasma)』という視覚伝道路において、右側の視野の情報は左半球に投射され、左側の視野の情報は右半球に投射されます。左・右の視野が、それぞれ右・左の半球に投射されるのであって、左目の情報が右脳、右目の情報が左脳に投射されるわけではありません。
外界にある光刺激が網膜に届くと、光は視神経で電気的な神経信号(インパルス)に変換され、幾つかの神経細胞の層と外側膝状体(lateral jeniculate body)を経由して、後頭葉の一次視覚野に投射されることになります。大脳新皮質の視覚野に投射されることで、私たちは何を見ているかの視覚を意識することが出来るわけですが、その情報処理過程に視神経交叉(optic chiasma)があります。
しかし、視神経交叉が働くのは、両眼の網膜の鼻側の半分だけです。両眼の網膜の耳側半分のほうは、交叉せずに、右目(右目に入る左視野の情報)は右半球に、左目(左目に入る右視野の情報)は左半球にそのまま投射されます。外側膝状体(lateral jeniculate body)という解剖的部位の基本機能は、『視覚野への視覚情報の入力』です。
運動機能も基本的に視神経交叉と同じように運動神経繊維の交叉によって、左右の半球がそれぞれ反対側の手や足の運動をコントロールしています。ここまで見てきたように、左右の脳半球はそれぞれ、言語機能と非言語機能を役割分担し、左右の身体機能を神経系の交叉によって制御しています。それぞれの脳半球は、独立性と機能局在性を持ちながらも、脳梁で複雑な情報伝達を行って、高次脳機能を共同作業の中で実現していると考えられます。
左右の脳半球の視覚・認知・言語・運動の機能の共通点と相違点について検証した実験に、スペリー(R.W.Sperry)とガザニガ(M.S.Gazanniga)の分割脳の実験があります。分割脳とは、治療目的で脳梁を切断された重症のてんかん患者などの脳のことであり、分割脳の患者は独特の認知機能に基づく言語報告を示します。スペリーは分割脳の実験に基づく左右半球の認知機能の解明の功績によって、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
分割脳で右と左の情報伝達が停止すると、言語中枢を持つ優位半球である左半球(左脳)と言語中枢を持たない非優位半球である右半球(右脳)の認知機能にはどのような違いが生まれてくると予想できるでしょうか?言語中枢を持たない非優位半球では、ボールペンやボールなどのモノを見せられても、それが何なのか言葉で表現することが出来ません。このことから、非優位半球の右半球は、言語的な認識や表現の能力がないのだから、物事を識別判断する認知的機能もないはずだと考える人が多いと思います。
しかし、ガザニガとスペリーの分割脳実験では、その常識的判断を覆す興味深い実験結果が出ました。彼らは、『ボールペン・消しゴム・教科書』などの単語を瞬間的に、右視野・左視野に呈示して、その単語が意味する実際の物を手探りで探させて同定(単語と同じ物を選択)させました。この課題を成功させる為には、『単語の読解』と『単語と物事の同定』という言語中枢が関与すると考えられる高次脳機能が必要です。
常識的に考えると、単語の意味を理解して物事を同定する作業は、『意識的な言語機能を持たない非優位半球(右脳)』には不可能のように思えます。しかし、この実験で『左視野(単語の瞬間呈示)‐右脳(単語の読み)‐左手(物の触覚的同定)』という作業をした分割脳患者は、見事に単語と一致する物を探り当てて同定することに成功しました。
そして不思議なことに、右脳でこの課題を成功させた患者は、『自分が何という単語を見たのか』について言語報告することが出来ず、『何も単語なんて見えなかった』『何となく何かが見えた気がする』としか答えられなかったのです。つまり、右脳でこの課題を遂行した分割脳患者は、瞬間呈示された単語を見て、それを自覚的に意識することが出来ないのにも関わらず、自動的に左手だけが動いて正しい物を同定したという事になります。
この事は、本人が明瞭に意識できない知的活動の存在を意味していて、言語報告できない認知機能の過程を証明している事になります。『自分が何を見て何をしているかを正しく言葉で表現できないのに、正しい課題遂行行動を成し遂げることが出来る』という常識に反する無自覚的知性(言語中枢に依存しない認知)の存在が、この分割脳患者の同定実験から推測できるのです。また、この実験では、物を同定して正解した後に、その物から初めに呈示された単語を推測するという普通の認知とは正反対の順序で物事を認識しています。
ガザニガとレドゥの行った『分割脳患者を用いた両視野同時呈示実験』では、分割脳患者の左右の視野に同時に「別々のスクリーン映像」を瞬間的に呈示して、右手と左手でそれぞれの絵と関係しているイラストを選ばせました。この場合にも、言語中枢を持たない非優位半球(右脳)は、映像と対応した正しいイラストを選ぶことに成功しましたが、やはり、何の映像を見てその絵を選んだのかという自分の行動について言葉で正しく説明する事は出来ませんでした。
更に、両視野同時呈示実験から導かれた興味深い事柄として、何の映像を見て何の絵を選んだのかという優位半球(左脳)の言語報告が、非優位半球(右脳)の左手の絵の選択行動を合わせて説明するような内容になっていたことがあります。つまり、言語機能を持つ左脳は、右脳が担当する左手の運動を見て、その運動の理由を推測して言語化したという事です。左右の脳の情報連絡をする脳梁が切断されているのにも関わらず、左脳が、右脳に欠如している言語中枢の機能を無意識的に補足したと考えられます。
また、左手の運動の情報が伝わらないはずの分割脳の左脳の側には、左手の運動を見て後付けの説明・推測をしたという意識は働いていなかったといいます。これは、右脳が制御している左手の運動が、そのまま、左脳の制御下にある右手の運動と同じように、当たり前の事実として左脳に処理されてしまったということを意味しています。
言語中枢のある左半球(左脳)は、呈示された情報刺激を言語化・意識化して理解することが出来ますが、言語中枢のない右半球(右脳)は、呈示された情報刺激を言語化・意識化することが出来ないのに、その内容(意味)を理解して正しい行動に移すことが出来るということが、上述の分割脳実験から分かりました。
また、右半球(非優位半球)に、ある行動を取るようにせよという命令文を呈示すると、その行動を正確に取ることは出来ますが、その命令文が何であったのかを言語報告することは出来ません。また、命令された行動を取った後に自分の行動を見て、『自分が何をしているのか?呈示された命令文が何であったのか?』を後付けで推測することが出来るというのは、『右半球の認知機能』を『左半球の言語機能』が素早くカバーしているからです。
言語機能が欠如した非優位半球(右脳)には、高次脳機能に該当する知的能力がないわけではありません。非優位半球には、言語の意味(内容)を瞬間的に識別して、それを行動で表現する認知過程が存在していますが、その認知過程を言語化・意識化する機能が備わっていないのです。通常の精神活動では、言語中枢を持つ優位半球(左脳)が、非優位半球(右脳)が取った行動を瞬間的に観察して、その行動の原因を言語化・意識化する高次脳機能を担当していると考えられます。
一般的な人間の行動理解では、『視覚情報を処理して、その意味を認知して、適切な判断による行動が発現する』と考えられていますが、脳科学の実験からは『無意識的な認知過程を経た行動がまず発現して、その行動を外部観察して、行動の原因(初めの情報や条件)を推論する』という行動理解が提起されていることになります。
この高次脳機能による行動の後付けの原因帰属(無自覚的な認知過程)は、『べムの自己知覚理論と認知的不協和理論』や『シャクターの情動二要因理論と情動の形成機序』などで述べた『生理学的興奮から起こる情動の原因帰属』や『認知的不協和の低減戦略としての後付けの原因帰属』と非常に類似した認知のメカニズムだといえます。
優位半球と非優位半球は、お互いに独立性と機能局在性を持っているのですが、意識的な知性や言語的な理解という部分では相互協力的に働いて『統合された自我意識』を実現しています。
科学的な脳機能の解明や神経心理学的な心理の理解が進んだ現在では、私たちが素朴に信じているほど『人間の行動・情動は、意識的にコントロールされているわけではなく、行動の原因が絶えず言語化可能なわけではない』という事が明らかになってきています。『私は、何故、この行動を取ったのか?』という質問に対する言語報告の答えも、行動が起こった瞬間には意識化されておらず、行動が起こった後で後付けの原因帰属が言語によって為されるという事が出来ます。
もちろん、事前に十分な計画や思考を行った判断の結果、行動を起こすという明確に意識的な理性でコントロールされた行動もあるでしょうが、日常の行動の大半はそれほど強固な意志や具体的な計画でコントロールされているわけではありません。人間の言語機能の発達は、情動・行動・知覚と比較するとかなり後になって2歳以降に遅れて発達してきますから、そういった発達心理学的な見地からも、言語機能による原因帰属はかなり後付けの推測の部分があると考えられます。
日常生活で見られる多くの人間行動において、言語中枢のシステムは、個人の知覚・認知・行動・情動をメタの次元で観察しながら、その状況や反応に適合した原因や理由、知識を推測して原因帰属していると考える事が出来ます。しかし、その外部観察による原因の推測と原因帰属(知識の特定)の時間は極めて短いので、通常、人間の行動・情動の分類と原因が後付け的に特定されていることを意識することはないでしょう。
認知心理学や社会心理学の帰属理論から分かる興味深い事実は、人は自分の『内面の認知過程(神経学的な情報伝達)』と外部観察できる『行動過程(明示的な知性の言語化)』を無意識的に結合させて、自我意識を統合し現実世界を理解しているという事です。
人間の脳の健康と精神の正常は、『知覚・認知・行動・言語といった高次脳機能の適切なバランス』にあるという事ができ、自我の統合性が障害され、現実世界への適応性が低下した精神疾患の状態は、それらの精神機能のバランスが崩れた状態を意味しています。
トップページ>心理学>現在位置
プライバシーポリシー