このウェブページでは、『アーヴィング・ゴフマンのドラマツルギーと役割演技・役割距離』の用語解説をしています。
アーヴィング・ゴフマンのドラマツルギーにおける演技
E.ゴフマンの役割演技と役割距離
アメリカの社会学者アーヴィング・ゴフマン(Erving Goffman, 1922-1982)は、人々の社会的相互作用としての『儀礼的無関心』や相互作用の社会学的研究法(観察法)である『ドラマツルギー』を提唱した人物として知られている。ドラマツルギー(ドラマ的な方法)という社会学的研究法は、『日常生活における自己呈示,1959年("The Presentation of Self in Everyday Life")』の中で公開されたものであり、それ以前にはドラマツルギーという言葉は演劇・脚本の世界で限定的に用いられる言葉だった。
E.ゴフマンは『役割期待』の関係する個人間の相互作用について、『役割を遂行すること』と『役割の遂行に関する演技をすること』を分けて考えたが、これは実際の仕事・役割の遂行があまり上手くない人でも、その遂行に関する『自己アピール』が上手ければ評価されやすい事実などに現れている事柄である。簡単な仕事であっても一生懸命に苦労して時間をかけてやっているような演技をすれば、その仕事の内容や価値は実際よりも高く評価されやすくなるし、実際には高度で難しい仕事であっても何の苦労もないような顔をして短時間で終わらせてしまうような演技をすると、その仕事の内容や価値が割り引いて見られやすくなるのである。
個人と個人の間の相互行為は、実際に役割を遂行するという『行為』と役割を遂行しているように見せる演技をするという『表現』とに分けて考えることができるが、E.ゴフマンは自分の行為を相手にどのように見せるかという『表現』の側面に焦点を当てた研究を行った。その研究方法あるいは観察方法が、人々の相互行為を舞台の上で展開されているドラマのようにして観察して記述するという『ドラマツルギー(ドラマ的な方法)』なのである。ドラマツルギーに基づく観察では、個人の行動は『時間・場所・オーディエンス』に規定されるパフォーマンスとなり、パフォーマンスをしているその個人は『パフォーマー』になるのである。社会的な相互行為とは、パフォーマー(行為する者)がオーディエンス(行為を見る者)の前で演技をすることであり、パフォーマーとオーディエンスが相互の立場を交換しながらパフォーマンスをすることでもある。
パフォーマーがオーディエンスの前で演じている場面には『ドラマチックな効果』が宿っているだけではなく、パフォーマーは『自分が相手にどのように見られているのか(あるいは相手にどのような人間として見られたいのか)』を意識して調整することで『印象操作』を行っているのである。オーディエンス(相手)よりも優位なポジションを得るために、自分を実際以上に偉大で知的な人物に見せかけようとしてパフォーマンスをする人もいれば、反対に自分が謙虚で好ましい人柄であることを伝えるために、既に知っていることでも知らなかったと言ってみたり自分の能力・実績を韜晦(隠蔽)したりのパフォーマンスをする人もいる。いずれも、印象操作によって自分の欲求・目的を充足させようとしているが、それだけではなく『自分にとって望ましい自己アイデンティティ』を他者に対して示すという『自己呈示の効果』もそこにはある。
自分がどのような人間であるかの自己アイデンティティを示す『自己呈示』は、パフォーマーとオーディエンスがお互いに相手の状況を察し合いながら、お互いの自己アイデンティティ(自己イメージ)や役割意識を維持するという『共同作業』によって維持されている側面が強い。どちらかが自己アイデンティティを呈示するパフォーマンスに失敗したとしても、パフォーマーが自己アイデンティティを守るための『防衛的措置』の取り繕いをしてみたり、オーディエンスが失敗に気づかない『察しのよい無関心』を貫いたり、適切なフォローを入れる『保護的措置』をしたりすることで、お互いにとって落ち着きの良い自己アイデンティティが『共同作業』を通して維持されることになる。
E.ゴフマンのドラマツルギーの社会学的観察法が明らかにしたのは、自分が他人に見せたいと思う『自己アイデンティティ』や自分が相手に優れた存在(好ましい存在)であるように見られたいという『自己イメージ』によって、人間の相互作用(行為と表現)は相当にきつく拘束されているということであり、その自己アイデンティティを維持するために実にさまざまな『印象操作』を行っているということであった。人間は社会的に行為している時には、『演じられている見せかけの偽の自己』と『それを演じている見せかけではない本物の自己』とに意識が分離するが、E.ゴフマンはこの演じている本物の自分と演じられている偽物の自己との関係性を『役割距離』という概念で言い表している。
あからさまに『本当の自分』とは全く異なる正反対の特徴を持つ人物を演じているような場合には、本当の自分と偽物の自分との間にある役割距離は非常に遠く離れたものになってしまう。反対に、会社員としての自己だとか医師・教師としての自己だとかいった『職業上のアイデンティティ』を維持するための演技は、たとえそれが『本物の自分』とはかなり違っているものだと分かっていても、その職業活動を長く続けていくうちに、本物の自分と偽物の自分との間にある役割距離は非常に近いものになってきて違和感を感じなくなる。制度化された役割期待を内面化している個人は、『演じている自分』と『演じられている自分』は一体化しやすくなり役割距離は近くなるが、『役割距離の長さ』は短ければ短いほど良いというものではない。
パフォーマーが役割距離の長さ自体をオーディエンスに自己呈示することで、『演技をしている余裕のある自分(その場面や役割だけにのめり込み過ぎていない自分)』をアピールすることもできる。子どもは特に『照れ隠し・自尊心』のために、『子どもっぽい遊びや玩具』に対して『そんなものは大して欲しくない』というパフォーマンスをすることがあり、その時には役割距離は長くなっているのだが、その役割距離の長さの呈示によって『年齢相応の自意識・成長』を相手に示すことができているのである。スポーツ選手やアーティストが本番の試合(ライブ)に臨む前に、自分の緊張を隠すために『本番の試合(ライブ)と関係のない冗談や雑談』を笑いながらしたりすることもあるが、これも『演じている自分』と『演じられている自分(スポーツ選手・アーティストとしての自分)』との役割距離を敢えて示すことで、『自分の余裕(場面や本番に呑み込まれていない視野の広い自分)』を現しリラックスしようとしているのである。
『演じられている自分』をメタレベルから観察して言及する行為は、『自己の同時的な多元性』を呈示する行為であり、『演じている自分の余裕・自信』を周囲に分かりやすくアピールしているのだが、この自己の同時的な多元性のアピール(自分で自分を冷静に観察できているよというアピール)は『行為と表現の間の葛藤・対立(緊張感)』を緩和する効果を持っているのである。
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