G.リッツァのマクドナルド化する社会

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個人商店の衰退とファストフード、コンビニのチェーン店の伸長

G.リッツァの指摘する『社会のマクドナルド化』


個人商店の衰退とファストフード、コンビニのチェーン店の伸長

現代の日本の街(都市・国道沿い)の風景はどこに行っても同じような感じに見えると言われ、そこに出店している店舗群も『全国展開している大手(大資本・上場企業)のチェーン店』が大半を占めている。世界の先進国の都市へと観察範囲を広げても、マクドナルドやスターバックス、セブンイレブンをはじめとする日本でもお馴染みのチェーン店を見かける事が増え、グローバル経済の規模で見ても『店舗や商品の規格化・画一化・同質化』が進んでいる傾向が顕著である。

昔ながらの商店街にあるような『個人経営・家族経営の飲食店や雑貨屋』なども完全に無くなったわけではないが、『大資本・大企業が全国展開しているチェーン店』と比べれば明らかに衰退しており、顧客の多くも画一的な安定したサービス(気兼ねしなくて良い匿名的なサービス)が受けられるチェーン店を選好するようになっているようだ。個人経営(家族経営)と大手のチェーン店を比較すると、その大きな違いは以下のようにまとめることができる。

1.サービスのマニュアル化・商品の標準化画一化……同じブランドの看板を掲げた全国展開のチェーン店では、全国どこでもほぼ同じようなマニュアルに沿ったサービスを受けることができ、ほぼ同じような商品を購入することができるので『外れ(想定外のトラブル・商品の不足)』が少ない。個人経営の店では、その一店舗だけしかお店がないことも多く、複数の店舗があってもサービスや商品が十分に標準化されていないので、『店長の個性・人柄,お店の品揃え』に良くも悪くも想定外の影響を受けやすい。また個人のお店では、マニュアル化された適度な距離感のある“お客様扱い”をしてくれるとは限らない。

2.儀礼的無関心・画一的なお客様扱い……個人経営の店では匿名のお客とビジネスライクなやり取りをするよりも、何度も来てくれるお客との間に『一定の人間関係』を築こうとする傾向があり、『世間話・家族話・近況の報告』などを向けてきたりする。大手のチェーン店では、店員とお客の立場の境界線が個人店よりも明確であることが多く、基本的にお客に対しても店員に対してもお互いに『儀礼的無関心』を貫いて、『買い物・飲食などの目的』だけをスムーズに達成しようとする。チェーン店では初めてのお客でも何度も来ているお客でも、原則として『画一的な礼儀正しいお客様扱い』をする。

3.コミュニケーションの場・一見と常連の待遇格差……個人経営の店は、雑談や近況、世間話などをする仲間が集まる『コミュニケーション(懇親・交流)の場』として期待されている所も多く、特に、小さな料理屋・スナック(飲み屋)などはそういったパーソナルな人間関係を含めないとお客さんがつかないが、“一見(初めての客)”と“常連(馴染みの客)”には自ずから待遇の差が生まれやすく、常連を持て成すことで固定客を確保するのである。

店主・店員とお客が普通に会話をしてお互いに興味関心を持つような空間がそこでは期待されているが、大手のチェーン店では店長や店員がお客と一般的な雑談をすることは原則としてない。また、チェーン店ではお客の側もそういったプライベートを交えたコミュニケーションをお店に期待していないし、仕事・家族・近況など自分の私的な事柄について余り話したくないお客が多数を占める。

『人間関係・人格の理解(顕名性)』がある個人経営のお店が好きか、『画一的な規格化されたサービス・儀礼的無関心(匿名性)』が保証された大手のチェーン店が好きかは人それぞれであるだけではなく、その時々の心理状態や目的意識、対話欲求などによっても変わってくる。しかし、“合理化・効率化・スピード化・個人化(プライベート重視)・規格化”が進展する現代社会においては、近代化と個人主義の必然として『大資本・大企業の運営するチェーン店』で自分の目指している商品やサービスを気兼ねなく迅速に購入したり利用したいという顧客が圧倒的な多数派になる。

ファストフードやコンビニのチェーン店、複合商業施設(イオン)の商品・サービスは、画一化されていて店ごとの差が小さいので、安心して効率的な買い物をすることができ、マニュアル化された定型的な接客技術によって店員と顧客が非人格的な主体として扱われるので、『買い物・サービス享受の目的』を確実かつ迅速に達成しやすくなる。最小限のコミュニケーションや気配りだけで買い物を終わらせることができ、店員も顧客も馴れ馴れしく一般的な会話をしないという暗黙の了解があることで、『儀礼的無関心による気楽さ』が保証されているのである。

その一方で、お店にただのモノとしての買い物や決まりきった対応だけではなくて、人間らしい親しみやちょっとしたコミュニケーションを求めているような人恋しい人(話し好きな人)にとっては、チェーン店はどこに行っても機械的な対応や同じような挨拶・微笑ばかりで物足りなくて味気ないと感じてしまうだろう。現代社会では、そういった『対人的なコミュニケーション・親しみの感じられる人間関係』は、個人的な人間関係(家族・友人・恋人など)の中でのみ満たされるべきものと考えられており、そういったコミュニケーションや関係を本格的に金銭で購入しようとすれば、夜の飲み屋(キャバクラ・クラブ)をはじめとしてかなり高額のコストがかかるものになってしまう。

個人経営の喫茶店や飲食のお店であっても、夜の飲み屋ほどのご機嫌取りのコミュニケーションを求めている人はほとんどいないと思われるが、ちょっとした小料理屋やスナック、おでん屋に入るお客の中には、『何気ない雑談・世間話(自分について聞いてもらいたいを含め)』をしたいという人、料理以外の人情の温かみに触れたいという人が少なからず含まれているのである。常連を大切にしてひいきするような個人経営のお店の大きな特徴は、店員とお客がお互いに『人格的な存在』として認識し合っており、店内でプライベートな話題や一般的な雑談が気軽に飛び交うということであり、店員と顧客との間の『人間関係・相互の興味関心や期待』などがそこに自然と存在する。

常連をひいきするような個人経営の店では、大手のチェーン店の居酒屋のように、初めて行くお客でも常連のお客と同じように待遇してくれるとは限らない不平等性があることも多い。あるいは、『一見さんお断り・招待客のみ入店可』といった初めからお客を選んでいるようなお店などもある。その意味では、大手のチェーン店と個人のお店の最大の違いは、『店員とお客との個別の人間関係や相性・馴染みであるか初めてであるかによる待遇の違い』があるか無いかという点にある。昔ながらの個人のお店には、ある種の『共同体性・仲間意識・人格の相性』が生まれやすく、個人主義者が多い現代人にとってはそういった『内輪・常連だけの盛り上がりの空気感』が疎外感や排除感としてネガティブに受け取られやすいため、足が遠ざかりやすいのである。

大資本・大企業が経営母体となっているチェーン店の多くは、個別の店長(出店希望者)と契約することで外部資本を効率的に利用できる『フランチャイズ形式』で運営されている。親企業(フランチャイザー)は出店者(フランチャイジー)に、チェーン店経営のノウハウや商品・商号商標・サービス・ブランドのパッケージを提供して、その代わりに毎月の売上金から一定率の『ロイヤリティ』を徴収して低リスク・低コストで利益を上げることができる。

このフランチャイズ形式は、親企業のフランチャイザーにとっては低リスク・低コストで短期間に大量の出店を全国でできるという明確なメリットがあり、更に出店者のフランチャイジーからロイヤリティを徴収することもできる。フランチャイジーの側も、店舗経営や商品の仕入れ・販売の経験がなくても、フランチャイズ契約をすることによって『モノを売る店舗を運営するための全ての仕組み・ノウハウ・ブランド』を一括のパッケージで習得することができるメリットがあり、ロイヤリティを支払ってもまだ多くの利益が手元に残るのであれば十分に検討する価値のあるビジネスモデルである。

素人が何のブランド力も仕入れ経験もなく、ゼロからいきなりコンビニのような店舗を立ち上げて軌道に乗せるというのは非常に大変なことで、セブンイレブンやローソンのフランチャイズ店に加入するよりも、店舗を長く維持できる可能性は一般に低いからである。そもそも大手チェーン店のような豊富で魅力的な品ぞろえを個人の店舗が自力の交渉だけで実現することは不可能に近く、今、売れ筋の商品ラインナップを店頭に並べられないのであればまともな利益を出すことができない。

よほど美味しくて個性的なエッジの効いたメニューを考案した飲食店などであればともかく、どこにでもあるような一般的な商品を仕入れてから売るというビジネスモデルでは『店舗運営のノウハウ・仕入れ先の選別と交渉・ロスを減らして利益を増やすための統計データの入手』が素人には難しいからである。

G.リッツァの指摘する『社会のマクドナルド化』

フランチャイズ方式は、南北戦争後のアメリカのミシン会社や食品販売会社で導入されたのが始まりだとされるが、フランチャイズ方式のグローバル企業として世界最大級の成功を収めたとされる会社がハンバーガーチェーンの『マクドナルド』である。マクドナルドのチェーン店は世界120ヶ国以上にあり、その総計は3万店以上になるが、一番初めのマクドナルドの店舗というかハンバーガーを出すレストランは、1937年にマックとディックのマクドナルド兄弟によって、カリフォルニア州パサディナに作られたという。

マック&ディックのマクドナルド兄弟のハンバーガーも出すレストランの経営方針は『迅速・低価格・ボリューム』であり、この基本方針は現代のマクドナルドにも通底するところがあるが、マクドナルド兄弟の経営上の最大の発明は『(料理をしたことがない素人でもすぐに覚えられるような)調理の分業体制の確立』であった。一人の熟練したコックが複雑な手順を踏んで料理を作り上げるのではなく、マクドナルド兄弟は複数の未熟練の従業員に対して、『切る作業・混ぜる作業・焼く作業・揚げる作業・皿に並べる作業』といった細かく分解された単純作業をマニュアル的かつ工場作業的に割り当てることで、料理の時間を大幅に短縮して、効率的な料理の提供ができるようにしたのである。

マクドナルドを現代のような『ファストフード・チェーンの帝国』の地位にまで押し上げた最大の功労者は、1954年からマクドナルドのチェーン店を経営して破格の売上を上げ続け、1961年にマクドナルド兄弟から270万ドルでマクドナルドの企業を買収したレイ・クロックである。

レイ・クロックはアメリカ国内のローカルな成功で満足していたマクドナルド兄弟よりも野心的・攻撃的なパーソナリティの経営者であり、『分業的な作業ライン・効率的な科学的管理・迅速で安価な商品提供』の精神に基づいたフランチャイズ方式をアメリカ全土、更に世界全域にまで拡張していった。レイ・クロックは、近代の『合理主義精神』の実用的・効率的・利益的な要素を、『ファストフード産業の巨大化・グローバル化』のために余すところなく応用したのである。

アメリカの社会学者ジョージ・リッツァ(George Ritzer, 1940‐)は、近代社会の合理化・効率化プロセスの頂点やビジネスの具体化として『社会のマクドナルド化』を指摘したが、G.リッツァはマクドナルドはアダム・スミスが生産性・効率性の向上の手段として上げた『分業(低賃金の非熟練労働者の積極活用)』を徹底したことに成功の要因があったと見ている。マクドナルド化(McDonaldization)とは、マクドナルドの効率的・分業的な経営理念とその背景にある近代の普遍的な合理主義精神が、現代社会のあらゆる領域に浸透・拡散しているという現象を指している。

マクドナルド化によって、店員も顧客も『商品の売買における人格的な価値・個人の主体性』を維持できなくなり、マクドナルド化は気楽・安心な活動の場を増やす一方で、『自分個人が尊重されていないという自己不全感・自分が一人の人間として認識されていないという機械主義的な社会観の物足りなさ』を強める原因にもなっているのだという。

現代ではマクドナルド以外にも、スターバックスをはじめとするカフェのチェーン店、セブンイレブンやローソンなどのコンビニのチェーン店も『社会のマクドナルド化』を担う典型的な店舗とされているが、マクドナルド化の弊害として『合理化・効率化の過剰による親密さや温かみの欠如』『マニュアル対応でやり取りする従業員とお客の機械的な非人間化』などが指摘されることもある。

社会学の巨人であるマックス・ヴェーバーは、合理化・効率化(スピード化)は近代社会の必然的な傾向であるといいながらも、極度に合理化・形式化が進んだ官僚制組織は機能不全に陥りやすいと批判している。更に、極端に無駄と時間コストを合理的に排除しようとする規格的・マニュアル的に管理された集団組織は、『未来の隷従の檻(未来の完全管理社会)』を自ら準備することになると警鐘を鳴らした。

G.リッツァは著書『社会のマクドナルド化』の中で、従業員・顧客・経営者に共通するマクドナルド化の本質として、以下の4点を上げている。

1.効率性(スピードと低価格)

2.計算可能性(数量化)

3.予測可能性(機械化・規格化・技術依存)

4.マニュアル化された労働(非人格的な定型の作業・形式化)

また、マクドナルドやカフェチェーンに代表される注文してからすぐに食べられる手軽・安価な食品である『ファストフード』に対抗する運動として、1986年のイタリア・ローマで始まったとされる『スローフード運動』がある。スローフードの支持者から、ファストフードの問題点として『伝統的な食文化の破壊・栄養学的な栄養の偏りや肥満リスク・家族団らんの機会の喪失・味覚異常のリスク(薄味の繊細な味わいが分からなくなる)』などが上げられ批判された。

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