このウェブページでは、『NPO・NGOの非営利組織と現代における社会関係資本の衰退』の用語解説をしています。
L.M.サラモンによるNPO法人の定義とNPO・NGOの社会的役割
R.D.パトナムが指摘した社会関係資本の衰退
1998年12月に、NPO法とも呼ばれる『特定非営利活動促進法』が施行されてから、“営利事業”を直接の目的にしないNPO法人の設立数は右肩上がりで増加し続けており、平成25年には4万8000法人を突破するまでになっている。NPOは顧客から営利(利益)を上げることが難しい種類の社会的価値のある仕事を目的にして設立されることが多く、NPO法人が誕生する以前には『社会活動・市民運動・ボランティア・環境保護活動・慈善事業・福祉事業』といった名目で活動が行われていた。
だが、特定非営利活動促進法(NPO法)が成立する前には、ある程度の構成員がいる規模が大きな市民団体やボランティア組織であっても、法人格を持つような『公式の団体』としては法律的に認めてもらうことができないという限界があった。市民団体やボランティア組織が、団体としての名前を前面に出して『法人登記・不動産登記・商契約』ができるようになったということが、NPO法が『市民団体・ボランティア組織・慈善事業』などにもたらした最大の恩恵であり、このことによって社会活動や市民運動がエンパワメント(力づけ)されることになった。
現在では、営利(利益)を上げることを第一の目的とせずに、好ましい社会的価値や社会的インパクト(影響力)を生み出す仕事をしようとする活動全般を『社会起業(ソーシャル・アントレプレナーシップ)』という概念で表現することも増えている。社会起業においては、『営利(利益)』を自前で上げられるビジネスモデル(補助金・助成金・寄付金などに頼らなくても活動を維持できるモデル)を備えることも目標の一つとして設定されることがある。
社会学者のL.M.サラモン(L.M.Salamon)は、NPO(NonProfit Organization)を以下のように定義している。
1.公式組織性の承認……法的根拠のある法人格を所有しており、法人(団体名)として登記をしたり契約を結んだりすることができる。
2.非政府性・非権威性(非権力性)……政府から独立した民間組織であり、国家の権力や政府(公的機関)の権威に依拠した活動を行っているわけではない。
3.非営利性……利益(利潤)を上げることを活動の第一の目的としていないこと。利益を上げられるビジネスを同時に展開しているとしても、自分たちの給料(収入)の増加に転化するのではなく、その利益を組織本来の目的である『社会的価値・社会貢献の増進』のために再投資する。
4.公益性……自分たちの利益や組織の自己拡大のためではなく、『社会貢献・公共の利益・好ましい社会的影響力の獲得』のために活動していること。
5.自治性……そのNPO法人が、他の企業・組織・公的機関からコントロールされて恣意的あるいは間接的に利用されていないこと。NPOの経営体制や社会貢献活動が自主管理されている状態が維持されていること。
6.自発性……NPOのメンバーが義務的あるいは強制的に活動させられているのではなく、目的意識や貢献意欲を持って自発的に参加しているということ。
非営利組織のNPO(NonProfit Organization)には『企業ではない社会的活動をする団体』という意味合いが込められているが、非政府組織のNGO(NonGovernment Organization)には『政府・公的機関ではない国連関係の活動や国際的(政治的)な社会貢献をする団体』という意味合いが込められている。
直接的に公益性の高いパブリック・サービスを提供する『狭義のNPO』はNGOよりも範囲の狭い概念とされるが、アメリカではこういった狭義のNPOに『連邦所得税の免税・郵便料金の割引・寄付者の所得からの寄付金額の控除』などの特典が認められている。民間主体の市民運動・社会活動・寄付行為が盛んに行われているアメリカでは、公益性の高い博物館・美術館・動物園・水族館・資料館といったものの多くが、有志によるNPOによって運営されているという実態がある。それらのアメリカのNPOの活動の公共性・必須性を考えると、NPOとNGOの境界線は相当に薄くなっているとも言えるだろう。
NPOが果たすことが期待されている社会的役割はまず第一に、『政府部門の公的機関』にも『民間部門の企業組織』にも上手くやることができない種類の公共性の高い社会的事業の実施と継続である。企業には『市場の失敗』があるが政府には『政策の失敗』のリスクがあるが、NPOは社会的価値を生み出そうとする理念と自発性(ボランタリズム)、それを応援する人たちの支援と寄付金などによって『市場と政策の失敗』に影響されにくいという長所を持っているのである。その長所は特に、『医療・介護・社会福祉・環境保護・教育』などの分野において、政府と企業、病院、市場を補完する形で発揮されることが多くなっている。
NPOは人権保護、フェミニズム、環境保護、平和主義運動(反戦運動)、社会福祉増進、差別反対運動、権利回復運動、地域振興活動などの『社会運動・市民運動』を団体として遂行するという社会的役割も果たしていて、こういった公益・公共・権利にまつわる政治性を伴うNPO組織のことを『アドヴォカシー団体(advocacy group)』と呼ぶこともある。このような社会運動・市民運動によって政策決定過程にまで影響を与えようとするアドヴォカシー団体は、効果的な経営戦略や宣伝広告を採用して、『人・モノ・カネ・シンボル(理念)』といった資源を有効に組み合わせて運動を拡大発展させようとするが、こういった資源動員によって集団の目標や理念を達成しようとする考え方を『資源動員論』と呼ぶ。
NPOには『ボランティア団体・慈善事業団体・地域振興団体』としての社会的役割もあるが、社会組織の多様性や職業キャリア(社会的貢献活動のキャリア)の多元性を担保して、人々に『企業に属して利益を追求すること以外の理念的・社会変革的な働き方のモデル』を提示できるという魅力的な意義を持っているのである。更には、消費者団体・環境保護団体を中心として『企業・政府の反社会的(環境破壊的・反倫理的)な活動』を中立的な立場から監視して、企業や政府に事業(政策)の是正を求めるといった『カウンターパワー』としての役割にも期待が集まっている。
社会関係資本(social capital)とは、『社会的ネットワーク・人と人との関係性』が生み出す相互利益的な絆に基づく価値であり、『個人と個人(個人と地域)の持続的な信頼感・帰属感・互酬性』によって示される公共財的な行為規範である。
1830年にアメリカを訪れたフランスの政治学者アレクシス・ド・トクヴィル(Alexis-Charles-Henri Clerel de Tocqueville,1805-1859)は、著書『アメリカの民主政治』の中でアメリカの市民社会は市民相互の自発的な結社・団体(コミュニティ)に基づく“横の連帯”によって成り立っており、中央集権的な政府による“縦の強制”の役割は小さいことを見抜いていた。
アレクシス・ド・トクヴィルは19世紀前半のアメリカ合衆国を、人々がみんな『職業的・宗教的・道徳的な小さな団体』に帰属している国、『団体で共有される目的・目標・理念』を実現するためにみんなが協力して団結する国なのだと分析したが、トクヴィルは当時の国際社会で枢要な地位を占め始めた民主主義社会(専制権力・身分制度の支配と強制がない社会)の強力さは『自由な市民の自発性と貢献意識・相互扶助(助け合い)・問題意識(当事者性)』によって発揮されるのだと考えていた。
19世紀から20世紀半ばにかけてのアメリカは、A.de トクヴィルのいう“横の連帯”と“ローカルルールを守るコミュニティ”に支えられた自発的なアソシエーション(協同体)の国だった。このかつてのアメリカの地域社会や自発的結社の状態を言い換えれば、親しい個人と個人の信頼が強く、個人と地域コミュニティの結びつきも強いという『社会関係資本(ソーシャルキャピタル)が豊かな国』だったということである。
社会関係資本(ソーシャルキャピタル)が豊かであるというのは、『地縁血縁の結びつきが強くて相互扶助を期待できること』『地域や団体に参加していて安定した帰属感(仲間意識)を持っていること』『社会活動や市民運動に参加していて自分が社会の当事者であるという意識があること』『信頼できる他者がいて互酬的なやり取りを行っていること(他者に対して無関心ではないこと)』などを意味している。
だが、社会学者のR.D.パトナムらによって、1980年代以降のアメリカ社会では個人主義化や社会的関心の低下、社会格差・経済格差の拡大(階層意識の助長)、地域社会の衰退(コミュニティの衰退)などの要因によって、『社会関係資本(ソーシャルキャピタル)』が急速に衰退し喪失していると指摘されている。
R.D.パトナムは典型的な互酬性や相互関心の事例として、『自分が他人の冠婚葬祭に行こうとしないのであれば、他人もまた自分の冠婚葬祭には来てくれないだろう』ということを指摘している。社会関係資本から疎外されて孤立した個人が増えている現代社会では、『結婚式・葬式』といったコミュニティや人間関係を維持するための社会関係資本が、『あまり関わりたくない煩わしいお金のかかるだけのイベント(自分も冠婚葬祭に行かない代わりに他人にも来てもらわなくて良いあるいは省略して良いという考え方)』へとその性質を変えようとしているのである。
R.D.パトナムは地域・家族・友人などのコミュニティから疎外されたり自分から離れていったりする孤独で自由な個人を題材にして、著書『孤独なボウリング』の中で社会関係資本の衰退及び喪失を悲観的な筆致で分析している。1980~1990年代以降のアメリカでは『クラブ活動(学校の部活なども)・地域活動・社会団体への参加率』が急激に低下しており、社会関係資本を支える団体・組織に参加しているメンバーの高齢化(結果としての団体の解散)も進んでいるという。