発達障害の医学的な診断・治療は医学領域で行われますが、教育・訓練は学校や家庭の教育活動で工夫して行われ、生活援助は行政機関の社会福祉政策によって実施されます。このように、発達障害は、単一の学問分野の研究調査や実践活動だけでは十分な理解と対処をすることが難しい学際的で多分野にまたがる障害です。発達障害を含む心身障害者の社会保障制度を策定する政治活動(行政機関)とも関係していて、発達障害の概念は、政治・医療・心理・教育・福祉・リハビリといった隣接諸分野からのアプローチが複雑に絡み合う中で生み出されました。
『集団知能検査の開発を促進した第一次世界大戦』や『心理アセスメントで用いる心理検査とインフォームド・コンセント』という記事において、児童の知能の発達水準を測定して精神遅滞(知的障害)の児童をスクリーニングする知能検査の歴史について説明しましたが、アメリカで誕生した発達障害の概念は知的障害を持つ子どもの研究調査と対策活動から始まったと言われています。知能面の精神年齢(MA, Mental Age)を測定して、客観的な知能水準を定量化しようとする知能検査は、優秀な人材や有能な兵士を選抜するという『功利主義(利益優先)の目的』を持って開発されましたが、知能検査の開発・普及が進んだ背景には一定の知能水準を持った兵士を大量に必要とする総力戦の近代戦争の問題がありました。
精神遅滞(mental retardation)には、様々な知能水準の人たちが含まれますが、一般的には、初等教育や日常生活からの学習で習得可能と思われる『読み・書き・計算』『金銭の概念・利用・管理』『言語の理解・言語的コミュニケーション』などに明瞭な障害や問題を抱えている人たちのことを表現する概念です。田中・ビネー式知能検査やウェクスラー式知能検査(WISCやWAIS-Rなど)で測定される知能指数(IQ, Intelligence Quotient)によって、精神遅滞(知的障害)を定義し知能指数の数値によってその重症度を判定することもあります。
軽度知的障害……知能指数(IQ)が、50~75。
中等度知的障害……知能指数(IQ)が、35~49。
重度知的障害……知能指数(IQ)が、20~34。
最重度知的障害……知能指数(IQ)が、19以下。
日本では学校教育法や福祉関連法の名称改正(2000年)によって知的障害という名称が一般的に用いられ、かつて法律の条文にも用いられていた精神薄弱や国際的な知的障害概念である精神遅滞は余り用いられなくなっています。特に、精神薄弱は人権意識の乏しかった時代の精神医学や性格心理学、法学で用いられていた『白痴(重度知的障害)・痴愚(中等度知的障害)・魯鈍(軽愚, 軽度知的障害)』を類推させる用語であり、知的障害の概念が普及して以後は差別的意図を持つ概念として使わないようになってきています。
また、人格内容や道徳感情、対人関係までも包摂する『精神』ではなく、知的能力面だけの問題であることを明確化するために『知能』を用いて知的障害とするほうが適切で妥当であるという見解もあります。日本の臨床心理学や精神医学の領域でも、精神遅滞という表記は余り用いられなくなっていて、知的障害あるいは知的発達障害という概念を使用する研究者が増えています。
知的障害を包摂する発達障害の概念も、社会からの要請や国民一般の価値観と無縁ではなく、差別や偏見のもととなる優等・劣等あるいは正常・異常の二項対立図式の影響から完全に解放されたとは言い難い部分もあります。しかし、20世紀後半以降、人権思想が普及し個人の尊厳を重視する価値観が一般化した国家・地域では、社会の側からの功利的要請よりも知的障害者に対する教育制度の充実や社会福祉的な支援が優先されるようになってきています。
国家の財政状況や国民の心身障害に対する理解(共感)の程度によって、障害者に対する社会福祉政策(教育・介護・医療・福祉)の予算や手厚さは変化してきますが、多くの先進国では健常者と障害者が楽しく共生することが可能なバリアフリー社会やノーマライゼーションの構想(実現可能性や予算配分に多くの困難がありますが)が持たれるようになっています。
1961年のアメリカでは、知的障害の予防や治療・対策を目的とした調査委員会がジョン・F・ケネディ(1917-1963)政権下で作られて、その調査結果をもとに脱施設化を中核とする社会福祉領域の国家施策の見直しが為されました。知的障害者の教育体制の整備や就職斡旋の促進、経済生活の支援などを閉ざされた障害者福祉施設ではなく、地域生活援助の枠組みの中で実現しようとする運動が生まれました。この障害者政策の充実と社会福祉の発展を求める運動は、人種差別撤廃を要請する黒人(ネイティブ・アフリカン)の公民権運動や宗教の自由を求める市民活動の大きなうねりとも通底するものがありました。
ケネディ大統領の福祉政策方針だけでなくアメリカ精神薄弱協会などの民間運動団体の影響力もあって、1963年にアメリカ公法の正式な用語として『発達障害(developmental disabilities)』という概念が記述されることになりました。ケネディ大統領自身は1963年11月22日に、テキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドの銃弾によって暗殺されますが、翌年の1964年には、アメリカ合衆国のノーマライゼーションを目指す障害者福祉の方針が記された『ケネディ教書』が発布されました。
1970年のアメリカ公法における発達障害の定義は以下のようなものとなっています。初め発達障害は、行政サービスを適用するための社会福祉概念として“developmental disabilities”と表記されていましたが、その後、発達障害を医学的な疾病概念(障害概念)の一つと見なす医学・心理学の領域の研究活動が盛んとなり“developmental disorders”の表記が使われる頻度が高くなりました。
1.知的障害・癲癇(てんかん)・脳性麻痺・知的障害同等の知能面の問題などを抱えた人々に必要な治療・対処を必要とする人で、保健・教育・福祉の担当長官に認定された神経学的症状に限定した能力障害(disabilities)
2.18歳までにその発達障害の症状・問題が発生する。
3.現在から将来にわたってその症状・問題が慢性的かつ無制限に継続し、発達障害を持つ者に本質的な社会的不利を形成する(handicap)
WHO(World Health Organization, 世界保健機関)が制定するICD(International Classification of Diseases, 国際疾病分類)は、身体疾患と精神疾患を合わせた総合的な診断基準・分類定義ですが、ICDには障害の特徴や性質を分類したICIDH(International Classification of Impairments, Disabilities, and Handicaps, 国際障害分類)という報告書があります。この国際障害分類(ICIDH)では、人間の身体と精神の障害を『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)・社会的不利(handicaps)』という3つの観点と内容から考えています。
身体障害や精神障害と同様に、発達障害でも『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)・社会的不利(handicaps)』という3つの問題の階層が重要になってきます。この3つの障害の内容(位相)において、機能障害が最も本質的なものであり、さまざまな困難や問題の原因を生み出すものとなってきます。何らかの精神機能や運動機能が障害される『機能障害(impairments)』が原因となって、他の健常者が出来る課題が出来ないという能力の不足(欠如)という『能力障害(disabilities)』の問題が起こってきます。
その一方で、機能障害があっても能力障害を克服できたり社会的不利益を軽減させることが出来るので、各種の機能障害をもっている人は、地道な学習行動や生活訓練、リハビリテーションを繰り返し行って社会的不利益を小さくしていくことが大切です。精神障害や発達障害を持たない健常者でも、脚を複雑骨折して歩けなくなったり、肺ガンで自発呼吸が難しくなったりすれば『機能障害(impairment)』を持っていることになりますが、効果的なリハビリや有効な医学的治療を行うことで『能力障害(disability)』を緩和していくことが出来ます。
心理機能や生理機能の異常、器質的(身体的)な機能の喪失という『機能障害』と平均的な能力の不足や社会的活動の制限という『能力障害』によって、普通学級の授業についていけなかったり掃除や工作などの作業ができなかったり、コミュニケーション能力が不足して対人関係を上手く維持できなかったりします。学校環境・職場環境・対人関係に適切に適応できないことで進学が困難になったり、就職活動が不利になったり、経済的自立が難しくなったりといったさまざまな『社会的不利益(handicaps)』が生まれてきます。
発達障害の究極的な問題はつまるところ、発達障害者本人が社会的・経済的な不利益を受けやすいこと、親密な対人関係を築き難い為に他者に迷惑を掛ける可能性があることに行き着きます。
その為、発達障害を持つ人たちの対人援助や専門教育の目的は、発達障害の問題による社会的不利益(handicaps)を出来るだけ少なくして、各種の社会資源や福祉制度を有効活用しながら発達障害の人の社会経済的な自立を促進することにあると言えます。同時に、応用行動分析や認知行動療法、TEACCHなどの心理療法の技法を応用して、発達障害者の社会適応度を高め、他人に迷惑や危害を加えない生活態度と対人スキルの学習をコツコツと根気強く続けていく必要があります。
発達障害を指し示す概念には、“developmental disability”と“developmental disorder”の2つがありますが、“developmental disability”は上記の『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)・社会的不利(handicaps)』の全ての問題を包括する社会福祉・行政分野の概念としての意味合いが強く、“developmental disorder”は生物学的成熟(中枢神経系)の異常による『機能障害(impairments)・能力障害(disabilities)』に注目する臨床診断・医学分野の概念としての意味合いが強くなっています。
臨床医学分野において発達障害(developmental disorder)を考える場合には、発達障害の正確な診断と有効な治療(cure)が重視されます。そのため、『社会的不利(handicap)』を軽減させる行政の社会福祉サービスや精神保健福祉士などのソーシャル・ワーク(社会的支援活動)による“障害のケア(care)”を強調する場合には“developmental disability”の概念を用いたほうがより適切でしょう。職業活動・社会生活・経済状況・対人関係における各種の社会的不利益(handicap)を緩和するためのケアは、医療・教育・福祉・介護・リハビリなど多分野の専門家や社会福祉制度によって行われます。そして、現在では、発達障害児童に対する発達早期からの医学的・心理学的・教育学的な介入を継続的に行う必要性が認知されてきており、発達障害者に対する多角的かつ効果的な自立を促進する支援のあり方が模索されています。
障害者福祉(行政活動)・医療(医学研究)・心理(環境適応のための対人援助)・教育(専門教育)など学際的で包括的な分野によってアプローチされるようになった発達障害の統一的な定義は、アメリカ公法によって進められていきました。1978年に改正されたアメリカ公法PL95-602では、初期の障害形成の年齢が22歳へと引き上げられ、知的障害・癲癇(てんかん)・脳性麻痺だけでなく、自閉症など広汎性発達障害、感覚障害、神経障害、慢性疾患などへと発達障害の対象疾患が拡大されていきました。
社会福祉領域における発達障害(developmental disabilities)は、当初、脳の構造や器質の障害によって起こる精神遅滞(Mental Retardation)や脳器質の限局的な損傷による脳性マヒ、精神遅滞や脳性マヒと併発して起こりやすかった癲癇(てんかん)を中核とした障害概念でしたが、1970年代末くらいから『発達早期に生物学的素因によって発症する精神障害・身体障害とその合併障害』といった包括的な発達の障害概念として用いられるようになってきました。
アメリカ公法(1978)による発達障害の定義
1.精神あるいは身体の機能障害(impairment)があり、その合併障害、二次障害などを有しているもの。
2.22歳までに障害が発現したもの。
3.機能障害の完全回復の見込みがなく、無制限に障害が継続し続けるもの。
4.主要な日常生活の中で、以下に掲げる機能的障害が3つ以上あるもの。
身辺自立・言語機能(表出と理解)・学習活動・セルフコントロール(感情の統御・調整)・場所の移動・社会経済的自立(基本的生活の自立)5.広範な領域に及ぶ特別な対応や包括的ケア、あるいは、医学的治療など障害者サービスを継続的に必要としていて、個別的な機能障害・能力障害に対応する支援・サービスのニーズが生涯を通して続くと考えられるもの。
総合的で包括的な障害概念となった“developmental disabilities”は社会福祉政策に基づく行政サービスのニーズと期待の中で生み出されていきましたが、児童精神医学や発達臨床心理学分野における“developmental disorders”の概念の定義は、発達早期の子どもに発症する精神疾患の研究調査の歴史から形成されていきました。発達障害の医学的起源は、前述したように知的発達障害(精神遅滞)にあり、20世紀半ば頃までは精神遅滞の原因となる脳外傷など外因性の脳性マヒ(CP症候群)や染色体異常によるダウン症、代謝障害のフェニル・ケトン尿症に注目が集まっていました。
胎児期から新生児期に、何らかの外的原因によって脳に侵襲的なダメージを受ける脳性マヒでは、四肢麻痺や運動障害(運動失調の不随意運動)、言語障害などが永続的に続きますが、当初の発達障害は、知能面の遅れだけではなく身体疾患や運動障害が必然的に伴うものと考えられる傾向がありました。21番染色体が一本多い21トリソミーの先天異常によって発症するダウン症なども、生理学的障害や身体的疾患を起こしやすいという問題を抱えています。現在では、発達障害の概念の中核的疾患として、知的障害(精神遅滞)と合わせて広汎性発達障害(PDD)である『自閉症(Autism)』を考えることが多くなっています。
知的障害や言語の遅れを伴う(低機能)自閉症は、1943年にアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の児童精神科医レオ・カナー(Leo.Kanner, 1894-1981)によって発見されました。レオ・カナーの自閉症発見とほぼ同時期(1944)に、ウィーン大学の小児科医ハンス・アスペルガー(Hans Asperger, 1906-1980)が、カナーが報告したよりも症状の軽度な自閉症の子どもを発見して『自閉的精神病質』として紹介しました。現在では、この自閉的精神病質の症例は高機能自閉症(高機能広汎性発達障害)と解釈され、知的障害や言語の遅れのない自閉症スペクトラムの発達障害をアスペルガー症候群といいます。
カナーによって発見された自閉症についての研究調査は、まだまだ十分な症例と知見が集まっていなかったこともあり非常に難航しました。カナーは初め自閉症を幼児期特有の精神分裂病(統合失調症)と考え『小児分裂病』と呼びましたが、後になって自閉症と統合失調症は全く別の精神障害であることが分かりました。カナーの自閉症研究の誤りとしては、母親の養育態度に愛情や献身が足りないから自閉症が起こるのだという『自閉症の心因説』があります。カナーは『冷蔵庫マザー』という概念を発案して、この冷たい母親の愛情不足やスキンシップの少なさが自閉症を生み出す原因となると考えました。この『冷蔵庫マザー』を象徴とする自閉症の心因説は、ブルーノ・ベッテルハイムなど早期母子関係の充実を心の健康の指標(モノサシ)とする精神分析家に継承されましたが、自閉症に対して精神分析療法や母親の受容療法は全く効果がありませんでした。
イギリス・モズレー病院の精神科医マイケル・ラターなどの臨床研究からこの自閉症の心因説は間違いであると指摘され、先天的な脳機能障害につながる生物学的問題が自閉症の根本原因であると考えられるようになりました。カナーやアスペルガーから始まる自閉症研究の歴史では、病態と治療を探る研究が長年暗中模索で続けられてきましたが、現在の精神医学の主流(メインストリーム)では、自閉症スペクトラムの原因に心理的原因ではなく(高次脳機能の異常・障害を引き起こす)先天的な生物学的原因が考えられるようになっています。
ここまで説明してきたように、一口に発達障害と言っても発達障害のカテゴリーに分類される精神疾患や先天性疾患には様々なものがあります。個々の障害の特徴・症状・診断・治療については別のページにまとめようと思っていますが、ここでは医学的な発達障害のカテゴリーに分類される障害と疾患について示しておきます。
発達障害に包含される一般的な障害には、『知的障害(精神遅滞)・広汎性発達障害(PDD)・特異的発達障害・ADHD』があり、脳性マヒ・てんかん・知覚機能障害といった中枢神経系の成熟や発達の障害を含めることもあります。広汎性発達障害には、『低機能自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群・レット症候群(主に女児に発症する常同運動や精神遅滞、神経障害などの広汎な発達障害で癲癇を併発することもある)・小児期崩壊性障害』があります。研究者や臨床医によっては、ADHD(注意欠陥多動性障害)やLD(学習障害)を発達障害に含めないという人もいます。
発達心理学的観点からの研究成果の影響と社会福祉分野からの教育生活支援の要請を受けて、DSM‐Ⅲ(精神障害の診断・統計マニュアル)に『通常、幼児期・小児期、または青年期に明確になる障害』という大カテゴリーが設けられ、ICD‐10(国際疾病分類)には『disorders of psychological development(心理学的発達の障害)』というカテゴリーが作られました。
DSM-Ⅲ-Rによる発達障害の定義
a.主な障害が、認知・言語・運動あるいは社会的技能の獲得において存在する。
b.この障害は、知的障害・特異的発達障害・広汎性発達障害を含む。
c.慢性の傾向があり、障害の幾つかの特徴は、安定して成人期以降まで持続する。
ICD-10による発達障害の定義
a.常に乳児期か児童期の発症。
b.中枢神経系の生物学的成熟に強く関係する機能の発達の障害あるいは遅れ。
c.軽快や再発のない安定した経過。
d.特異的発達障害と広汎性発達障害とが属する。
1987年のDSM‐Ⅲ‐Rに初めて“developmental disorders(発達障害)”という概念が持ち込まれましたが、現行のDSM‐ⅣやDSM‐Ⅳ‐TRからは“developmental disorders(発達障害)”という表記が消えて、第1軸の広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorder:PDD)や第2軸の精神遅滞(知的障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)などの個別の疾患(障害)として記載されるようになっています。つまり、余りに多様な症状と特徴、行動パターンを網羅している『発達障害』という概念は、そのまま診断名として用いることが難しくなっているのです。
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