『中庸』の書き下し文と現代語訳:4

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儒教(儒学)の基本思想を示した経典に、『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書(ししょ)がありますが、ここでは極端な判断を避けてその状況における最適な判断を目指す中庸(ちゅうよう)の大切さ・有利さを説いた『中庸』の解説をしています。『中庸』も『大学』と同じく、元々は大著『礼記』の中にある一篇ですが、『史記』の作者である司馬遷(しばせん)は『中庸』の作者を子思(しし)としています。

中庸の徳とは『大きく偏らない考えや判断に宿っている徳』という意味であるが、必ずしも全体を足して割った平均値や過不足のない真ん中のことを指しているわけではない。中庸の“中”は『偏らないこと』、“庸”は『普通・凡庸であること』を意味するが、儒教の倫理規範の最高概念である中庸には『その場における最善の選択』という意味も込められている。『中庸』の白文・書き下し文・現代語訳を書いていきます。

参考文献
金谷治『大学・中庸』(岩波文庫),宇野哲人『中庸』(講談社学術文庫),伊與田覺『『中庸』に学ぶ』(致知出版社)

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[白文]

子思懼夫愈々久而愈々失其真也。於是推本尭舜以来相伝之意、質以平日所聞父師之言、更互演繹、作為此書、以詔後之学者。蓋其憂之也深。故其言之也切。其虜之也遠。故其説之也詳。其曰天命率性、則道心之謂也。其曰択善固執、則精一之謂也。其曰君子時中、則執中之謂也。世之相後、千有余年、而其言之不異、如合符節。歴選前聖之書、所以提挈綱維、開示薀奥、未有若是之明且尽者也。

[書き下し文]

子思(しし)夫(か)の愈々(いよいよ)久しくして愈々その真を失わんことを懼る(おそる)。是(ここ)において尭舜(ぎょうしゅん)より以来(このかた)相伝うる意を推し(おし)本づけて、質す(ただす)に平日父師(ふし)に聞ける所の言をもってし、更互演繹(こうごえんえき)してこの書を作為し、もって後の学者に詔ぐ(つぐ)。

蓋しそのこれを憂うるや深し。故にそのこれを言うや切(せつ)なり。そのこれを慮るや遠し。故にその之(これ)を説くや詳らか(つまびらか)なり。その天の命(めい)・性(せい)に率う(したがう)と曰うは、則ち道心(どうしん)の謂(いい)なり。その善を択び固く執る(とる)と曰うは、則ち精一(せいいつ)の謂なり。その君子時に中す(ちゅうす)と曰うは、則ち中を執るの謂なり。

世の相(あい)後るる(おくるる)こと千有余年にして、その言の異ならざること符節(ふせつ)を合わすが如し。前聖(ぜんせい)の書を歴選(れきせん)するに綱維(こうい)を提挈(ていけい)し薀奥(うんおう)を開示する所以(ゆえん)、未だ是の若く(かくのごとく)明らかに且つ尽くせる者あらざるなり。

[現代語訳]

子思はいよいよ年齢を重ねて、いよいよ道の真実を失ってしまうことを恐れている。そこで尭舜の時代以来伝えられていた意味を推測してそれに基づき、その是非を考えるに当たって父師の言葉を用いて考え、代わる代わる物事の道理から事物の問題を演繹してこの『中庸』の書物を書き、この書物によって後世の学者に道の真実を伝えようとした。

大体、子思が真実の道が失われることに対する憂いは非常に深いものである。そのため、これを説く場合には親切なのである。時間が流れて道の真実が失われることを恐れる気持ちが遠大であるため、これを説く場合には詳細でもある。『中庸』で天命を天の本性であると言い、天の本性に従うことを道だと言ったのは、『道心』のことなのである。善を選択するというのは『精』、固く執るというのはすなわち『一』のことなのである。君子が時に中すというのは、すなわち『執中(真ん中を執って実行する)』ということである。

尭舜の時代から見れば子思の生きる時代は千年以上の歳月が流れているが、尭舜の時代に言われた真実は現在でも異なることがなく、ちょうど割符を合わせるように一致するものである。過去の聖人の書物を一通り取り出してみると、人間が生きるべき大綱(大筋)を示しているのと同時に、奥深い知識教養を開示しており、未だにこれらの書物のように物事の道理を明らかにしてそれを尽くしているような書物は他にないのである。

[補足]

儒学者である子思は、時代が流れるに従って『古代の尭舜の聖人』たちが教え示した『道の真実・奥義』が失われるのではないかと非常に心配していたようである。『古代で示された真実・道理』と『現代における真実・道理』が、割符のようにぴったりと合うことを語って、儒教の根本概念である『中庸・執中・精一』というものが決して時代遅れにはならないということ(現代で通じないような陳腐な概念にはならないこと)を教えようとしている部分でもある。

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[白文]

自是而又再伝、以得孟氏。為能推明是書、以承先聖之説。及其没、而遂失其伝焉。則吾道之所寄、不越乎言語文字之間、而異端之説、日新月盛、以至於老仏之徒出、則弥々近理而大乱真矣。

[書き下し文]

是よりして又再伝してもって孟氏を得たり。能く是の書を押し明らめてもって先聖(せんせい)の説を承くることを為す。その没するに及んで、遂にその伝を失う。則ち吾が道の寄る所、言語文字の間に越えず、而して異端の説日に新たに月に盛んにして、もって老仏(ろうぶつ)の徒出づるに至って、則ち弥々(いよいよ)理に近くして大いに真を乱る。

[現代語訳]

子思からまたその教えを受け継いだ孫弟子の孟子が出現した。孟子はよくこの『中庸』の主旨を推し量って明らかにし、古代の聖人の言説を受け継ぐことができた。しかし、孟子が死去するに至って、遂にその伝統の後継者が失われてしまった。わが道はただ言語・文字の間にだけ依拠するはかないものとなり、儒教の正統ではない異端の説(楊朱・墨擢などの説)が日々新たに出てきて猛威を振るっているが、老子・仏教などの学徒が出現することになると、さらにますます似通った理屈を唱えながら大いに真実の道をかき乱してしまったのである。

[補足]

儒教は『孔孟の道』と呼ばれることもあるように、その創始者である孔子とその後継者である孟子とが『正統な儒学の教え』を説いたものとされている。孔子の儒学の道を引き継いでいた子思の後に出現したのが孟子だった。だが、その後継者の孟子が死没したことによって儒教の正統性は大いに乱れることとなり、『異端の学説』『道教・老荘思想・仏教』などが流行するようになってしまったという。『孟子』の白文・書き下し文・現代語訳を参照してみてください。

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[白文]

然而尚幸此書之不泯。故程夫子兄弟者出、得有所考、以続夫千載不伝之緒、得有所據、以斥夫二家似是之非。蓋子思之功於是為大。而微程夫子、則亦莫能因其語、而得其心也。

[書き下し文]

然り(しかり)而(しこう)して尚幸いにこの書の泯び(ほろび)ざるあり。故に程夫子(ていふうし)兄弟(けいてい)なる者出でて、考え得る所ありてもって夫の(かの)千載不伝(せんざいふでん)の緒を継ぐことを得、拠る所ありてもって夫の二家(にか)是(ぜ)に似たる非を斥くることを得たり。蓋し子思の功(こう)是(ここ)において大なりと為す。而して(しかして)程夫子微かりせば(なかりせば)則ち亦能くその語に因って(よって)その心を得る莫き(なき)なり。

[現代語訳]

そしてなお幸いにもこの『中庸』が滅びずに存在し続けることができた。そして程夫子兄弟(程明道・程伊川の兄弟)という者が出てきて、この書物について考察し千年の長きにわたって伝えられなかった正統な道の端緒を受け継ぐことができ、またこの書物を根拠にしてあの仏教・老荘の二家の儒教とは似て非なる教えを排斥することができたのである。けだし『中庸』を書いて正統な教えを後世に残そうとした子思の功績は大きかったと言わなければならない。そして程夫子兄弟がいなかったならば、中庸の語句の中から誰も子思の本心を読み取ることはできなかっただろう。

[補足]

儒教の中興の祖とも言える『程夫子兄弟(程顥・程頤の兄弟)』の功績を説いた部分であるが、『中庸』の書物を書いて正統な儒学の道を伝えようとした子思の功績についても再確認している。程夫子兄弟の程顥は『程明道』とも呼ばれ、程頤は『程伊川』とも呼ばれるが、この二人は北宋時代以降の『儒学の歴史(朱子学・陽明学の発展へとつながる歴史)』の原点とでもいうべき役割を果たした。儒教が、老荘思想(道教)や仏教を敵視していたことも伝わってくるが、儒教は『俗世主義・立身出世』の側面を持つ宗教・思想であり、老荘思想や仏教は『厭世主義・隠遁願望』の側面を持った宗教・思想であった。

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