『今昔物語集』の巻第23第24話

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『今昔物語集』は平安時代末期の12世紀初頭~半ばに掛けて、収集編纂されたと考えられている日本最大の古説話集です。全31巻(現存28巻)で1,000以上のバラエティ豊かな説話のエピソードが収載されていますが、作者は未詳とされています。一説では、源隆国や覚猷(鳥羽僧正)が編集者ではないかと推測されていますが、実際の編集者が誰であるのかの実証的史料は存在しません。8巻・18巻・21巻が欠巻となっています。

『今昔物語集』は、『天竺(インド)・震旦(中国)・本朝(日本)』の三部構成となっており、それぞれが『仏法・世俗の部』に分けられています。因果応報や諸行無常の『仏教的世界観』が基底にあり、『宗教的・世俗的な教訓』を伝える構成のエピソードを多く収載しています。例外を除き、それぞれの説話は『今は昔』という書き出しの句で始められ、『と、なむ語り伝えたるとや』という結びの句で終わる形式で整えられています。

参考文献

『今昔物語集』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),池上洵一『今昔物語集 本朝部(上・中・下)』『今昔物語集 天竺・震旦部』(岩波文庫)

[古文・原文]

巻第23第24話(部分).九月(ながつき)ばかりのことなれば、女房は薄き綿の衣(きぬ)ひとつばかりを着、片手しては口覆ひをして、いま片手しては男(おのこ)の刀を抜きてさし当つる肱(かいな)を、やはら捕らへたるやうにて居たり。

男、大きなる刀の恐ろしげなるを逆手に取りて、腹の方にさし当てて、足をもつて後ろよりあぐまへて抱きて居たり。

この姫君、右の手して、男の刀抜きてさし当てたる手を、やはら捕らへたるやうにして、左の手にて顔の塞ぎたるを、泣く泣くその手をもつて、前に矢篠(やの)の荒造りしたるが、二、三十ばかりうち散らされたるを、手まさぐりに節(ふし)のほどを指(および)をもつて板敷きに押しにじりければ、朽ち木などの柔らかならむを押し砕かむやうにみしみしとなるを、あさましと見るほどに、これを質に取りたる男も目をつけて見る。

こののぞく男も、これを見て思はく、兄の主、うべ騒ぎ給はざるは理(ことわり)なりけり、いみじからむ兄の主、鉄鎚(かなづち)をもつて打ち砕かばこそ、この竹はかくはならめ、この姫君はいかばかりなる力にてかくはおはするにかあらむ、この質に取りたる男はひしがれなむずと見るほどに、この質に取りたる男もこれを見て、益(やく)なく思えて、たとひ刀をもつて突くともよも突かれじ、肱取りひしがれぬべき女房の力にこそありけれ、かばかりにてこそ支体(したい)も砕かれぬべかめり、由(よし)なし、逃げなむと思ひて、人目をはかりて棄てて走り出でて、飛ぶがごとくに逃げけるを、人、末に多く走り合ひて、捕らへてうち伏せて縛りて、光遠がもとにゐて行きたれば、

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[現代語訳]

今は昔、甲斐国(現在の山梨県)に大井光遠(おおいみつとお)という強力な力士がいた。身長は低いが体格はがっしりとしたアンコ型で、腕力が強く、相撲の足技を得意としている。大井光遠には、年齢が27~28歳くらいの美人の妹がいて、光遠とは別の家宅に住んでいた。

ある日、逃亡中の強盗が妹の部屋に押し掛けてきて、抜き身の刀を妹に突きつけて人質にしてしまった。その状況を見ていた(光遠の)従者は、慌てて光遠に妹のピンチを報告するのだが、光遠は全く慌てる様子もなく、妹を助けに行こうともしない。その様子を不思議に思った従者は、再び妹の部屋へと戻っていき、戸の隙間から人質にされているはずの妹の様子を覗いてみた。

陰暦九月ころということもあって、姫君は薄い綿入れの着物を一枚着ているだけである。姫君は片方の手で口を覆い、もう一方の手で男が刀を抜いて突きつけている手を、やんわりと掴んでいるようである。

男は恐ろしい威圧感のある大きな刀を逆手に持って、姫君のお腹に突きつけ、両足を組んで後ろから抱きかかえている。

姫君は、右手で男が刀を突きつけている手をやんわりと握るようにして、左の手で自分の顔を隠している。大人しくして泣いている感じだったが、その左手を顔から外して、目の前に散らばっている荒削りの矢竹を二、三十本掴み取って、手慰みに、節のあたりを指で板の間に押し付けてすり潰すようにした。すると、硬い矢竹が、まるで柔らかい枯れ木を押し砕くかのように、簡単にバリバリと砕けてしまい、それを見ていた従者は非常に驚き、妹を人質にしていた強盗も目を見張った。

この状況を見ていた従者は、『兄の光遠様が全く慌てず騒がなかったのは道理である。怪力を誇る兄であっても、鉄鎚で叩いて砕かなければ、あの矢竹はあんな風に粉々にはならない、この姫君はどんなに強い力をお持ちになっているのだろうか。姫君を人質にとった男は、今にひねり潰されてしまうだろう』と思いながら見ていた。

姫君を人質に取った強盗もこの怪力を見せ付けられて、自分ではどうしようもないと感じ、『たとえ刀で突いたって、突くことはできないだろう。この女の力であれば腕を取られてひねり上げられてしまうし、下手をすれば手足を打ち砕かれてしまうかもしれない。どうしようもない、逃げよう』と思った。周囲の状況をうかがいながら、人質の姫君を手放して、飛ぶように走って逃げてしまった。しかし、大勢の光遠の家来に追いかけられた強盗は、捕まえられて縛り上げられた。強盗は光遠の元へと連行されていく。

光遠は捕まえた強盗に、どうして人質の妹を捨てて逃げたのかと問い質した。強盗は、普通のか弱い女だと思って人質にしたのだが、矢竹の節の部分を指で押し砕く様子を見て、このままでは自分が殺されてしまうと思って怖くなって逃げたと答えた。その答えを聞いた光遠は大笑いして、妹はお前なんかには殺されることはない、刀で突こうとしても腕をねじり上げられ、無理に突こうとすれば腕を引き抜かれるだけだろうと語る。

お前が殺されなかったのは、前世の因縁のお陰だから感謝したほうが良い、妹は体格は細いがその力は力士である俺の2倍はあるのだから。俺でも妹から本気で腕を掴まれると、腕が痺れて指が広がってしまうほどの怪力だ。女性だから力士になることができないのは残念だがと光遠は言う。

光遠の話を聞いて、強盗は真っ青な顔色になり、死んだ心地がした。恐怖のあまり泣き出してしまう有様である。光遠は、本来であればお前のような強盗は殺してしまうところだが、妹には怪我が無かったし、お前も運が良く元気に生きているのだから、無理に殺してしまうことも無いだろう。妹が本気になれば、あんな細腕でも枯れ木を折るかのように鹿の堅い角をへし折ってしまうのだから、お前なんか簡単にひねり潰されてしまうなどと強盗を散々にからかって恐れさせてから、生きたまま釈放してやった。

(光遠の妹は)本当にとんでもない怪力の女だと語り伝えられているとか。

[感想]

平安時代の強力の力士として知られる大井光遠の“美人の妹”の話であるが、ほっそりとしたか弱い外見の妹が、実は力士である兄以上の強力な腕力を持っていたというオチが付けられている。逃走中の強盗が『この細腕の女性ならば、簡単に脅して人質にできる』と考えた妹が、強盗など相手にならないくらいの人間離れした怪力を持っていたというコミカルな説話である。

古代日本では、生まれながらに人並み外れた強力(ごうりき)を持つ『力士』は、自然の神聖な力を受け継ぐ存在として敬われており、古代王朝において『相撲・力競べ』は神々に捧げる神事として奉納されたりもしていた。優秀な力士が如何に当時の実力者であったかは、大井光遠が大勢の従者を引き連れていることからも推測されるが、中世以降は時代が下るにつれて、相撲・力士の宗教性(儀式性)は薄らいでいき、次第に博徒・侠客(アウトローのならず者)が主宰する角力の興業(ショー)となっていった。

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