『竹取物語』の原文・現代語訳3

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『竹取物語』は平安時代(9~10世紀頃)に成立したと推定されている日本最古の物語文学であり、子ども向けの童話である『かぐや姫』の原型となっている古典でもあります。『竹取物語』は、『竹取翁の物語』『かぐや姫の物語』と呼ばれることもあります。竹から生まれた月の世界の美しいお姫様である“かぐや姫”が人間の世界へとやって来て、次々と魅力的な青年からの求婚を退けるものの、遂には帝(みかど)の目にも留まるという想像力を駆使したファンタジックな作品になっています。

『竹取物語』は作者不詳であり成立年代も不明です。しかし、10世紀の『大和物語』『うつほ物語』『源氏物語』、11世紀の『栄花物語』『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られることから、10世紀頃までには既に物語が作られていたと考えられます。このウェブページでは、『これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう~』の部分の原文・現代語訳(意訳)を記しています。

参考文献
『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),室伏信助『新装・竹取物語』(角川ソフィア文庫),阪倉篤義 『竹取物語』(岩波文庫)

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[古文・原文]

これを見つけて、翁、かぐや姫に言ふやう、『我が子の仏、変化(へんげ)の人と申しながら、ここら大きさまで養ひ奉る心ざしおろかならず。翁の申さむこと、聞き給ひてむや』と言へば、かぐや姫、『何事をかのたまはむことは承らざらむ。変化の者にて侍りけむ身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ』と言ふ。

翁、『うれしくも、のたまふものかな』と言ふ。『翁、年七十に余りぬ。今日(けふ)とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす、女は男にあふことをす。その後なむ門(かど)広くもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせむ』

かぐや姫の言はく、『なんでふさることかし侍らむ』と言へば、『変化の人といふとも、女の身持ち給へり。翁のあらむ限りは、かうてもいますがりなむかし。この人々の年月を経て、かうのみいましつつのたまふことを思ひ定めて、一人一人にあひ奉り給ひね』と言へば、かぐや姫言はく、『よくもあらぬかたちを、深き心も知らで、あだ心つきなば、後(のち)悔しきこともあるべきをと、思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き心ざしを知らではあひがたしとなむ思ふ』と言ふ。

翁言はく、『思ひの如くも、のたまふかな。そもそもいかやうなる心ざしあらむ人にか、あはむとおぼす。かばかり心ざしおろかならぬ人々にこそあめれ』

かぐや姫の言はく、『なにばかりの深きをか見むと言はむ。いささかのことなり。人の心ざし等しかんなり。いかでか、中に劣り勝りは知らむ。五人の中に、ゆかしきものを見せ給へらむに、御心ざし勝りたりとて、仕うまつらむと、そのおはすらむ人々に申し給へ』と言ふ。『よきことなり』と受けつ。

[現代語訳]

五人の姿を見つけた竹取のおじいさんは、かぐや姫にこう言った。『わしの仏とも言える姫、貴女はこの世の人ではありませんが、ここまで大きくなるまでお育てした私たちの気持ちは並々のものではありません。このじいさんの言うことを聞いては貰えないだろうか。』と。かぐや姫は、『どんな事でもおっしゃる事を断るわけがございません。私は自分が異界の者だなどとは知らず、貴方のことを本当の親だと思ってきたのですから。』と答えた。

翁は『嬉しいことを言ってくださる。』と言った。『わしも七十歳を超えました。今日とも明日とも知れない命です。この人間の世界では、男は女と結婚をして、女は男と結婚をするという事になっています。結婚することで子孫も栄えていくことになるのです。ですから、どうして姫がこのまま結婚しないでいられるでしょうか。』

かぐや姫が、『どうして、結婚などということをするのですか。』と聞くと、『異界の者とはいえ、姫は女性の身体を持っておられます。わしが生きている間は、このように独身でいられるのですが。五人の貴公子の方々が、このように長い期間にわたって通い続けていることを思って、一人一人にお会いになられてみてはどうですか。』と翁が答えた。かぐや姫は、『私は大して容姿が良いわけでもないので、相手の本心をよく知らないままに結婚して、浮気心を出されたりすれば、きっと後悔してしまうだろうと思っています。世の中でどんなに素晴らしいとされている方であっても、相手の深い愛情を確かめずに結婚することはできないと考えています。』と言った。

翁も言った。『わしの思っている通りのことを良く言ってくださった。ところでどのようなお気持ちを持っている相手と結婚されるつもりですか。五人の貴公子たちの愛情はどれも深いものですが。』と。

かぐや姫は、『それほど特別な愛情を確かめようというのではないのです。ちょっとした愛情の現れなのです。五人の方々のお気持ちは同じでしょうから、どうしてその中で優劣など付けられるでしょうか。五人の中で私に素晴らしいものを見せてくださった方を、愛情が深い方だと判断して結婚しようと思っていますので、その旨を彼らにお伝え下さい』と言った。『それは良い考えである。』と翁も承知した。

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[古文・原文]

日暮るるほど、例の集まりぬ。あるいは笛を吹き、あるいは歌をうたひ、あるいは唱歌(しゃうが)をし、あるいはうそ吹き、扇を鳴らしなどするに、翁出でて言はく、『かたじけなくきたなげなる所に、年月を経てものし給ふこと、極まりたるかしこまり』と申す。

『「翁の命、今日明日とも知らぬを、かくのたまふ公達にも、よく思ひ定めて仕うまつれ」と申せばことわりなり。「いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。仕うまつらむことは、それになむ定むべき」と言へば、これよきことなり、人の御恨みもあるまじ』と言ふ。五人の人々も、『よきことなり』と言へば、翁入りて言ふ。

かぐや姫、『石作の皇子には、仏の御石の鉢といふ物あり、それを取りて賜へ』と言ふ。『庫持の皇子には、東の海に蓬莱(ほうらい)といふ山あるなり、それに白銀(しろかね)を根とし、黄金を茎とし、白き珠を実として立てる木あり。それ一枝折りて賜はらむ』と言ふ。『今一人には、唐土(もろこし)にある火鼠(ひねずみ)の皮衣を賜へ。大伴の大納言には、龍(たつ)の首に五色に光る珠あり。それを取りて賜へ。石上の中納言には、燕(つばくらめ)の持たる子安の貝、取りて賜へ』と言ふ。

翁、『難きことにこそあなれ。この国にある物にもあらず。かく難きことをば、いかに申さむ』と言ふ。かぐや姫、『何か難しからむ』と言へば、翁、『とまれかくまれ申さむ』とて、出でて、『かくなむ、聞こゆるやうに見せ給へ』と言へば、皇子たち、上達部聞きて、『おいらかに、あたりよりだにな歩きそとやのたまはぬ』と言ひて、倦(う)んじて、皆帰りぬ。

[現代語訳]

日が暮れる頃、いつもの五人の求婚者がやって来た。ある者は笛を吹き、ある者は歌を謳い、ある者は大言壮語し、ある者は扇で音を鳴らしたりしていた。翁が表に出てきて言った。『皆さんのような高貴な方々が、このようなむさ苦しい粗末な家に、長い間お通い下さって申し訳なく思っています。』と申し上げた。

『「このわしの命も今日明日とも知れないのだから、このように熱心に求婚して下さる皆様のお気持ちをよく見定めた上で、その中から結婚相手を決めなさい」というこの世の道理を姫に申し上げました。姫は「どなたの愛情にも優劣は付けられないので、私の願いを聞いてくれるかどうかで愛情の深さが分かるはずです。どなたと結婚するのかは、それによって決めます。」というので、わしもそれは良い考えだ、その選び方なら恨みも残らないだろう。』と申し上げたのです。五人の貴公子たちも、『それは良い考えである。』というので、翁は屋敷に入って言った。

かぐや姫は、『石作の皇子は、仏の御石の鉢というものがあるので、それを持ってきてくださいね。』と言った。『庫持の皇子には、東の海上に蓬莱山という山があり、そこには、白銀の根を張り、黄金の茎を持ち、白い宝石の実をつける木があります。その木の枝を一つ折って持ってきて下さい。』と言った。『もう一人には、唐(中国)の国にあるという火鼠の皮衣を取ってきて下さい。大伴の大納言には龍の首にかかっているという五色に輝く宝石を取ってきて下さい。石上の中納言には、燕が持っているという子安貝を取ってきて下さい。』と言った。

翁は、『これは難しい課題ですな。この国の中にあるものでもないし、このような難題をどのように伝えれば良いのか。』と言う。かぐや姫は、『どうして難しいのでしょうか。』と言うが、翁は『とにかくこのことをお伝えしましょう。』と言って出て行った。『姫はこのように申しているので、姫が言っている通りの物を取ってきて下さい。』と言うと、皇子と貴族たちの五人はそれを聞いて、『こんな無理難題を言うのなら、どうして初めから屋敷の周りさえうろつかないようにと言ってくれないのか。』と言って、がっかりしながら、みんな帰ってしまった。

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