清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。
『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。
参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)
[古文・原文]
蔵人(くらうど)思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやとおぼゆれ。綾ならぬは、わろき。
同じことなれども、聞き耳異なるもの。
法師の言葉。男の言葉。女の言葉。下衆の言葉にはかならず文字余りたり。
[現代語訳]
蔵人になりたいと思っている人で、今すぐにはなれない人が、祭りの当日、行列で蔵人のような青色の服を着用したのは、そのまま脱がせないでいさせて上げたいと思ってしまう。その服装が綾(きちんとした織物)でないのは、みっともないものだが。
同じ内容なのだが、聞いた感じが異なるもの。
法師(禁欲的な坊さん)の言葉。男の言葉と女の言葉。下衆の言葉には必ず余計な言葉が付け加わっている。
[古文・原文]
思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物(しょうじんもの)のいとあしきをうち食ひ、い寝る(いぬる)をも。若きは、物もゆかしからむ。女などのある所をも、などか忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ。それをも、安からずいふ。まいて験者(げんじゃ)などは、いと苦しげなめり。
困(こう)じてうち眠(ねぶ)れば、『ねぶりをのみして』など、もどかる。いと所狭く、いかに思ゆらむ。
これは昔のことなめり。今様(いまよう)は、いと安げなり。
[現代語訳]
可愛く思っている子供を法師にするのは、心苦しく悲しいものだ。人々が坊さんのことをただ木の切れ端か何かのように取るに足りない存在だと思っていることも、とても可哀想である。精進料理の粗末な食事をして、居眠りしただけでもうるさく叱られる。若いうちは、色々なことをもっと知りたいだろう。女のいるような場所も、まるで忌み嫌うようにして全く覗かないなんて。そんなちょっとしたことでも、うるさく言われてしまう。まして山野で過酷な修行をしている験者などになると、非常に苦しいだけのように見えてしまう。
疲れてしまって居眠りをすると、『居眠りばかりして』などと文句を言われる。自分の居場所もないように肩身が狭く感じて、どんなに辛く思っていただろう。
しかし、こんな坊さんの実態はもう昔のことのようだ。今の様子を見ると、坊さんでもとても気楽にやっているみたいだ。
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