団子・うどんの歴史:唐からの菓子の伝来

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団子(だんご)は奈良・平安時代の古代日本においては、水を用いて穀物(小麦)の粒を搗いて(ついて)作るという『舶来のモダンな食品』であった。江戸時代中期の国学者・谷川士清 (たにがわことすが) が書いた国語辞典の『和訓栞(わくんのしおり)』には、『ダンゴは団子と書き西土の称なり』とある。そのため、古い日本土着の神には“餅(もち)”が供えられ、新しい仏教の仏には“団子”が供えられるといった区別が為されることもあった。

団子(だんご)は“団喜(だんき)”とも呼ばれた唐菓子が起源であるが、団子を作るためには穀類(小麦)を臼で挽いて粉状にしなければならない。団子は小麦粉を練ってから作るお菓子であるが、『日本書紀』の記述では610年(推古18年)に、朝鮮半島の高麗の僧侶である曇徴(どんちょう)が穀物を挽いて粉にするための『石臼(中国名は碾磑・てんがい)』を日本に持ち込んだとされている。

奈良の東大寺には、石臼を挽いた場所に由来すると見られる『碾磑門(てんがいもん)』という名前の門が残されているが、日本に石臼の碾磑がもたらされるまでは穀類はすべて『粒状』のままで食べられていたのである。

小麦粉を使った加工菓子である団子は、遣唐使によって唐からもたらされたものだが、平安時代前期には『8種類の唐菓子・14種類の果餅(かへい=餅類の菓子)』が唐から持ち込まれていたという。古代の日本では『菓子』は、遣唐使以前からあった日本古来の『くゎし』と唐からもたらされた『かし』に分類されていた。

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日本に縄文・弥生時代の古来からあったと推測される『くゎし』というのは、クヌギやナラなどの木の実を乾燥させただけの素朴な菓子というか副食であった。木の実を粉状にしてまるめたくゎしは『粢(しとぎ)』と呼ばれたが、これは神前に供える米粉で作った餅の粢の原形でもある。遣唐使は唐(中国王朝)で食べられていた小麦粉を加工した菓子(かし)を日本にもたらしたのだが、これは日本で初めての『甘い風味を持つお菓子』であり、当時は身分の高い貴族しか食べることのできない貴重品でもあっただろう。

平安時代当時の唐菓子の種類には、以下のようなものがある。

大豆餅・小豆餅・胡麻餅(ごまもち)・煎餅(せんべい=小麦粉を練り固めてごま油で炒ったもの)・環餅(まがり=米や麦の粉を蜜・飴で練って固めた菓子)・索餅(さくへい=素麺の原型になったもの)

“粉食(こなしょく)”である団子の歴史は、“粒食”である餅(もち)の歴史よりも短いが、餅のほうが穀物を粉にする『石臼(挽き臼)』が不要なために古代日本では作りやすかったのである。餅の製法はもち米を蒸して臼の中で十分な粘り気が出るまで搗くというシンプルなものだが、団子の製法は小麦や米などを石臼(挽き臼)で挽いて粉にしてから丸めるというプロセスを踏まなければならない。

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現在では典型的な和食と認識される“うどん”“素麺(そうめん)”も、遣唐使によって日本にもたらされたものである。うどんも素麺も当時の舶来の菓子(かし)の一種であり、うどんは“混沌(こんとん)”と呼ばれ、素麺は“索餅(さくへい)”と呼ばれていた。索餅というのは、『長い縄のように練って作った菓子(小麦製品)』といった意味である。

索餅は小麦粉や米粉を塩で練って縄のように長く伸ばして、それを油で揚げた菓子(酢・醤・糖・塩などで和えてから食べる菓子)だったが、日本ではその形状から『牟義縄(麦縄・むぎなわ)』と呼ばれるようになった。麦縄(むぎなわ)と呼ばれた索餅は、時代が下るにつれてどんどんと細くなっていく(現在のそうめんの形に近づく)が、室町時代の14世紀頃からサクヘイやサクベイと並んで『そうめん(素麺)』という呼び方もされるようになる。

うどんの原型とされる混沌(こんとん)だが、これは現在のうどんとは全く異なる『あんこ入りの団子』であった。小麦粉で作った団子に餡(あん)を入れて煮込んだもので、丸っこい団子に端がないこと(秩序だった形がないこと)から『混沌』という名前が付けられたのだという。『混沌』は菓子の食べ物であったことから、その漢字を食偏に改めて『昆飩(正しい漢字は昆に食偏)』と書かれるようになった。

『昆飩』は熱く温めてから食べていたので『温飩(おんとん)』となり、温飩の詠み方(音)が変化して更に『饂飩(うどん)』という呼び方になったのである。室町時代以降にうどんもそうめんも現在の細長い形に段階的に近づいていくが、現在のような細長い棒状のうどんは中国の『切麺(チェーメン)』にならって『切麦(きりむぎ)』と呼ばれることも多かった。

熱い切麦(うどん)のことを『熱麦(あつむぎ)』、冷たい切麦(うどん)のことを『冷麦(ひやむぎ)』と呼ぶが、この呼び方は現在ではうどんではなく『太めの素麺の一種(あるいは太い素麺の別名)』として用いられるようになっている。うどんやそうめんを細長い棒状の形に切るという製法は、中国で麺類の製法が完成したとされる宋の時代の影響ともいわれ、室町時代の勘合貿易(明との貿易)によって『切麦』が日本に伝えられたという説もある。

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