アイスクリームは、主に牛乳・砂糖を原料にした氷菓子であり、牛乳を低温で冷やしながらふんわり空気を含むように攪拌し、クリーム状にしてから凍らせたものに各種のフレーバー(香料)を添加することが多い。アイスクリームに使われる牛乳(乳)の主な原材料としては、『生クリーム・無塩バターなどの乳脂肪分』と『脱脂粉乳・脱脂練乳などの無脂乳固形分』とがある。
アイスクリームのうちで柔らかいものは『ソフトクリーム』に分類され、ソフトクリームは“コーン(最近ではワッフルコーンも)”と呼ばれる小麦粉などでできた食べられる円錐形の受け皿に盛られることが多い。
日本のアイスクリーム類と氷菓は『乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(乳等省令)』と『アイスクリーム類及び氷菓の表示に関する公正競争規約』によって分類されている。その分類では、アイスクリームとアイスミルクとラクトアイスは異なるものであるが、一般的にはすべてまとめて『アイス(アイスクリーム)』と呼ばれることが多い。
アイスクリーム……重量百分率で乳固形分15.0%以上、うち乳脂肪分8.0%以上のもの。最も深いコクと濃い味わいが楽しめるアイスである。
アイスミルク……重量百分率で乳固形分10.0%以上、うち乳脂肪分3.0%以上のもの。アイスクリームには劣るが深いコクとマイルドな味わいが楽しめるアイスである。
ラクトアイス……重量百分率で乳固形分3.0%以上のもの。一般的なパッケージアイス(棒アイス)のミルク味に多いのがこのラクトアイスであり、比較的あっさりとしたミルク味である。アイスクリームのミルクの風味を出すために植物系油脂を混合していることもある。
氷菓……乳製品のアイスではなく、アイスやシャーベットなどが氷菓に分類される。糖液や他の材料を混ぜた糖液を凍結したもの、食用氷を粉砕してこれに糖液を混ぜて再凍結した商品などである。
アイスクリームの歴史的な起源は、16世紀半ばのイタリアにあるとされる。イタリアのフィレンツェで、料理人のブオンタレンティがメディチ家のためにセミフレッドのズコットというアイスクリームを創作したのが起源という説。あるいは、フランスのオルレアン侯アンリ(アンリ2世)に嫁いだメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)に仕えていた料理人が、フランスに持ち込んだという説もある。シチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ(仏名フランソワ・プロコープ)がパリに開いたカフェのル・プロコープで、1720年にホイップクリームを凍らせた氷菓グラス・ア・ラ・シャンティが販売されて人気となった。
アメリカで1851年に、メリーランド州ボルチモアの牛乳屋ヤコブ・フッセルが余った生クリームを有効活用するために、世界初のアイスクリーム製造工場を建設した。1867年にはドイツで製氷機が発明されて、アイスクリームの大量工場生産の時代が始まり、20世紀の電気の時代に『冷蔵庫・冷凍庫』が発明されて普及するとアイスクリームの大量生産・輸送と保存はより一層簡単なものになった。
歴史上で初めてアイスクリームを食べた日本人は、1860年(万延元年)に咸臨丸で渡米した遣米使節団の一員とされており、アメリカ政府の歓迎レセプションの食事の席に氷菓のようなアイスクリームが出されたのだという。石井研堂(いしいけんどう)の『明治事物起源』に収載された『柳川日記(万延元年3月24日)』には、『又珍しきものあり。氷を色々に染め、物の形を作り、是を出す。味は至って甘く、口中に入るに忽ち解けて誠に美味なり。是をアイスクリンと云ふ。是を製するには、氷を湯にてやわらかくなし、その後、物の形に入れ、又氷の間に入れて置く時は、氷の如くなると云ふ』とある。
1862年(文久2年)には、オランダに発注していた軍艦を受け取るため、インドネシアのバタビア(現ジャカルタ)に派遣された軍艦引取り役の内田恒次郎(うちだつねじろう)が、ホテル滞在時にアイスクリームを食べたという日記を残している。
日本で初めてアイスクリームを製造したのは、1869年(明治2年)6月に、横浜馬車道の常磐町に『氷水店』を開店した町田房蔵(まちだふさぞう)である。町田房蔵は勝海舟と一緒に咸臨丸に乗り込み渡米した遣米使節団の一員で、アメリカへ密航経験のある出島松蔵(でじままつぞう)からその製法を学んだといわれる。出島松蔵は『あいすくりん』を、1873年(明治6年)に明治天皇にレイシの果物と共に献上しているが、松蔵があいすくりんを凍結させる方法は『富士の氷穴』など自然の冷凍庫を応用したものだったようである。
町田房蔵が製造した日本初の『あいすくりん』は、生乳、砂糖、卵黄を用いたシンプルなカスタードアイスだったが、その価格は米10升分にも相当する“50銭”で非常に高価だったため、一般庶民の食べ物として普及することはなかった。高級品のアイスクリームは、1877年(明治10年)には大森貝塚の発見者として有名なエドワード・S・モースによっても食べられているが、この時の西洋料理のコースにはピラミッド型の豪華なアイスクリームが提供されたという。
1876年(明治9年)に初めて日本に、アイスクリームの製造機械が輸入されたが、その後、続々とアイスクリームの製造業者が開業することになった。1886年にフウ月堂、1890年に壺屋、1899年に銀座資生堂、1902年に新橋資生堂、1922年に極東練乳(明治乳業の前身)、1923年には佐藤貢(雪印の前身)が次々にアイスクリームの製造を始めたのである。1911年(明治44年)には、帝国劇場でアイスクリームの一般販売がスタートしており、明治時代の後半には文明開化の影響と食の西洋化によって、デザートとしてのアイスクリームが庶民の間でも急速に食べられるようになっていったのである。
1984年(昭和59年)には、東京の青山にハーゲンダッツ・ジャパンの1号店が開店したが、ハーゲンダッツやサーティワンアイスクリームに代表される現代のアイスクリーム・チェーン(アイスクリーム・パーラーのフランチャイズ)には以下のように様々な種類がある。
ハーゲンダッツ
サーティワンアイスクリーム(バスキン・ロビンス)
レディーボーデン
コールド・ストーン・クリーマリー
ベン&ジェリーズ
ブルーシールアイスクリーム(ビッグディップ)
キハチ ソフトクリーム