赤酒(あかざけ)とは、熊本県で生産される球磨焼酎(くましょうちゅう)の一種で甘みが強い。現在ではお酒としてそのまま飲まれるよりも、味醂(みりん)のように料理酒として用いられることのほうが多い。焼酎の種類としては『灰持酒(あくもちざけ)』に分類される。灰持酒というのは、醸造したもろみに灰を混入させる醸造法で作られた日本酒のことである。赤酒の名前の由来は、その焼酎の色が濃厚な褐色(赤褐色)だからである。
灰持酒の起源は、奈良時代より前から醸造されていた神に供える御神酒(おみき)の『黒酒(くろき)』で、黒酒は米麹に飯と水を入れて発酵させ、常山木の根の灰を加えることで醸造されていた。赤酒や黒酒といった灰を加えて醸造する灰持酒の特徴は、アルカリ性の灰によって細菌の繁殖が抑えられることであり、その効果によって非常に保存性に優れたお酒になっている。
清酒のもろみを搾り取る前に木灰を加えて造る赤酒の起源は、高麗王朝以前の朝鮮半島にあると考えられており、日本に赤酒を持ち帰ったのは豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した加藤清正(かとうきよまさ,1562-1611)だという伝説が残っている。加藤清正は豊臣秀吉の武勇に秀でた家臣である『賤ヶ岳の七本槍』の一人に数えられ、秀吉の死後には徳川方(東軍)に味方して関ヶ原の戦いを戦って、その武功によって肥後国・熊本藩の初代藩主に任命された。
加藤清正は身長が190センチを超える巨漢の猛将で、朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)の際には『虎退治』の伝説も残っている。朝鮮から赤酒だけではなくセロリも持ち帰ったと伝えられており、セロリの当時の別名は『清正人参』であった。赤酒は江戸時代に肥後国熊本藩の地酒として盛んに飲まれており、熊本藩はこの赤酒を地元の名産品として保護していたので、明治維新の頃までは熊本で最も良く飲まれている酒であった。
硬度が低い球磨川の水質が元々、清酒づくりに向いていないことから、熊本藩(熊本県)では焼酎づくりのほうが盛んに行われていた。赤酒もそういった熊本藩(熊本県)の地酒である球磨焼酎の一種であるが、原材料は精白度の低い米ともち米であり、仕込みの水の量はあまり多く使わず、保存性を高めるために灰汁を加えている。仕上げの発酵段階では、大麦麦芽を加えて発酵させる。赤酒は、火入れをしないのが特徴であり、火入れをしなくても灰汁のアルカリ性の作用で長持ちすることから、江戸期には好んで熊本藩の庶民に飲まれていた。
奈良時代からある黒酒の起源からしても、赤酒を含む灰持酒の製法は、清酒と比べれば原始的なものである。一般に灰臭がでやすいので、(個人差は大きいが)必ずしも飲用の酒として美味しいとは言い切れない部分がある。赤酒は清酒と比べると、同量の白米から醸造できる酒の量が少ないので、戦時中は米穀の食糧不足の影響で赤酒の醸造は禁止された。
『赤酒』は江戸期から明治期にかけては、熊本藩(熊本県)の冠婚葬祭の祝い・弔いの席で必ず飲まれるお酒だったが、現在ではお正月の屠蘇や独特の甘さと風味を生かした料理酒(味醂代わり)として使われることが多い。灰持酒は酒税法上の品目は『雑酒』とされ、酒税法3条21号の『みりんに類似する酒類として政令で定めるもの』の扱いを受けており、みりんと同率の課税(1キロリットル当たり2万円)の軽減税率の対象である。