乳製品(乳・バター・チーズ)の歴史:唐からの乳製品の伝来

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『三国志(魏・呉・蜀)』の群雄割拠の時代が終わって、魏・晋の王朝が中国大陸を一時的に統一したが、その後北方からの遊牧民の侵入が始まり、中国は『魏晋南北朝時代』と呼ばれる内戦の時代に再び突入した。北方と西方に勢力を張っていた遊牧民が、漢民族が支配する黄河流域にまで押し寄せてきた結果、中国大陸にも“肉食・狩猟・乳製品の活用”といった『遊牧民文化(北方の遊牧民族の文化+西アジアのペルシア文化)』が導入されるようになっていった。

羊の肉(ラム)を食べる習慣、羊や牛の乳を飲んだり乳製品を作ったりする文化が、遊牧民族によって中国(漢民族)にもたらされたが、更にインド亜大陸から『仏教』という宗教の思想・教義・価値観も伝来することになった。538年には、日本にも朝鮮半島にあった百済(くだら)の第26代・聖明王(せいめいおう)によって、仏教の経典や仏像などが伝えられることになり、飛鳥時代の日本では崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間で争いが起こったりもした。

日本には仏教は伝えられたが、北方・西方の遊牧民族の食文化である『肉食・乳製品の製造と活用』は伝えられず、当時の日本の仏教界と公家(貴族)たちは仏教の戒律の『殺生戒(せっしょうかい)』を忠実に守ろうとしたので、次第に肉食そのものを殆どしないようになっていった。仏教の殺生戒の影響で、仏教に帰依した天皇・公家たちは肉食を宗教的に忌避するようになり、675年には“牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べてはいけない(肉を食べるために殺してはいけない)”という『殺生禁令』が出され、その後も繰り返し類似した殺生禁令が何度も出された。

仏教伝来と戒律(五戒)の殺生戒、朝廷が発布した殺生禁令によって『動物の肉』をあまり食べなくなった天皇・皇族・公家たちは、タンパク質の栄養源が不足するようになったが、そのタンパク質不足を貴重な食品として補ったのが『動物の乳(古代日本では牛乳が中心)・乳製品』であった。

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日本には640年代に遣唐使(けんとうし)を通して『牛や羊の乳を飲む習慣』が導入されたが、701年(大宝1年)に制定された『大宝律令(たいほうりつりょう)』にも乳牛を飼育して乳を搾って取るための“乳牛院”を設置していたという記載がある。乳牛院では『酥(そ)』と呼ばれる乳製品も製造されて、公家(貴族)に健康食品や強壮剤として珍重されていた。

10世紀半ばに編纂された『延喜式(えんぎしき)』にも、朝廷が全国各地の国に乳牛を飼育する『乳戸(にゅうこ)』を置いて、牛乳を煮て煎じ詰めた『酥(そ)』を製造させ、朝廷に献上させていた税制の記載がある。

仏教の経典である『涅槃教(ねはんぎょう)』には、『牛の乳から生酥(せいそ)、生酥から熟酥(じゅくそ)、熟酥から醍醐(だいご)を作る。醍醐は五味の最上である』と記述されているが、醍醐というのは今でいうチーズのことである。

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飛鳥時代~平安時代にかけての朝廷が、乳牛院・乳戸において製造させていた『酥(そ)』というのは、牛乳を煮詰めて煎じて作る非常に濃いミルクのことである。酥は牛乳を圧縮・濃縮して作ったもので、今でいう『練乳(コンデンスミルク)』に当たるものだったと考えられている。遣唐使によってもたらされた乳製品として知られるものには、『酥(そ)・酪(らく)・醍醐(だいご)』がある。

『酪・楽(らく)』というのは酥の脂肪分を集めて練り固めたバターのような乳製品のことであり、『醍醐(だいご)』というのは酪を発酵させてより濃厚な味わいに仕上げた今のチーズに近い乳製品だったのではないかと考えられている。『醍醐味(だいごみ)』とは最も美味しい味わい、最も素晴らしい状況・場面などを意味する名詞であるが、元々は『醍醐(チーズ)の味』ということから来た言葉である。

濃密な味わいや芳醇な香りを持つ食品が殆どなかった古代日本において、醍醐と呼ばれたチーズのような乳製品は、これ以上ないくらいに美味しい『最高級の贅沢品』といっても過言ではない非常に貴重で珍しい食品であったと推測される。今の練乳(コンデンスミルク)に当たる『酥』は牛乳の約10分の1の量しか取れないという意味でも貴重であったが、『酥』よりも作れる量が少ない『酪』や『醍醐』はより貴重で珍しい乳製品の食品であった。

『酥・酪・醍醐』といった乳製品は、仏教の戒律や殺生禁令によって『動物の肉』が食べられなくなった天皇・公家(貴族)たちの『代替的なタンパク源』として珍重された。だが、日本の自立心や独自性に根ざした平安時代中期以降の『国風文化』の普及によって、国際的帝国だった唐(中華王朝)への憧れが弱まっていくと、次第に公家(貴族)たちの間でも牛乳や乳製品が食べられなくなっていった。

平安時代中期・末期あたりから、次第に牛の乳や乳製品が食べられなくなった理由としては、『国風文化の影響の拡大(唐の文化・文物への憧れの減少)・仏教の殺生戒や信仰心の強化(動物由来の乳も摂取しなくなったこと)・牛乳や乳製品が当時の日本人の体質に合わなかったこと(下痢や体調不良を起こす者が多かったこと)』などが考えられている。

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