懐石料理・点心の歴史と一日三食の食生活の普及

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『懐石料理(懐石)』とは、茶の湯(茶道)で抹茶を喫する前に提供される料理のことであり、元々は中国の禅宗寺院における『簡素・質素な食事』のことを意味していた。中国の宋の時代には、文人・詩人の蘇東坡(そとうば)が仏印禅師(ぶついんぜんし)に『点心(食事代わりのちょっとしたおやつ)』として懐石を出したという。

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、禅僧によってお茶と共に懐石料理(懐石)は日本に持ち込まれたと推測されるが、そもそもの中国における懐石の起源は料理ではなく、その漢字の意味の通りに『懐に抱く温かい石(温石・おんじゃく)』であった。

温石(懐石)とは主に冬の寒期に蛇紋岩・滑石・軽石などを火で加熱したもので、『防寒・治療・空腹しのぎ』のために禅僧が懐に抱いたものである。温めた石を真綿・布などにくるんで懐に入れ、胸・腹・脚などの暖を取る方法は、平安時代から江戸時代にかけて一般的な防寒法の一つでもあった。禅寺で修行僧が空腹・寒さをしのぐために温石を懐中に入れたことから、茶道の茶席で出す一時の空腹しのぎ程度の軽い質素な料理(当座のもてなしの料理)を『懐石料理』と呼ぶようになったのだという。

千利休の時代の茶会記では、茶会の食事について『会席・ふるまい』とあり、元々は懐石料理と会席料理は同じ起源であったと考えられている。しかし現代では、『懐石・茶懐石(懐石料理)』は茶の湯(茶事)の一部でお茶を喫する前に出される軽い食事(お茶を美味しく飲むための軽食)のことであり、茶事と切り離されてお酒・料理そのものを楽しむことが目的の『会席料理』とは異なるものになっている。室町時代末期、8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ,1436-1490)の東山文化の頃に、茶道と懐石は広まりを見せていった。

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安土桃山時代(織豊政権)の天正時代には、堺の町衆に千利休が様式を固めた『わび茶』が普及し始めており、その茶事の食事の形式として禅宗寺院の食事を元にした質素で素朴な『一汁三菜(一汁二菜)』が定着していた。禅宗寺院の懐石のほうは獣肉・魚を使わない一汁三菜(一汁二菜)の粗食であり、膳には脚がついていない『折敷(おしき)』という質素なお盆が使われていた。

江戸時代になると懐石料理の三菜(三つのおかず)は『刺身(向付・むこうつけ)・煮物椀・焼き物』とする形式が固まっていくが、室町時代末期以降、懐石の茶道への応用と料理技術・レシピそのものの発達によって『手間をかけた・心を込めた・味や外見に凝った』などの特徴を持つ『おもてなしの料理』といった意味合いが懐石料理に込められるようになっていった。日本における懐石料理に当たる懐石という文字の初出は『南方録(なんぽうろく)』と考えられている。

中国の禅林寺院の料理を元祖とする日本の禅宗の料理は、『三徳六味(さんてるみ,さんとくろくみ)』の特徴を持っている。曹洞宗の開祖である道元(どうげん)『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』の中で三徳六味について説明している。三徳とは『軽軟(けいなん,こってりしておらず軽く軟らかいこと・浄潔(じょうけつ,殺生の穢れがなく清潔であること)・如法作(にょほうさ,方法があり丁寧に作られていること)』のことである。六味とは『苦(にがさ)・酸(すっぱさ)・甘(甘さ)・辛(辛さ)・鹹(かん,塩辛さ)・淡(淡い風味)』のことである。

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無常観が世の中に広まった応仁の乱(1467年~1477年)の後に、日常生活や食生活を楽しむための料理の進歩と味覚の洗練が起こり、質素だった懐石料理にも見た目が華やかで美しいこと、食べてみて珍しく新しい味で美味しいことが求められるようになってくる。次第に禅宗料理を起源とする『精進料理としての懐石料理の原点』も曖昧化していき、室町時代末期から安土桃山時代(織豊政権)にかけて『茶事の懐石料理』に鳥肉や魚が用いられるようにもなってきた。

派手好きな豊臣秀吉(とよとみひでよし)が、千利休の茶の湯(わび茶)を私的に解釈して華美・豪勢な茶道(黄金造りの茶室など)を探求したように、懐石料理の世界でも贅沢で美味しい食材を多く使うような変化が起こる。『品数の多い高級な日本料理』の基本形式(様式美・食材の選定・素材を活かす調理法)も確立されてくるのである。

戦国時代から安土桃山時代にかけて、貴族(公家)や武士は『一日三食』の食事回数が普及してくるが、古代から中世にかけての日本人は『一日二食(昼頃の朝食+日が落ちない内の早めの夕食,一般庶民は朝食+昼食のみ)』が普通であった。一日三食になっていった要因の一つが、禅宗の懐石(懐石料理)の『点心(てんしん)』『菜種油(夜の灯り)の普及』である。

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心(胸)に点ずるという意味の点心は『簡単な食事』のことを指していた。点心は禅語の『空心(すきばら)に小食を点ずる』が語源とされることもあるが、一般に中華料理において『軽食・間食・菓子(少量の食べ物)』のことを意味する。

点心は朝食前の空腹を癒す小食として食べられるようになり、中国のモンゴル王朝の元(げん)において点心は『間食』の意味を持つようになった。日本でも江戸時代後期の有職故実(ゆうそくこじつ)の書である『貞丈雑記(ていじょうざっき),伊勢貞丈著(いせさだたけ)』に、『朝夕の飯の間にうんどん又は餅などを食ふをいにしへは点心と云ふ、今は中食又むねやすめなどといふ』と書き残されている。

茶の湯(茶道)の懐石料理とも結びつきの強い点心(間食)の普及によって、日本の食文化に現在の和食の食材の代表でもある『うどん・そうめん(素麺)・まんじゅう(饅頭)・豆腐・麸(ふ)』が持ち込まれて一般庶民にまで広がるようになっていった側面もある。

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