納豆の歴史と種類:納豆と味噌の文化

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発酵食品の『納豆』を誰が初めて開発したのか、納豆がいつ日本で食べられるようになったのかを残された史料から特定することはできないが、遣唐使が唐から日本に土産物として持ち帰った納豆はネバネバとした糸が引かない『塩辛納豆(しおからなっとう))』であった。この塩辛納豆は日本では寺院で作られる事が多かったことから『寺納豆(てらなっとう)』とも呼ばれるが、麹菌(コウジ)を使って発酵させた納豆で甘味のない甘納豆のような食べ物であった。

納豆は史料にその名前が記載される以前から存在していた(馬の飼料の稲わらなどで煮豆が偶発的に発酵して作られた)と推測される『一般庶民の発酵食品』であり、そもそもアジアの稲作農耕地帯では珍しい食べ物ではなかった。古代中国では塩辛納豆のことを『シ・(漢字は豆の右側に支と書く・訓読みはクキ)』と呼んでおり、康伯(こうはく)という人物が聖域から持ち帰ったと伝えられている。日本の奈良時代に書かれた『延喜式(えんぎしき)』にも、このシという塩辛納豆についての記載が残されている。

納豆の種類は大きく分けると、麹菌(コウジ)を使ってシットリした感じに発酵させる『塩辛納豆・寺納豆』と納豆菌を使ってネバネバした感じに発酵させる『糸引き納豆』とに分けることができる。現代の日本で納豆といえば、後者のネバネバした糸引き納豆を指すことが多いが、中世の鎌倉期・室町期までは寺院で作られる塩辛納豆のほうが大量に作られていたと考えられている。

中国では漢の時代から塩辛納豆の製造が始まり、その後も禅寺・禅院で精進料理の『点心(てんしん)』として盛んに作られていたが、日本に伝来してからも天龍寺などの京都の禅寺を中心として塩辛納豆が作られ、精進料理のタンパク源として重宝されることになった。納豆という名前の起源は、塩辛納豆を発酵させた寺院の『納所(寺院への供物・奉献物を納める倉庫)』に由来するという説もあるが、塩辛納豆やその変形の甘納豆は今でも禅寺の多い関西圏での生産量が多いのである。

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中国のシ(漢字で豆に支と書く)ではない『納豆』という文字が初めて登場する日本の文献は、11世紀半ばに藤原明衡(ふじわらのあきひら)が書いた『新猿楽記(しんさるがくき)』だと言われている。

糸引き納豆は中世期の農家でも日常食として食べられていたが、その起源がいつなのか発明者が誰なのかは不明であり、伝説的なエピソードとしては平安末期に奥羽を舞台にして起こった『後三年の役(1083年~1087年)』の時に、源義家(八幡太郎義家)が常陸国(現在の茨城県)で偶然に稲藁の中で発酵した大豆を食べたというものがある。

源義家が『後三年の役』で兵糧にするために、農民に『煮大豆』を差し出させたのだが、農民たちは急いで義家の軍勢に煮た大豆を差し出さなければならないと思い、藁で作った俵に詰めてから慌てて出した。そうすると、煮られた大豆が藁の俵の中で自然発酵していて、良い香りを放ってネバネバとした糸を引いていた。それを源義家が率いる軍勢が思い切って食べてみると、意外なほどに美味しかったので、近隣の農民も煮大豆を藁(納豆菌)で発酵させて食べるようになったのだという。これが日本の食文化における伝説的な『糸引き納豆の起源』になっている。

『糸引き納豆』は稲作(米作り)の文化と密接なかかわりを持った食品であり、稲を作らず米を食べない西洋文明や白人・黒人の食生活には殆ど受け容れられることがなかった。現代においても、『納豆の独特のにおい+ネバネバとした食感や糸引き』を嫌いだという西洋人(納豆を食べる習慣・歴史のない国や地域の人たち)が圧倒的な多数派である。

稲作文化圏では、稲を刈り取った後に残る稲藁に『納豆菌』がたくさん付着しているので、そこに煮た大豆を入れておくだけで簡単に納豆ができる(稲作のついでに納豆を作れる)という手軽さもあった。日本人の多くにとっては納豆のにおいは独特ではあるが、『醤油・味噌・漬け物などの発酵食品のにおい』に慣れているので、そんなに違和感はなくむしろ食欲をそそるにおい(白飯が食べたくなるにおい)として受け取られやすいのである。

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538年に“殺生戒”を持つ仏教が伝来してから、日本では肉食文化が廃れていき動物性タンパクを余り取れなくなっていたのだが、その代わりに『納豆・豆腐』といった大豆由来の植物性タンパクを摂取することでタンパク質不足を補うようになったのである。納豆の食感は、柔らかくて湿り気と粘りがある『ジャポニカ種の米』と共通性があるので食べやすい。納豆菌は大豆を分解する過程で旨味の元になるグルタミン酸(アミノ酸の一種)を大量に作り出し、更にビタミンB2を産生してくれるので納豆は栄養面でも体に良いのである。

納豆は『味噌(みそ)』の製造方法とほぼ同じ過程で作られる発酵食品(当時は保存食品としての意味合いも強かった)である。味噌も納豆と同じように、煮た大豆を稲藁の筵の上に広げて、その上に稲藁をかけて発酵させることで、味噌の原材料のコウジ(麹)を作っていくのだが、この発酵過程の温度が高くなり過ぎると『味噌』ではなくて『納豆』が出来てしまう。味噌づくりに失敗しても、ご飯のおかずになる納豆ができるということで、前近代の日本人の食文化にとって汁物の味噌とおかずの納豆は必須のものになっていった。

味噌汁の中に納豆を入れるいわゆる『納豆汁(なっとうじる)』の歴史もかなり古く、江戸時代には味噌づくりに失敗してできた納豆を味噌汁の中に入れるといった食べ方がされていたのだという。

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