甘食パンは明治時代に、日本独自の菓子パンとして考案・製造された『半生の焼き菓子テイストのパン』である。甘食パンを略して『甘食(あましょく)』とだけ呼ぶこともある。菓子パンとしての甘食パン(甘食)は日本独自のものと言っても良いが、その原型となる菓子は安土桃山時代(織豊政権時代)に、南蛮人と呼ばれたスペイン人やポルトガル人が持ち込んできた『南蛮菓子』にあるとされる。
現在では、日本の伝統的なお菓子として認識されている『カステラ・こんぺい糖(金平糖)・カルメ焼き・マルボーロ(ボーロ)』などの原型も南蛮菓子にあり、南蛮菓子を日本人の味覚・食感に合うように改良していったものである。甘食パンの歴史的な起源をずっと遡っていくと、ポルトガル人が一般的な焼き菓子として食べていた『ボーロ』に行き着くが、このボーロはそのままポルトガル語で『焼き菓子全般』を指す一般名詞であった。
焼き菓子のボーロ(bo-lo)は、『小麦粉・水・砂糖』を原料にして焼いて作られるシンプルなお菓子でしたが、それに卵を加えて柔らかさを出した『おとし焼き』が作られた。そのおとし焼きが、現在の日本でも食べられている小麦粉ベースの焼き菓子の原型となった。ボーロが発展・改良されて作られた日本各地の銘菓としては、佐賀県の『丸ボーロ』、長崎県の『カステラボーロ』、京都府の『そばボーロ』、沖縄県の『タンナファクルー・花ボーロ』などがある。
『小麦粉・卵・水・砂糖』から作られていたボーロに更にバターを加えて、より濃厚でなめらかな風味を加えたものが『甘食パン(甘食)』である。甘食パンは明治27年(1894年)に、東京・芝にあった『清新堂(せいしんどう)』という菓子屋の初代の主人が創作して焼き上げたのが初めてであり、その後に急速に全国に広がっていって大正・昭和期には子供のおやつの代表にもなった。
初めて甘食パンを作った清新堂の主人は、『富士山の形』を模してこのパンを作ったのだという。甘食パンを作る動機づけになったのは、『一般のパンよりももっと短い時間でパンを焼き上げるということ』であり、甘食パンは一般的なパンよりも焼き上げる時間を短くして、『半生のような生地の状態』に仕上げている。完全にふっくらと焼き上げないその半生の状態がまた、甘食パンにしか独自のしっとりとして甘味を強く感じる食感を生み出しているのである。
販売当初は『箱車(はこぐるま)』と呼ばれる、パンを入れる箱を積んだ屋台状の車に乗せて売られていたとされ、『甘食屋』として近隣住民から人気であったという。現在でも田舎の地方に残る『パン(食料品・雑貨など含め)の移動販売』の先駆けのようなものであった。
甘食パン(甘食)は、戦後間もない昭和30年代頃までは、子供のおやつとしてポピュラーなものとして売られていた。甘味のある食パン生地のロールパンを“甘食”、お菓子として作られた甘味の強いものを“しぼり甘食”として分けて売っていた時期もある。甘食の作り方は、薄力粉に『砂糖・牛乳・卵・油』を加えてかき混ぜ、ふくらし粉(重曹・炭酸・酒石英など)でふくらませるというシンプルな製造法であり、表面に生卵の黄身を塗ってから、十文字の切れ目を入れて半生状態を目安に焼き上げていく。