『甘納豆(あまなっとう)』は、各種の豆を砂糖で煮た和菓子である。甘納豆の漢字表記は、『甘名納糖(あまなっとう)』と書くこともある。 甘納豆の材料として一般的に使われるのは、『小豆・いんげん豆・そら豆・うずら豆・ササゲ・えんどう豆・ベニバナインゲン(花豆)』などの豆類であるが、豆以外にも『栗・ハスの実』などが使われることもある。サツマイモを輪切りにして砂糖漬けにしたものは、甘納豆ならぬ『芋納豆(いもなっとう)』と呼ばれている。
甘納豆は砂糖漬け菓子の一種であり、ごはんのおかずにもなるねばねばした発酵食品の『納豆(なっとう)』とは関係がない。ただし近畿地方では、甘納豆のことをただ『納豆』とだけ呼ぶ場合があるので注意が必要である。北海道の道央や山梨県、青森県の一部では、甘納豆を『赤飯』に入れて食べる風習が伝えられている。
甘納豆はただ『砂糖蜜(さとうみつ)』で煮詰めるだけでも作れるが、豆類をやわらかく煮てから砂糖蜜に漬け込み、少しずつ蜜の糖度を上げながら何回か漬け直すことで更に甘味を強めるという少し凝った作り方もある。最後の仕上げに、砂糖をまぶしてから、しっとりするまで適度に乾燥させていくと美味しい甘納豆の出来上がりである。
新田次郎の登山小説『孤高の人』のモデルとなっている登山家・加藤文太郎(かとうぶんたろう)は、登山の非常食としてこの栄養価(糖分の炭水化物)の高い甘納豆を活用していた。加藤文太郎は厳冬期の山で、お湯に甘納豆を溶かして、『温かいお汁粉(ぜんざい)』のような状態にして食べることを好んでいたのだという。
甘納豆の歴史は、江戸時代末期に始まるという。江戸日本橋(現在の東京都中央区)で創業した和菓子店『榮太樓(えいたろう)』の細田安兵衛(三代目)が文久年間(1861~1864)や明治元年に完成させたと伝えられている。『榮太樓(えいたろう)』の前身は『西井筒屋(にしいづつや)』という和菓子屋だったのだが、そこの初代・細田安兵衛(ほそだやすべえ)が甘納豆の原型となるお菓子を発明したという説もある。
和菓子屋『西井筒屋』では、元々は銘菓である『きんつば』をメインに売っていたのだが、1857年(安政4年)に初代・細田安兵衛が日本橋の西河岸で皮の固い豆である“ササゲ”を長い時間をかけてゆっくりと煮詰め、蜜に漬け込んでから砂糖をまぶして作り上げたのが初めての甘納豆なのだという。この安価な固いササゲ豆を使用した甘納豆は、『金時ささげ』という名称で商品化されて売り出され、かなり売れ行きが良かったのだという。
この金時ささげは、遠州名物(静岡県名物)の『浜名納豆(はまななっとう)』にちなんで『甘名納糖(甘名納豆,あまななっとう)』と呼ばれるようになり、第二次世界大戦後に更に簡略化されて『甘納豆』と呼ばれるようになったのだという。
普通の甘納豆よりも水分を多くして、より糖度を低くした商品もある。これらは保存性よりも柔らかい食感と甘さ控えめを特徴にしたもので、『ぬれ甘納豆・つや甘納豆』と呼ばれて販売されている。一般的な甘納豆の品質基準は、手にべたつかず、適度にしっとりとしているものが上級品(良品)と判断されている。