割り箸(わりばし)の歴史と種類

『割り箸(わりばし)』とは、割れ目が入っている木製の箸で、使用する時に二つに割る使い捨ての箸のことである。日本の『木の文化』と相関する使い捨ての箸であるが、まだ一度も使っていない清浄・新規の箸であるということから『ハレの文化』との関係も深いものがある。

日本では誰かが使った箸(茶碗なども)を別の人が使うことを『穢れ(けがれ)』と見る風習・感覚が残っていることから、『来客用・業務用(営業用)』として割り箸が使われることも多い。祝い事・神事の時に使う箸を『ハレ(晴れ)の箸』、家庭や普段の食事の時に使う箸を『ケの箸』とするが、割り箸はこの両方の特徴を兼ね備えている。祝い事・神事において、新品・未使用の割り箸を割ることには『事を新たに始める』という意味がある。

割り箸が使い始められた時期がいつなのかははっきりしないが、鎌倉幕府が滅亡した後の南北朝時代(1333~1392年)に、奈良の吉野に巡幸した後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に対して、杉の木を削った箸を献上したのが始まりとされる。後醍醐天皇は杉の木の爽やかな香りと素朴な箸の造りを気に入り、その後も度々、杉箸を使ったとも伝えられる。

しかし、割り箸が一般的なものとして使われ始めたのは江戸時代後期からであり、1709年(宝永六年)に書かれた出納簿に『杦(すぎ)はし・はし』と並べて『わりばし』という記載があることから、18世紀初頭には武家・公家をはじめとしてそれなりに割り箸が使われるようになっていたのではないかと推測される。

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江戸中期の1827年(文政10年)には、吉野を訪問した九州の杉原宗庵(すぎはらそうあん)が、吉野杉で作られた酒樽の余った材木から『割り箸』を作ったという逸話もある。酒樽には腐敗しにくい木材の部位が使われるのだが、丸太の外側の木材は色が白くて腐りやすいので通常は廃棄されることが多い。杉原宗庵はその廃棄される白太(しらた)と呼ばれる木材(廃材)を使って、二本バラバラの形状の割り箸を削って作ったのである。

幕末になると、未使用の清潔感を出すために二本の箸の根元をくっつけた『引裂箸(ひきさきばし)』と呼ばれる箸が作られたのだが、江戸時代には割り箸という名称よりもこの引裂箸という名称のほうが一般的であった。江戸時代の文政年間から盛んに割り箸が使われていたということについては、幕末に書かれた『守貞漫稿(しゅていまんこう,嘉永6年・1853年)』に記録が残っている。

江戸期の食べ物屋(外食産業)で初めて割り箸を導入したのは、江戸にあった『鰻屋(うなぎや)』だったという。文政年間(1818年~1831年)には、人気の鰻丼のどんぶりを片手で持ちながら、割り箸を口で挟んで勢い良く割るという仕草が『江戸っ子の粋(いき)な気風』を表しているとされていたようである。

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安土桃山~江戸時代後期くらいから使われていた割り箸の種類には以下のようなものがある。

利久・利休(りきゅう)……茶人の千利休が考案したとされる『卵中(らんちゅう)』を原型にして、江戸期に作られた箸である。箸の真ん中の部分が最も太くなっており、両端に向かうに従って細く削られている。初めは千利休にちなんで『利休』という漢字で書かれていたが、『利を休む』という語意・語呂を嫌った人々によって『利久』という漢字が当てられるようになった。利久箸には、箸に中溝が彫ってあり割りやすい工夫がされている。同じ形状で初めから二つの箸に割ってあるものが、千利休が最初に考案した『卵中』である。

天削(てんそげ)……箸の持つ側の先っぽの片側を斜めに削ぎ落した形状をした割り箸である。箸の先の部分は、丸く加工しているものが多い。

元禄(げんろく)……四方の角を切り落として、割れ目にも溝を彫って二つの箸を割り易くしたものである。箸先の断面は、八角形に近いような形になる。

丁六(ちょうろく・ていろく)……中溝を彫っておらず、四方の面取りもしていない最も基本的でシンプルな形をした割り箸である。

小判(こばん)……二つの箸の間に中溝は彫られていないが、四方の角を落としていて、丁六と元禄の中間的な形状を持った箸である。

割り箸は『紙製の袋(箸袋・箸包)』『ポリエチレン製の袋』に入っていることが多いが、箸袋には『お手元(おてもと)』という言葉が書かれていることも多い。お手元(おてもと)というのは、『手元に置く箸』という意味を持つ『お手元箸』が省略された言葉である。高級料亭や日本料理店などでは、一般的な紙・ビニールの箸袋ではなくて『箸帯(割り箸の中央部を巻きつけるもの)』や『箸飾り(割り箸の先端を通しておくもの)』が高級感・格式感を演出する飾り付けとして用いられていることもある。

江戸時代の引裂箸(割り箸)は厳密には『使い捨ての箸』ではなく、『リユース(再利用)される箸』であり、“箸処(はしどころ)”というお店が引裂箸(割り箸)を回収して加工を加えてから繰り返し販売していたという。

箸処では、まず“高級料亭・料理屋”に新品の引裂箸を売って、それを回収して断面を削り直して綺麗にしてから“そば屋”に売り、更に回収して漆を上塗りしてから“大衆食堂(一膳飯屋)”に売って、繰り返し利益を上げていたのだという。明治維新を迎え、欧米の公衆衛生観念が導入されるに従って、次第に割り箸に求められる清潔さ・衛生基準も厳しくなっていき、大正期~昭和初期くらいには使い捨てされる割り箸の比率が高まってきたとされる。

割り箸の人気の理由は、『未使用にこだわる日本人特有の清潔感』『使い捨てできる手軽さ・安価さ』『軽くて持ち運びやすい(お店などで手軽に渡しやすい)利便性』があるとされるが、割り箸の大量消費による森林伐採(熱帯樹林減少・CO2増大)・環境破壊を指摘する意見もある。

しかし、割り箸の材料として使われている木材の大半は、『割り箸生産目的で伐採された木材』ではなく『建築用材の端材・残材あるいは森林保護(山林地区の産業活性化)のための間伐材』であるから、割り箸を大量に使ったとしても環境破壊にはつながらないという反論も出されている。割り箸を危惧するもう一つの論点としては、『割り箸の製造過程で使われることがある化学物質(二酸化硫黄等)の残留・汚染の可能性』があり、過去に中国産の割り箸が日本の安全基準をクリアしていないことが問題視されたこともあった。

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