吉田智彦『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』の感想

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以下は、『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』(吉田智彦著、 山と溪谷社)の紹介と感想になります。

登山といえば、ヒマラヤやアルプスに代表される『世界の高峰』に登る難易度の高い危険な登山がイメージされやすい。日本の山でいえば、長野県の日本アルプスや富山県の立山連峰などの標高の高い山に登ることが『本格的な登山』として考えられやすい。だが、日本各地にいる一般の登山者がもっとも頻繁に登っているのは標高1000メートル前後の『低山』である。

『低山の軽登山(ハイキング)』こそが日本人にとって最も身近で最も実際的な登山だとも言えるが、この数百メートル級の低山に『一万日連続』で登ろうとした仙人のような高齢の登山家がいた。それが本書で取材されている東浦奈良男(ひがしうら・ならお)さんである。

東浦奈良男さんは勤めていた印刷会社を定年退職した1984年から、『一万日』を目標とする連続登山のチャレンジを始めた。一万日といえば生まれたばかりの赤ちゃんが成人するどころか30歳にも近づく『約二十七年間』という途方もない歳月である。常識的に考えれば、一万日にわたって一日も休まずに登山を継続するというのは生身の人の能力・気力を超えた不可能事にも思える。約27年間も一日も大きく体調を壊さず、一日も突発的なアクシデントに邪魔されず、あるいは何が起こっても絶対に登山を優先すると決めて生きることなど、果たして常人にできるかと問われれば、殆どの人は無理だと答えるだろう。

1925年生まれの東浦さんが登山の魅力に目覚めたのは1960年の乗鞍岳登山だというから、35歳くらいの頃でどちらかというと遅咲きの登山家だろう。退職後の東浦さんの登山に向き合う特殊な信念・姿勢を考えると、東浦さんのことを『登山家・登山者』と呼ぶのも適切でないように思われ、一万日を目標とする連続登山に己のエネルギーを投入し続けた後半生は、殆ど『求道者・修験者』とでも呼ぶ他はない地道でストイックな歩行・登山の繰り返しであった。

東浦さんが登っているのは主に地元三重県の低山であるが、過去の登山歴を振り返れば富士山・日本アルプスをはじめとして全国各地の山を幅広く登っているようだ。定年退職してから『日帰り』できる地元の山だけを目標に定めたのは、言うまでもなく移動で日数を取られてはいけない縛りがある『連続登山(毎日登山)』のためである。確かに登山を趣味とする高齢者の中には、毎日に近い頻度で身近な馴染みの低山に登り続けている人もいるが、東浦さんのように絶対に一日も休まずに連続登山を続けている人(何があっても登山を優先してその連続性を途切れさせない信念を持って実践している人)というのは、恐らく日本でもまずいない(もしかしたら人知れずいる可能性はあるが)だろう。

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東浦奈良男という求道者のような登山者は、危険を伴う難易度の高い高山(気象条件の厳しい冬季の高山)を登るタイプの登山家ではないので、一見すると非常に地味である。やもすればホームレスに見間違えられるような粗末な身なり(手作りの登山道具)は奇異な印象を周囲に与えるし、その内面に秘められた『信念・知性・気力・人間性・孤独』のようなものを伺い知るだけの深い付き合いのある他者も殆どいなかったと思われるが、誰が見ていようと誰も見ていなくても『只管登山(しかんとざん)』のストイックな姿勢を微塵も崩さないその修験的な生き方は脱俗的(厭世的)であると同時に人間的(意味探求的)でもある。

毎日休まずに登山を継続するチャレンジは実際にやれば非常に過酷なものであり、仕事をしなくて良い(現役世代であれば最低限の生活保障をする)という条件があるとしても、恐らく365日(1年間)の連続登山でもそれを成し遂げることは『気力(登る意思)・体力(健康管理)・意識(登る信念と意味)』の部分で簡単ではないだろう。東浦さんはこの過酷なチャレンジによって、4500日の連続登山記録達成の時に『オペル冒険大賞・チャレンジ賞(1996年)』を受賞しているが、最終的にはその記録は4500日の二倍を遥かに超えるところまで伸びた。

東浦奈良男さんの一万日を目標とする連続登山挑戦は、80代後半にさしかかった2011年6月、大きく体調を崩したことによって遂に途切れてしまう、『天』は東浦さんの超人的な最終目標の達成を許さなかったが、それでも1万日まで後わずか、『9738日』までその記録を積み上げたことは前人未到の偉業といって良いだろう。日本最高峰の富士山にも実に『368回』も登頂しているのである。

連続登山で登った山の内訳を見ると、伊勢神宮の周囲を囲むようにそびえる低山、朝熊山(あさまやま・555m)に3000回以上、鼓ヶ岳(つづみがたけ・355m)に2000回以上、国束山(くづかやま・411m)に1000回以上も登っていて、本当に生活区域の近くにある低山を根気よく休まずに登り続けている。あるいは、東浦さんにとって『山の名前・場所・高さ』というものはあまり意味を持っておらず、『日常的に山に登り続けること・往復の道のりを歩き続けること』そのものが東浦さんの信念・生きがいに直接的に結びついていたのかもしれない。

驚くべきは東浦奈良男という人の登山スタイルであり、『食事・休憩・水分補給・装備』のほぼすべてが登山の常識的なセオリーから外れており、東浦さんは時間は短いとはいえ登山中にも何も食べず一滴の水も飲まないのだという。『身体』が食べ物も水も摂らずに山を上り下りできる日常的なリズムに完全に適応しており、食べないから『シャリバテ』で疲れて歩けなくなるとか、飲まずに喉が渇いて堪らないということがまずないと自分で確信しているのだろう。

常識的には、『水筒・ペットボトル(水・お茶・ジュースなど飲み物)』を持たない登山など考えられないことだが、同じ山を何千回も登っている東浦さんにそれを危険だと指摘することは野暮であり、いざ水分が必要となればどこに湧水(飲める水)があるのかを知っているはずでもある。

毎日決まったコースタイムで登頂して下山できる『日課としての登山』において、既に食べ物も水も持ち込まなくても大丈夫との分厚い経験が積み重ねられており、東浦さんにとっての登山スタイルは常に『日常生活の周期性・自明性』の中に取り込まれた特殊なものとなっている。足が窮屈な状態を嫌うので登山靴は履かずに、履きなれたスニーカーを履く。足の締め付けを緩めるためにスニーカーの踵部分を切ってしまうほどで、冬季を除いては靴下を履かずに裸足にスニーカーを履いて登山をするのだという。雨の日は防水性が完全に近いビニールの長靴である。登山専用のブランドものや高価な道具は一切使わず、手製のザックのようなものを背負い、雨具も高級なレインウェアなど着るはずもなく、ビニール傘のビニール部分をマントのようにさっとまとうだけである。

東浦さんの日常生活は無駄・贅沢を一切省いたシンプルそのものであり、質素倹約・質実剛健というかひたすらに登山を繰り返して日記をつけるという暮らしぶりである。登山をする他は『食べる・寝る・テレビを見る・本を見る』に集約されるが、登山愛好家の多くが知識欲・教養趣味のある読書家であるように、東浦さんもその例外ではなく無類の読書好き(特にノンフィクション好き)で深夜まで本を読みふけることが多いのだという。

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著者の吉田智彦さんの興味は『東浦奈良男氏が一万日連続登山をしている目的・意図・心情』にあるのだが、さまざまな質問をぶつけても東浦さんの口からは『山が好きだから・千日回峰行に憧れて』などの簡単な言葉が語られるだけである。吉田さんは連続登山の動機や心情に少しでも近づくために、『東浦さんの膨大な登山日記(40冊以上)』を読み解きながら、東浦奈良男という人物の人生と登山と人間関係の歴史を振り返っていく。

一万日連続登山を目指してひたすら山に登る東浦さんはその特異な行動様式や信念・風貌から想像されるような『孤独な世捨て人・無職を続けてきた自由人』などではない。『妻子のいる家庭人・約45年も会社で働き続けた職業人』としての履歴を持った、いわば普通の社会人として生きてきた人であり、会社を定年退職した翌日の日記には『自由』という付箋のインデックスを貼り付けて、『退職後の登山三昧の日々(会社員の週末登山から自由人の毎日登山へ)』に胸をときめかせているのである。

退職翌日の1984年10月26日の日記には『150回へ第一歩の日。いよいよ時間の束縛から完全に解放された完全自由の第一日である。ああ毎日山行できるのだ。待ちに待った日、さああの山この山かけまわろう。血わき肉おどり足うなる。ゆくぞおかげで45年間働かせて頂いた。その結果である。ありがたし、ありがたし。墓参りしてからアサマ山へ。以後の出勤先は山となる』と記されている。連続登山という目的も初めは明確なものではなく、当初は『富士山登山・150回』を目的にしており、東浦さんが一番好きな山、特別な愛着・憧憬のある山もやはり『富士山』なのである。

東浦さんはこだわらないボロボロの登山の身なりから乞食と間違われることもあったが、かなり若い頃から物や金銭への欲を殆ど持っておらず(物は非常に大切に使っているのだが)、1966年1月1日の日記には『山行帰りのボッコ姿も何ら吾れ関せずである。空しきもの、物の空しさ、物の哀れさ、物をほしいと思わぬ我が心の充実は登山だ。物より心、我は生涯物を身につけようとはしない。身に感じつけるものは行動の大きさ、高さである。登山行動こそ、即ち歩くことこそ、物や金をはるかに隔絶したものなのだ。物みたいなものいらぬの感念はしらずしらずにも歩くことより身についていたものか。可なる哉。行動の高大ならむを欲するも、物慾全く忘れたり』とある。

この世俗的な物欲・見栄から離れた登山中心の行動主義というものが、東浦奈良男さんの連続登山行動の原点にあったと考えることもできるだろう。東浦さんにとって『歩き続けること』は正に人生そのものであり、『一歩に人生が、一歩に運命がかかっているのだ』と一歩考究の哲学を考え、歩くことに面白さ、難しさ、よろこび、人生の意味を発見していくという決意を語ったりもしている。歩く楽しさ、歩く幸せを忘れてしまった移動のスピード・安楽さばかり求める現代人に、悲しみと寂しさ、憐れみを覚えてもいるが、この感覚は登山をする人、歩くことが好きな人には腑に落ちるものでもある。

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登山哲学や人生指針を達観した口調で語る一方で、『新聞社・テレビ』などのマスメディアに自分の一万日連続登山のマイルストーン達成を取り上げて報道して欲しい(自分を支えてくれている妻・かづさんもマスメディアに映してあげたい)という実に人間臭い俗人の一面も併せ持っているのである。本書には、人知れず市井にあって『歩くことの人生哲学』を登山の行動主義で実践し続けた一人の小さくて大きな男の姿がある。東浦奈良男という名前は世に広く知られているものではなく、一般的な登山家の業績の尺度では測れない人物であるが、その人生の歴史と信念、哲学、心情は『9738日の連続登山記録』と合わせて非常に深遠で魅力的なものである。

『永遠無窮』に尽きることなく歩き続けることその意味を、日々繰り返される登山を通して追求した東浦奈良男もまた『有限の人の定め』の前に老いて歩けなくなり衰弱して没してしまった。その誰もが避けては通れない無常の現実(永遠に行動を継続することの不可能性)は悲しく寂しいものではあるが、『人の限界・弱さを忘れさせるほどの地道な一歩の積み重ね』を我が人生を賭けて見せてくれた東浦奈良男という人の名前・存在・生き様を本書を通して知ることができたのは大きな収穫である。

複雑化・市場化する現代社会にはさまざまな苦難と絶望、困窮が渦巻いているが、東浦奈良男という人のひたすらに歩き続けた人生を思い起こせば、『シンプルな人間の生きる意味・原点』に戻れるような爽快感と気楽さを感じることができて勇気づけられる。介護施設に入ってもうあんなに好きだった山に登れなくなった奈良男さんは、『山よりも読書が好きです。小さいころからやってますから。山男がこんなんです』と答えたが、著者がいうようにそれは形を変えた状況に適応できる強さであり、『自然であること』を愛した奈良男さんらしい『自己(人間一般)の運命の享受』とも言えるのだろう。

究極的には人は生物としての運命・限界には抗えないが、身体と精神がまだ働く限りは自分にできることを全力で諦めずに突き詰めていくべきだ、そのことを東浦さんの『一万日連続登山の挑戦』と『弱いからつよくなりたくてやっているの言葉』から改めて学ばされた思いがした。

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