本多勝一『日本人の冒険と「創造的な登山」』の感想

スポンサーリンク

以下は、『日本人の冒険と「創造的な登山」』(本多勝一著、 ヤマケイ文庫)の紹介と感想になります。

『日本人にとっての冒険とは何なのか?』『創造的登山(パイオニアワーク)とは何なのか?』を中心的テーマに据えて書かれた本田勝一の登山エッセイ集で、1960~1970年代の登山・冒険・遭難・政治を巡る日本の世論や空気にも触れることができる。分厚くて読むのに骨が折れるところもあるが、とにかく収載されている話題や事例が豊富なので、『冒険・登山にまつわるエッセイ(読み物)』が好きな人なら飽きずに読み進められるだろう。

現代では登山で遭難事故が起こると、ネットに見られる世論としては『趣味や遊びで遭難されるのは迷惑だ・山岳救助費用を税金に依拠するのは納得できないから全額自己負担せよ・危険な場所にわざわざ出かけるな』などの非難や罵倒が溢れやすい。もちろん、何らかの記録・目標が関係しているプロの登山家が遭難するよりも、週末登山や趣味の登山で登っている人が遭難する事故のほうが、世の中の人々から叩かれやすいのだが、1960~1970年代頃まではまだ『若者の無謀な冒険・人間では実現できそうにないチャレンジ』を肯定的に評価したり賞賛したりする声も残っていた。

本書の初めでは、1962年の夏に実行された『青年・堀江謙一の小型ヨットによる単独太平洋横断(94日間かけての小型ヨットでの太平洋横断)』が取り上げられているが、当時の新聞社のマスメディアもこの堀江謙一氏の冒険に対する評価・論調は賛否両論であった。特に朝日新聞と毎日新聞が、堀江謙一氏の冒険を否定的に評価しており、『人命軽視の暴挙・アメリカから不法入国者として強制送還される(冒険達成の快挙よりも海洋からの密入国という法律上の違反に注目)』といった表現で堀江謙一氏の冒険は無謀かつ違法なものだとしているのである。

このマスメディアの否定的な論調は、『冒険的な挑戦』に対する日本人一般の反応とも重なる部分があるが、『非合法で問題はあるが青年が冒険を成し遂げた価値はある』とならずに『青年は確かに冒険を成し遂げたかもしれないが、非合法であり無謀だからこのような行為を認めてはならない』となってしまうわけである。

しかし、朝日新聞が書いたように堀江謙一氏は『アメリカから即座に不法入国者として強制送還される』ようなひどい目には遭わず、むしろアメリカ人は青年・堀江の無謀に見えた小型ヨットでの単独太平洋横断の壮挙を手放しで賞賛したのだった。サンフランシスコの議会は、青年・堀江の冒険的な挑戦の達成を、勝海舟の咸臨丸での渡米以来の画期的壮挙として大歓迎し、堀江謙一氏に『名誉市民の鍵』まで与えて表彰したのだった。こうなると朝日新聞も毎日新聞も、手のひら返しで好意的な報道をせざるを得なくなるのだが、『冒険的行為に対する価値判断』が当時も今も恐らく欧米のほうがかなりポジティブなのである。

日本は遭難・死亡のリスクがゼロでない限りは公式には冒険の申請を許可しないから、本当の冒険をしたければ『非合法な手段』に不意に打って出るしかないというのはなるほどと思わされるが、現代のコンプライアンス(法令遵守)社会では余計に冒険的行動というのはできなくなっているだろう。日本文化や日本のインテリゲンチャは危険性(リスク)をイメージさせる『冒険(adventure)・探検(expedition)』といった概念を避ける傾向が顕著であり、実質的な南極学術探検であっても探検という概念を避けて『観測(observation)=南極観測』を採用しようとするのである。

冒険・探検に対して、『危険・無謀・無意味・子供っぽい・幼稚・反社会的(社会不適応)』といったイメージを持つ者は現代日本にもきっと多いだろう。著者の本多勝一氏は冒険・探検の価値を認めにくい日本の社会構造の根底に、何よりも無難でノーリスクであることを重んじる『日本型の官僚的社会構造』があると指摘し、シニカルな口調で『日本政府が賞を出すのは、評価が動かなくなった、すなわち役に立たなくなった、無難な老人か死者に対してだけである』と語るのだが、確かに(国民栄誉賞には若手のスポーツ選手もいるが)現代の人間国宝・文化勲章・紫綬褒章などもそうであろう。

1960年代半ばの大学の探検部増設によって『探検の大衆化時代』が到来したとするが、地理的な空白地や冒険の実利性が減少するに従って『探検のリスク・無謀・迷惑を非難する世論の声』も強まってきた。ヨーロッパの大航海時代の植民地支配とセットになった『探検・冒険』の歴史が典型的なように、地図にない場所の探検や未開の土地の冒険というものは『探検・冒険をする者の側だけの都合』によって為されるという本質的問題もある。15世紀以降のヨーロッパの探検と冒険の拡大は、大航海時代と植民地支配、アメリカ大陸の開拓を招いたものであり、『探検・冒険をされた者の側(ネイティブアメリカンのインディアン,マヤ文明やアステカ文明の人々など)』から見ればかなり野蛮で利己的な行為でもあったのである。

楽天AD

登山に関連するエッセイとしては、ある大学の山岳部に所属しているAとBが対話形式で『パイオニア・ワーク(創造的な行為)としての登山』について語り合う章が面白い。パイオニア・ワークとしての登山とは、簡単に言えば、誰も登ったことのない山、誰もやったことのないルートを登ることである。Aは山における最大のパイオニア・ワークは『処女峰の登攀』であるとしながら、未踏峰・超高山・バリエーションルートでなくても低山であっても『個人にとっての初めてのパイオニア・ワークやパイオニア精神』は有り得るという意見も述べている。

登山の感動は同じ山に登り続けると衰退しやすいが、その反動として、より高い山に行きたい、もっと難しい山に登りたいという『憧憬』が生まれてくるというのも納得できる話である。日本国内には富士山の3776mの標高を超える山はなく、日本アルプスや北海道の山を超える条件の厳しい山はないから、冒険的なパイオニア精神を高めていけば必然的にヒマラヤ山脈・エベレスト(チョモランマ)を象徴とする『海外の高山への憧憬』に抗えなくなるのだという。

Aは『登頂の難易度を高めるバリエーション・ルート』についても批判的であり、最高のパイオニア・ワークとしての処女峰(未踏峰)の登頂が終わってしまった後に、仕方なく選ばざるを得ない(一度誰かが登ってしまった山に再び初登頂することは不可能である)のがバリエーション・ルートなのだという解釈をしている。南極探検のマンマリーが切り開いたバリエーション・ルートによる『新登頂主義』の価値を部分的に認めながらも、無限の選択肢のあるバリエーション・ルートよりもアムンセンが初めて引いた一本の南極点初到達のルートのほうが、圧倒的に価値が高いというのである。

高山への初登頂をパイオニア・ワークとして重視するAは、山に登る理由について問われたマロリーが答えた有名な言葉『そこに山があるから(それが存在するから)』についても論評を加えている。Aは、一流の登山家だったマロリーは処女峰のエベレストが存在するから登るのであって、二度目や三度目以下の『それ』ではなくいわんや一般の『山があるから』などといった理由で、『そこに山があるから登るんだ』などと言ったわけではないと説明するのである。

スポンサーリンク

パイオニア・ワークとしての登山の本質として『目的的な意思の貫徹』ということがあるが、これは人間の仕事や職業、人間関係などあらゆる領域のワークにも通用する有意義な理念ではないかと思う。個人的にインスパイアされた台詞にAの語る『自分一人になっても手段を選ばず実行するほどの男がその中に一人でもいたら計画は成功するだろう』というものがあるが、グループで行動を計画しようが会社組織の中での目標であろうが、結局は『自分一人でも必ずその計画を実現してやるという強固な意思』がなければ物事は先に進まないし、最後までやり遂げることなどできないのだと思う。

パイオニアになるということは『予定調和の従属する奴隷の生涯』を拒絶することなのだというが、自分の生命・生涯を危険な登山に賭けることが人によっては馬鹿馬鹿しいことであるとしても、『いまなし得る賭けをなせぬ者は、未来のいかなる対象に対しても決してそれを成し得ない者である』というこの本の言葉は人間の生き方の真理の断片であると感じざるを得ないところがある。本多勝一氏の手による本書は、パイオニア・ワークとしての登山を当時の社会主義運動などの時代的背景も踏まえて、『真の自由を勝ち取るための反体制・反サラリーマンの活動』と見なしている所があるのである。

『画期的な遭難報道』の章以降は、複数の遭難事故の事例を取り上げながら遭難報道のあり方を論じているのだが、1960年代の冒険的な登山の空気が残っていた日本では、まだ高校生・大学生の大勢の若者が、危険な登山(クライミング)で死んだことが改めて実感として伝わってくる。今の登山ブームとは違って、1960年代の高校・大学の部活動を通した登山や探検のブームは『難易度の高い危険な登山・探検』にチャレンジするものであり、登山部(山岳部)でも日本アルプスの3000m級の高山に冬季(積雪期)に2泊以上のテント泊をしたりするのだから、現在の趣味的な日帰り登山の延長線で考えられるものとはかなり異なっている。

楽天AD

山男たちの『無謀な強行軍・無根拠な思い上がり(タフさの自己顕示)』を厳しく批判して、学生の登山部の遭難死を美化せずにきちんと遭難の原因究明をし、同種の遭難を繰り返さないようにすることが大切という本多勝一氏の意見はもっともなものである。当時の山男の『人間の遺体・死に対する感覚の麻痺』や『山と下界を別世界とする認識(山はある種の治外法権・自己責任で俺たちの流儀でやらせてもらう)』についても批判しており、遭難死の遺体を山小屋に収容した救助隊の山男たちが、自分たちの救助活動が掲載された新聞記事を見て『英雄気取り』で盛り上がっている様子を描写している。

ネット時代の現在でこそ、登山の遭難は『趣味・遊びの山登りで遭難してみんなに迷惑をかけて救助費用(税金)もかかる』と叩かれることも多いのだが、1950~1960年代まではまだ『ロマンティックな遭難の物語』が山男や大衆に共有されやすい冒険的気分の共有があったとする。確かに、登山の遭難と生還、過酷環境というのは映画・小説の題材になるほどの『ロマンティックな物語性』を持っているのだが、登山に興味のない冷めた視線で見れば『登らなくても良い危険な冬山に勝手に登って遭難して迷惑である』という風にもなってしまうのである。

著者の本多勝一氏は『山の遭難の美化』『遭難死に対する寛容・免責』に対して否定的な筆致で本書を綴っているのだが、山の遭難・遭難死について自己責任を問うような厳しい報道姿勢が増えてきたのは、1959年10月24日の朝日新聞の報道記事からだというのは初めて知った。この朝日新聞の記事は、『他のスポーツの事故死は過失致死事件として形式的でも捜査されるのに、なぜ山の遭難死だけが詳細を調査されず寛容にそっとしておかれるのか、それはおかしいではないか』という問題意識に根ざして書かれたもので、海の事故に海難審判があるように山の事故にも同様の調査や審判が必要なのではないかと提言しているのである。

しかし、皮肉なことに山の遭難の美化や物語性(読み物化)を厳しく批判しながらも、本書の後半部分の『複数の遭難報道の事例』は現代の登山家や山好きが読んでも、『興味深くて面白い遭難ドキュメンタリーの読み物』になってしまっているのである。更に本多勝一氏の各遭難事故の詳細な調査報告と『遭難・死亡してしまった原因の的確な分析』は非常に読み応えがあって秀逸である。この遭難報道・遭難分析の部分だけを取り出しても、一冊のまとまった本が書けるのではないかというほどに内容の密度が濃いのである。

人間の生死を分ける過酷な遭難の環境・状況の中で、ある者は生き残って生還し、ある者は耐えられずに死亡してしまうというプロットは、『悲劇的かつ感動的な物語のプロット(骨組み)』にどうしてもなってしまうのだろう。冒険(アドベンチャー)の中核にあるものとは、『生命の危険を冒す点』『実行する本人に主体性がなければならない点』であり、そこには必ず無謀を乗り越えようとする『チャレンジ精神・パイオニア精神』がなければならない。

利便性のあるクリーンな環境で、人生や職業が計画されたり日常生活が管理されたりしやすい閉塞した現代社会であればこそ、敢えて『パイオニア・ワーク』や『冒険的活動』の本質を振り返ることが求められる。誰もまだやったことのないことをやってやろうとするパイオニア・ワーク(創造的な仕事)を通して、自分自身の人生を主体的な意味のあるものにしていけるのかもしれない。

自分が生きている時代において、『現代的な意味・価値を持つもの』『生死を賭けた無謀な挑戦をしたくなるもの』を見つけ出すことは簡単ではないが、それらを見つけ出してコミットしていくことが本書でいう登山に限定されないパイオニア・ワーク(創造的な仕事)なのだろう。

スポンサーリンク
関連記事
Copyright(C) 2016- Es Discovery All Rights Reserved