羅臼岳(らうすだけ,1661m)

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羅臼岳の標高・特徴・歴史

羅臼岳の標高は、『1661m』である。登山難易度は、中級者向けの山である。かつて羅臼岳の標高は1661mであった。2008年5月のGPSによる測量で1660mに変更され、更にGNSS測量等の点検・補正調査で2014年4月に1661mに戻された経緯がある。

羅臼岳の登山口のアクセスは、JR北海道の『知床斜里駅(しれとこしゃりえき)』が起点となる。登山口は『岩尾別登山口』と『羅臼登山口』の二つであり、登山の難易度は岩場が多い羅臼の登山口のほうが高い。初めて登る人は、羅臼温泉の登山口方面に下山しようとすると『屏風岩』の辺りで道に迷いやすい。下山は岩尾別登山口方面に下りていったほうが分かりやすい。

『知床斜里駅から岩尾別までの斜里バス(約1時間5分)』で岩尾別に行き、『岩尾別から岩尾別温泉までの徒歩(約1時間)』で『岩尾別登山口』に到着する。夏期にはウトロ温泉からシャトルバスで岩尾別温泉まで行けることもある。『釧路駅から羅臼までの阿寒バス(約3時間45分)』で『羅臼温泉の登山口』に到着する。

羅臼岳は北海道・知床半島にある火山群の主峰(最高峰)で、『知床富士(しれとこふじ)』とも呼ばれる。太平洋とオホーツク海を切り分けるように知床半島の中央部を貫いて聳える堂々とした山であり、2005年7月に世界遺産となった『知床』のシンボルとも言える。羅臼岳はカムイ(神)が住む山とされ、アイヌ語で敬意を込めて『チャチャヌプリ(おじいさんの山)』と呼ばれた。『良牛岳(らうしだけ)』と表記されていたこともあるという。

知床(しれとこ)や羅臼(らうす)という地名もアイヌ語が語源であり、知床は『シル・エトク(地の涯・ちのはて)』という意味であった。羅臼は『ラ・ウス(~する所)』という意味で、『ラ』の意味は複数あって確定されていない。

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岩尾別登山口から登ると、観光名所として有名な『知床五湖(しれとこごこ)』を見下ろせる『オホーツク展望』と呼ばれる絶景ポイントがあり、知床五湖とその背景にある雄大なオホーツク海を合わせて楽しむことができる。岩尾別登山口から登っても羅臼登山口から登っても、羅臼岳の山頂付近には7月終わりまで雪・雪渓が残っていることも多く、夏期登山であっても雪渓での滑落を防止するために本格的なアイゼン(8本爪・10本爪)が必携である。

羅臼登山口から登る場合には、岩登りの一定の経験があったほうが良いが、『第一ノ壁・第二ノ壁・屏風岩』という岩場の景観と迫力は圧巻であり、北海道の山の険しさや地形の複雑さを改めて実感することができる。羅臼登山口からのコースの魅力の一つとして、頂上に向かって『羅臼平』に登る途中に素晴らしい『お花畑』があることである。夏の羅臼岳には、シレトコスミレ、チングルマ、エゾコザクラなどの高山植物の花が咲いている。

羅臼平からは『硫黄山(1563m)』への縦走路が伸びているが、硫黄山登山口は落石の危険が高く現在使用することができない。羅臼岳から硫黄山に縦走する場合には、もう一度羅臼岳に戻って下山するピストンになるが、羅臼岳登山は往復8時間程度はかかるので、硫黄山への縦走はテント泊できるような装備を持っていなければ時間的にかなり厳しい。北海道の北部は8月後半になると、日没時間も早くなるので注意が必要である。

羅臼岳山頂からはオホーツク海と太平洋を同時に見下ろせる絶景が広がり、北東の稜線の向こうには根室海峡を越えて北方領土の『国後島(くなしりとう)』の島影を望むこともできる。

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深田久弥の羅臼岳への言及

深田久弥は著書『日本百名山』で、日本が千島列島・北方領土を失った戦後の歴史に触れて、知床半島が現在の日本の東北端になったと述べ、知床の山脈にある山として南から『海別岳(うなべつたけ)・遠音別岳(おんねべつだけ)・羅臼岳(らうすだけ)・硫黄山(いおうざん)・知床岳(しれとこだけ)』を上げている。

知床半島の山が近代の登山対象になった歴史は浅く、初めは北海道大学山岳部の学生たちによって冬季に羅臼岳が登られたのだという。当時の知床山脈は『這松(はいまつ)』が生い茂っていて、深田久弥は夏期の知床の登山は『這松との厳しい戦い』を強いられるので、冬のほうがまだ登りやすかったのだろうと語っている。

知床富士と呼ばれた羅臼岳は、当時の羅臼村から立派な山容を仰ぎ見ることができたのだが、深田久弥は羅臼村の宿に四日も宿泊したのに、天候が悪くて雲がかかっていたので、村から羅臼岳を仰ぎ見ることは遂にできなかったのだという。羅臼村は僻遠の知床半島で唯一の都会であったと記され、『映画館・パーマネント屋(美容院)・バー』などが村にあったそうである。

羅臼(らうす)というアイヌ語の語源について、深田は『鹿・熊などを捕ると必ずここに葬ったため、その臓腑や骨のあった場所』という意味だと語り、正しい読み方は『ラ・ウス』ではなく『ラ・ウシ』なのだという。ラは『動物の内臓物』、ウシは『たくさんある所』という意味であると述べて、古い地図には羅臼(らうす)ではなく『良牛(らうし)』という地名が残されているとした。

羅臼岳の岩尾別・羅臼の登山口からの登山道開拓に功績のある人物として、羅臼村の誠諦寺(しょうたいじ・じょうたいじ)の住職であった西井誠諦(にしいしょうたい)が取り上げられている。深田久弥は羅臼登山口から羅臼岳に登ったが、当時の羅臼温泉の宿は非常に簡素なもので食糧も寝具もなかったこと、登山日は天候が悪くて山頂は霧に包まれていて何も見えなかったことが書き記されている。羅臼岳山頂からの景観を楽しむことはできなかった深田であるが、『最果ての山・北方的風貌を帯びた山』として羅臼岳は深く記憶に残ったと感想を述べた。

参考文献
深田久弥『日本百名山』(新潮社),『日本百名山 山あるきガイド 上・下』(JTBパブリッシング),『日本百名山地図帳』(山と渓谷社)

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