イスラムの哲学者アヴィケンナとアヴェロエス

アヴィケンナ(イブン・シーナ, 980-1037)
アヴェロエス(イブン・ルシュド, 1126-1198)

アヴィケンナ(イブン・シーナ, 980-1037)

アヴィケンナ(980-1037)はラテン語名であり、ペルシア地方での一般名はイブン・シーナと言います。アヴィケンナ(イブン・シーナ)はイスラムを代表する大哲学者であり医学者ですが、若くしてあらゆる分野の学問に深く精通した一種の天才でした。アヴィケンナ(イブン・シーナ)は、アリストテレスのギリシア哲学とイスラム教の聖典『コーラン』を統合的に理解するために苦悩しましたが、アヴィケンナの存在(神)の本質を巡る思索は中世ヨーロッパのスコラ哲学にも強い影響を与えました。

イブン・シーナは980年に、サーマーン朝の高官であったアブダラーフ・イブン・ハサンと妻シタラの子として、現在のイランに相当するペルシアのアフシャナ地方に生まれました。イブン・シーナはブハラで幼少期を過ごし、10歳にして『コーラン』の聖句を暗唱する驚異の記憶を見せ、18歳までにイスラム法学・数学・天文学・アリストテレスの形而上学・新プラトン主義・ガレノスの医学・錬金術・占星術などあらゆる分野の学問を習得しました。

イブン・シーナが特に優秀な才能を発揮した領域が医学と哲学であり、18歳の時点で医学の深い知識と巧みな技術を用いて、サーマーン朝のスルタン・ヌーフ2世の病気を治療を行いました。ヌーフ2世の病気を治癒させた功績によって、サーマーン朝の図書館の書物を自由に閲覧できるようになり、イブン・シーナはこの特権を生かして学問と著述活動を同時進行させます。イブン・シーナは、242巻にものぼる医学・占星術・錬金術・イスラム法学・詩文などの膨大な著作を残しましたが、サーマーン朝が戦争に敗れて滅亡した後にその著作の大半は散逸してしまいました。1015年には、イラン・イラクの大半を領土としたブワイフ朝に招聘されて高位の医師・学者として厚遇されます。

1020年になるとイブン・シーナは『医学典範』という代表著作を書き上げますが、この『医学典範』はヨーロッパとイスラムの長い歴史の中で、ヒポクラテス・ガレノスに次ぐ標準的な医学のテキストとして用いられました。『医学典範』の内容は現代医学から見れば当然無知や誤謬の多いものですが、香りを精神的回復に用いるアロマセラピーの原型を示したり、心理的ストレスによって発症する精神疾患について言及したりとなかなか鋭い観察と推測に満ちたものでした。

イブン・シーナの医学の代表著作を『医学典範』とすると、哲学的思索を含む百科事典的な代表著作として『治癒の書(キターブ・アッシファー)』があります。『治癒の書(キターブ・アッシファー)』には、アリストテレスの哲学を解読したイブン・シーナの解説が付されています。ゲルマン民族の大移動以降の混乱の中で、ギリシア哲学の詳細な内容を消失していたヨーロッパ世界は、このイブン・シーナの『治癒の書』によって理性的・論理的なギリシア哲学を再び取り戻すことが出来たのです。

10~12世紀の時代は、ヨーロッパ世界よりもイスラム世界において『古代ギリシア哲学の読解・研究』が盛んに行われていた時代であり、イブン・シーナ(アヴィケンナ)やイブン・ルシュド(アヴェロエス)のギリシア哲学に関する著作がヨーロッパ世界に逆輸入されたのでした。イブン・シーナはアリストテレスの『形而上学』を読んで、個物(実在)を形成する『形相(eidos)』『質料(hule)』について理解を深め、『創造主(アッラー)の存在』を哲学的に立証しました。

イブン・シーナは、無から有(個物)が生じない以上は『森羅万象の存在』の究極的根拠である神(創造主・造物主)が必然的に要請されると考え、『万物がここに有るという必然性』こそが神(アッラー)であると説きました。イブン・シーナは科学的な医学者として振る舞うこともあれば、神秘的(非科学的)な錬金術師・占星術師として振る舞うこともあったのであり、『神=必然性』という信念の下に、『未来の運命』は星の動きを知ることで完全に予測できるとしました。

イブン・シーナ(アヴィケンナ)は霊魂の不滅性を信じており、霊魂を『能動的霊魂』『受動的霊魂』に分ける霊魂の二元論を展開したことでも知られます。受動的霊魂とは身体と不可分に結びついた魂であり、来世での復活を願望するという性格を持ちますが、能動的霊魂とは受動的霊魂よりも優等な魂であり、身体を離れて神(必然性・完全性)へと回帰する性質を持っています。イブン・シーナは『身体を離れた魂』が存在するのだから人間にとって不可逆的な『死』というものは存在しないと考え、例え死があったとしても、能動的霊魂が至高のアッラーの御許に舞い戻るのだから何も心配しなくて良いと言ったのです。

アヴィケンナ(イブン・シーナ)は、西欧世界に古代ギリシア哲学の知見を還元することで、キリスト教神学を基礎付ける『スコラ哲学』の発展を促進する役割を果たしました。アヴィケンナは『一般(普遍)』と『個物(特殊)』を巡る普遍論争にも影響を与えるのですが、彼は特定の個物に共通する特徴を抽出した『一般的概念(イデア的な概念)』が先験的に存在すると考え、その概念は『神の観念』に由来すると語りました。アヴィケンナは従軍医師として付き添っていた師旅の途中で病気に罹り、そのまま1037年に死去しました。

アヴェロエス(イブン・ルシュド, 1126-1198)

ラテン語名をアヴェロエスと言うイブン・ルシュド(1126-1198)も、西欧世界におけるスコラ哲学の確立に大きな貢献をした哲学者・神学者です。アヴェロエスは、1126年にスペインのコルドバで生まれましたが、この時代のスペイン(イベリア半島)はイスラム王朝の統治下にありました。アヴェロエス(イブン・ルシュド)は、イブン・シーナ以上に徹底したアリストテレス哲学の読解を行い、膨大な分量に及ぶアリストテレスの注釈書を編纂しました。

アヴェロエスはギリシア哲学の註釈の大家であり、アリストテレスの思想に対して『大註釈』『中註釈』『小註釈』という三冊の註釈書を書き上げました。アヴェロエスは仏陀(釈迦)の待機説法のように註釈をする相手によって『註釈の目的・表現・技巧』を変化させるべきだと考え、三冊の註釈書を書いたのですが、そのことを『哲学者は哲学者と語り、神学者は弟子に語り、説教師は大衆と語る』という風に語っています。

イブン・ルシュドがアリストテレス研究を始めた研究は、難解なアリストテレス哲学を理解することの出来ないカリフ(イスラム共同体の権威的な指導者)・ユースフの勧め(教授の願い)であったといいます。つまり、イスラム神学・医学・天文学・数学・法学など諸分野に精通した優秀なイブン・ルシュドの頭脳でアリストテレスを読み解いて、その分かりやすい解説をして欲しいという願望をカリフのユースフが持っていたということです。イブン・ルシュドもイブン・シーナと同じく、本職はイスラム王宮の宮廷医師でした。しかし、カリフは預言者ムハンマドの血統に連なるとされる権威的な代理人に過ぎないので、イブン・ルシュドの神の権威を否定するような哲学研究を、原理主義的なイスラム神学者(法学者)たちに認めさせることは出来ませんでした。

イブン・ルシュド(アヴェロエス)の最大の功績は、懐疑を本質とする『哲学』と信仰を本質とする『イスラム教』を巧妙な思索活動によって融合しようとしたことでしたが、遂に『天国・煉獄・地獄』という背後世界の存在を上手く哲学によって立証することは出来ませんでした。時間論の分野においては、キリスト教の教父・聖アウグスティヌスと同じように、全知全能の神は『時間的な前後関係』の影響を受けないとして、世界(宇宙)の誕生と神の永遠性との間にある矛盾を解決しました。

アヴェロエスは神による宇宙の誕生(創造)を否定しかねない『円環的な時間モデル』を想定していたので、仏教的な世界観とは相性が良くても終末論を持つ一神教(イスラム教)の世界観とは相性の悪い思想でした。しかし、この難問をアヴェロエスは『神と同時に宇宙が誕生し、その瞬間に時間が円環的な運動を始めたのだ』というロジックで乗り切りました。

霊魂論の分野においては、人間の知的活動と記憶内容は死後の世界にまでは持っていくことが出来ないとし、人間が霊魂となる彼岸では知的能力の優越性は虚しくも失われると説きました。世界に特定の始まりと終わりの地点はなく、ただ「唯一神の知性」のみが存在するというアヴェロエスの考え方を『知性単一説・世界永遠説』と呼びます。知性単一説と対立する、世界に特定の始まりと終わりの地点があるとするアヴィケンナの理論を『世界創造説・世界終末論』といい、これがイスラム教やキリスト教のスタンダードな思想でした。

アヴィケンナ(イブン・シーナ)とアヴェロエス(イブン・ルシュド)のアリストテレス解釈の最大の違いは、アヴィケンナがアラーの超越性を起点として哲学的思考を展開しているのに対し、アヴェロエスが哲学的な合理主義と論理的な必然性を中心にして思考し、その結果をアラーの超越性に半ば強引に結び付けようとしている点です。アリストテレスの形相(エイドス)と質量(ヒューレ)の解釈においても、アヴィケンナは神が質量に形相(本質)を吹き込んで創造行為を行うとしましたが、アヴェロエスは質量に初めから内在している形相を神が引き出すのが創造行為だとしました。

アヴェロエスは神の存在とは無関係に形相・質量の永遠性があると考えたのですが、この考えはイスラム教の『神が万物の創造主である』という教義に抵触する要素を持ちます。アヴェロエス主義とも呼ばれる知性単一説(世界永遠説)は、イスラム教の中心教義である『霊魂の不滅性・最後の審判・死後の世界(天国と地獄)』を否定する異端の結末を導きます。その結果、アヴェロエス(イブン・ルシュド)は敬虔なイスラム教法学者(ウラマー)の反発を招き、モロッコのマラケシュへと追放されました。諸学問に抜きん出た才能を見せたアヴェロエスでしたが、最期は異国の地で72歳で客死することになったのです。

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