レトリック(rhetoric)は『修辞学・修辞技法・弁論術・文彩(ぶんさい)』などと訳されるが、文章や話し言葉(スピーチ)を美しく飾り立てるための技術である。レトリックは相手に言いたいことを伝えたり説得したりするための効果的な言語表現・表現技法であり、聞き手や読み手の心を感動させて揺り動かすような作用も持っている。
現代ではレトリックというと『実質のない上辺だけの飾り立てた言葉』や『見え透いた嘘も含まれる美辞麗句』といったネガティブな意味合いがあることが多いが、元々は古代ギリシアにおける政治家や哲学者の目的的な『雄弁術(弁論術)』のテクニックであり、文法学,論理学(弁証術)と並ぶ重要な基礎教養科目であった。レトリックは演説の聞き手や文書の読み手を上手く説得して、自分の主張に賛同してもらうための表現技術なのである。
古代ギリシアにおける基礎教養科目としての『レトリケ(レトリック)』は、『1.発想(論点・主題を探し出すこと)』『2.配置(発想した論点を順序立てる)』『3.修辞(論点を効果的に表現する)』『4.記憶(口頭弁論の為の暗記術)』『5.発表(発声法・ジェスチャーなどの技術)』の部門に細分化され体系化されていた。
古代ギリシアの時代には、哲学者のソクラテスやプラトンはレトリックを表層的な言葉の技巧(もっともらしく人を言いくるめる言い回し)に過ぎないと批判した。ソクラテスは『産婆術』という対話法を用いて、レトリックの雄弁術・弁論術を教えて報酬を得ていた『ソフィスト(職業教師)』を執拗に論理的に反駁していたが、それはソフィスト(職業教師)がテクニックに優れているだけで真理を探究する姿勢を持っていなかったからである。
そのように、レトリックには『本質・真理から遠い表面的な言い回し』あるいは『人を上手く言いくるめて説得するための言葉の飾り立て』といったネガティブなニュアンスが込められることも多い。だが、原義的にはソクラテス以前のソフィスト(職業教師)が博覧強記の有能な知識人・教育者であったように、レトリックも元々は『言語を効果的かつ修辞的に使いこなすための高度な表現技術(一定以上の基本的な知識・教養がある人物である証)』だったのである。
レトリックの修辞学は、ヨーロッパ世界の歴史において2000年近くもの間、教養人や文学者、政治家(演説者)の基本教養として学ばれてきたのだが、近現代に入ってからは伝統的な表現技術・修辞学としての権威づけや専門性がなくなってきた。その結果、『効果的な言葉の言い回し』という良い意味だけでなく、『技巧的で表面的な飾り立てただけの言葉(真理・本質に触れていない言葉)の使い方』という悪い意味で用いられることが増えたのである。
『深い意味があるように聞こえるが、実はそれは単なるレトリックに過ぎない』というような言い方がなされるようになったわけだが、儒教の創始者の孔子も言葉を修辞的に飾り立てるレトリックの技巧や工夫を嫌って、多くを語らない寡黙さの中に誠実さ(真心)がこもりやすいとして『巧言令色、鮮なし仁(すくなしじん)』と述べている。
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