現代の未婚化晩婚化と“愛・自由”

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現代日本では20世紀末から一貫して『未婚化・晩婚化・少子化』のトレンドが続いていて、2010年代に入ってからは『草食系男子・若者の恋愛離れ・ルッキズム(見た目重視の価値観)』などによって更に男女が恋愛・性で結びつく機会が減ったり、個人間の魅力(パートナー選択)の格差が広がっているとされています。

2015年の国政調査では、50歳まで一度も結婚をしたことがない人の割合を示す『生涯未婚率』が男性で23.37%、女性で14.06%にまで急上昇して過去最高を更新している。男性の約4人に1人、女性の約7人に1人が生涯未婚の時代となっているが、このデータは現在50歳以上の男女に限ったものなので、(交際相手がいない人の割合さえ相当に高い)今の20~30代の若年層が50歳になる頃には更に『結婚離れ・生涯未婚率の上昇傾向』が進むと予測されています。

近代の日本人は1960~1970年代頃までは、男女共に90%以上の人が一度は30~40代までに結婚する『皆婚社会』を生きていましたが、なぜ1990年代頃からほぼ一貫して婚姻率が低下して出生率も低くなっているのでしょうか。その最大の理由は『みんなが結婚していた皆婚社会にある同調圧力(結婚しない人は異常だとする偏見や差別)』が低下したからであり、『非正規雇用率の上昇+男性の平均賃金下落(妻子を扶養できない男性の増加)』によって旧来の生活(人生設計)のため子供を産むためという結婚の動機づけが効きにくくなったからでしょう。

みんなが義務的・慣習的に結婚しなくなったからそこまで結婚に積極的でない人が妥協や無理をしてまで結婚しなくてもいいやと思うようになり、全体の婚姻率もそれに合わせて下がったという流れが想定されます。

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『晩婚化・未婚化・少子化』の大きな原因の一つは、『人間は一定の年齢で結婚・出産をするのが当たり前であり社会的義務でもある(一定の年齢までに結婚していない人には何か大きな欠陥・問題があるはず)』という近代社会にかつて共通していた価値観やライフサイクルが崩れてきたからで、『個人の自己決定で選択する結婚』のほうが主流になってきたからです。

国立社会保障・人口問題研究所が実施した『出生動向基本調査(独身者調査)』では、『いずれ結婚するつもり』と考えている未婚者(18~34歳)の割合は、男性86.3%、女性89.4%で多いのですが、未婚者(25~34歳)に結婚していない理由を尋ねると『適当な相手にめぐり会わない』『結婚資金が足りない』が上位になっています。

現実的には『いずれ結婚するつもりでもそのための積極的な相手探しや収入を増やすための努力をしているわけではないという人』『いずれ結婚したいと思っているが結婚相手に一切の妥協をするつもりがない(高望みしすぎて希望の条件を満たす相手がいないか自分を選んでもらえない)という人』がかなり含まれているので、9割近い『漠然とした結婚希望者』の全員が結婚するわけではありません。

未婚化の背景には『雇用の不安定化・非正規雇用の増加・男性の低所得化』があり、晩婚化の背景には『男女の高学歴化・職業キャリアを積むための期間・20~30代を自由に楽しみたいモラトリアム化』があるわけですが、それらと合わせて『遅くても30代半ばくらいまでにはとにかく(ある程度妥協してでも)適当な人を見つけて結婚しなければならないとする同調圧力・世間体・親の干渉』が弱まったことの影響がかなり大きいのです。

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近代の男女関係や結婚は『お見合い結婚』から『恋愛結婚』へと変化してきましたが、その恋愛結婚で大きな役割を果たしてきたのが、唯一の好きな異性とロマンティックなデートやコミュニケーションを楽しみながら相互理解を深め、やがて『永遠の愛』を誓って結婚するという『ロマンティックラブ・イデオロギー』でした。

しかし現代の日本では、皆婚時代に自分の人生や結婚の運命を納得するための自己受容的な役割を果たしていた『ロマンティックラブ・イデオロギー』が機能しづらくなっていて、『心から本当に好きになれる人(色々な異性との比較でも特別に魅力的な人)』を探しすぎて恋愛も結婚もできない人が増えています。

昭和期までの結婚はお見合い結婚の比率も高くて、純粋な恋愛結婚はまだ少なく、男性の経済力による扶養と女性の家事・育児による奉仕の交換によって成り立つ『世間体を保てる生活+子供のいる人並みの人生設計のための結婚』が多かったので、ロマンティックラブ(ロマンティックな恋愛)の成り立つ魅力的な異性をあれこれ探して迷うという人は多くなかったのです。

そもそも30代までには90%以上の人が結婚してしまうという年齢制限の感覚の強い『皆婚社会』だったので、一定の年齢になると『選べる範囲(自分を好きになってくれる人)の中から自分に合った異性を選ぶしかないとする現実的な選択』をする人がほとんどでした。昭和期のロマンティックラブ・イデオロギーというのは多くの人にとって、自分のした結婚の選択をこれで良かったと納得するための思想であったり、映画・ドラマの中で取り交わされる特別に甘いロマンティックな恋愛を楽しむための思想であったりしたのですが、現代ではガチンコで『ロマンティックラブ』と『自分の恋愛・結婚』を一致させたいとする人が過去よりも増えています。

『本当に異性としてうっとりするほど好きな人(ずっと顔やスタイルを見ていたくなるような性的魅力の強い人)+結婚後の経済生活・出産育児を安心してできる経済力のある人+自分を好きになってくれて大切に愛してくれる人』を本気で求めようとすれば、過半の人にとっては高望みに近くなりなかなか相手を見つけることはできないし、自分が選んでもらえることも少なくなってしまうのです。現代の『婚活』でなかなか良い相手が見つからないという人の中には、『経済力・外見や容姿(性的魅力)・性格や価値観・コミュニケーション力や話題』などで、自分がこの人ならいいかもと納得できるラインが相対的に高くなりすぎている人がかなり含まれているのです。

『異性の選り好みによって好きな人が見つからない人(高望みして相手に自分が受け容れてもらえない人)』や『恋愛・結婚の後に相手のことを嫌いになったり自分が嫌われたりして別れる人(永遠の愛という幻想が現実の二人の関係の破綻によって機能しなくなること)』や『好きな人と恋愛・結婚をするために他のことをかなぐり捨ててでも必死に努力することができない人』が増えたことによって、男女間の『愛(ロマンティックラブ・イデオロギー)』の影響力はかなり落ちてしまったとも言えます。

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男女間の“愛(ロマンティックラブ・イデオロギー)”が現代日本で信じられにくくなり衰退した要因はいくつか上げることができます。一つの要因としては、人間・恋愛・結婚が“自由”になったために、愛される人と愛されない人の格差が開いたことやパートナーを裏切る不倫・離婚(別離)も増えたことによって、『愛の実利性・交換性・選択性・可変性』が露骨に見えやすくなったことがあるでしょう。

インターネットの普及によって、『(異性を否定的に見る)男女の本音・(上手くいっていない人の)結婚の現実』が多く語られるようになり、ロマンティックラブが理想とする『永遠の愛・無償の愛』が大多数の人にとって幻想に近いものであるように感じられ始めたこともあります。

人の気持ちは変わりやすく浮気・不倫・離婚も増えたことで『永遠の愛』を懐疑する人が増えたというのもありますが、自分自身が義務や惰性、諦観ではなく積極的に『永遠の愛』を実践すること(他の異性や活動に心を奪われずに一人だけと終身添い遂げていくこと)が難しいと考える機会も多くなっています。『無償の愛』に至っては厳密に一切の見返りを求めずに、相手のために何もかも捨てて尽くすような愛の実践を嘘偽りなく出来る人はかなり希少な素晴らしい人だと言えるでしょう。

皆婚時代が終わって結婚がしてもしなくても良いものになったことも『自由化』ですが、恋愛も結婚も自由化したことによって、男女がお互いにより魅力的な異性を選り好みする『自由市場原理(男女の需給原理)』が働きやすくなり、男女それぞれが自分よりも少し魅力の勝る異性を求めることで『ミスマッチ(好みの相手からは選ばれない)・結婚市場からの離脱者(努力しても望むような結果がでないから恋愛や結婚の市場から離脱する人)』が増えているのです。

ミスマッチや自己評価の低下を生む要因として、男女双方の平均所得の低下や非正規雇用率の増加もありますが、経済的条件が悪化することによる恋愛・結婚への悪影響は一般に女性よりも男性のほうが大きくなります。共働きの世帯が増えて男女同権が進んだとは言え、やはり男性に『家計を支える主な働き手(平均所得前後を稼ぐ正規雇用者)』としての役割を期待する女性は今でも多いし、そういった雇用が安定していて収入が相対的に高い男性のほうが結婚市場では圧倒的に需要・人気があるという現実は否定できないものでもあります。

現代社会では『愛』『自由』はトレードオフの関係になりやすく、『結婚』『自由』もまた両方を選ぶことはまずできないという意味でバーターになりやすいと言えます。人間の人生設計・行動選択・精神状態・恋愛市場(結婚市場)が『自由』になればなるほど、唯一の愛する人を選んで他のすべての選択肢を捨てて永遠に続く無償の『愛』を誓って実践するハードルは高くなっていきます。しかし、『愛』と『自由』がトレードオフになりやすく生涯未婚率も上がっている現代であればこそ、『現代の愛(自己愛の否定・妥協なき異性選択)』を実践・実感できる人はより幸せであるという見方もできると思います。

ソクラテスは悪妻クサンチッペと結婚していたことで有名ですが、『良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる』という言葉を残しています。しかし哲学者というのは概ね、自分の考えたいことや明らかにしたいことを死ぬまで考え続けたいという『自由』を重視する人たちなので、『愛』に十分な時間・労力のリソースを割くことができず生涯未婚で子供を持たなかった人も多くなっています。

結婚していない複数の女性を妊娠させて、女性も子供も捨てたジャン・ジャック・ルソーのようなかなり倫理的・人間的に問題のある好色な哲学者もいましたが、ルソーのような放蕩無頼な女性関係があった哲学者は過去にいなかったわけではないとしても少数派でしょう。ルネ・デカルトやインマヌエル・カントといった近代哲学の大家も生涯独身であり、人間固有の存在形式や生きる意味を探究した実存主義の哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェ、セーレン・キルケゴールも結婚しないままその生涯を終えています。

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