マルティン・ルターとジャン・カルヴァンの宗教改革(プロテスタンティズム)

信仰義認と聖書中心を掲げたマルティン・ルターの宗教改革
予定説の宗教改革を推進したジャン・カルヴァン

信仰義認と聖書中心を掲げたマルティン・ルターの宗教改革

『地上における神の代理人』であったローマ教皇と『神の住まう場所』であったヨーロッパ各地の教会は、中世における精神的権威であると同時に、広大なローマ教皇領や教会の領地を所有する大土地所有者でした。ローマ教会を頂点とする聖職者階級は、広大な領地から主に現物収入で得られる10分の1税など既得権益を持っていました。しかし、都市部の商工業者からの莫大な納税や献金を受けられる王権が拡張してくると、経済基盤の弱い教会の神聖権威は、常備軍と経済力を持つ国王の世俗権力に圧迫されるようになります。

聖職者の任免権は皇帝(国王)と教皇(法王)のどちらにあるのかを巡って争われた聖職叙任権闘争では、神聖ローマ帝国皇帝のハインリヒ4世がローマ教皇のグレゴリウス7世の破門に屈しました。ハインリヒ4世は、真冬の雪が降り注ぐカノッサ城の門前で3日間、教皇グレゴリウス7世に破門を解除してくれるように許しを請い続けたので、王権が教会権威に屈服したこの事件をカノッサの屈辱(1077)と言います。しかし、カノッサの屈辱後にハインリヒ4世が大軍勢を率いてローマ教皇庁を包囲したように、圧倒的な軍事力と経済基盤(経済界の税源)を持つ国王は、次第に精神的権威である教会勢力(聖職者階級)を圧倒していきます。キリスト教会の権威が世俗権力である国王に屈服した事例としては、南フランスのアビニョンにローマ・カトリックの教皇クレメンス5世が移された『アビニョン捕囚(1309-77)』の事件があります。

貨幣経済が浸透してきた中世ヨーロッパでは、ローマ・カトリックを頂点とするキリスト教会と世俗権力を代表する国王や経済階級である商工業者との利害対立が強まってきました。キリスト教会は、貨幣経済で優位に立つ為のお金を集める必要性が高まってきたことや聖職者階級の道徳意識が低下したこともあり、ローマ教会(西方教会)設立以来の伝統である禁欲・節制・従順を徳とする敬虔な信仰が弱まってきました。

キリスト教会の腐敗としては、司教や司祭などの聖職者の地位をお金で売り飛ばしてしまう売官やキリスト教で禁止されている高利貸し(金融業者)を営む者が見られるようになりました。また、キリスト教会の精神的堕落を象徴するものとして、妻帯を禁じられているローマ法王や司教が子供を作ったり愛人を囲ったりする様子が見られるようになり、マルティン・ルターの宗教改革の大きな原因となった贖宥状(免罪符)の販売が14世紀頃から行われるようになりました。

一般的に免罪符として知られる贖宥状(indulgence)とは、貨幣(お金)を支払って教会が発行する贖宥状を買えば、現世の悪徳や罪業が全て許されて天国に行けるというもので、イエス・キリストが布教したキリスト教本来の教義に違背するものでした。マルコ福音書やルカ福音書に「富んでいる者が神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっとやさしい」という有名な文句があるように、キリスト教は元々お金を遠ざける禁欲的な道徳を説き、金銭欲に突き動かされる貪欲を悪しき行為として断罪していました。しかし、貨幣経済がヨーロッパ諸国に浸透して、貨幣の所有が現実的な権力(権威)につながるようになり、貨幣がなくては何も欲しいものを手に入れられない時代になってきました。

「襤褸(ぼろ)は着てても心は錦」というのが本来のキリスト教の目指すべき姿であり、裸同然で十字架刑に処せられたイエス・キリストも、人間が直視すべき脆弱で哀れな人間の本性を象徴しています。とはいえ、現実問題としてローマ・カトリックの総本山であるローマ教会の建築を荘厳さを感じられない安物の建物にすれば、キリスト教の権威性は軽んじられる恐れがありますし、カトリックの高位の僧侶(教皇・司教・司祭)がボロボロな衣服を纏っていては幾らありがたい説教をしても庶民から侮られる可能性があります。

キリスト教でもイスラム教でも仏教でも、宗教界のヒエラルキーが固定してくると、(例外の禁欲原則を墨守する宗教宗派もありますが)上位の僧侶ほど豪華で煌びやかな法衣をまとう傾向があり、俗世的欲求を戒める宗教も人間社会の本音と建前から完全に自由なわけではありません。原始仏教や戒律の厳しい小乗仏教では、戒律を破って酒や女、金の欲望に溺れて勝手気ままに僧侶をするものを、生臭坊主や破戒僧といいますがこういった生臭坊主は当然キリスト教会にもいました。世俗的欲求や経済的必要性の誘惑に打ち負かされた中世のキリスト教会は、贖宥状(免罪符)を販売して庶民にお手軽な天国行きの権利をばら撒きます。

種々様々な商品を手に入れたいという物欲、その為の莫大な貨幣が欲しいという金銭欲、美しい女性を抱きたいという性欲、壮麗な教会建築を築いて教会の勢力と権威を誇示する為にお金が必要という事情……キリスト教の聖典である『新約聖書』の記述(行為規範)に背いて、諸々の欲望に圧倒され始めたローマ・カトリック教会の堕落と腐敗を見て、憤激し改悛を迫ったのがキリスト教の禁欲的な理想主義者マルティン・ルター(1483-1546)でした。しかし、生物としての本能である性欲を合法的に充足させる『結婚・妻帯』については後年に至って考えを改め、聖書には聖職者の結婚・妻帯を禁止する明確な規定がないので、聖職者(牧師)も特定の女性と結婚しても良いと考えるに至りました。ルター自身も42歳の時に25歳のカタリーナ・フォン・ボラと結婚して、三男三女6人の子供を設けています。

『新約聖書』の教義に準拠した正統なキリスト教信仰を取り戻そうとする神学者マルティン・ルターは、ドイツに生まれてエルフルトの聖アウグスティヌス修道会で信仰と研究の日々を送り、敬虔なキリスト教徒となります。中世ヨーロッパでは、敬虔なキリスト教徒で正式な大学教育を受けた人たちが当時の知識人階級を構成しており、学識の深い知識人の多くは何らかの形でキリスト教神学の影響を受けていました。ルターは、エルフルト大学からヴィッテンベルク大学に研究と信仰の場を移しますが、そこで自らの信仰上の苦悩を自覚します。ヴィッテンベルク大学では哲学と神学を受け持つ教授職を務めましたが、幾ら禁欲的な生活を実践して人並み以上の善行を積むように努力しても、『自分は救われないのではないか』という強迫的な信仰の不安を払拭することが出来ませんでした。

どんなに自分の欲望を抑制して正しい行為をしても、どんなに宗教上の罪悪を犯さずに善行に努めても罪深き人間は救われないというルターの深刻な不安は強まっていきましたが、突如、ルターに信仰の在り方を急展開させる天啓が降り注ぎます。イエスが教導するキリスト教を弾圧する為に、シリア属州のダマスカスに赴こうとしていたローマ人の聖パウロは、突然、脳裏を直撃する圧倒的な超越体験をしてキリスト教に改宗します。これを『パウロの回心』と言いますが、パウロは熱心で敬虔なキリスト教徒となり『新約聖書』の幾つかの章を著述するまでになります。

パウロは『ローマ人への手紙(ローマの信徒への手紙)』の中で『神の義』の思想を書きますが、ルターはパウロのこの『神の義』から着想を得てプロテスタンティズム(新教)の原型を構築します。人間は『善行(努力)』によって救われるのではなく、ただ全知全能の神の義(正しさ)を信じ抜く『敬虔な信仰』のみによって救われるのだという信仰義認説に辿り着きます。これは、『主体性のある能動的な信仰』から『主体性を捨てた受動的な信仰』へのキリスト教のコペルニクス的な転回でした。

つまり、カトリックの時代には、世俗的な欲望を自制して他人を助ける善行と協働に努力すれば、神に認められて天国に行くことが出来るという教義解釈が一般的でしたが、この立場に立つと、人間の主体的な努力(善行)で神の義の判定が決定されることになり、全知全能の神の意志を勝手に推測してしまうことになります。カトリックの能動的な信仰を認めてしまえば、無力で憐れな子羊である人間風情が、自分の天国行きの未来を決定できる事になり、神の義(正しさ)の基準を人間が推断してしまう事を意味します。ルターは、こういったカトリック的な人間の主体性を捨てない信仰の在り方は間違いであるとし、人間は天国に行くことを目的として禁欲や善行に努力しても救われないと言います。

人間が義であるか義でないかを決めるのは飽くまでも全知全能で完全な善を体現している神であって人間ではない、人間には神の恩恵と救済を信じてひたすら祈るしか方法はないとルターは主張します。そして、『人間はただ信仰によってのみ義となる』という信仰義認説の教理へと到達しました。プロテスタンティズムのルーテル教会(ルター派)を創設した宗教改革者ルターの信仰の基盤は、神の義を徹底的に信じる『信仰義認説』と聖書の記述にある規範と典礼を忠実に守る『聖書中心主義』にあります。ルターはキリスト教を信仰する本質は『信仰のみ・聖書のみ・神の恵みのみ』であり、ローマ教皇を頂点とするローマ・カトリック教会の権威や聖性を信仰することは、必ずしもキリスト教の本質ではないと考えました。ローマ・カトリック教会の宗教的権威を否定し、キリスト教の聖典である聖書に従って敬虔な信仰を行う者全員を司祭とするという考え方をプロテスタントの『万人司祭主義』といいます。

ルターの信仰義認説の立場からすると、『お金さえ支払えば天国に行ける』というローマ・カトリックの高位聖職者が発行した贖宥状(免罪符)は、キリスト教の信仰の本質を愚弄する教会の堕落・腐敗以外の何者でもなかったわけです。また、免罪符には、金銭欲のあからさまな充足という問題以外にも、『教会に金銭を寄付する善行(功徳)』という主体的な努力によって天国に行けるという信仰上の誤謬があるとルターは考えました。『煉獄の霊魂の原罪』が、教会に寄付するお金のちゃりんという音で帳消しになるというような教義解釈の逸脱と贖宥行為の濫用は許されないと考えたのです。神聖ローマ帝国ではマインツの大司教アルブレヒトが二つの大司教位を金で買い取る為に免罪符を販売していましたが、1517年には、カトリックの最高権威者であるローマ教皇レオ10世までもドイツ国内で免罪符を販売するようになります。

マルティン・ルターは、1517年にラテン語で書かれた『95ヵ条の論題』を公表しますが、その論題は純粋に神学的な問題として免罪符の問題を問いかけるものでした。マインツ大司教の免罪符発行に対する神学上の疑念と、ローマ教会の判断に対する教義解釈上の批判が込められた95ヶ条の論題が人々に知られ始めると、ローマ・カトリックは教会批判が高まるのを懸念し始めます。1518年のアウグスブルク総会では、教皇使節のトマス・カイェタヌス枢機卿が、免罪符発行への神学的な疑義と批判を撤回するようルターに求めますが、聖書中心主義者のルターは聖書に明文化された教義規定がない限り、自らの信仰を捻じ曲げることは出来ないと拒否して公会議での裁定を求めました。

ルターはローマ・カトリックや神聖ローマ帝国からの迫害の危機に直面しましたが、ルターの敬虔な信仰の態度と教義解釈に共鳴したザクセン選帝侯のフリードリヒがルターをヴァルトブルク城で庇護しました。神聖ローマ帝国皇帝を選出する選挙権を持つ7人の選帝侯は、帝国国内において強い軍事力と権力を持っていたので、皇帝も教皇も迂闊に手を出すことが出来なかったのです。結局、ルターは1519年のヨハン・エックとのライプチヒ神学論争を経て、1521年にローマ教会から破門を宣告されましたが、ルターがラテン語訳聖書から翻訳したドイツ語訳聖書はヨーロッパ各地へと普及して、ルターの創始したプロテスタンティズムを信仰するプロテスタント(新教徒)の数が急速に増加しました。

予定説の宗教改革を推進したジャン・カルヴァン

16世紀には、ローマ教皇を頂点とするローマ・カトリック教会は爛熟と腐敗を極めており、カトリックの聖職者の信仰や説教は、聖書に記述された教義や典礼から大きく逸脱していました。ルターに始まる宗教改革とは、このローマ・カトリックの教えとキリスト教本来の信仰との間にある溝を埋めようとする改革であって、言い換えれば、キリスト教原理主義(キリスト教根本主義)への回帰なのです。

原点回帰であるプロテスタンティズムは、マルティン・ルターのドイツ語訳聖書によって急速にヨーロッパ各地に布教されていくのですが、それは、当時の聖書の大部分がギリシア語かラテン語で書かれていて教養学識のない一般庶民には聖書を読むことが出来なかったからです。ローマ・カトリックの堕落の象徴としてプロテスタントに批判された免罪符(贖宥状)とサクラメント(秘蹟)は、聖書を読んで神の恵みをひたすら祈るという敬虔な信仰義認に取って代わられますが、プロテスタンティズムの信仰の基本は、全知全能の完全な超越者である神に徹底的に跪き祈ることにあります。

フランスに生まれたジャン・カルヴァン(Jean Calvin 1509-1564)は、聖書の記述に忠実な神学者であり、スイスのジュネーブでラディカルな宗教改革を先導した人物です。『禁欲・勤勉・神への隷属・聖書中心主義』を特徴とするカルヴァニズムは、ルターの信仰義認の思想をより先鋭化させたものとして知られます。筋金入りのプロテスタントであるカルヴァンは、全能の神の前における人間の徹底的な無力さを強調して、神の救済を得る為に人間は神に完全に隷属しなければならないと説きます。カルヴァンは、1536年にバーゼルで『キリスト教綱要』を発行して、自身の聖書解釈やキリスト教理解のエッセンスをまとめました。

ジュネーブに滞在したジャン・カルヴァンは、キリスト教根本主義に根ざした強力な教会改革を推し進めて、既存の政治権力を脅かそうとした為、一旦は、同志であったギョーム・ファレルと共にジュネーブを追放されます。しかし、1541年にジュネーブに舞い戻ったジャン・カルヴァンは、ジュネーブの封建領主を追放して政治権力を掌握します。ジュネーブで宗教的権威を背負った独裁者となったジャン・カルヴァンは、約30年に及ぶ神権政治(宗教政体)を確立します。ジャン・カルヴァンは、中世ジュネーブの世俗社会において、古代エジプトや古代インドで見られた現人神(神官)が政治を運営する神権政治(神聖政治)を復興させたのですが、カルヴァンの神権政治は禁欲的カルヴァニズムの教義や規則に逆らう者全てを、厳しく粛清するという恐怖政治でした。

カルヴァンは、市民の日常生活から贅沢や娯楽を排除して、質素倹約な生活を維持する徹底的な禁欲道徳を説いたので、ジュネーブの街からは華美な衣服や高価な嗜好品が姿を消し、享楽的な言動や退廃的な娯楽が厳しく規制されるようになりました。キリスト教の原理的な規範と教義によって、世俗社会の生活全般が規制されるというカルヴァンの神権政治は、現代から見るとカルト的(狂信的)な世界観に支配された恐怖政治に他なりませんが、中世ジュネーブの人々は死後に神の国に入る為に進んで、神への隷属と禁欲的な日常生活を受け容れました。

贅沢や娯楽を厳しく戒める一方で、カルヴァンは『職業活動に対する勤勉の精神』を称揚して、今、それぞれが従事して働いている職業は、神から必然的な業として与えられた『天職(calling)』であると説きました。私たちを支配する超越的な神が、私たちが従属すべき職業として選んだ天職なのだから、私たちは仕事に対して怠惰になったり不満を述べてはならない、勤勉な態度と気持ちで天職に従事することが神の御意志に叶うというわけです。ドイツの社会学者マックス・ヴェーバー(Max Weber, 1864-1920)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』によれば、このカルヴァンが説いたプロテスタンティズムの倫理は、『天職に対する勤勉の精神』を培い、『仕事で稼いだ貨幣の蓄積』を推進したので近代資本主義の精神の原動力へと転化されていきます。

天地万物の創造主であり、自然界を統御する物理法則を創り出したキリスト教の唯一神(絶対神)は、あらゆる存在や規則を超越しており何者にも影響されることがありません。その為、上記のルターの項目で説明したように、人間が主体性を捨てずに『能動的な善行・功徳』で神を信仰しても、神が『最後の審判』において、ある人間を天国行きにするか地獄行きにするかは分かりません。不完全で無力な人間は、完全無欠で全ての因果関係を制御できる神の意志決定に影響を与えることが出来ないのです。

古代のローマ帝国時代の教父であるアウグスティヌス(354-430)『自由意志論』の中で、無知なる人間には、全知全能なる神の善悪の判断基準を知ることは原理的に不可能であるとしました。アウグスティヌスは、主体的(能動的)に善行を為して悪行を避けることなどできない人間には自由意志がないと断じ、善悪の究極的判断は神の意志のみに基づくと考えました。

エデンの楽園にある『禁断の知恵の実』を食べてはいけないという神の命令に背いたアダムとイブは、楽園から追放され『死(有限性)の苦しみ』という罰を与えられます。この神の罰則はアダムとイブの子孫である人間にも継承され、人間は生まれながらに罪深い存在であるという『原罪』を背負わされることとなります。アダムとイブという祖先以来の原罪を背負っている人間は、必ず死すべき運命にありますが、その原罪から人間を救済して神の国(天国)に導けるのは神だけです。死後の何処かの時点で行われる『最後の審判』において、神が『汝は天国に行ってよい』と決定すれば人間は間違いなく天国に行くことが出来ますが、どんなに自分が正しいと思う禁欲的な人生を生きても神が『お前は地獄に行け』と決定すれば地獄に行く以外に選択肢はありません。

その意味で、人間の主体的な努力や能動的な善行の積み重ねでは、天国(神の国)に入ることは保障されないし、神が何が正しくて何が間違っていると判断するのかについて人間には窺い知ることが出来ないのです。人間が神の国に入ろうとして行う『主体的な善行(努力・禁欲・利他行為)』では、神の心をコントロールすることなど出来ないので、一般的な人間世界でいう善人(敬虔な信者)が必ず天国に行けるという保障はなく、極悪非道な悪人とされている人物が天国行きを決定される可能性もあるというのが、ジャン・カルヴァン予定説の前提です。

人知を遥かに超越した無限の能力を持つ神は、『最後の審判』を行う際に一人一人の人間の生前の行為を検証する必要などなく、既に人間がこの世に生まれる以前から、その人間の運命(救済)を予定しているはずだとカルヴァンは言います。聖書に登場する預言者や聖人の運命が神によって生前から決定されていたように、『人間が死後に救済されるのか否かは、全知全能の神の意志によって生まれる前から決定(予定)されている』というのがカルヴァニズム(カルヴァン主義)予定説です。『完全無欠な創造主である神』に対置される『無力な被造物としての人間』の絶望的なまでのコントラスト(対照)がカルヴァニズムの宗教改革の精髄なのです。

人間の『自由意志に基づく善行(努力)』を無意味化するカルヴァニズムの予定説ですが、予定説はパラドキシカル(逆説的)に人間のキリスト教の信仰心を強化する作用を持っていました。超越者である神が救済しようとする人間の判断基準(選考条件)は誰にも分かりませんが、少なくとも、キリスト教の信者であることや神の全知全能を肯定するカルヴァンの予定説を信じていることは必要条件として推測できます。神は全てを予定して事前に決定しているはずだから、『最後の審判で救われる予定に入れられている人間』は、全能の神をこの上なく尊敬し、キリスト教の聖書の教えを忠実に実践する敬虔で熱狂的な信者であるはずです。

カルヴァンの予定説は、神に運命を予定されて自由意志のない『被造物としての自己』を意識化させることに成功し、プロテスタントは『神が救済を予定している人間』になろうとして自己触媒的にキリスト教原理主義の信仰に没頭し熱狂していきました。森羅万象と自己の行為の全てに『神の導き(予定)』を感じ始めた人間は、自分が『神が天国行きを決定している人間』であることを信じようとして、聖書中心主義とキリスト教原理主義の信仰にますます熱中する循環サイクルに突入していきました。

ジャン・カルヴァンの宗教思想は、奢侈と華美を徹底的に排除した禁欲的な信仰生活を普及させ、絶えず勤勉に労働と信仰に励む模範的なプロテスタントを数多く生み出しました。勤勉と禁欲(貨幣の蓄積)、職業労働(天職)の肯定により構成されるカルヴァンのプロテスタンティズムは、社会科学者マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で精緻に解説されているように、絶対王政を打倒する近代資本主義をもたらすことになります。

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