霜の巨人ユミルとユグドラシルの世界構造

霜の巨人ユミルとオーディンにまつわる天地創造の神話

北欧神話では世界の始まりに、“ギンヌンガガップ”という広大な空虚(空っぽのがらんどう)が広がっていたとされる。北欧神話のギンヌンガガップはギリシア神話における『ケイオス(カオス,混沌)』のような位置づけにあり、太古の世界の始まりは何も存在しない『無限に近い空虚・混沌』で満たされていた。

太古の昔、無限に拡散しているギンヌンガガップ(空虚な広がり)の中に、霧がどこからか立ち込めてきて漂うようになり、大地に溝が刻まれて、北側に『霧の国ニヴルヘイム』、南側に『火の国ムスペルヘイム』が自然に作られていった。この原初の世界に最初に誕生した動物が、霜の巨人ユミル(アウルゲルミル)であり、巨人を動かした生命エネルギーはギンヌンガガップの底にある『命の泉フヴェルゲルミル』から湧き出していたものである。

命の泉フヴェルゲルミルからは無数の川が湧き出しており、火の国ムスペルヘイムの熱と霧の国ニヴルヘイムの寒気が交わる所でユミルは誕生したと伝えられている。ニヴルヘイムからの冷たい寒気が川を凍らせて、沢山の小さな氷片を作り出したが、その川の氷片の一つからユミルが自然に生み出された。もう一つの氷片の裂け目からは、最初の動物である雌牛アウズフムラが生み出された。

ユミルという名前はインド神話の『ヤマ(閻魔大王)』と同じ語源だと考えられているが、宗教学者・神話研究者のH.R.エリス・ディヴィッドソンはユミルには『混合物・両性具有』といった意味もあると述べている。

ユミルは雌牛アウズフムラの乳を飲んで成長を続け、大きな霜の巨人となった。ユミルの巨大な身体のあちこちから、巨人族や魔女、怪物が何体も生み出されていった。氷の塊を舐めて生きていた雌牛アウズフムラが『命の塩』を舐めてみると、雌牛はブーリという容姿端麗な男神へと変化した。ブーリは、北欧神話で誕生した最初の神である。美しい外観を持つ男神ブーリは、ボルという息子の男神を生んだ。男神ボルはユミルから生まれた霜の巨人ボルソルンの娘ベストラと結婚した。

男神ボルと女神ベストラの間には、オーディン、ヴィリ、ヴェーの三兄弟の神が生まれることになった。オーディンをはじめとする神々は、凶暴で残酷なユミルらの巨人族を憎んで対立を繰り返すようになった。オーディンたちの神々は、巨人の王であるユミルに戦争を仕掛けて、ユミルを殺害することに成功した。ユミルの巨大な身体からは大量の血液が津波のように流れ出て、轢き臼(ひきうす)に乗っていたベルゲルミルとその妻以外の巨人族はみんなユミルの大量の血で溺死してしまった。

オーディン、ヴィリ、ヴェーの三神はユミルの身体の各部や血液を用いて、『天地創造』の偉大な仕事を行ったという。ユミルの血液を用いて海・川を創り、巨大な身体を大地へと造り変え、骨を山として、歯と骨から無数の岩石を創り出した。ユミルの髪の毛から草花を創り、睫毛からはミッドガルドを囲いこむ防壁を建設し、その頭蓋骨を天空の枠組みとした。

天空の枠組みを、ノルズリ、スズリ、アウストリ、ヴェストリという神々に支えさせて、ユミルの脳髄から雲を湧き立たせ、ユミルの身体の腐肉に湧いた蛆虫を人型に嵌めてそれに知性を与え『妖精』にしたのである。大地の周囲を取り囲むようにユミルの頭蓋骨で天空を創り、火の国から飛び散る火の粉で星を創った。そして、オーディンらは宇宙の中心に、『ユグドラシル』と呼ばれる宇宙を貫くほどのトネリコの樹木を創造したのである。

北欧神話の世界を包摂する世界樹・宇宙樹のユグドラシル

ユグドラシルは、北欧神話に登場するオーディンが創造したとされる1本の巨大な架空の木であり、北欧神話の世界を包摂するほどの大きさを持っている。ユグドラシルは英語では“World tree”、日本語では“世界樹・宇宙樹”と呼ばれている。

リヒャルト・ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪(ニーベルンゲンの指環)』の『神々の黄昏・ワルキューレの岩』にも、永遠の叡智と交換で片目を失ったオーディンが、ユグドラシル(世界樹トネリコ)の枝を折って、その枝でグングニル(神の魔法槍)の柄を作るというエピソードが出てくる。

ユグドラシルは『天上・地上・地下』の三層に分かれていて、その三層の世界にそれぞれ3つの国があるのだという。“神々・巨人・妖精・人間”が住んでいる北欧神話の物語は、ユグドラシルにある『合計9つの世界』で展開されており、多くの戦争が繰り返された後にラグナロク(最終戦争)で崩壊してしまうことになると予言されている。

天上の層にある3つの国……アースガルド(オーディンを主神とするアース神族が暮らす国)・ヴァナヘイム(ヴァン神族が暮らす国)・アールヴヘイム(光の妖精が暮らす国)

地上の層にある4つの国……ミッドガルド(人間界)・ヨツンヘイム(巨人族の国)・スヴァルトアールヴァヘイム(黒妖精のいる小人の国)・ムスペルヘイム(遠い場所にある火の国)

地下の層にある2つの国……ニヴルヘイム(霧の国)・ヘル(死者の国)

ユグドラシルの名前の由来は“Ygg's horse”(恐るべき者の馬・オーディンの馬)であり、“Ygg”は主神オーディンの複数ある異名の一つとされている。ユグドラシルの幹は三つの根に支えられていて、それぞれの根の下には『ヘルヘイム・霜の巨人・人間』が住んでいるのだという。アースガルドへ向かう根の下には神聖なウルズの泉があり、霜の巨人の国(ニヴルヘイム)へと向かう根の下にはミーミルの泉がある。ユグドラシルの根は、蛇のニーズヘッグが齧っている。

ユグドラシルに棲む栗鼠ラタトスクは、それぞれの世界に情報を伝えるメッセンジャーとしての役割を果たしている。木の頂点には一羽の鷲フレースヴェルグと一羽の鷹ヴェズルフェルニルが止まって、下界を見下ろしているという。ダーインとドヴァリン、ドゥネイル、ドゥラスロールという巨木の樹皮を食べている牡鹿もいる。

ギリシア神話の神々は永遠の生命と栄光に包まれた『不死の神』とされるが、オーディンを主神とする北欧神話の神々は常に巨人族との戦争に明け暮れており、神と巨人の戦いでは神の側が敗れて死ぬことも少なくない。いずれ到来する最終戦争『ラグナロク』では、全世界が焼き尽くされて大地が海中に沈没し、神々もまた滅亡する運命から逃れられないとされている。『古エッダ』などの北欧神話では実際のラグナロクがどんな戦争だったのかは記録されておらず、死滅した神々の子孫の中から新たな新世界の秩序と価値を再建する者が現れるという予言だけが与えられている。

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