天空神ウラノスは、ガイアとの間に生まれたキュクロプス(単眼巨人)やヘカトンケイル(百腕巨人)といった醜悪な容姿を持つ怪物を地底の奥深くにある地獄タルタロスに閉じ込めました。自分の産んだ可愛い子ども達を奪われた大地母神ガイアは、ウラノスに激しい怒りと怨恨を抱き、子のクロノスに『アダマスの鎌』という強力無比な鉱物で出来た鋸状の大鎌を与えてウラノスの打倒を依頼しました。農耕神であるクロノスは、大地母神ガイアを抱擁する為に天空から覆いかぶさろうとしていたウラノスの男根を、アダマスの鎌で切断し海へと投げ捨てます。
広大な海原を漂うウラノスの男根から白い泡がポコポコと出てきて、その泡の中から誕生したのが、目映いほどの美貌と魅力を持った美の女神アフロディーテ(アプロディテ)でした。アフロディーテは、他の神々を圧倒する絶対的な美しさを持っており、彼女が歩いたキプロス島の大地からは美しい花々が咲き誇り、鮮やかな緑色の若芽が芽吹いてきたといいます。美の女神アフロディーテは、超越的な美の力によって神々を魅惑する力を持っているだけでなく、草花や木々の生命力を活性化させるという特殊な能力も持っていました。アフロディーテは、西風の神ゼピュロスが運んでくれたキプロス島を本拠地として活躍しますが、後年になると、世界の最初期に誕生したと言われるエロスがアフロディーテの息子のように取り扱われることがあります。アフロディーテのキプロス島での優雅な生活を支えて、彼女の身辺の世話や雑用の仕事をこなしたのは、アフロディーテの圧倒的な美の輝きに心酔した季節の女神ホラたちでした。
父親の天空神ウラノスの男根を切り取って世界の支配権を得た農耕神クロノスも、ウラノスとガイアから『汝自身も、妻のレイアから生まれる自らの子に取って代わられるであろう』という不吉な予言を受けていました。ギリシア神話に共通するモチーフが、この『原父殺害と権力交代の因果の繰り返し』であり、神々の支配者として君臨する者は、自分よりも優れた子によって王位を奪われる宿命にあるのです。
天空神ウラノスが農耕神クロノスに打ち倒されて王位を奪われたように、農耕神クロノスも自らの子である雷神ゼウスによって打倒され取って代わられることになります。クロノスは、自分の子どもから王座を簒奪されることがないように、レイアから生まれる子どもを全て飲み込んでいましたが、レイアがガイアの協力を受けてクレタ島で極秘裏に産んだゼウスによって王の地位を追われる事となります。
この時に、ティターン神族(クロノス軍)とオリンポス神族(ゼウス軍)の間で勃発した10年の長期にわたる総力戦が、『ティターン戦争(ティタノマキア)』であり、最終的にはキュクロプスやヘカトンケイルといった強力で聡明な怪物たちを味方につけたゼウス軍が勝利を得ます。一度に300個もの巨大な岩石を投げつけるヘカトンケイルの猛烈な攻撃によって、ティターン神族達は巨大な岩の下敷きとなり、地底の最奥部にある地獄タルタロスに閉じ込められます。ゼウスに味方して活躍したヘカトンケイルは、ティターン神族の再起を防ぐために、地獄のタルタロスにある牢獄の門番となります。
天空の統治権はゼウスに、大海の統治権はポセイドンに、冥界(死者が住む地底の国)の統治権はハデスに割り当てられることとなり、世界を、ゼウス・ポセイドン・ハデスの三人が三分割して支配することが決まりました。しかし、オリンポス12神の主神(大神)となり世界の支配者となったゼウスにも、『父を打ち倒して王座を奪った汝も、また自分の子によって取って代わられるであろう』という予言に対する根源的な恐怖がありました。ゼウスが初めに婚姻したのは、世界の全てを臨機応変に洞察する最高の知性を持つ智慧の女神メティスでしたが、メティスが女児を妊娠すると『不吉な予言の成就』を恐れたゼウスは、メティスとお腹の胎児を一緒に飲み込んでしまいました。
世界で最高の知性と判断力を持つ智慧の女神メティスを飲み込んだゼウスは、世界の本質と善悪を的確に判断できる最高の智慧を得ました。ギリシアの神々は不死ですから、ゼウスの腹の中で妊娠したメティスは生き続け、ゼウスに世界最高の智慧を与えると同時に、ゼウスの子どもも順調に成長し続けていました。ある日、突然、耐え難い激しい頭痛に見舞われたゼウスが、ヘパイストスの斧で頭を打ち割ると、ゼウスの頭の中から黄金の武器と防具で武装した女神アテナが飛び出てきました。
女神アテナは、母親である智慧の女神メティスの特性を受け継いでいたので『智慧と技術の女神』として賢明な頭脳を持ちますが、それと同時に、黄金に輝く武具に象徴されるように、人間に勇気を与えて戦争の勝利を支援する『戦い(戦争)と武勇の女神』でもあります。ゼウスは自分自身の頭部から産まれたアテナに温かい父親としての愛情を注ぎ、決して自らを裏切らないアテナの忠誠に対しては最も強い信頼を感じていたといいます。女神アテナは、『智慧・戦争・武勇・技術の女神』であり、古代ギリシア最大の都市アテナイの守護女神としても知られています。
雷神ゼウスは、メティスの後に掟の女神テミスとの間に、季節の女神ホラたちを作りますが、このホラたちは前述した美の女神アフロディーテの侍女として仕えた神々でもあります。ホラは季節の推移と人間世界の秩序・正義を司る女神たちであり、エウノミア(秩序の神)、ディケ(正義の神)、エイレネ(平和の神)の三人の姉妹がいます。ゼウスと掟の女神テミスの間には、有限の人間の運命を決定する『運命の女神たち』が子どもとして生まれます。運命の女神はモイラと呼ばれ、モイラはホラと同じ三人姉妹で、クロト(紡ぐ者)、ラケシス(分ける者)、アトロポス(曲げられぬ者)の三人がいます。
古代ギリシアの神々は、人間的な喜怒哀楽の感情が豊かであり、異性を奪い合う際には激しい嫉妬や憎悪をぶつけ合い、自分を侮辱したり軽視する人間には情け容赦のない処罰を下します。その意味で、ギリシア神話に登場する神々の振る舞いは、無私無欲の高潔な人格や公正な正義の実現とは縁遠く、実に人間的な感情や個人的な欲望に突き動かされて自らの行動を選択しています。ギリシアの神々は、時には、自分の気分が優れなかったり、恋愛が思い通りに行かずに虫の居所が悪いといった理由だけで、人間に理不尽な試練を課したり無慈悲な罰則を与えたりもするのです。自由奔放で善悪に縛られず行動を予測できないギリシア神話の神々は、人間に恩恵や繁栄を与える『感謝すべき慈悲深い神』の側面を持つ一方で、人間に災厄と恐怖をもたらす『畏怖すべき荒ぶる神』の側面を持っています。
キリスト教やイスラム教といった一神教の神や宗教教義には、絶対的な善悪の区別を提示する『倫理規範』『正義の基準』の要因が込められていますが、ギリシア神話の神々の行動や判断では、『客観的な正義』は目的とされておらず『模範的な倫理』も意識されていません。客観的な立場から公正な判断を下す神や弱者である人間に救済や支援を与える神といった『一般的な神のイメージ』が通用しないエピソードがギリシア神話には数多くありますが、それらに共通するのは『神の機嫌や嫉妬によって人間に理不尽な罰が与えられる』ということでしょう。
一神教の神とギリシア神話の神々を比較した場合に共通する特徴も、『神を崇敬しない傲慢不遜な人間に対する憤懣・怒り』であり『自分以外の神を崇拝する人間に対する嫉妬感情』です。そして、女神アテナにまつわる天才機織り少女アラクネの逸話も、神を尊敬しないために罰を与えられた物語の一つになります。小アジアのリュディアという海岸地域の町コロポンに住んでいたアラクネという少女は、染物師のイドモンを父親に持ち、機織りの才能に優れていました。
余人を寄せ付けない卓越した機織り(はたおり)の技術を持っていたアラクネは、毎日たくさんの美しい布を織り上げ、精細で複雑な刺繍を布に施しました。アラクネの周囲にいる人たちは、アラクネの人間離れした超人的な機織りの技術を尊敬して、『アラクネは技術の神であるアテナ様から、直々に機織りの技術を教わったのではないのだろうか』と口々に噂をし始めました。しかし、自分の織物や刺繍に絶対的な自信と誇りを持っていたアラクネは、自分の機織りの腕前がアテナ様から教わったものであるという人々の噂が気に入りませんでした。何故なら、アラクネは、常々、『織物の技術に関しては、自分は女神アテナよりも上である』と慢心しており、アテナと競争しても自分のほうが優れている自信があったからです。
自信過剰になり神への敬意をおろそかにしてしまったアラクネは、『私の機織りの技術は、私の才能と努力によって身に着けたもので、女神アテナ様から教えてもらったわけではない。私は、機織りの技術に限って言えば、女神アテナ様よりも上だから、実際に織物や刺繍の腕前をアテナ様と競い合ったとしても負けることなんて考えられないわ』と口を滑らせてしまいます。自尊心の強い技術と智慧の神アテナは、アラクネの自惚れに満ちた不遜な言葉を聴いて不愉快になりますが、まずは、アラクネ自身にその間違った考えと分不相応な慢心に気づいてもらおうとして、老婆に変身してアラクネの元へ向かいます。
老婆に身をやつしたアテネは、アラクネに『アラクネよ、技術の神であるアテナ様よりも優れた機織りの技術を持つなどという不敬な大言壮語をするものではない。今すぐに、その言葉を取り消して、人間としての立場をわきまえ、技術の神であるアテナ様に謝罪してお祈りをしなさい』と語り掛けました。しかし、アラクネは『私のほうがアテナ様より優れた織物と刺繍の技術を持っているのだから、発言を取り消す必要なんてありません。本当にアテナ様が私よりも優れた布や織物を作れると言うのであれば、ここに来て私と実際に勝負してみればいいんだわ』と返事を返し、自信満々の振る舞いをしてまったく悪びれる様子もありません。
業を煮やしたアテナは女神の姿へと戻り、アラクネとの技術の技比べに応じることにします。しかし、神の前でも怖気づくことのないアラクネは、やはり、織物と刺繍に関しては人間のレベルを超えた凄まじい技術力を持っており、アテナの織物の作品に勝るとも劣らない素晴らしい作品を次々と仕上げていきます。神に全く引けを取らない自分の断トツの技術力に酔いしれたアラクネは、調子に乗ってゼウスやオリンポスの神々の不倫現場などを題材にした色鮮やかな織物まで作り出す始末です。
アラクネと真剣勝負をしていたアテナは、神の威厳を地に落とし、神の行動を侮辱するアラクネの作品に激昂し、織機の道具である「杼(ひ)」でアラクネを激しく打ち付けて叱り付けます。アテナの激怒に恐れをなし、その強烈な罰を恐れたアラクネは自殺を図ろうとしますが、アテナは最後の慈悲を働かせてアラクネの姿を蜘蛛(クモ)へと変えてしまいました。
神にも匹敵する装飾的で創造的な『機織り技術』を持っていた天才少女アラクネは、神をも恐れぬ傲慢な態度を改めなかったために、技術の女神アテナの逆鱗に触れて、毎日毎日一生懸命に糸を紡いで巣作りという織物をする蜘蛛にその姿を変えられてしまったのです。古代ギリシア語では、そのエピソードから蜘蛛のことを『アラクネ』と呼んでいました。
智慧と戦争の女神アテナは、古代ギリシア世界で最大の都市国家(ポリス)であったアテナイの守護神として知られますが、この地位は海の神ポセイドンとの競争に勝って得たものです。アテナとポセイドンは、アテナイが位置するアッティカ地方の領有権を巡って争っていましたが、『どちらがアッティカ地方の人々に、より良い恩恵と繁栄を与える贈り物が出来るか?』という勝負を行って勝ったほうがアッティカ地方を領有することにしました。
アテナイの街の中心にあるアクロポリスの丘で競争は行われ、海の神ポセイドンは、三叉の鉾で大地を叩いて、人間の生存に必要な塩分(塩化ナトリウム)を含む泉を湧き出させました。人々は激しい戦闘や厳しい重労働の疲労を癒す塩を含んだ泉を歓迎しましたが、女神アテナは自慢の槍で地面を一突きして、ギリシア人の食生活に欠かすことが出来ないオリーブの実が大量に採れるオリーブの森を作りました。アッティカの住民達の判定は、日々の料理や宗教の儀式に必要なオリーブを与えてくれた女神アテナのほうを勝ちとするものでした。
智慧と女神アテナは、この時よりアッティカ地方を領有するようになり、彼女の名前にちなんでアッティカ地方の中心都市であるポリスは『アテナイ』と呼ばれるようになります。女神アテナは、一切の男性との関係を拒否する永遠の処女神であり、完全な純潔を保っていますが、アテナを祭るパルテノン神殿の『パルテノス』には純潔性や処女といった意味合いもあるようです。