精神分析における夢の仕事(顕在夢から潜在夢へ)

私達は、眠っている間に様々な内容を持った『夢』を見ます。夢は視覚的な映像として知覚される事が一般的に多いのですが、人によっては、嗅覚でにおいを感じたり、流れてくる音を聴いたり、人や物に触れるリアルな触覚を感じたりします。夢は、夢を見ている間には、それが現実の出来事であるか夢の出来事であるかを簡単に識別できない程にリアリティに富んでいるのですが、目覚めてしまえば儚く消えてしまうものなので、古来から『胡蝶の夢』、『一炊の夢』といった説話の主要な題材となってきました。

人間の脳は睡眠中も完全に活動を停止しているわけではなく、周期的に一定のリズム(約90分の間隔)で活動を続けています。睡眠には大きく分けて、『レム睡眠』『ノンレム睡眠』があります。夢を見る割合が多いのはレム睡眠だとされていますが、ノンレム睡眠の場合にも夢を見ていない訳ではありません。

レム睡眠のレムとは、『REM(rapid eye movement)即ち、高速眼球運動』という意味で、眠っている間に眼球が素早く小刻みに動いている現象を指します。レム睡眠の時には、眼球が夢の中の動く対象を追うように動き、脳が活動的になっている事が予測でき、反対にノンレム睡眠の時には、眼球運動が見られない為に、脳内活動は比較的抑制されて休んでいる状態にあるといえます。レム睡眠とノンレム睡眠の睡眠の質の違いについては諸説ありますが、一般にレム睡眠は脳内活動が活発で、身体が休息(熟睡)している状態であり、ノンレム睡眠は脳が熟睡(休息)して、身体が活動している状態とされます。

どちらがより深い睡眠状態なのかは、レム睡眠という概念を普及させたアメリカの心理学者W.C.デメントによれば、レム睡眠は『脳内活動が覚醒状態に近い』のでノンレム睡眠より浅い睡眠状態とされています。一方、フランスの心理学者M.ジュヴェによれば、レム睡眠は逆説睡眠と呼ばれて、脳内活動はしているものの、『身体の筋肉が弛緩してリラックスしている為』にノンレム睡眠よりも深い睡眠状態にあると主張しています。ちなみに何故、レム睡眠が“逆説”睡眠なのかと言えば、身体が休息しているのと反対に脳が活発に働いているからです。

さて、本格的な精神分析学の夢分析の話に入っていく前に、『荒唐無稽でいい加減な夢になんて特別の意味がある筈がないし、偶然の現象に過ぎない。』『まして、夢が人間の心の健康状態や悩みに関係しているなんて思うのは迷信の類だ。』『そもそも、私は夢なんて見ないから、内容の確認をする事が出来ない。』『夢を分析して心の病気や悩み・問題が解決するというのは、占いや宗教だ。』とおっしゃる極めて厳しい見識を持っている方にまずは『生理現象としての夢の生物学的な役割』を簡単にお話したいと思います。

初めに、夢を絶対に見ない人はいません。夢は動物のレム睡眠研究によって、人間固有の現象ではなく、哺乳類や鳥類などの恒温動物にも見られる現象だと言われています。レム睡眠は人間一般に共通してみられる睡眠形態ですので、夢も人間一般に共通して起こる現象と考えられます。仮に人が眠っている間中、監視モニターをしてレム睡眠の最中に起こしてみると、大部分の人が今見ていた夢を生き生きと表現豊かに説明する事が出来ます。

そして、夢の内容の詳細な分析やその効果は考慮しないとしても、夢は心理的な健康を維持する為には不可欠な生理的現象である事は幾つかの実験から明らかなように思われます。人間の睡眠中に、選択的にレム睡眠を妨害してレム睡眠を取れないようにすると、それに抵抗するかのように顕著にレム睡眠の出現頻度が加速度的に増加していきます。それでもなおレム睡眠を妨害すると、実験後にはリバウンドが起こり、レム睡眠の持続時間が極端に長くなるという変化が観察されました。人間の脳は、ノンレム睡眠だけでは十分な熟睡・休息が出来ず、夢を見やすいレム睡眠には脳の休養・心の安定回復に寄与する何らかの生理学的メカニズムが介在している事が推測出来ます。

ラットのような小型の哺乳類の睡眠実験では、選択的に一切のレム睡眠を妨害して与えないようにすると40日ほどで全て死んでしまったという結果もあり、夢とレム睡眠が生存に不可欠な条件とも言えそうです。

夢は遥か昔の古代から強い興味を向けられていて、夢の表面的内容(このような覚えている夢を顕在夢といいます)に秘められた真実の意味を解釈し了解する事で、国や王の未来を予測したり、神の啓示を受けたりする事が出来ると考えられていました。個人の経験や知識を超えた深遠な意味を夢に読み取ろうとした事が、フロイトの精神分析とは異なる所ですが、古代の人々が現実世界を超越したより壮大な時空とのつながりを夢に求めたのは、夢の不可思議さや豊かな創造性を示唆していると言えるでしょう。

私は、夢で未来を予見したり、神仏の言葉を聴いたりする事は出来ないと思いますが、夢をじっくりと解釈して、精緻に分析する事で自分が本当に希望している人生の道筋を洞察したり、現実世界の問題解決の為の手がかりや契機を夢から得たり、心理的な障害の原因となっている過去の出来事を究明したりする事は出来ると考えています。また、自分自身が見た夢をゆっくりと時間をかけて顧みながら味わうことそのものが、気分を落ち着かせて現在の自分の置かれている状況を冷静に見つめるきっかけを作り、不安定になった感情を浄化する作用をもたらすものだと思います。

『夢分析 or 夢解釈』は、深層心理学(精神分析学)の誕生に書いたように、自らの無意識的な心理内容に接近する非常に有効な方法で、フロイトは自らが見たイルマの注射の夢という有名な夢の分析を始点として夢分析の研究を進めていき、『夢は無意識への王道である』『夢解釈の方法と理論のような洞察は、一生に一度しか訪れない』といった言葉を残しています。

夢には、分析前の『顕在夢』と分析していく過程で明らかになっていく『潜在夢』とがあります。顕在夢とは夢の中で見たそのままの内容を指示していて、潜在夢とは顕在内容に加えられた検閲による歪曲を取り除いて明らかになる無意識的願望や感情の事です。夢分析とは、簡単に説明すれば、『置き換え・象徴化・圧縮といった検閲の為の夢の仕事』を解読して、顕在夢の内容から潜在思考を明らかにする事といえるでしょう。

何故、夢は加工されて無意識的願望や感情を分かりにくくするような検閲が科されるのでしょうか?それは、無意識的願望が自分の道徳観に反していて受け容れ難いものだったり、一般常識から乖離した反社会的な内容をもつものだったり、自分を不快にさせたり、不安にさせたりする願望もしくはあからさまで淫らな性的欲望などであった場合に、心理的な苦痛を受けない様にする為です。また、その不安で眠りを妨げられないようにする為という考え方もあります。つまり、自分自身の自我の安定や自尊心の保護のために夢は検閲にかけられ、実際の夢になる前に、その内容が適切かどうかチェックを受けているという事になります。

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夢の内容が複雑で理解し難かったり、全く自分と関係のない支離滅裂な内容だったりする場合には、幾つかの『夢の仕事(置き換え・象徴化・圧縮・視覚化など)』が機能していると考えられます。

置き換えというのは、例えば、誰かが失敗する内容でその人への敵対心を表していたり、怖い父親を猛獣として夢に見たりするような作用のことで、無意識的内容にある本来の事物を違う事物と置き換える事です。

圧縮というのは、複数の現象や事物、人物を一つの対象にコンパクトにまとめてしまう夢の作用の事です。例えば、夢の中に出てくる一人の女性の中に母親や恋人、友人など複数の人達が圧縮されている場合などがあります。一般的に膨大な意味内容を持つ夢は、非常に短くコンパクトな形に凝縮されている事が多いようです。

視覚化というのは、実際には目で見る事の出来ない願望や観念や感情を目で見る事の出来る形に加工する作用です。例えば、希望を光で、不安を黒雲で視覚化したりする事があります。象徴化(シンボル化)というのは、フロイトやユングが最も重視した夢の仕事といっていいでしょう。ユングの心理学は、また別の機会に説明するとして、ここではフロイトの夢分析理論に用いられる象徴化について述べたいと思います。

フロイトは、無意識的願望の中心に性的欲動(リビドー)を置いてエディプス・コンプレックスと密接に関連した汎性欲理論に立脚した立場から夢解釈を考えていたので、彼の夢解釈は性的解釈に偏重しているという印象があります。

フロイトの夢の定義は飽くまで『意識に受け入れられず無意識領域に抑圧され、排斥された願望充足の為の生理現象』というもので、その願望の中心には無意識領域に抑圧された満たされぬ性欲がありました。象徴化とは、夢に登場するある特定のモノ・現象が、特定の無意識的願望(潜在夢の内容)を象徴していて、対応関係にあるというものです。

例えば、フロイトが例示した男性のシンボルとして、以下のようなものがあります。

  1. 長く突き出たもの(傘・ステッキ・棒・ほうき・木など)
  2. 身体を傷つける刃物や武器(剣・メス・槍・拳銃・サーベル・ナイフなど)
  3. 液体が吹き出るもの(蛇口・噴水・じょうろ・水鉄砲など)
  4. 伸縮するもの(シャーペン・釣りざお・吊りランプ・特殊警棒など)
  5. その他(鉛筆・ペン・爪やすり・ハンマー・鍵・ネクタイ・山・岩など)

女性のシンボルとして、以下のようなものがあります。

空間や空洞があって、中に事物を入れる事が出来るものを基本として、『部屋、庇・ベランダのある家、くぼみ、溝、洞穴、管、ビン、箱、トランク、筒、ポケット、戸棚、かまど、靴、スリッパ』など。

性交のシンボルとして、以下のようなものがあります。

『ダンス、乗馬、登山、はしご、階段、空中浮遊、坂など動作のリズムやそれに伴って呼吸が激しくなるモノや行為』を挙げています。

以上の様にフロイトの考えたシンボルは、リビドー理論やエディプスコンプレックスと関連して『抑圧された性欲』が大部分を占めますが、私は現代社会においてフロイト流の夢分析をそのまま厳密に適用する必要性を感じませんし、汎性欲的(全てを性の欲動で考えようとする事)な夢解釈は間違っていると考えます。私は、リビドーを性的欲動に限定せずに、『生きるエネルギーの源泉』として捉え、夢を見た人が現在置かれている状況や抱いている苦悩を考慮し、同時に過去の記憶や経験を探求しながら、価値観・人生観・対人関係など複数の要素を分析して詳細に調べ、一つのまとまりある有意義な物語として統合的に構築するといった夢解釈を進めていくべきではないかと考えています。

夢に対する考え方だけを取り上げれば、自律的で創造的な可能性を広大な夢の世界に求めるユングにフロイトよりも親近感を感じます。あらゆる心的現象を、意識にのぼろうとする願望の力と、その願望を抑圧し排斥しておこうとする超自我の力との力動的葛藤として理解するフロイトを祖とする力動的心理学の有効性と限界を踏まえながら、相手の生きる力や問題解決力を巧みに引き出す建設的な夢分析を行っていく事が肝要です。

顕在夢の内容を要素に分解し、これらの各要素について自由連想を行い、顕在夢の要素に取って代わる代理的な観念を想起して、その観念の連鎖を無意識的心理内容へつなげていき、潜在夢を再構成するというのがフロイトの夢解釈の方法論であり、また精神分析の核心とも言える部分なのでしょう。それに対して、ユングは夢と普遍的無意識あるいは普遍的な象徴としての元型との関連を重視して、夢を全体的なイメージから創造性・可能性を拡大する方向性へと解釈しようとしました。ユングの夢分析については、また詳しく論じたいと思います。

最後に、夢を分析したいと思うならば、夢の内容が鮮明な間に忘れないようにメモをする習慣をつけて、夢の時間的変容の流れを追いながら、夢のイメージを豊かに味わう感覚を大切にして分析するのが良いと思います。地道に夢日記を書き溜めていくと、数年後には自分だけの無意識的内容の変遷を綴った独創的な精神の系譜が出来上がるかもしれませんね。本格的な夢分析を続けていきたい場合には、夢日記をつける自己分析に加えて、専門の心理療法家、分析家やカウンセラーの意見や解釈を受けて、対話しながら分析をする必要があるでしょう。

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