心理学に限らず、ある学問、ある分野、社会の中でのある出来事の歴史を学ぶと言う事には、歴史の読み解き方、歴史の記述の仕方、歴史の解釈といった様々な考えるべき問題があります。過ぎ去った過去の事を実際に目で見たり、耳で聞いたりする事は出来ませんから、歴史を学ぶという事は、客観的な事実を学ぶという事ではなく、過去に書かれた歴史書や文献、記録といった資料を元にして『幾つかの歴史的資料により、事実と認識されている出来事』を学ぶという事です。
やや懐疑的に見れば、歴史において正しいとされている事柄は、『現存する資料から導かれた現時点において正しいとされる事柄』だと言えるでしょう。それは、歴史的な出来事そのものの存否の不確実性も意味しますが、多くは、その歴史的な出来事を巡る背景や解釈が、後の研究によって変更されることが多いという事を意味しています。
特に歴史的な出来事の評価や後世に果たした役割・影響というものは、その時々の社会の価値観や時代風潮によって全く正反対の評価がなされることがありますし、伝統文化の衰退、国民の習慣や風俗の変化、生活様式の変遷によって大きな影響を受けることがよくあります。
心理学史の世界においても、20世紀半ばには、ボーリングという人の手による『実験心理学の歴史』という750ページを超える決定版的な心理学史の本がありました。その膨大な分量の大著『実験心理学の歴史』が書かれて暫くは、心理学史の分野で新たに研究して記述することはもうないと思われたものですが、この大著もあくまでボーリングという個人の目を通して記述された心理学の歴史の本ですから、歴史記述(historiography)の方法論の見地から批判が寄せられてきました。
心理学史は、ごく少数の心理学史研究者の手によって、客観的に完成させられるといった種類の学問分野ではないのです。幾人もの人々の深い知識とその解釈を集めて心理学の歴史を築き上げていき、その築き上げたもので問題のある部分を批判して修正し、さらに完成度の高い心理学史へと再構成していくといった作業の繰り返しが必要になってきます。いろいろな分野の歴史研究をする際には、幾つかの代表的なアプローチ方法があります。ここでは、ウッドワード(Woodward, 1980)のアプローチ方法の分類に沿って見ていきます。
歴史研究をする際に、どの時代を基準にして歴史を記述していくのかという事が極めて大切なこととなってきます。現在主義(presentism)というのは、歴史研究をする際に、自分が今生きている現在の時点を中心にして歴史を記述していこうとする立場です。
現在主義は、過去よりも現在のほうが先進的で文化水準が高いという進歩史観によって支えられていて、現在の価値観や知識の枠組みによって過去の出来事や事件を再解釈して評価し直していくという特徴があるので、その時代における価値や意味を見失ってしまう恐れがあります。また、現在の時代を築くのに貢献した歴史上の人物を意図的に高い評価をすることで、歴史記述が『勝者の歴史=偉人史観』へと偏ってしまうこともあります。
いろいろな問題点が現在主義にはありますが、それでも、やはり歴史を書く人物が今この時を生きている事を考えると、多かれ少なかれ『現代の価値観や知的枠組』は歴史記述に影響してしまいます。その事から、現在主義を完全に排除して歴史書を書く事は技術的に難しいのです。更に、現在の物事の見方を無視して歴史を書いても、誰にも理解されないという可能性があります。
現在主義と対立する歴史記述の立場に歴史主義(historicism)があります。これは、歴史的な出来事を、その時代の価値観や流れの中でありのままに見ていこうとする立場で、現在の時点から過去を解釈したり、判断することを出来るだけ排除しようとするものです。
さきほど上げたボーリングの『実験心理学の歴史』は、現在主義の立場で書かれたものです。『実験心理学の歴史』には、初版(1929年)と第2版(1950年)がありますが、第2版では『時代精神(Zeitgeist:独)』について触れられていて、現在主義からやや歴史主義の立場に変わったことが窺われます。
時代精神というのは、現在から過去を回顧した時には気付けないような、その時代特有の思考様式や価値観を作り上げている精神性の事です。現在の心理学史研究では、より公正で客観的な歴史を記述する為に、現在主義よりも歴史主義が重視される流れがあります。
歴史記述の立場には、『内部主義(internalism)』と『外部主義(externalism)』というものがあります。
内部主義によるアプローチというのは、その学問の分野の内部から理解しようとするもので、専門分野の研究は内部主義によるものが多いといえます。その学問の内部にある理論や学説、方法論、資料などを学習したり、調査したりすることによって研究を進めるのが内部主義です。心理学史の内部主義による研究の場合には、心理学という分野の理論や学説、データの変化や発展を追いながら調べていくというスタンスになります。一方、外部主義によるアプローチというのは、その学問分野を生み出すに至った『外部の出来事や影響力』を考えて、その外部の出来事や環境を中心にして学問の歴史を研究していくものです。
学問史に影響を与えるような外部の出来事・環境としては、『社会風潮、歴史的事件、著名な研究者の研究や発言、政治的影響、社会制度・社会体制の変革』などが考えられます。
科学史研究者として著名なクーン(Kuhn, 1977)は、内部主義的アプローチを『知識の科学としての実質に関心を寄せるもの』とし、外部主義的アプローチを『より大きな文化内部における社会集団としての科学者の活動に関心をもつもの』という風に捉えています。
内部主義的アプローチというのは、その学問分野の専門的研究者が採用する研究方法であるといえ、外部主義的アプローチというのは、歴史を記述する専門家である歴史学者が採用することの多い包括的で総合的な記述の方法であるといえます。
上述したボーリングは、心理学の教育を受けた心理学者ですから、その歴史記述のやり方は、内部主義的アプローチによっています。その為に、心理学内部の研究や議論、理論については非常に詳細な説明と評価がなされているのですが、心理学の外にある政治的動向や時代背景があまり考慮されていないという偏った面があります。
とはいえ、ある学問の歴史を記述する場合に、外部の政治的動向や社会制度の変更といった面からだけ外部主義的アプローチで記述すると、肝心かなめの学問内部の学説や理論を説明できないという欠点がでてきて、表層的で内容の乏しい歴史、年表で年号と事項が並べられただけのような感覚を受ける歴史になってしまう可能性があります。
以上のことから、心理学史を研究する場合には、内部主義と外部主義のどちらかだけに偏るのではなく、うまくバランスを取るようにしなければなりません。客観的でかつ心理学内部の情報も豊かな心理学史を書き上げるには、内部主義と外部主義の折衷的アプローチが要請されるのです。
歴史記述のアプローチの方法には、『量的研究(quantitative)』と『質的研究(qualitative)』という二つのアプローチもあります。学問史研究には、個々の事例を調査して、その関係性を考え、時系列で並べていくといった質的研究の趣がありますが、現在の学問史研究では、数値化できるデータを用いた統計的な量的研究も盛んに行われています。
心理学史の文献調査でも、世界中で何冊の心理学専門誌が発行されているのかという『量的研究』とどのような内容の専門誌なのかという『質的研究』の両方が考えられます。さきほどの内部主義と外部主義の場合と同じように、量的研究と質的研究もどちらか一方だけでは偏りが出てしまうので、相互補完的に必要に応じて使い分けていく必要があります。現在ではどんな学問分野でも統計的手法が重視される流れがあるので、その点にも注意が必要でしょう。
ここでは、心理学の歴史を学んだり、記述する際にどのようなアプローチの方法があるかを概観してみました。様々な学問の歴史を扱った本がありますが、そういった学問史の本を読む場合に、その本がどのような立場から書かれていて、著者がどのような意図や目的を持ってその本を書いたのかを考えながら読むと、更に幅広い視野を持って、理解を深める事が出来ると思います。