アメリカの心理学:精神哲学の時代

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アメリカの心理学以前―道徳哲学による人格の陶冶

19世紀後半までのアメリカでは、画一的な宗教的理念や道徳観の元で教育が行われ、アメリカ国内のハーヴァード大学やイェール大学といった名門大学でも、自由な発想や選択による科学的な学問は行われていませんでした。19世紀初頭までのアメリカの学問の中心は、常識学派というスコットランドの道徳的な哲学でした。

当時の大学教育において、学長が最上級生に対して特別講義を行う程に重要な科目とされていたのは、道徳哲学(moral philosophy)という科目でした。道徳哲学は精神哲学(mental philosophy)とも呼ばれ、諸学問(宗教学・政治経済学・倫理学・心理学・法学など)の内容を総合してあるべき人間像を示すといった倫理的な学問でした。

当時のアメリカで、倫理的な学問が重視されていたということは、より多くの知識を修得して自然界の仕組みを理解したり、社会・経済や個人の人生を豊かにするという事よりも、人格を練磨してより高い道徳性を身につけ、理想的な人物を養成する事に力が入れられていたということです。簡単に言えば、学識豊かな知識人よりも、正しい行いをして、悪い行いをしないような礼節ある人徳者が奨励されたのです。1860年代から1880年代にかけては、心理学と精神哲学の区別も明瞭でなく、心理学の著作であっても、精神哲学的な内容と重複しているものが数多くあったようです。

ヴントによって確立された実験心理学がアメリカにおいて『新心理学(new psychology)』と訳された背景には、こうした古典的な精神哲学と近代的な科学的心理学とを区別する必要があったからです。近代的な心理学は、勿論、ヨーロッパ・ドイツのヴントの実験心理学の到来によってアメリカにもたらされるわけです。

そして、ヴントの科学的な心理学確立の宣言でもある著作『生理学的心理学綱要』を読んで、非常に強い感銘を受けたのが、プラグマティズム(実用主義)の哲学でも有名なハーヴァード大学のウィリアム・ジェームズ(William James, 1842-1910)でした。ジェームズはヴントからの影響を受けて、1890年に代表作とされる『心理学原理』を12年という長い歳月をかけて書き上げました。ジェームズは、アメリカの近代的心理学の始祖ですが、1885年にハーヴァード大学の哲学教授に就任し、その4年後に心理学の教授となりました。

ハーヴァード大学には、ヴントがヘルムホルツの助手を辞めた理由を数学的能力の不足であったと書いて、ヴントを憤慨させたというエピソードを持つホールという心理学者もいて、アメリカで最初の“心理学博士号”を取得したとされます。しかし、当時はまだ心理学科が独立していなかったので、実質的な心理学博士号であって、公式に認められた心理学博士号ではないようです。

ホールは、1883年にジョンズ・ホプキンズ大学にアメリカ初の心理学実験室を設立しました。ホールは、ヴントに教えを受けた初めてのアメリカ人であると主張していましたが、実際にヴントから直々に教育を受けたというのではないみたいです。ヴントの下で、1886年に博士号を初めて取得したアメリカ人は、J.M.キャッテルという人で、1888年にはペンシルヴァニア大学に心理学実験室をつくりました。

1891年には、スクリプチャーがヴントの下で博士号を得て、アメリカの実験心理学の発展に貢献しました。1892年にヴントのところで学位を得たイギリス人であるティチナーも、アメリカに移住してコーネル大学に心理学実験室を開くなどして、アメリカの科学的心理学の開拓を進めました。

イェール大学の神学出身の心理学者ラッドは、ヴントの『生理学的心理学綱要』に強く影響を受けて、『生理学的心理学要説』を著しました。ラッドは、明治期に3度も来日するほどの親日家で、イェール大学に留学した日本の松本亦太郎に実験心理学を教授しました。アメリカの近代的心理学の成立の多くは、ウィリアム・ジェームズという哲学者兼心理学者の手によって成されましたが、その発展を支えたのは、大勢のヴントの実験心理学教室で学んだ弟子たちでした。

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