『論語 述而篇』の書き下し文と現代語訳:3

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孔子と孔子の高弟たちの言行・思想を集積して編纂した『論語』の述而篇の漢文(白文)と書き下し文を掲載して、簡単な解説(意訳や時代背景)を付け加えていきます。学校の国語の授業で漢文の勉強をしている人や孔子が創始した儒学(儒教)の思想的エッセンスを学びたいという人は、この『論語』の項目を参考にしながら儒学への理解と興味を深めていって下さい。『論語』の述而篇は、以下の3つのページによって解説されています。

[白文]20.子不語怪力乱神。

[書き下し文]子、怪・力・乱・神を語らず。

[口語訳]先生は、怪異・暴力・反乱・鬼神について語ることがなかった。

[解説]孔子の客観的な現実主義を象徴する部分として有名であるが、孔子は自身の言行において超自然的な神や超越的な不思議な力について詳しく語ることがなかったとされている。儒教は確かに祖先崇拝や天命思想、服喪、祭祀儀礼のように『宗教』としての側面を色濃く持っているが、通常の宗教と違って特別な神仏や教祖を崇拝することはない。儒教は、祭祀・葬儀・礼制がメインとなっている祖先崇拝の教えであるが、日本には『儒教の宗教的側面・儀礼的部分』が輸入されることはなく、封建主義体制や天皇主権(王政復古)を正当化する思想として用いられる部分が多かった。

[白文]21.子曰、三人行、必有我師焉、択其善者而従之、其不善者而改之。

[書き下し文]子曰く、三人行めば(あゆめば)、必ず我が師有り。その善き者を択びて而ち(すなわち)これに従い、その善からざる者は而ちこれを改む。

[口語訳]先生が言われた。『三人で連れ立って歩けば、必ず自分の師を見つけることができる。善い仲間を選んで、その善い行動を見習い、悪しき仲間を見れば、その悪い行動を改めるからである。』

[解説]自分自身が一番正しいとか優れているといった傲慢・自惚れに陥ることなく、人間は他者と一緒に行動する時には『他人を師と見る癖』をつけることが大切である。出会う人すべてが師であるという教えは決して揺らぐことはないと孔子はいう。何故ならば、正しくて善い行為をする他人と出会えば、その正しい行為を手本として真似すれば良い。そして、もし、他人を傷つけたり道を外れたりする悪い他人と出会えば、その悪い行為を反面教師として自分の行為を改めれば良いからである。

[白文]22.子曰、天生徳於予、桓魅其如予何。

[書き下し文]子曰く、天、徳を予(われ)に生せり(なせり)、桓魅(かんたい)それ予を如何(いかん)せん。

[口語訳]先生がおっしゃった。『天が徳を私に与えられた、(私を迫害しようとする)桓魅(かんたい)ごときが私をどうできるというのだろうか?』

[解説]宋の景公に寵愛されていた桓魅が衛へと亡命してきて、仁徳の道を説く孔子一門を迫害しようとしたという。その時に、孔子は何ら恐れることなく泰然自若とした態度で、上のような言葉を述べたのである。つまり、至高の天によって正しい徳を与えられた私に、悪徳を多く積み重ねている桓魅ごときが一体何ほどのことができるのかということであり、孔子の『自分が堂々と歩んできた人生』に対する自負心を感じさせる部分である。

[白文]23.子曰、二三子、以我為隠乎、吾無隠乎爾、吾無行而不与二三子者、是丘也。

[書き下し文]子曰く、二三子(にさんし)、我を以て隠せりと為すか。吾は爾(なんじ)に隠すことなきのみ。吾は行うところとして二三子と与(とも)にせざることなし、これ丘(きゅう)なり。

[口語訳]先生がいわれた。『お前達は、私が何か隠し事をしていると思っているのか?私はお前に隠さねばならぬことなどない。私は実際に行動することで、お前達と一緒にしないことなどはない。これが、私(丘)の生き方である。』

[解説]各種の礼や知識について精通している博識無限の孔子に対して、弟子たちは『まだ何か隠している特別の奥義があるのではないか?』と疑っていたが、孔子はその疑念を真っ向から否定して、自分は絶えず弟子に全てを教え彼らと共に歩んでいくと宣言したのである。

[白文]24.子以四教、文行忠信。

[書き下し文]子、四つを以て教う。文・行・忠・信。

[口語訳]先生は四つの重要なことを教えてくださった。それは、文・行・忠・信である。

[解説]孔子が門弟に教えた教育内容の骨子について触れた部分で、孔子は『学問・実践・忠義・まごころ』を重視していたのである。

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[白文]25.子曰、聖人吾不得而見之矣、得見君子者、斯可矣、子曰、善人吾不得而見之矣、得見有恒者、斯可矣、亡而為有、虚而為盈、約而為泰、難乎有恒矣。

[書き下し文]子曰く、聖人は吾得てこれを見ず、君子者(くんししゃ)を見るを得れば斯ち(すなわち)可なり。子曰く、善人は吾得てこれを見ず。恒ある者を見るを得れば斯ち可なり。亡くして(なくして)有りと為り、虚しくして盈つ(みつ)と為り、約しく(まずしく)して泰か(ゆたか)と為る。難いかな恒あること。

[口語訳]先生がいわれた。『私は聖人を目にする機会を得ることが出来なかった。君子のような人物に出会えれば、それでも十分である。』。先生がおっしゃった。『私は善人を目にする機会を得ることが出来なかった。恒心(変わらない心)を持っている人を見ることができれば、それでも十分である。無かったものが有るものとなり、空っぽだったものがいっぱいになり、貧しかったものが豊かになるのだから、人間が(慢心せずに)恒心(変わらない心)を持つというのはとても難しいことである。』

[解説]孔子は超越的な能力や完全無欠の資質を備えた『聖人』には会ったことがなかったし、完全な道徳性を修得した『善人』にも会ったことがなかった。しかし、歴史的にも稀にしか出現しない聖人や善人に会うということは滅多なことではないのだから、普通は、君子のような徳のある人物や心変わりをしない誠実な人物に出会えれば十分に素晴らしいことだと言えるのである。孔子が、『時間の経過や状況の変化によって変わらない誠実な心=恒心』を非常に重視していたことが窺われる。

[白文]26.子釣而不綱、弋不射宿。

[書き下し文]子、釣(つり)して綱(こう)せず、弋(よく)して宿を射ず。

[口語訳]先生は釣をなさったが、はえなわを仕掛けることはなかった。狩猟で弓矢を使って鳥を射ることはあったが、寝床の巣で休んでいる鳥を射ることはなかった。

[解説]孔子は当時の貴族の素養の一つであった狩猟(射的)を楽しみ、食糧を得るための釣りも行ったが、限度を越えた無慈悲な殺生や乱獲はしなかった。何事も常識的な範囲で適度に楽しむことが大切だと分かっていた孔子は、狩猟や魚釣りにおいても『中庸の徳』を守ったのであろう。

[白文]27.子曰、蓋有不知而作之者、我無是也、多聞択其善者而従之、多見而識之、知之次也。

[書き下し文]子曰く、蓋し(けだし)知らずしてこれを作る者あらん。我は是(これ)なきなり。多く聞き、その善きものを択びて(えらびて)これに従い、多く見、これを識す(しるす)は、知れるの次なり。

[口語訳]先生が言われた。『世の人の中には、自分が正確に知りもしないものを、自分勝手に創作するものがいるようだ。私はそのようなことはしない。私は多くの人の話を聞き、その中から善いものを選び出してそれを模範とする。更に、多くの書籍を読んで、その内容から善いものを選んでとりあえず記憶する。これを、正しい理解の前段階である。』

[解説]孔子は学問にしても政治にしても『基礎・基本・古典・伝統』を非常に重視した人物であり、基礎的な知識教養がないのに自分勝手に新たなやり方を創作することに批判的であった。古きを尋ねて新しきを知るという『温故知新(おんこちしん)』の四字熟語があるように、孔子は、まずは古典から基本的な知識を得て、他人からいろいろな教えを受けることが大切だという。そして、そういった基礎知識(基本教養)の上に、自分独自の理論や考えを打ち立てるべきだと考えていたのである。オーソドックスな学術研究の方法論、学び方の原理原則に触れた章句である。

[白文]28.互郷難与言、童子見、門人惑、子曰、与其進也、不与其退也、唯何甚、人潔己以進、与其潔也、不保其住也。

[書き下し文]互郷(ごきょう)、与(とも)に言い難し。童子見ゆ(まみゆ)。門人惑えり。子曰く、その進むに与(くみ)するなり、その退くに与せざるなり。唯(ただ)、何ぞ甚だしき、人、己を潔くして以て進む、その潔きに与するなり、その往(おう)を保せざるなり。

[口語訳]互郷の村人たちには、なかなかまともな話が通じなかった。その村の子どもが先生に会いにやってきた。門人は突然の来訪に戸惑った。先生はおっしゃった。『私は、面会に来た者に対して話をするのであり、私の前から去ろうとする者には話をしない。お前たちは何をそんなに慌てて騒いでいるのだ。他人が自分の心を清潔にして私に会いに来ているのだから、私はその清潔さを信じて話をするだろう。しかし、話し合いの結果、私のもとを立ち去ってからどうなるのかまでは保証できないだけだ。』

[解説]孔子は人情・風紀が良くないと噂されている互郷からやってきた子どもと、何の迷いもなく面談に応じた。孔子の門人たちは、至高の君子として尊敬している孔子が、人情風紀の評判が良くない村人と交わるのを嫌ったようだが、孔子自身はそういった風説や偏見によって相手に対する態度を変えることはなかったのである。

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