『枕草子』の現代語訳:9

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

『枕草子』は池田亀鑑(いけだきかん)の書いた『全講枕草子(1957年)』の解説書では、多種多様な物事の定義について記した“ものづくし”の『類聚章段(るいじゅうしょうだん)』、四季の自然や日常生活の事柄を観察して感想を記した『随想章段』、中宮定子と関係する宮廷社会の出来事を思い出して書いた『回想章段(日記章段)』の3つの部分に大きく分けられています。紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。

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石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

淵は、かしこ淵は、いかなる底の心を見て、さる名を付けけむと、をかし。な入りその淵、誰にいかなる人の教へけむ。青色の淵こそ、をかしけれ。蔵人などの具にしつべくて。隠れの淵。いな淵。

海は水うみ。与謝の海。かはふちの海。

山陵(みささぎ)はうぐひすの陵(みささぎ)。柏木の陵。あめの陵。

渡りはしかすがの渡り。こりずまの渡り。水はしの渡り。

たちはたまつくり。

家は近衛の御門(みかど)。二条。みかゐ。一条もよし。染殿(そめどの)の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。

[現代語訳]

淵は、かしこ淵というのは、どのような淵の深い底を見て、そのような名前を付けたのだろうかと思うと面白い。な入りその淵は、誰にどんな人がその名を教えたのだろうか。青色の淵という名前も情趣がある。蔵人などが青色の服を着られそうな感じもする。隠れの淵。いな淵。

海といえば、水うみ。与謝の海。かはふちの海。

山陵といえば、うぐひすの陵。柏木の陵。あめの陵。

渡りといえば、しかすがの渡り。こりずまの渡り。水はしの渡り。

たちはたまつくり。

家といえば、近衛の御門(みかど)。二条。みかゐ。一条院も立派だ。染殿(そめどの)の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。

[古文・原文]

清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の、北の隔てなる御障子には、荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長足長などをぞ、描きたる。上の御局(みつぼね)の戸を、押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。

高欄(こうらん)のもとに、青き瓶(かめ)の大きなるを据ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外(と)まで咲きこぼれたる昼つ方、大納言殿、桜の直衣(なおし)の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋の指貫(かたもんのさしぬき)、白き御衣(おんぞ)ども、上に濃き綾のいとあざやかなるを出だして参り給へるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷に居給ひて、ものなど申し給ふ。

御簾の内に、女房、桜の唐衣(からぎぬ)どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤山吹など色々このましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御簾より押し出でたるほど、昼の御座(ひのおまし)の方には、御膳(おもの)まゐる足音高し。警ひちなど、『をし』と言ふ声聞ゆるも、うらうらとのどかなる日の景色など、いみじうをかしきに、果の御盤(ごばん)取りたる蔵人参りて、御膳奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。御供に、庇より大納言殿御送りに参り給ひて、ありつる花のもとに帰り居給へり。

宮の御前の、御几帳押しやりて、長押(なげし)のもとに出でさせ給へるなど、何となくただめでたきを、さぶらふ人も思ふことなき心地するに、『月も日もかはりゆけども久に経る三室(みむろ)の山の』といふ言を、いとゆるるかにうち出だし給へる、いとをかしう覚ゆるにぞ、げに、千年もあらまほしき御有様なるや。

[現代語訳]

清涼殿の東北の隅で、北側との隔てになっている障子は、荒海の絵で、恐ろしい姿をした生き物である手長・足長などの絵が描いてある。上の御局の戸はいつも開け放しているので、いつもその不気味な絵が見えるのを、ああ嫌だ(気持ち悪い絵だ)などと言って笑っていた。

高欄の所に、青くて大きな瓶(かめ)を置いて、立派に咲いた桜の五尺ほどの枝を沢山差しているので、高欄の外に溢れるくらいに咲き誇っている。そんな日の昼頃、大納言様が桜がさねの着慣れた少しくたびれた直衣に、濃い紫の固紋の指貫をお召になっている。下着は白を重ねて、一番上に濃い紅の綾を着ており、その鮮やかな色を直衣の上から見せて参上した。ちょうど帝がこちらにおいでになっていたので、御局の戸口の前の狭い板敷にお座りになって、何かお話になっておられた。

御局の御簾の内には、女房たちが桜がさねの唐衣をゆったりと着て、藤がさね、山吹がさねなどの色鮮やかな衣裳を揃えて、大勢の女房が北の廊下の小半蔀の御簾から袖口など出している。昼の御座のほうには、御膳を運んで配膳している蔵人たちの足音が高らかに聞こえる。周囲を静かにさせるための『を、し』という警ひつの声なども聞こえてくるが、それがうららかでのどかな春の景色と調和して、何とも言えず趣深いものである。最後の食器を運び終えた蔵人がこちらへと参上して、御用意ができましたと奏上するので、帝は中の戸を通って昼の御前にいらっしゃった。帝のお供をしている大納言様は庇の間を通ってお送り申し上げ、先ほどの桜の差してある瓶の所に戻ってお座りになった。

中宮様が御几帳を押しやって、御簾のお近くまでいらっしゃっているご様子は、この上なく素晴らしいので、お仕えしている女房たちも何とも言えない良い気持ちになるが、『月も日もかはりゆけども久に経る三室(みむろ)の山の』という古歌を、大納言様がゆっくりとした調子でお歌い出しになられた。この歌が非常にしみじみとした趣きを感じさせてくれたのだが、本当に、千年もこのままでいて欲しいと思わせられるような中宮様の素敵なご様子である。

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