“回避性パーソナリティー障害・退却神経症”から見る現代人のストレス反応性の広がり
ストレスに対する現代人の“回避・逃避”と“依存・執着”の自己防衛的かつ非適応的な性格行動パターン
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回避性パーソナリティー障害の主体性の喪失はなぜ起こるのか?:親子関係と子への期待・要求
他人に対して抵抗・反発・批判をして、自分の意見を通すこと(相手の非を改めさせること)などとても無理だと感じている回避性パーソナリティーの人は、自分だけが受動的に相手に従うしかないような心理状態に追い込まれやすい。自己主張が強くて要求の多い相手と無理に付き合って、『理不尽な人間関係』にはめ込まれてしまいやすい嫌な経験を重ねているから、他者と距離感を縮めて親しくなることをかなり警戒していて不安に感じることにもなる。
回避性パーソナリティー障害(APD)と『大人としての成熟』が拒否されやすくなった現代
回避性パーソナリティーの人は『他者との戦い・競争』というのが非常に苦手であるか、他者と本気で利害を対立させてぶつかり合うことを考えただけで強い不安感・恐怖感に襲われるので、不安を弱めていって『付き合える相手(親しくなれる相手)』の範囲が非常に狭くなりがちということになる。本人の能力・技術・知識は相当に優れていて、対立する相手と本気でやり合えば『善悪の是非(理非)・知識の正誤・技術の巧拙の基準』では勝てることも多いのだが、回避性パーソナリティーの人は自己主張の強い他人の存在・意思と真正面から向き合うこと自体に強い不安・恐れがある。そのため、競争的・対立的なやり取りをするくらいなら初めから諦めて従うか、戦いの舞台からすっと去ってしまうのである。
自己評価の低さからくる自己卑下と野心・欲求の乏しさ、諦め・従順の態度といった回避性パーソナリティーの特徴には、自分の人生を自分で責任を持って決めたり選んだりして前に進めていくことができないという『主体性・自己決定の喪失』が関係している。主体性・自己決定の喪失の原因としては、遺伝要因やトラウマ要因、幼少期からの養育環境(親子環境)を想定することができる。幼少期から思春期にかけての子育てで『子供自身の人生の選択・好み・責任』を無視して、すべて親が子の代わりに『こうするほうが絶対良い・私が正しい決定をしてあげる・親に任せておけば大きな間違いはない』とばかりに勝手に決めつけて物事(重要な進路選択)を強引に進めていくような『過保護・過干渉』が主体性の喪失に影響していることは少なくない。
子供の人生の進路や生き方をガチガチに親が固めてしまうような過保護・過干渉の子育ては、『表面的な愛情・心配』と『実質的な支配・強制』を混同してしまうことで、子供の主体性・自己主張・自己決定を奪い取ってしまうリスクが少なからずあるのである。親がもっとも正しくてもっとも稼げると思うような人生の進路・生き方の強い勧め(実質の支配・強制)というのは、子供にとって『親に嫌われたくない(親に見捨てられたくない)という思い』を逆手に取られたかなり高いハードルとして受け取られやすい。
おまけに自分が好きで選んだ進路や分野、生き方でもないから、『親が期待する人生と自分が生きたい人生の混乱』も起こりやすく、自分の能力・適性が親の期待する進路の基準を満たせない場合には、親子関係が急速に険悪になって親が子に無関心になったり、子供は自分の人生の主体性・意思決定を奪われて何をしていいかも分からなくなることが多い。親の期待や要求が過剰だったり子供にとって的外れであれば、それを子が主体的に拒絶する権利はあるはずなのだが、幼少期から『親の期待・要求を満たせば愛される褒められる関係』が当たり前のように築かれていると、『親の期待・要求に応えられないダメな自分』のほうに不甲斐なさや罪悪感を感じてしまいやすくなるのである。
特に親自身が社会的に立派な肩書き・権威的な職業を持つ人物であったり、経済的に成功している人物である場合には、親の強い期待とそれに応えなければならないというプレッシャーは人一倍強くなりやすいものである。子供に本当の愛情や手間暇をかけて子供の意思決定も尊重しながら、許容範囲内の期待をかけるのであればまだいいのだが、『自分の価値観・職業観の一方的な押し付け(その学校・仕事以外はほとんど価値がないなど)』や『親が強い期待をかけたりお金を出すことが真の愛情であるという勘違い』がある場合には、子供は主体性を奪われて無気力になったり自己アイデンティティーが拡散したりしてしまいやすい。
親に嫌われたくない(親に見捨てられたくない)から大半の子供は必死に頑張ろうとするのだが、『親の大きすぎる期待・多すぎる要求・理想や好み(見栄)の押し付け』にどうしても応えきれなくなると、挫折感・自己嫌悪・絶望感・親への怒りを感じて“非社会的行動パターン”か“反社会的行動パターン”のいずれかに傾きやすい。反社会的行動パターンとなって現れれば『非行・家庭内暴力・薬物依存・性的逸脱』などになり、非社会的行動パターンとなって現れれば回避性パーソナリティーを前提とする『不登校・ひきこもり・就労困難・社会的孤立』などになってくる。
養育環境や親子関係を原因とする回避性パーソナリティー形成の問題を改善するためには、子供自身が自発的に抱く興味関心を尊重して、『主体的に何かをやろう・これに決めようとする自己決定の機会』を持たせて上げることが大切であり、『一方的な期待・要求の押し付け』には人格形成や適応行動に対する悪影響が多いのである。子供本人がまったく望んでいないことが明らかな進路、ほとんど適性がないことが分かってきたジャンルにおいて、『不本意な強制的なチャレンジ』をさせることは子供の主観的な達成感・満足度を高めることがない。さらに『適性欠如(不向きな分野)などで努力の結果もついてこない状態』で期待に応えろという流れで無理強いすると、人生の主体性だけでなく自尊心・意欲・前向きさまで奪われてしまうリスクが出てくる。
『他者(親)に与えられた人生の押し付け』で主体性の欠如が起こると、回避性パーソナリティー障害の特徴として指摘される『他者への受動的な従属・他者の自衛的な回避・自己評価の低さ・自己無力感・自己アイデンティティー拡散』なども強まりやすくなる。その結果、学校・仕事・対人関係などの社会生活状況でストレスに弱くなって、『煩わしくて面倒そうなこと・人から自分を判断されること』を事前に回避することで不安を和らげる行動パターンが固定されやすい。
“回避性パーソナリティー障害・退却神経症”から見る現代人のストレス反応性の広がり
自我が傷つけられたり重い責任・負担を感じさせられたりする場面を避けるという『回避性パーソナリティー障害』は、1990年代までは学校・会社・仕事といった人生の主要な活動から退却するという笠原嘉(かさはらよみし)の『退却神経症』によって説明されることが多くありました。退却神経症の人が避けてしまうのは、誰かに管理・査定をされていたり何かを絶対にしなければならなかったりする『精神的なストレスの強い状況』であり、自分の価値・能力やプライドが脅かされてしまうような『他者との競争場面』ですが、これらは『学校や会社の集団生活・義務的活動(勉強・仕事)』では必ず付いて回る要素です。
学校・会社における所属や義務的活動は、例外はあるにせよ、人生の社会的アイデンティティーや経済活動(お金を稼いで生活すること)と密接に関係していることが多いので、部分的に退却することで『不登校・出社拒否』から派生する社会適応(経済状況・精神状態)に問題が生じやすいのです。友人関係のストレスや学業不振の劣等感から学校にずっと通わなければ進学・就職に不利になりやすく、職場の人間関係や仕事のストレスが嫌で会社にずっと行かなければ懲戒処分を受けて解雇されたり収入がなくなったりするので、退却神経症(スチューデントアパシー含む)や回避性パーソナリティー障害の本人にとっての社会経済的な不利益は一般に小さくはないのです。
退却神経症や回避性パーソナリティー障害の原因には、立ち直れないほどに自尊心を傷つけられた過去のトラウマから来る社会不安(対人恐怖)と、自分が他者よりも劣っているという現実を競争の結果(集団内での扱い)によって突きつけられたくないプライドの高さ(現実自己の否認)が関係しています。そのため、対人的な緊張感・不安感が弱かったり(上下関係を意識させられることのないフラットな人間関係であったり)、自分に求められる責任や仕事の内容が重くなかったりする状況であれば、『部分的な社会適応』をすることは可能なことが多く、うつ病(気分障害)に見られるような『全般的な精神運動抑制』による抑うつ感や無気力に覆われているわけではありません。
新型うつ病や非定型うつ病では、『ストレス反応性の抑うつ感』が見られることがあり、楽しいことや興味のある活動であれば参加できるのに、ストレスを感じる嫌なこと(面倒なこと)や関心を持てない活動には参加できないということが、『擬態うつ病(仮病)』だとして非難されることがあります。典型的なストレス反応性の抑うつ感としては、学校に行こうとすると頭が重たくなって何もやる気が起こらなくなり体調も悪化するとか、会社に行こうとすると気分が深く落ち込み思考力も低下して仕事ができなくなり腹痛も起こってくるとかいうことがあります。
しかしこういったケースでも、『学校は行けないがアルバイトなら行ける・仕事は行けないが映画館や旅行なら行ける・正社員では精神的につらいが時短の派遣ならできる』というストレス反応性(場面選択性)の症状の変化・好転が見られるわけです。笠原嘉は退却神経症の定義において、気楽な副業や娯楽的な活動はできるが、責任・重圧・競争が強くなりやすい本業(学業・仕事)から撤退する『部分的退却』が現代人に多いことを指摘しています。この部分的退却の問題は、就職氷河期(ロスジェネ世代)とゆとり世代(シビアな競争の回避)、価値観の多様化(終身雇用前提の働き方の崩壊)を踏まえた現代において、よりリアルなものになってきています。
状況や相手によって適応度(リラックス度)が変わるという『ストレス反応性(場面選択性)』そのものは、多かれ少なかれ誰にでもある普通の反応なのですが、それが過剰になって自分の意志や努力ではどうしてもストレス状況のある学校・会社(仕事)に適応できないというレベルになると、退却神経症や新型うつ病・非定型うつ病に遷移していきやすくなると考えられます。
ストレスに対する現代人の“回避・逃避”と“依存・執着”の自己防衛的かつ非適応的な性格行動パターン
退却神経症や新型うつ病では、本業のストレス状況に対して極端に意欲・集中力が低下しやすく、無理して行ってみても何も生産的な仕事・学習ができないという問題を伴いやすいのですが、少しずつストレスを感じる状況や相手に慣れていくという『系統的脱感作の行動療法』が有効な人もいれば、『自分が何とか適応できる仕事・集団・相手を見つける』というニッチな適応戦略が有効な人もいるでしょう。
“回避性パーソナリティー障害・退却神経症”から見る現代人のストレス反応性の広がり
現代のストレス社会に対する自己防衛的かつ非適応的な行動パターンとして増えているものに、『回避・逃避』と『依存・執着』がありますが、両者はそれぞれ以下のような特徴があります。
回避・逃避……初めからストレス(不安・緊張・劣等感)を感じさせられる可能性のある場所や活動、相手に近づかずに回避(逃避)するので、『自我(プライド)の傷つき・劣等コンプレックス』からは守られるが、学業・仕事に適応しづらいために社会経済的なデメリットが大きくなることが多い。
依存・執着……物質・買物・関係性などに対する依存症(嗜癖)を形成することで、『本業(社会経済的活動)にまつわるストレスや嫌なこと』を忘れたり相殺したりしようとするが、アルコールや薬物に対する依存症では健康被害が出ることがある。買物やギャンブルの依存症では多重債務や経済破綻のリスクがあり、恋愛・性などに対する関係依存性ではストーカー・迷惑行為やDV、性犯罪、思いつめた上の自殺企図(心中の求め)などのリスクがあります。
依存症の心理的要因としては、現実の生活や人生における嫌なこと・つらいことを『特定の物質・行動・関係から得られる快楽刺激』によって麻痺させたり忘れられたりできることで依存性が形成されます。その依存性はさらに『報酬系(ドーパミン系)』を繰り返し刺激されて気持ちよくなる脳の生理学的メカニズムの要因によって強固なものになり、『自分の意志・努力ではやめられない状態』にまでなります。依存症になりやすい人は、初めから社会生活や人間関係に対する適応の難しさ(頑張って無理して家庭や仕事に何とかしがみついている)、日常生活の面白み(快的刺激)の乏しさ、対人的な孤独感やコミュニティーからの疎外感、まっとうな社会生活が送れない劣等感を抱えていることが多いとされ、依存症になること自体がその人の『今の生活や人間関係の状態がとてもつらくて苦しい、いつも孤独で寂しい、嫌なことばかりで面白くない』というクライシスコールになっていると解釈することもできるのです。
タバコやアルコール、薬物の物質依存症には、脳の報酬系(ドーパミン系神経)が繰り返し刺激されることで常にその快感を求めてしまう生理学的要因があり、ニコチンやアルコールの血中濃度が下がると精神的に落ち着かなくなったり身体的な違和感・不快感が出たりといった『身体依存』が形成されることもありますが、タバコやお酒も仕事・対人関係のストレスが緩和されて主観的な幸福感が高まれば、『摂取量』が減ってくることも多いのです。回避性パーソナリティー障害や退却神経症は、現代の『競争社会(序列や優劣の自意識)・自己責任原理(結果は全て自分が引き受けるべき)』と密接に関係しており、各種の依存症・嗜癖は現代の『個人主義に基づいたコミュニティーや家族の衰退(孤独で寂しい人)・自由主義に基づいた目的意識の拡散(何をしていいか分からない人)』と関係しているでしょう。
広義の回避性パーソナリティーや部分的退却、依存症に当てはまる人は、現代人の中には非常に多いわけですが、それは現代人一般に共通する『環境条件・ストレス強度の適応ハードルの高さ』や『対人関係の調整に求められるコミュニケーション能力の高さ』、『個人主義・競争原理による孤独感や無力感』の影響を受けているからで、誰もが『人生・仕事・関係性の歯車』が少しでも狂うと、今まで通りの無難な適応水準を維持できないリスクを抱えているとも言えます。
元記事の執筆日:2017/09/23